268 ◆tKFpP5znIw ブログ

いや。その。まあ、あれですよ。あれ。ブログっていう奴ですよ。

東大受験しようかなと

2004-11-30 17:51:42 | 批評 時評 与太話
サラリーマンしてるんなら迷わず退職して 一年ほど準備して東大いくだろうな。敢えて学部から

この歳になって世の中の仕組みが見えてくればくるほど 東大ブランドの有利さが見えてくる

学部卒業後 国一受けて官庁に一年だけ奉職してもいい

成功は保証されてはないが、失敗しない事が保証されている あの人々の仲間入りだ。

いや~人間、暇になると録な事考えないもんだな。

赤本まで買ったんだもんな。
これ見つかったらみんなに怒られるんだろうな。

投稿予定

2004-11-29 21:50:08 | 批評 時評 与太話
1 英語を「話せるように」なろうとする愚かさ

2 構造改革特区を巡る官界人脈 ~目撃者として書き残して置きたいこと~

3 細木かず子ブームについてどうしても感じてしまうある疑惑

この3つのうちいずれかを PC使えるようになり次第書こうかと思っています。

需要の高いものをからだそうと思いますので是非皆さんコメントでご要望をお寄せ下さいね

名刺を持つ学生

2004-11-28 22:54:38 | 批評 時評 与太話
あらぁなんだ?
流行りかい?
持ってどーするんだ?
社会人の真似事か?
社会人と名刺交換してせっせと礼状書きか?
名刺と言うアイテムが相手の手元に残って印象も残るってか?
みんな持ってるからって持たなきゃ不安てか?



これらを自問自答して即答できたら内定取れる。

あともうちょっとだ 頑張れ学生諸君

斉藤孝と言う人

2004-11-26 23:30:04 | 批評 時評 与太話
流行りもんが嫌いな私でも、この人は大好きなんです。素読しろ 腰使え って、まさに禿同

しかし最近露出しすぎ。日本のアカデミックな世界は大奥よりも嫉妬が支配する世界。こんなに露出して儲けてると、くだらんスキャンダル出されて潰されてしまいそう。救いは彼が明治だということ。教授会が機能してない大学だからね。しかし心配。他人事ながら心配しておく。

バイキンマンほど悪い奴はいない

2004-11-26 12:57:07 | 批評 時評 与太話
考えても見てくださいよ。
バルタン星人にしてもショッカーにしてもアルカイだにしても、悪い奴つらと言うのは悪いながらも大義名分なり目的がある。
世界征服なりアメリカの横暴を匡すなり。
しかしバイキンマンにはそれがない。彼の供述によると 「なんだか分からないけど悪い事したいのだ」「仲良くしているのを見ると邪魔したくなる」と。見事に目的が欠如している。こんなに無目的に悪事を働く奴がいたでしょうか。ザルカウイも真っ青です。
空前絶後の極悪非道の数々。言語道断です。
でも頑張れバイキンマン。君は健全だ。

定率減税廃止とか

2004-11-26 06:34:24 | 批評 時評 与太話
定率減税についてのあれこれを備忘録がわりに。

1 日経の社説は相変わらず糞。多分あの会社、急速に官僚化が進んでるんでしょうな。寄せ集めの作文みたいです。さりながら、「経済教室」の富士通総研長島氏の論説は出色。なるほど「逆ラチェット効果」ですか。面白い。こういうのこそ社説でやれよ日経。

2 朝日 毎日の言う「平均的家庭」がどうやら、伝える経済政策毎に違っている模様。今回は「年収700万世帯」が平均だとか。変遷について検証の余地あり。

テレビ漬け

2004-11-25 23:33:50 | 批評 時評 与太話
入院してすることがないので本読むかテレビ見るしかない。朝に届くメールのプリントアウトは一時間もあればかたずいてしまうんで8時からはほぼテレビを流しぱなしにしてる事になる
二日で見切った。
この国で見る価値がある番組は、ピタゴラスイッチと金曜日のWBSしかない。

