宮城県 石巻市立女子商業高校

2011-04-04 21:03:12 | -各地の様子


避難所にはなっていませんが1階は津波で天井まで浸水しました。

石巻市立ということで宮城県立とは管轄が違います。宮城県立の各高校は宮城県教育委員会や宮城県の支援を受けていますが、石巻市は市全体が津波で崩壊し、しやくしょはもちろん、市教委もほとんど機能していません。

市立女子商業高校はほとんど支援を受けられずにいます。添付写真のようにパンクした一輪車と荷台の壊れた一輪車二台でがれきの搬出をしています。もちろん重機やトラックはなしです。電気、水道も復旧していません。避難所にこそなっていませんが、4月21日から新学期を迎えるようです。

ご支援をお願いします。
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東日本大震災ボランティア(山田町)

2011-04-02 07:30:19 | -各地の様子









東日本大震災ボランティア
2011年03月31日 21時26分08秒 | 日記

被災者内陸移送ボランティア

 3月24日~26日岩手県の事業で、被災された方を現在の避難生活から内陸部の環境の整った場所に一時的に疎開して頂き、町が復興し仮設住宅が建設されるまで過ごしてもらう様、移送する仕事の支援を実施、今回はその第一陣として山田町に入った。
 前日、山田町の被災状況をPCで検索すると、NGO職員のブログから、まだまだ日常の生活用品が不足している事を知り、家の中で必要と思われる物をダンボールに詰めた、正月の福袋から一度も袖を通していない防寒着、子供達は二人とも家を出ているのでそのタンスから何着か拝借、防寒長靴、おばあちゃんは自分なりに袋に詰め手渡してくれた、会社の同僚からも電話があり朝早く自宅に届けてくれた、皆、何かしたいが何も出来ないでいる、受け入れられるか判らないが、持ち帰る事になっても何もしないより良いと思った。
 岩手県庁から宮古に入り山田町に向かった、宮古市内中心部に入るまでは、震災の様子は感じられなかったが、住宅の様子から床上まで水が上がっている事が判った、商店街はいつもより車の渋滞が多く、後で判ったが、山田町などでは商店が全滅して家の残ってる人達はみんな宮古に買出しに来ている。
 山田に向かう途中、目の前には創造を絶する光景が目に入る、全てが壊され・流され失われている、ニュースなどで終戦後の日本のようだと言う表現を使用していたが、言葉・文字にし様がない。
 
 最初カメラを向けるのをためらったが、絶対この状況を伝えなければと思い、同乗する職員に撮影をお願いした。

 山田町役場に到着、そこで3チームに分かれ各避難所に向かった
今日の目的は、前回応募があった家族と面談して、不安に思っていることはないか、気持ちに変わりがないか確認する事と、次回の募集を周知させる事。各避難所では、保育園では園長先生、学校では先生、漁業組合では組合長さんらが先頭に立ち、避難者をまとめ面倒を見てくれている、顔には疲労の跡が隠せない、きっと睡眠も十分でないのではないか。
 その日は役場に帰り、非常食(アルファー米)とカップヌードルを食べ、子供達とのキャンプ以来の寝袋に入り就寝。

朝早く寒くて寝ていられず、5:00には目が覚め、山田町内を歩いた。
 山田町としては全体の半分、高田にある住宅は残ったとの事だが、役場の高台から見る限り全壊
 ココに住んでいる人の生活が、命が一瞬で奪われた、報道で知るのとは、実際にココで、この空気を吸って、この目で見て感じるものは違う、役場から真っ直ぐ港まで歩いた。
 港について、大きな堤防が決壊して、そこから勢いよく津波が入り流れていったのが見て取れた
 なぜ、この大きな堤防が決壊したのか、残っている堤防はなぜ決壊しなかったのか
素人ながらその原因が判った
 写真から、決壊した堤防は基礎の上にただ乗っかっているだけ、破壊と言うより倒れた感じに見える
施工業者は、どんな津波が来てもこの堤防で守るんだと言う思いをこめて造ったか?
それを監査する、発注側(国、県)は間違いがないかちゃんと監査したのだろうか?
これは人災も有るのではないだろうか?

