がん闘病記(子宮頸がん)

子宮頸がんで子宮もリンパも摘出。
日々の気持ちを綴ってみます。

女の生き方 2

2007年08月30日 | 闘病記
来月高校時代の友達とプチ同窓会することになった。
クラスで仲良かった女の子(もう子じゃないか)6人組プラス男の子数人。
女の子6人組とは2年前にみんなで集まってからまた繋がりが戻ってきた感じ。

最近思うのは「女性はいかに柔軟に生きれるかが大事か~☆」ってこと。

続々と三十路に突入している近頃、高校、大学の友達も周りを見たらほとんど結婚してた。
6人組も5人は結婚して一人はアパレルで頑張ってる。
春に部活のミセス組の友達5人と会った時も感じたけど、27位の時とみんな随分変わってる。
いつの間にかみんないい奥さんになって子供二人も子育てしてたり。
いい意味で地に足つけてしなやかに生きてる気がする。
話す内容も変わったな~なんて。いつの間にか家庭の事とか生命保険のこととか。

最近そんな彼女達を見てて「あっぱれやなぁ!」って思う。
何がってみんなそれぞれ悩みはあるけど、自分の環境に柳のように柔軟に生きてるから。

私は友達の中で一番早く24歳になってすぐに結婚した。
(旦那さんが8歳上だったから。)
「結婚してこのままで終わりたくない!家庭も仕事も趣味もおしゃれも子供も手に入れるぞ!」
ずっと早く結婚したのがコンプレックスとおかしなハングリー精神になってた。
でも、人間固執ってのが一番やっかいなのかな~って最近思う。
そんなに固執してたことは何だったのかな~なんて。

共働きの両親でバリバリのフェミニスト一家で育った私は
何とか自分が食べられる分は稼ぎたいし家事は半分という思いが消えない。
でも現実には育児休暇を取ったらポストがなくなる職場と
マイペース過ぎて家事の協力や子どもに興味のない旦那さん。
その環境や相手をを不条理だ~と何とか変えたいと一人で5年もがきまくったけど歯が立たなかった
今考えると旦那さんもそんな私といて苦しかったと思う

そんな時ににいきなり癌と分かってこの一年間は闘病に苦しんだ、
でもそれ以上に自分の固執していた生き方をどう受け止めて変えていけばいいかその事にもっともがいて苦しかった

でも最近高校時代の友達に会うたびに「そっかー」って少し分かってきたかな
みんなすごい柔軟だなって思う。
結婚や子育ての環境だから今はこのくらいで生きよう。っていう線がちゃんと分かってる。
育った環境なのか、女性の本能なのか。。。

私ももっと自分の状況に応じて柔軟に生きれるようになりたいな~。
なかなか難しいんだけど。。。。

久々の旅行。。。

2007年08月26日 | 遊び
先週金曜日、旦那さんが「月曜休み取れたからどこか行こか~」と帰ってきた。
二人とも毎年お盆休みというのがなかったけど、私が仕事やめて今年初めて「世間は盆休みなんだ~」と気づいた。。

「今から、空いてるかなー」「まずどこ行く?」なんていいながら
お互いネットや地図広げてウゴウゴ調べてた。
旦那さんの愛読書、地ビールの本で福井県に決定!二日目は舞鶴回り
素泊まり4500円に惹かれて海辺の民宿をネットで予約
土曜日、一路福井を目指して出発!

今回の旅は、二人の再確認♪再出発の旅って感じだった。
子宮頸がんの告知から一年が過ぎて、5月の再発騒ぎもひと段落。
やっと二人でこれからの生活を夢見て楽しめるようになった感じ。
それにこれからもきっと元気に生きられるという希望が湧いてきた
二人とも喧嘩なんてしてるのがもったいない感じで一瞬ずつを大事に思いっきり楽しんじゃった