++め~る

2004-11-25 20:19:45 | 批評 時評 与太話
++め~る と言うメーラーがあったのを覚えておられるでしょうか?あれは革新的でした。

何が革新的だったかと言うと あのメーラーには 振り分け と言う思想がないんです。厳密に言うと受信メールと送信メールも区別がないんです。全てのメールはテキストファイルとして一つのディレクトリに入っています。で、データベースのようにクェリをかけて必要なメールを取り出します。受信 送信もデフォルトで用意されてるクェリでしかないわけです。

この事を思い出して ブログツールもこいうタイプのがあったらなと思ったんですが 如何

今後の予定

2004-11-25 18:51:53 | 批評 時評 与太話
どうやら来月10日まで退院出来ないようです。それまでは携帯からしか投稿できなくなってしまいます。

先ほど久々にアクセスログをみたら入院して書き込みができなくなってしまった月曜日と火曜日に、九百アクセスという信じられないようなアクセスを頂戴しました。入院前の二倍です。 開設一ヶ月足らずの拙ブログに多数アクセス頂き嬉しい限りです。

改めて御礼申しあげます。ありがとう御座いました。
暫く携帯からの投稿と言う変則的な更新になりますが、続けて行く所存ですので、今後とも何卒宜しくお願い申しあげます。

ブログとリベラルアーツ

2004-11-25 16:43:03 | 批評 時評 与太話
結局、病院から抜け出して仕事場に来てしまいました。
思う存分タバコ吸えて、思う存分ビールが飲めるというのは、なんと仕合せな事なんでしょう。

さて。リベラルアーツの不在がこの国の「論壇系ブログ」のクオリティーを下げているという
仮説なんですが、なにもブログのためにだけリベラルアーツを復活させよと申し上げている
わけではありません。 リベラルアーツの重要性については、他のエントリーで退院後に
書かせて頂きます。

ここは、「リベラルアーツの不在がもたらす日本型ブログの限界」について。

欧米の大学では学部時代にきっちりと、「基礎学力」をつけさせます。その基礎学力というのは
端的にいってしまえば、「読み書きの作法」なわけです。

「読み」の部分では、成績優秀者になればなるほど、基礎文献を原書で読む訓練がほどこされます。
その質量の多さは、日本の受験勉強の比ではありません。十八十九の若者が、ラテン語で
キケロを読まされ、フランス語でルソーを読まされ、ラテン語翻訳のプラトンに四苦八苦する
わけです。

「書き」の部分ではMLAハンドブックに代表される「共通フォーマット」によってレポートを
あげる技術を徹底的にほどこされます。そして文法が徹底的にチェックされ誤解の生じ得ない
言い回しであったりを徹底的に叩き込まれます。

かくいう私も、レポートの内容ではなく、「ピリオドの後にスペースが一個しかない」とか
「クオートのインデントが浅い」とかいうマイナーなルール違反で、必死になってあげた
レポートがどんどん減点されていった苦い経験を持っています。そういうマイナーな
表記上のテクニックからはじまり、誤解を生じないような言い回し等々、とにかく
徹底的に「書く」ことを仕込まれました。正直な話、まとまった文書を書くとなると
英語のほうが日本語より五万倍、気楽に書けます。しかし教育されていたあいだは
理不尽さに首を傾げ続けていました。

しかし、こういう基礎学力の訓練を受けてしまうと、後はもう、すいすいと前へ進めるわけです。
よく、「ケネディー大統領は、書類を一枚0.5秒で読んだ」とかいわれますが、
アレは別に超人技でもなんでもなく、フォーマット通りに書かれた文書であれば、だれだって
出来そうな技術です。
書き手も読み手も、「一番重要なメッセージは文書の何処にあるべきか」という共通の
ルールに則っているわけですから、書き手の「書くべき所」を読み手が「読むべきところ」
と認識するのは簡単な話なわけです。)