基礎と堤防は細い鉄筋でのみ繋がっていて、コンクリートは乗っている感じ、ちょうど破壊した堤防は見晴台となり上部の頭でっかちの為転びやすかった。
 専門の人に見て頂きたい

 駅のある方に向かい歩いた、途中朝早くから、自宅の瓦礫を寄せている人、壊れた家の中を片付けている人が見えた、この中にまだ行方不明者が眠っていて、家族が一生懸命探している事を思い涙がこみ上げてきた。
 物欲の世の中が何の役に立つか、大切な人を亡くした気持ちが誰に判るだろうか
役場に戻り辞められないタバコに火を点けた、S内装と書かれた制服を着た人から何処から来たと挨拶された、私は、町内を歩いてきた事を話した、その人は被災した日からこれまでを話してくれた
 内陸との温度差を感じる
地震翌日、内陸の業者から電話があった、仕事があるんだけれど・・・・・それどころでないのにそんなにひどいのかと言われた事、家族を遺体で運び出し検証に来た神○川県警が岩手県警の許可がないと運べないと言われた事、仏様を一日も放置するのかと怒りが込み上げ言った、無線で連絡を取り直ぐに運ばれた、やれば出来るのに何でだよ、ダイバーの話では海の中の車にはまだ遺体が沢山あること、今はまだ引き上げる事が出来ない事、仮設住宅着工の為大船渡に職人を連れて行くが、いくらでやってくれると聞かれた事、金なんか要らないもの、そんなんじゃないものと泣き崩れた。
 私も、何も出来ない事を詫び涙ぐんだ。
 報道では、日本は凄いと各国から賞賛と書かれているが、観光で被災地に入る人がいる事、興味本位で絶対来て欲しくない。各店舗からは略奪があること
 私達が内陸へ移送の為に着ていることを告げると、今後の復興の為に、まず弱者(お年寄り、子供)を内陸へ、仮設住宅が出来るまで連れて行ってくれ、残った若い者で復興する、今、非難者への面倒を見るので一杯になっている、どうか頼むと・・・・・
 今後に不安をたくさん抱えてはいるが、この状態を一日も早く改善してあげたい、しなければいけない、まだ積まれた瓦礫の中にはたくさんの遺体が眠っているに違いない。
 山田町の様子

 今日は、昨日二陣の希望した家族に面談と不安に思うことを聞き取り、明日移動する家族に再確認
青年の家→大浦地区→織笠地区→山田高校と非難場所を回った
 避難所ではちゃんと役割分担され、特に高校生が率先して手伝っている姿がある
山田高校は400人以上の避難者がいる場所、衛生面でも、精神的にも辛い場所、イライラ感が伝わり笑顔がない
 非難している人が内陸に移動するのに不安がたくさんある
・病院に通院しているから行けない
・介護する人がいない
・亡くした物の手続きがあるから行けない
・ペットを置いて行けない
・まだ家族の行方が判らないから
・内陸に行ったら情報が判らないのでは
・内陸に行ったら自分では帰れない
 などなどたくさん、この一人ひとりの相談に安心できる回答をしてあげて出来るだけ現在の生活から、内陸で人間らしい生活を取り戻してもらいたい。
 又私達内陸の人間は、近くに来たら何らかの手伝いを買って出て、ケアしてあげたい