結婚して6年、やっとお互い思いやりが素直に出るようになったのかな~(遅っ
今までは自分のペースを守るのに必死だったのかも。

週末になるとボロボロの地図を広げて「ここ面白そう!行こー」と子供のように目を輝かせる旦那さん。
私はいつも溜まった家事と仕事の勉強に追われてイライラ青い顔。
出かけたら最後、普段趣味と遊びのために全エネルギーを蓄積してる旦那さんは超元気に。。。
進入禁止からが旦那さんの冒険の始まり。
好奇心を抑えられずに可愛い?妻がへばってても「ココで待ってて!ちょっと行ってくるわ~♪」と街でも山の中でも置き去りに。
そして毎回帰りはいい加減にしろ~と喧嘩の嵐。。。

今回は違った。。。
お互いのしたいことやマニアな部分も大満足。
旦那さんの好きな地ビール・地酒  廃墟マニア ひなびてさびれた民宿
私の好きな水のある風景 特に用水路大好き  建築物歴史
そして二人とも大好きなアウトローな路地裏探検  工場見学マニア レトロな建物が満喫できた事。

お酒の旅
地ビール工場で目的の「若狭ビール」をゲット
お土産屋さんに人がいっぱいだったけど、誰もいない工場に二人でウキウキ見学
帰りは高速使わず地道でドライブ。丹波のひっそりした「西山酒造」に立ち寄る。
工場にこっそり忍び入ったら職人さんに見つかった
300mlの小鼓と梅酒、イチゴ酒を売ってもらった。


水のある風景
子供の頃から水が大好きな私。今回は水をいっぱい感じて嬉しかった!
レインボーブリッジで三方五湖ドライブ
私が見たかった水晶浜海岸と水島の海。日本海の厳しい海のイメージ一新!あんなに透き通って色も綺麗なんて
昔の宿場町の「熊川宿」作りこまずに自然に人が住んでる所がGOO
通りを流れる用水路が気に入りじ~っと眺めてた。


ひなびた宿
泊まった宿は目の前が小さな海水浴場。
小さい民宿がチョコチョコ並んでるけどアパートかっていうのもあって面白かった。


路地裏探検で見つけたノウゼンカズラ
宿の路地裏を汗かきながらウロウロ探検。
日本海側じゃなく南側にきた錯覚に陥った風景。好きな花と小屋がお気に入り


レトロな建物

舞鶴のレンガ倉庫博物館に。期待してなかったけどかなり楽しめた!
好きなガウディーの建築パネルもいっぱいあって嬉しかった。
でもそれよりも私達の楽しみは、ちょっとはなれた舞鶴港周辺の元軍用庫。
外見はレトロなレンガ造りの建物だけど、実は戦時中魚雷倉庫だった。
汗だらだらかきながら、今は倉庫にさえ使われてないボロボロの建物の周りをうろうろ。
ちょうど前日にJAZZ祭りがあったらしく、NPOのおじさん達が倉庫で作業してた。「ちょっと中見てもいいよー」と声をかけてもらえて中へ。
すっごくひんやりしててビックリ
ほんとに中も当時のままで、壁に貼り付けられた新聞はなんと昭和43年のもの。
おじさん達が「ここは構造改革から取り残された町だからねー。このまま残ってるんよ。でも、これからこの倉庫をおしゃれな店に改装していく計画なんだ。」って。
私達は「このままがいいのにねー。でも町おこしの為だもんね。」とお別れ。。
確かに舞鶴の町は商店街が大きいのに驚いたけど、今は閉まったシャッターが気になったな~。
小さい街も頑張ってるんだから、地方切捨てはやめてくれ~!


二人のちょっとした旅は終わりました。。。

ふたりオフ会♪

2007年08月16日 | 闘病記
13日の月曜日楽しみにしてたJUNちゃんとのオフ会行って来ました

お隣の県の岡山からバスに乗って神戸まで来てくれて三宮で待ち合わせ♪

JUNちゃんは同じ子宮頸がん小細胞癌仲間で年も近い貴重な存在。
前から会えたらなって思ってたのがこんなに早く実現して嬉しいのとドキドキで興奮
時間に超ルーズな私だけどとりあえず間に合ってホッ

現れたJUNちゃんはスッキリさわやかできれいな人
いきなり話題はカツラで盛り上がり、「それどこの?」なんてマニアックな会話をでかい声で話しつつミント神戸でパスタランチ

