1946年4月29日。日本の韓国併呑には様々な手段が動員されたが最も基本的な手段は武力だ
った。韓国が併呑された最も大きな理由も武力に対抗する能力がないというところにあった。明治
時代に日本が導入した近代的武器と軍隊組織・方法は清国を蹂躙しロシアを撃退する水準に上
がっていた。武力において朝鮮が耐えられる相手ではなかった。
武力を前面に出した侵略には武力で対抗しなければならない。相手にならないという事実は当時
誰でも知っていた。それでも卵で岩を打つ心情で自身を犠牲にして抗争に乗り出した人々がいた。
抗争が直ちに勝利をおさめることはできなくとも、抵抗の精神は生かしておいたのだ。状況に屈服
せず、精神が生き残るならば当面の状況はどうしようもなくても、より良い状況を将来引き出す糸
口になる。自分の身体と家族の当面の安全と危機ばかり考えず、民族社会の将来と子孫が堂々
とすることを考えた人々がいた。
植民地時代、武力抗争の最も大きな象徴の一つが尹奉吉(ユン・ボンギル, 1908~1932年)の義
挙であった。(中略:1949年の記念式典に関する新聞記事)
金九(キム・グ)に「テロリスト」というレッテルが張られた理由がユン・ボンギルなどの偉業を指揮
した実績にあった。彼に敵対した人々は「テロリスト」という理由で引き降ろし、今でも李承晩(イ・
スンマン)を擁護する人々がこの視点を多く突きつける。キム・グの民族主義精神を慕って彼の挫
折と残念な死を悼む人々も、この側面については釈然としない考えを持つ場合が多い。
私自身<解放日記>作業を始めるまで、キム・グを慕う心をたくさん持ったまま作業に入りながら、
漠然とした感情にしばられずに批判する点は冷徹に批判するべきだとの確約をした。実際に解放
空間の中の彼の姿からは誠実さを疑わせる一面を発見して、彼の挫折には自業自得の側面もあ
るのではないかと考えることもある。
しかし、テロを無条件罪悪視する観念論には反対だ。宋鎮宇(ソン・ジンウ)の暗殺(1945年12月
30日)の背後にキム・グがいたと考える人々もこういう観念論に多く左右されるようだ。私はこのこ
とに確実な判断ができないし、キム・グの潔白を主張する根拠もない。ただし「テロリスト」という観
念の上で彼の責任を想像することではないと考える。
不当な侵略に対する抵抗の精神を生かすために自分自身を犠牲にした人々がいた。日本の強大
な武力の前でその犠牲に見合う効果を得ることはできなかったが、最善を尽くそうとした人々だっ
た。最大限効果的な闘争方法を彼らは模索し、テロも選択の範囲の中にあった。自分自身を犠牲
にする行為の道徳性は客観的定規で裁くのが難しいことだ。
テロリストの中には米国映画にたくさん見られるように暴力の快感に陶酔した者もいる。しかし、安
重根(アン・ジュングン)やユン・ボンギルの様な「義士」たちの行跡には生命を惜しんで隣人を愛
する人間的姿勢が明確に現れている。彼らの行為はあらゆる摸索の終わりにやむをえない選択
であったし、無実の人命の被害を最小化するために最善の努力を傾けた事実が明らかだから、私
はそれを「テロ」の範疇に入れることに反対であり、あえて入れたとしても犯罪的行為とは認めない。
ところでキム・グはユン・ボンギルなどの偉業を支援して指揮したが、自分の命をかけることはな
かった。そのため、キム・グが自分の野心のためにテロを利用したという非難もある。しかし、偉業
に乗り出した若者たちとキム・グの間の一体感を重視しなければなければならないと私は考える。
キム・グがユン・ボンギルを虹口公園に送って自分の肉が切られていく痛みを感じなければ、ユ
ン・ボンギルが彼の指揮に欣然と従うことができたであろうか?
(後略)
/キム・キヒョプ歴史学者
ソース:プレシアン(韓国語) ユン・ボンギルとキム・グがテロリストと?(抄訳)
http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=50110429072646§ion=04