織笠地区全壊

船越半島大浦地区へ行く途中

26日、今日は大型バスで第1陣を移送する日
昨夜からの雪で、外はものすごく」寒い、出来るだけ外で待たせる事がないように作戦を組んで避難所に迎えに行った。
 バスを待つ間、避難したおばあちゃんが地震当日の事を話してくれた、地震があり、津波警報が出てから20分ぐらい時間が有ったが、揺れが長く外に非難して、まさかココまでは来ないだろうと集落の人と海を見ていた、そうしたらものすごい波で私はもう少し高い所に上がった、自分の目の前でたくさんの人がさらわれていった。それからヘリコプターが救助に来たのは3日後、山火事が発生してヘリコプターで消火、まさかこんな事になるとは・・・・・・
 今回の地震が来る前の地震の時、昭和8年の地震の時小さな地震が続いて大きな地震が来た事を話していた、今回も同じだった事。
 バスが到着したので高齢者を解除しながらバスへ、これで今回の任務は終了した。
これからが本当の復興が始まります、長い年月が掛かるだろうと思うが、私達は一人ひとりが今出来る事を、足元を見つめ実施してかなければいけない、それは使わない電気を消す事だったり、使う人の事を考えものづくりをすることだったりすると思います。
 今回の事でたくさんの事を考えさせられました
・立派な家、高価な宝石がこんな時何の役にも立たないこと
・私達の作ったルールが、道徳の妨げになり、人情ある行動が取れないこと。
一人ひとりが出来る事を一生懸命やりましょう、それが避難者の一杖になるように。

今回のレポートがいく人かの心を動かせたら幸いです。
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南相馬市と双葉郡の原発直近地域から集団非難してきた者たちがブログを立ち上げました

2011-03-31 04:07:12 | -各地の様子
http://blog.goo.ne.jp/minamisoumashi-hinan

『 負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !! 』


 地震と津波で家族・親族・知人を失い、家屋と田地田畑をを流され ・・・ 命からがら避難、
加えて 原発事故で戻ることもできない ・・・ 原発直近地域から集団避難してきた者たちが
ようやっと立ち上げたブログです。
 ぜひ 応援して下さい。


〒 955-0823
新潟県三条市東本成寺 2-1
 三条市総合福祉センター
   TEL 025-33-8511
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福島県相馬市

2011-03-30 15:34:53 | -各地の様子
福島県相馬市は宮城、岩手に比べて被害は少ないとはいえ、やはり実際に被災した方々は苦しい日々を過ごしています。
原発問題で、多くの市民が県外に避難する中、原発付近の地域から相馬へ逃れてきた方々も多く避難所にいらっしゃいます。
我が家は倒壊を免れましたが、私と主人が経験したことをお伝えします。

3月11日、私は相馬市松川浦近くにある小さな私立幼稚園に通う娘を迎えに行った帰りの車中に地震に遭いました。
主人と下の息子も一緒にいたので、そのまま山方面に走り、遠くに津波が押し寄せる様子を目を凝らして見つめました。
娘の幼稚園は津波に飲まれたと思い、迎えがあと少しおそかったら…と恐怖しました。

震災から約一週間後、私の主人は縁あって、娘の通った幼稚園の園長の子息T先生と副園長である園長夫人と避難所を回って、避難所の子供たち向けに遊びの場を提供をしようとボランティアを始めました。
私も便乗しました。
各避難所では、食事の供給だけでなく、被災者の子供たちへの対応も違っていることがわかりました。
ある避難所では、避難所となっている学校の一部屋を学習室として設け、自校の生徒ではないのに、学習時間を設けるなどしているのですが、別の避難所では全くの野放し状態。
ボランティアの申し入れも、前者は協力的でしたが、後者は余計なことをしてくれるなといった様子でした。
そういった所の子供たちは何をするでもなく、周りの子供たちと遊んだり、喧嘩したり・・・
走り回って周囲の大人たちに叱られることも多々あったようです。

私たちは主な避難所を4か所回り、空いてるスペースを借りて約1時間ずつ回りました。
幸い幼稚園はぎりぎりのところまで津波は押し寄せてはいたものの無事だった幼稚園から色々と持ってきてくださいました。
粘土遊びや、折り紙、絵本の読み聞かせや、ささやかなゲームをするだけでしたが、
未就学の子供たちも、小学生も、避難所での生活に募らせた不安感や、疲れがあったのだと思います。
多くの笑顔が見られました。
家や家族を失くした子もありました。
でも一時でも笑ってくれました。

