さぁ~そろそろ、政信の事を本腰を入れて! 政信伝記を記載する時が迫ってきましたね。 時は1994年10月22日 秋のスピード王の時です、彼が活躍し彗星のごとく空に消えてたのが1999年の年末、つまり世紀末に彼は昇天するんです。
まだ、それまでは、いささかの時間がありますが、覚醒前夜、何が彼を包んだか皆さんと共に振り返ってみたいと思います。
秋スピは春スピより格が上ですので外来参加も色濃く、味なメンバーがそろっています、記念級でなければ呼べない(斡旋)メンバーが来る事でも有名です、しかし、数名ですがね主力は・・・・その代表格が船橋の島田信廣選手です、島田選手はもう言うまではないと思いますが、当地飯塚オートとは浅からぬ縁の持ち主でした、中村との交友、地元飯塚選手の前にタイトル阻止を高々と掲げ、立ちふさがった男でもあります。
かなり、あとになりますが、あの浦田信輔の日本選手権初制覇に待ったをかけた人でもあります、確か準決でしたか、桝崎&浦田の鉄壁防衛ラインを崩しかけた男ですからね、師匠の桝崎正は浦田の為か、幻の日本選手権制覇を弟子に託す訳ですが、己が身を捨て駒に(私にはそう見えました)浦田のために活路を開いた人です、あれが無ければ浦田の選手権制覇は無かったと思います。ラスト3周の島田選手との攻防はそれは凄かったです! いずれ詳しく載せます。
その島田選手が秋スピに斡旋されています。 初日のドリーム戦(3100m)でまず飯塚の主力である永富、中村、田中守との激突です、1小松久二一 2上野秀俊 3永富高志 4島田信廣 5田中守 6中村政信 7福田茂 8穴見和正の8選手ゼロオープンの戦いです、2コースから上野がスタート! 終始リードをとります、すぐさま島田信廣が追撃しますが、田中、永富、中村がその後を追います、群がる地元3強との競り間に上野秀俊が逃げ切り 試走3.32上がり3,400でザ・ギャルが初日ドリームを飾ります。 この時、中村は5着惨敗を記します、島田は2着!
マサさんの走る動画をいろいろ観ております。
生でレースを見てみたかったレーサー№1です。
「飯塚のファンのために」を、
何の言いよどみもなく胸を張って仰る方であったことが
すごくよくわかってきました。
同時に、マサさんを今も心に思う人の多さに!
選手の方も、ファンも。
これからも連載楽しみです。
昨日は貴重な情報ありがとうございました
お忙しい中、写真付きでわかりやすく説明して頂き嬉しい思います
また分からない事質問するかもしれませんが
よろしくお願いします
改めてありがとうございました