癌患者同士ってなんでこう分かり合えるのか不思議だけど、
一体何を話してたのか分からん位最初から話しまくってた

なかなか病院では同い年位の人とは出会えないし、年が(私が2こ上なだけ)近い人と話せるなんてほんとに嬉しかった~~~

私は話す話題ごとに「それ分かる~!」って感じに
共通点やら似てるところがいっぱいだしハイ状態でJUNちゃんごめんなさい
しっかり自分の考えがあって人の事も考えられて素敵な人だなーって
癌の人はきっとどこかに共通の気持ちや悩みや苦しみがあるんだな~って。
JUNちゃんと盛り上がりながら、ブログで出会った人達、日本中の癌の人達がブワ~っと繋がってるような感覚がしちゃった

この日もとにかく暑い!!
ムレるカツラと格闘しつつ服やら靴やら下着やら二人でショッピング
「寄せて上げないと」といいつつおそろいのかわいい下着も購入
その間にまた2ヶ所のカフェで喋りまくった
JUNちゃんも書いてくれてたけど、すっかり友達と遊んでるみたいで楽しかった

日本中の癌の人と繋がって訪ねていけたらいいな~なんて夢があったけど
JUNちゃんも全国行脚を考えてたみたい!
二人で関東のオフ会参加計画も考えたりして
横浜辺りも行ってみたいよね~なんて盛り上がってた
関東の皆様いつかお会いできたら嬉しいデス

ほんとにはるばる来てくれて長時間ありがとう~

1ヶ月検診日

2007年08月09日 | 闘病記
今日は今のGセンターに1ヶ月検診に行ってきましたー。腫瘍マーカーNSE 10.5で異常なし
愛知県でのセカオピでもNSEは当てにならないって言われたけど、それでも低いとよかったーって感じ

しかも、コレストロールが190になってた!
140~220が正常値だから高いほうだけど私にはすごい進歩
なんせこの年で7年近く240位をさまよってて、職場の健康診断でもHばっかで恥ずかしかったもん。

なんちゃってマクロビのおかげかな最近結構ゆるくなってるけど。
昨日の夜スモモいる?って出したら「果物は体冷やすからあかんやろー」って。
「大丈夫だって~。あの本にも季節のもので日本の土壌で育ってたらいいって書いてたしー
最近いつもこれで逃げてるんだけど
そしたらついに「最近日本産っていうの免罪符にしてるやろ~!あかんで。自然は残酷で正直なんやから。」ってカミナリが
と言いながらも旦那さんも甘くなってるから「まあ気ゆるめるなよー」ですんだけど
アメとムチってことでグルメも楽しみつつ、家の食事はこのまま頑張ろ~


先生は私が転院する気満々と思ってたのか、最初ギクシャクこわばってたけど
とりあえず私が落ち着いたって感じたのか、急に明るくなってご機嫌になった
「お盆はどこか行くんですか?」なんて質問も。。。
「今年はどこも行かないですよー」って言うと
「そっかー名古屋で終わりですか~♪」なんて冗談も
今のところ私ものんびりしたいし、話しやすい雰囲気ってのが一番いいから良かったかも。。。

ちょっと休憩。。。

2007年08月07日 | 闘病記
今日は母と母の友人に布ぞうりを教わってきた♪

最近密かにはやってるみたい。うちは新聞のおまけで主婦雑誌「エッセ」がついてるんだけど、今月号に作り方~って大きく載ってた。

結構邪魔くさがりな私だから、飽きるかな~なんて思ってたけど結構楽しかった
かなりガーリーな色合いでお恥ずかしいけど
捨ててもいいボロTシャツ三枚持ってきてって言われて出てきたのがピンクばっか。前はサーモンピンクとかピンク系が好きだったんだよね。

慣れないし3時間くらいかかって完成
かなり素足に気持ちいい感じ♪
またもうちょいナチュラル色で作ってみようかな~なんて。


4月からの再発騒ぎが落ち着いてきて、母も私も先週からズルズル~っと疲れが出てきたみたい。
やたら眩暈したりハーハー疲れやすくてまいるなーって感じ。
でも母も同じような感じみたいで、今まで気を張ってたのがやっと一安心の心境になれたって事でいい兆候かな