けれども、避難所の子供たちが次第に減っていきました。
原発への恐怖から多くが相馬から避難したり、ライフラインの復旧で家が残っている避難者が帰ったというのもあるでしょう。
また、ある市議会議員の方が野放し状態の一つの避難所に的を絞り、子供たちのために遊びや学習の場を設けてくれることになりました。
ある避難所では、使わせていただいていたスペースが、大量に届く物資置き場となってしまいました。
園長夫人もT先生も幼稚園やご自分のたちの生活のこともあるということもあり、約8日間で私たちの活動は終わりを迎えました。

その8日間で知った園長家族のこと。

T先生が地震でアスファルトが裂ける中、送迎バスにいた子供たちに覆いかぶさったこと。
園長、T先生が大津波警報の中、必死で子供たちを送り届けたこと。
園長夫妻の自宅は流されてしまったこと。
T 先生は結婚式直前だったこと。(国際結婚なので、奥様は母国に足止め)
津波でさらわれた家のあとを訪れて、多くの遺骸を目にしたこと。
流されたがれきの中から、津波後に1度訪れてあったはずの物品が、あくる日には盗まれてしまっていたこと・・・


被災者は、みんなそれぞれ大変につらい思いをしていると思います。
家族を失くした方からすれば、この園長家族は家を失くしただけなんだからいい。。。と思われるでしょう。
でも、自分に置き換えてみたら?
そんなことは言えない。
そんな中でもくさらず、出来ることをしようと、全力を尽くしたT 先生と園長夫妻に、私は称賛を送りたいのです。

自分たちの被災の苦しみを一切私たちには見せることなく、
この8日間、避難所の子供たちのために足を運び、
遠くに逃げるためではなく、避難所の子供たちのために、ガソリンを求める長蛇の列に並び、
ご自分たちだって満足な食料もなく、疲れ果てていたはずなのに、手伝う私たち夫婦までも気遣ってくださった・・・

明日3月31日、娘の幼稚園で卒園式の代わりに「旅たちの会」をとり行って下さることとなりました。
まだまだ多くの園児家族が相馬市外に避難しているため、参加できる者のみで行います。
原発がどうなるかもわからないし、本当なら避けたかったであろうご決断をされた園長先生にも心から感謝します。

福島県相馬市。
原発の息がややかかるだけで、被災の規模も宮城、岩手に比べると少なく、報道される方々には中途半端で注目に値しない地域なのかもしれません。
他にもそんな地域も多くあるとは思います。
そんな地域の目立たないところで、精一杯に頑張っているこの幼稚園の園長夫妻、息子さんのことをお伝えしたくて長々と書かせていただきました。

多くの方が頑張っていますが、多くの方が絶望しています。
これから、この相馬を離れていく人々は大勢いるでしょう。
復興なんてできるんだろうか・・・
くじけても、へこたれても、そのあとに、私はこの園長一家をを思い出して前に進もうと思います。
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被災地の画像

2011-03-30 13:03:14 | -各地の様子









いわき市四倉町の写メです。

他にも小名浜あたりとか久ノ浜とかあるのであとで送ります。



四倉は砂浜が長いので、岩手や宮城、南相馬などに比べたらまだ被害は少ない方です。

しかし、四倉でも死者は出ているんです。自家用車が流されて、私の叔母に助けられた人もいます。

私の友達も家が津波でやられて住めなくなり、今は市内の避難所にいます。

久ノ浜なんかは毎日何体もの死体がうちあがってくるらしいです。
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亘理山元町 浜街道・本日の状態

2011-03-28 18:05:37 | -各地の様子


今日、28日現在、亘理町と、山元町の境目ぐらいの場所
 友人宅が、被害にあって、大変なので、伺いましたが、
現状は、通れますが、こんな状態です。
恐る恐る通ってきました。
支援サイト・・・http://itininosannsuke.blog60.fc2.com/
亘理、山元までの高速道の↓