で、翻ってわが国。

わが国においては、こういった、「読み手と書き手をつなぐ基本ルール」なんていうのは
存在しません。 どんなに高学歴であったとしても、自分の専門分野の職能言語を超えた
「読み書きのルール」を学習する機会はありません。一時期話題になった、東大の教科書
「知の技法」という本は、タイトルだけじゃなく内容もふざけています。あんなの読んだって
屁のツッパリにもならない。

みんな、書きたいように書き、読みたいように読むだけ。 その土俵の上に
ブログという便利な道具ができたとしても、それは、「書きたいことを書きたいように書く」
人間が多数出て、それを多数の「読みたいものを読みたいように読む」人間が読むだけの
話です。どんなにテクニカルな話になろうとも、基本的には全部が全部私小説です。

(余談且つ超テクニカルな話ですが、日本人にとってHTMLは簡単に理解できても、
XML/SGMLの理解には時間がかかるのはここらへんに原因があるかもわかりません。
文書を構造として考える訓練をうけてないわけですから。)

私小説がいくら集まったって、ジャーナリズム足りえないし、ましてや新聞等の
既存メディアの代替になりうるはずがないのは自明でしょう。

新しいジャーナリズムだ、新聞を凌駕するんだ なんていう浮ついた学生起業家みたいな
ことはいわず、淡々と私小説を書き続けていくという姿勢こそ、日本の論壇系ブログが
できる事ではないでしょうか。

この国にはリベラルアーツが必要だ。

2004-11-22 19:03:50 | 批評 時評 与太話
月曜日だもんで、定期検診ってことで病院へ。
いや、さすが医者です。座って十五秒で私が禁酒禁煙をしてないことを見破りました。
で、レントゲン撮ったりなんだりして、足の状態が異常に悪いことが発覚しまして
強制入院ということにあいなりました。 事故した直後より悪くなってるとはどういうことか
と医者も苦慮しているみたいです。

とにもかくにも、家に帰してもらえないんで、嫁がもってきてくれた荷物を受け取り
目出度くご入院となったわけですが、どーもこの外科病棟の病室にいる同室者が気に食わない。
この病院の立地からでしょうか、所謂 「ビジネスマン」が多い。それも所謂「士」が付く
人が多いようです。 また外科病棟ということから、お互い良く喋るんです。

良く喋るといっても、彼らには共通の話題なんてない。あってもゴルフのスコアの話や
孫子の話、株の話に、つらかった仕事のことなど、まあ見事に自慢話のオンパレードなわけです。
自慢話の応酬ですから、結局 会話なんてなりたっていない。 会話はキャッチボールだ
といわれますが、彼らの行ってる行為は、「並んで壁投げ」してるようなもんです。
見事に話がかみ合ってない。

会話が成立していないものの、彼らは実生活では、「先生」などと呼ばれることもある
それなりの立派な方々なわけです。決して無教育でも無教養でもない。会話が成立しない
のが不思議なほど、人生経験も積んでいるはずです。

しかし、実際の所、まったくもって会話は成立してないわけです。。。。

で、いろいろ考えてみた。

とどの詰まり、彼らは「共通言語」を持ってないわけです。 共通言語を持ち合わせていない
ために、会話が成立しない。彼らの頭の中にあるのは、彼らの職能言語であったり
業界言語でしかないわけです。彼らは日常、その言語を共通言語とする人々の間で
会話をし意思疎通を図り利益をあげるなり自己満足に浸るなりなんなりしてるわけです。
異なった言語体系の人間と話す必要を感じることなく、日々生活しているわけです。

話がかみ合うはずがない。

昔はこういう 異なった言語体系に属する人々を繋ぐ「共通言語」がきっちりあったわけです。
それが、「教養」と呼ばれるものであったわけです。 

こんなことを思いながら、喫煙室へ行ったら医者に出くわしてしまった。
考えにふけってる私を不信に思ったんでしょう。タバコをとがめる前に 「なにを考えてる?」
と来た。 で、上記のことをちょろっといったら。

