チョリーーーッス
先週、ボランティア活動で東北(陸前高田市)に行ってきた。
TVでしか見たことない風景をこの目で見てきた
まぁ、オレの場合は「被災者の役に立ちたい」とか「被災地の復興に協力したい」とか
そんな大義があった訳ではないので偉そうな事は言いません。
ただ、「興味があって行ってみたかった」というのが参加志望理由だ。
だから、ボランティアの呼びかけとか何度も被災地に足を運んでる人は
本当に立派だと思う。
とまぁ、こんな理由なんでオレが被災地で見てきたものを少し紹介したいと
思います。
その前に全体の流れをさっと
大型の車で11人乗って神奈川を出発。
出発が先週土曜の夜。
8時間程かけて日曜朝、陸高←陸前高田市に到着。
9時~13時くらいまで復興作業
片づけ、銭湯、飯などを食べて
夕方18時くらいに陸高発
夜中2時~3時くらいに地元到着。
翌日はもちろん参加メンバー皆さん仕事。
こんな弾丸スケジュールを皆ヘーキな顔してこなしてた
オレは次の日、やっぱりきつかった。
仕事から帰ったらそっこー寝たね
とにかく遠かった。
片道、7時間以上。
しんどかった。
でもまぁ、充実した休日を過ごした気がした
そんな弾丸スケジュールなんで大した事できなかったけど
むこうの状況などを紹介します。
まず、陸高について最初に目についたのは…

… 船???
海が見えないけどこんな所まで流されてきたのか?
確か、ビルの上かなんかに乗ってたやつかな

大きさハンパない。。
途中、「奇跡の1本松」が車から見えた。
話を聞くと2万7千本植えてあった松がすべて流されたが
奇跡的に1本残ったとか
塩害でその松も枯れてしまうだろうと専門家は言うが
地元の人たちの努力のおかげかまだ残っているそう。
それで「奇跡の一本松」と呼ばれているそう。
詳しくはWebで
ボランティアセンターで登録

被災した建物

よく見ると窓がない

橋があったであろう

この写真はほんの一部ですが津波の怖さを物語っています。
瓦礫の山が数え切れないほど

周りはすべて流されたようで
瓦礫の山以外は見当たらない。

非日常的な景色を見た。
今回のボランティアの作業は
「重要文化財の復興作業」でした。
具体的に言うと
流された重要文化財(寺かな?)の柱などの材木を集めて
それを洗浄。採寸してどこの場所にあった柱か特定する。
これまた、大きい柱だと男10人以上ぢゃないと運べない。
肉体労働だ
イイ汗かいた。
いずれはその柱を宮大工(お寺とかを釘など使わず組み立てる人)
が直すのであろうという話だ。
地元の人にいろいろな話がきけた。
「最近は仮設住宅の設備も整ってきたから地元に帰ってきた人は半分くらいか」
とか
「一番怖いのは津波の恐ろしさが時間とともに風化してしまうこと」
など言っていた。
確かに1年以上たって去年よりだいぶ落ち着きは取り戻したが
その反面、怖さも薄れていくのだろう。。
だから少しでも地元の人の声を多くの人たちに聞いていただけたらと思った。
今回訪れた場所に「黄色いハンカチを付けた塔」があった。

傷ついた人々よ、ふるさとへ帰ってこい。という意味を込めて
映画「幸福の黄色いハンカチ」と同じ塔を作ったそうだ。
その話を聞いた同映画の監督。山田洋次監督が訪問し
黄色いハンカチを送ったそうだ。
ハンカチには「希望よ永遠に」のメッセージが
また、機会があったらボランティアに参加したいな。
でわでわっ
わちゃちゃ

先週、ボランティア活動で東北(陸前高田市)に行ってきた。
TVでしか見たことない風景をこの目で見てきた

まぁ、オレの場合は「被災者の役に立ちたい」とか「被災地の復興に協力したい」とか
そんな大義があった訳ではないので偉そうな事は言いません。
ただ、「興味があって行ってみたかった」というのが参加志望理由だ。
だから、ボランティアの呼びかけとか何度も被災地に足を運んでる人は
本当に立派だと思う。
とまぁ、こんな理由なんでオレが被災地で見てきたものを少し紹介したいと
思います。
その前に全体の流れをさっと
大型の車で11人乗って神奈川を出発。
出発が先週土曜の夜。
8時間程かけて日曜朝、陸高←陸前高田市に到着。
9時~13時くらいまで復興作業
片づけ、銭湯、飯などを食べて
夕方18時くらいに陸高発
夜中2時~3時くらいに地元到着。
翌日はもちろん参加メンバー皆さん仕事。
こんな弾丸スケジュールを皆ヘーキな顔してこなしてた

オレは次の日、やっぱりきつかった。
仕事から帰ったらそっこー寝たね

とにかく遠かった。
片道、7時間以上。
しんどかった。
でもまぁ、充実した休日を過ごした気がした

そんな弾丸スケジュールなんで大した事できなかったけど
むこうの状況などを紹介します。
まず、陸高について最初に目についたのは…

… 船???
海が見えないけどこんな所まで流されてきたのか?
確か、ビルの上かなんかに乗ってたやつかな

大きさハンパない。。
途中、「奇跡の1本松」が車から見えた。
話を聞くと2万7千本植えてあった松がすべて流されたが
奇跡的に1本残ったとか
塩害でその松も枯れてしまうだろうと専門家は言うが
地元の人たちの努力のおかげかまだ残っているそう。
それで「奇跡の一本松」と呼ばれているそう。
詳しくはWebで
ボランティアセンターで登録

被災した建物

よく見ると窓がない

橋があったであろう

この写真はほんの一部ですが津波の怖さを物語っています。
瓦礫の山が数え切れないほど

周りはすべて流されたようで
瓦礫の山以外は見当たらない。

非日常的な景色を見た。
今回のボランティアの作業は
「重要文化財の復興作業」でした。
具体的に言うと
流された重要文化財(寺かな?)の柱などの材木を集めて
それを洗浄。採寸してどこの場所にあった柱か特定する。
これまた、大きい柱だと男10人以上ぢゃないと運べない。
肉体労働だ

イイ汗かいた。
いずれはその柱を宮大工(お寺とかを釘など使わず組み立てる人)
が直すのであろうという話だ。
地元の人にいろいろな話がきけた。
「最近は仮設住宅の設備も整ってきたから地元に帰ってきた人は半分くらいか」
とか
「一番怖いのは津波の恐ろしさが時間とともに風化してしまうこと」
など言っていた。
確かに1年以上たって去年よりだいぶ落ち着きは取り戻したが
その反面、怖さも薄れていくのだろう。。
だから少しでも地元の人の声を多くの人たちに聞いていただけたらと思った。
今回訪れた場所に「黄色いハンカチを付けた塔」があった。

傷ついた人々よ、ふるさとへ帰ってこい。という意味を込めて
映画「幸福の黄色いハンカチ」と同じ塔を作ったそうだ。
その話を聞いた同映画の監督。山田洋次監督が訪問し
黄色いハンカチを送ったそうだ。
ハンカチには「希望よ永遠に」のメッセージが
また、機会があったらボランティアに参加したいな。
でわでわっ

わちゃちゃ