友人宅への道

友人宅斜め前の家
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新宿駅西口で若者が募金呼びかけ

2011-03-28 14:02:47 | -各地の様子




新宿駅西口で、被災した岩手県大船渡市出身の若者や、
宮城県仙台市にある東北大学の学生らが、大きな声で募金を呼びかけています。
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宮城

2011-03-25 14:16:04 | -各地の様子


宮城県名取市の現状です。
海沿いではたくさんの方がお亡くなりになりました。
多くの家があった所も、今では瓦礫の山であり、津波の恐ろしさを思い知らされました。
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報道はされませんが、仙台市内 泉区のビル内では

2011-03-25 10:41:07 | -各地の様子

地震2日目に見に行ったビル内の学習塾の内部です。
津波被災に比べれば、微々たる被災だと思います。

三日間ほどで片付きましたし、生徒保護者も全員無事で
学校が休みだということもあって、こどもたちに「すること・行く場所」があるのはいいことだと
電気だけで、水・ガス等も復旧していない22日から、学習開始しています。
節電のため、暖房は入れていません。親戚のうちへ避難してきているこどもたちには無料対応しています。

でも、ビルにはひび割れが散見され、
もし大きな余震が来たら倒壊の危険性もあるのではないかと思うと冷や冷やものです。
ニュージーランドのビル倒壊の二の舞になりかねないと思うと、とても怖い。
けれども、それを言ったら東北地方すべてのビルが同じような状況でしょう。
ここが崩れるほどの余震が来たら、どこにいても同じだろう、とは思うのですが。

回数は減ってきたというものの震度4程度の余震は毎日のようにあって
その程度の揺れには慣れっこになってしまいましたが、それでも教室内にいるとき
揺れ始めると顔が引きつる感じがします。

阪神大震災のときに比べ、市内のビルの倒壊がない、というのは大きな違いだとは思いますが
(それだけ教訓が生かされたということなのでしょうね)
現時点でのビルの安全性について知りようがないのです。
オーナーに問い合わせてはいるのですが、まだ返事はきません。

4月末頃には市内の学校も再開されるようですが
建物の安全確認を、そのころまでに全部済ませることができるのだろうかという疑問も湧きます。

津波被災地ではないので、報道はされませんけれど、
家屋が無事であった地域でも様々な不安、問題が山積していることをお伝えしたくて
投稿します。
福島の被災者の方々の不安を思えば、当地では被爆の危険性が低い分だけマシなのでしょうし
欲を言ったらきりがないのですけれど。
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矢板市成田被災現場(一部)

2011-03-23 15:42:51 | -各地の様子
 東北関東大震災(3/11)被害について



【場所】
 栃木県矢板市成田ハッピーハイランド被災現場(3/12午後撮影)
 
【現場状況】
 ・ハッピーハイランド東側のほぼ全域が土地の崩落や地盤隆起/沈下&道路地割れ
等に
  より家屋の損壊や家屋の傾きの被害に遭っている。
  一時ライフラインの電気/ガス/水道/下水(集中浄化槽)が使えなくなった。
  3/22日現在電気/ガスは概ね復旧したものの、依然として水道/下水(集中浄化槽)

  使えない状況です。・・・水道復旧予定4月末(市 発表)
  仮に水道が復旧しても下水道が使えなくてはどうにもならない。

 ・自治会役員が中心になり道路の復旧や簡易トイレの設置、被害状況のまとめや集
中浄化槽
  配管損傷調査等独自に(行政が動かない・動いてくれない)取組んでいるのが現状
です。

  最後に今も強い余震が続いており、住民が不安を抱いておりますので、一日も早
い復興が
  出来る様、市が率先して自治会と協力し合い取組んで頂きたい。
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栃木県宇都宮周辺

2011-03-23 08:53:00 | -各地の様子
北関東は車が重要な交通機関です。今日も4時に起きてスタンド渋滞に並びました。なるべく自転車を使っていますが、車も必要です。2時間待ちでしたが、4時間、5時間待つことも有るそうです。トラックが突っ込み死者も出ました。政府はもっと早く大量に備蓄ガソリンを,開放すべきでは、なかったのでしょうか?