今度は父が人間ドックでポリープできまくりで精密検査になっちゃった
母はまたもや病院付き添いでえらいこっちゃ。
全部良性でありますように
私もさっさと心配いらないようになって親が頼れる位になりたいものです

愛知へセカンドオピニオン

2007年08月03日 | 闘病記
27日の金曜日に愛知の病院までセカンドオピニオンに行ってきた。
久々に新幹線乗ってちょっと旅行気分でワクワク
病状が安定しているうちに、神経内分泌腫瘍、小細胞癌の見解や治療方法を聞きたくてネットランキングで一位(あまり当てにはしてないけど)で母の友人がいる愛知県Gセンターに受診する事にした。

まず病院の規模が大きくてびっくり
兵庫県の3倍くらいありそう、院内もかなり明るい感じ
まあ大きさはどうでもいっか。

一応今までのMRIやCTや手術で取った組織のプレパラートを持って乗り込んだ。
部長先生だけど40代前半位?と若い
名古屋弁っぽくダミャ~って感じで面白かった。

でも、今のGセンターの部長先生は婦人科では全国でも有名みたいで
「なんであの先生からうちに来たの?」ってまず聞かれた。
終始その先生に気を使われてるみたいで、せっかく愛知まできたのに何か裏で繋がってそ~なんてちょっとガッカリ。
でも、ちゃんとざっくばらんに説明してくれて良かった

まず組織のプレパラート初めて見て説明してくれた。
手術前は上皮癌といわれたのに、術後に小細胞癌に変わったことについては、
癌って色んなタイプが混合してる時もあって強いタイプが生き残ってどんどん大きくなるんだって。
たまたまとられた組織が上皮癌で手術前の抗がん剤で上皮癌は小さくなって
効かない小細胞癌がメキメキ成長してたって事だろうって。

それからここの病院でもここ数年子宮原発の小細胞癌が増えているみたい。
といっても年3例くらいらしいけど。(今までで19例あったって)
やっぱり地球環境の悪化が原因だろうって。
生存率はここの病院でも一人以外はみんなすぐに亡くなったみたい。
上皮癌だと90%の5年生存率が今のところ小細胞癌だと10%になるらしい。

腫瘍マーカーは当てにならない、分かるとしたらCTかPETだろうねって
でも、原発じゃない人はうちの病院じゃほとんど撮らないって。
「えーっでもそれじゃ再発が分からないじゃないですか。」って聞くと
医者は原発の時、最初の治療や手術はめちゃ力入れるけど後は冷たいもんだって。
なんでかっていうと、再発したら治療しても全身転移して生存率は10%、ほとんど助からないからって。
だから救えそうな原発の人優先になるみたい。
抗がん剤も結局20%の人しか効かない。それも数ヶ月の延命のようなもの。

やっぱり生き残るにはいかに再発しないかが大事なんだって。

そしたら私はどうしたらいいのですか・・・
「もう好きなもの食べて好きな事するしかないなー」って。
「仕事とかはどうですか?」
「とりあえず小細胞癌は進行がめちゃ早いタイプで、再発するなら早く現れるから、2年くらい様子見て大丈夫なら再発可能性はがくっと減るんじゃないかな」って。

ただ「まあはっきり言って医者なんて解明されてないから何とでもいいようがあるんだけどね。」だって。なんだそりゃ

でも、行ってよかった言ってる事は同じでも説明が分かりやすくて納得できた。
その先生も「医者はみんなこんな事しってるけど、説明が下手だからだめなんだ」って。
とにかく2年間元気に暮らすぞ~

それから、母の学生時代からの友人夫妻宅に久々に泊めてもらった♪
同い年の男の子がいるから小さい時からよく旅行に行ったりして
今回の病気もとても心配して下さって病院にも付き添ってくださった。
夜も私の食事気を使って本まで買ってマクロビ風に作ってもらってありがたいよ~
帽子はおじさんからのプレゼント、かわいい~
二日目は「徳川美術館」や「古川美術館」「為三郎記念館」に案内してもらった♪
ほんとに二日間お世話になりました

みなさんの愛情をいっぱい吸って元気モリモリがんばろー