「この国には、リベラルアーツが必要だ。」 と一言。

なるほど!! と思わずひざをたたいて、激痛に悶絶した次第

切込隊長と湯山氏の会話に寄せて。

2004-11-22 02:01:02 | 批評 時評 与太話
今度は、むなぐるま氏の記事を読んで、切込隊長のブログでの議論を知りました。
またぞろ、その議論への雑感など。

切込隊長の、メディアとネットに「格差」があるという議論はおかしい 当たりから始まった、湯山氏との会話は、ちょっと不毛の感があります。
詳細は、それぞれの記事を読んで頂ければわかると思いますが、隊長氏ご自身が「徒労感」を感じて
おられるように、読んでてえも言われぬ徒労感を感じてしまうんです。

その徒労感が那辺から来るものなのか、忖度してもしかたない。ってか、もう明らかすぎるんですな。
子供っぽい言い方をすりゃ、湯山氏が、議論する姿勢じゃなく布教する姿勢で入ってるからです。
こうなりゃもうなにを話しても無駄。

むなぐるま氏は,その点を知ってか知らずか、極めて冷静かつ真面目に、「論壇系ブログになにが
出来るか」を必死に考えておられてるわけです。

そもそも、私は、ブログであろうがなんであろうが、ネットで「市民ジャーナリズム」であるとか
「草の根ジャーナリズム」なんて生まれるはずがないと思ってます。

隊長も仰ってましたが、ジャーナリズムをジャーナリズムたらしむる「取材」っていう行為を
行えるだけの才能と時間と人脈と金がある人間がそんなにいるとおもえんからです。
やはりそれは、メディアの種類がなんであれ、プロの領域であって、そのプロに相当の対価を支払って
消費していくもんだと思うんです。

無論、ブログ以前からも、市民ジャーナリストなるひとびとがネットの中でごそごそしてたのは
知ってます。しかしありゃ、端的に言ってしまえば、二十年程前に、「左翼っぽいこと言っておけば
学歴ない俺でも、エリート気取れる」と勘違いして「市民派」を名乗り出した、現在五十代ぐらいの
「おちこぼれ系左翼」がまたぞろ見つけ出した、「努力と研鑚なしで注目を浴びる方法」の一つでし
かないわけでしてね。。。。

で、結局、ブログという道具を知った我々はなにが出来るのか って事になるんですが、
私は、「日記」で良いと思います。 所詮日記なんです。それで十分だし、それだって価値がある。

今我々が、大正期から終戦直後までの「東京人の生活」を知ろうと思えば、荷風の「断腸亭日乗」は
避けて通れない資料ですし、多分、ピカイチの資料でしょう(岩波のはダメです。岩波のは
見事に左翼的見解から検閲がはいってます)。で、断腸亭の中の圧倒的大多数のエントリーは
ほんとに糞くだらない荷風の日常話なんです。「荷風ならでわの批評精神溢れる時評」
なんざ、数えるぐらいしかない。 2.26当日の記事でさえ、「びっくらこいた」レベルの話し
しか書いてないんです。 後は、「カツレツ喰った、ゲロはいた。もったいないからまた喰った」
位の話です。しかし、あの膨大な日記を通読してみると、荷風という人間がどういう人間だったか
そして、あの時代に生きた人間というのは、なにを見聞きし、どう感じていたのか ということが
よくわかってくる。

それとおんなじで、ブログの登場によって、無数の「断腸亭」が出来上がればそれでいいじゃないか
とおもうんです。 ってか、無理して ジャーナリズムぶったり、論説ぶったりしてしまうほうが
「所詮、素人」が書く情報の価値が下がってしまうような気がするんです。

確かに、今のネットに乗っかってる情報が、荷風の断腸亭のように長期間にわたって
保持されるとは考えにくい。 ですから、荷風の断腸亭のように 「後生への史料」になり得る
可能性は低いでしょう。
しかし、同時代人同士がお互いの断腸亭を読みあう事による、「時代把握」っていうのは
それ相当の価値があると思うんですが、いかがなものだろう。

少くとも、ジャーナリストぶって、稚拙な取材にもとづく珍説をまき散らすよりかは
害は遥かに少いとは思うんですがw