智幸
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報道されていない実態

2011-03-22 22:02:28 | -各地の様子
とある沿岸被災地のコンビニの写真です。


ガラスを見ると解りますが、2m弱の津波の跡があります。
さらにガラスに着目して下さい、割れているものと、割れていないものがあります。


「割れているガラス」


これは津波で割れた訳ではありません。

その根拠は、入り口付近にガラスの破片が散乱しているからです。
もし津波で割れたのであれば、状況的にガラスの破片は同時に流されていると考えら
れる為です。


では何で割れたのか?


「津波の後に人的に割った」 と考えられます。

その根拠は、店内にバールでこじ開けられたATMが転がっていたからです…



「日本は暴動が起きていない」と諸外国に賞賛されていますが、実態はこの通りで
す。


最近ようやく報道され始めましたが、避難した民家を狙う空き巣が多発しています。

ガソリンスタンドでは、殴り合いの喧嘩が起きています。

津波で流された車両からガソリンを抜いている人もいます。




物資の「ゆとり」がなく、心の「ゆとり」も失われています…
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[動画]2011年3月20日 東北地方太平洋沖地震後の宮古市内の様子

2011-03-22 20:20:22 | -各地の様子

2011年3月20日 東北地方太平洋沖地震後の宮古市内の様子です
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福島県相馬郡新地町

2011-03-22 17:03:33 | -各地の様子
これは先日の天気のよい日に役場の屋上から撮影したものです。
北東位の向きです。
ここは宮城県との県境。
隣の山元町、坂元地区も壊滅的被害です。

私が言いたいのは、福島県だと原発とその退避圏内市町村はニュースに成りやすいから、そこをテレビで取り上げる。
宮城県も一様に被害があからさまな市町村が取り上げられ、この新地町も隣の山元町坂元地区も取り上げられるのが少ないのです。
同様に壊滅的被害を受けていても、放送されない町です。
ボランティアや支援物資は届いていますが足りないのが現状です。
避難所には、家財を津波で失った人や地震で家が危険で住めなくなった人などが大勢います。
私は家が何とか残ったので自宅避難していますが、余震のたびに気がきではありません。
支援物資の食料も避難所が優先で自宅避難の私達は貰えなかったので、役場に掛け合って3/21やっと支援食料をいただけました。
ガソリンが無い、スーパーも品薄でたまに営業。
家に有った食料で食いつないできましたが限界でした。
食べ盛りの子供達を優先してぎりぎりまで自分の食事を減らし、何も言わず町で支援してくれるのを待っていたねですから。
書きたい事が多すぎて文章がめちゃめちゃになりましたがテレビにでない所でもこの震災の爪痕は大きくて深いのです。
復興の道のりはとても遠いです。
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風評【福島県いわき市】

2011-03-22 15:52:10 | -各地の様子
先日、いわき市の実家へガソリン・灯油・食料を届けに言って来ました。


風評被害でいわき市は危ないと思われていて、物流のドライバーが引き返してしまうため、いわき市にはガソリンも灯油も食料もありません。
茨城県の日立から北茨城も同様です。

6号線のガソリンスタンドは給油待ちの渋滞で何kmも続いていました。
12時間待って10リットルの給油しかできません。

国やマスコミの報道で福島県民がどんなに辛い思いをしているのか考えてみて下さい。

福島原発は関東に電力全て送っています。
福島県は東北電力です。
関東の電気のために福島県は風評で危機的状況です。
とにかくガソリンと食料を届けて下さい。

いわき市は安全です。
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