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名前はサンスベリア 別名 トラの尾

2012-04-24 12:53:31 | 趣味
販売部 TCSグル-プ 保険担当 木村です。

自宅にある観葉植物に花が咲きましたので紹介致します。

名前はサンスベリア 別名 トラの尾 と言うらしいです。



6年前に初めて花が咲き家族みんなが大喜びをして

茎に付いた密をおいしく頂きました。

我が家で25年くらし今年またもや花を咲かせました。

密は透明でとてもあまいです。

花芽がつくのはとても珍しいと聞きました。

どうぞご覧ください。

小江戸川越を歩く!

2012-04-19 18:17:59 | 旅行
どーもです。

さすらいの歴史の旅人IWATIです。

今回のリポートは関西風で解説でっせ!埼玉県の小江戸と言えば…、

そう川越市街でんねん!実は川越の地の歴史は古いんでっせ。

なんと縄文時代の貝塚遺跡がありまんねん。

太古にはこの辺まで遠浅の東京湾が入り込んでたちゅうわけ(゜o゜)

 古墳も一杯ありまんねん。

なんせ埼玉県は『さきたま古墳郡』(先多摩=多摩の奥の地)が語源だと、

IWATIが埼玉は大宮市(当時)在住時に聞きましてん☆
 
 大河ドラマ『平清盛』に出ている雅仁親王

(後の後白河上皇、松田翔太=松田優作子息が演じてる!)と当地を地盤とした

河越氏は荘園寄贈で繋がり、後の鎌倉幕府には二代将軍頼家の乳母を出した

得宗家ですのや。(鎌倉幕府の有力御家人ね↑)なんと源義経の正室郷御前も

河越氏出身なんでっせ!(゜o゜)
 
 その後、上杉憲顕が南関東を支配し、河越城を本拠にしましてん。

この時代以降、河越街道と新河岸川から荒川を使い、陸川で江戸と結びましたんや!

この頃は江戸城は河越城の支城(出先支店みたいな奴ね)で、太田道灌が築城、

初代城主なんですわ!
 
 徳川時代になると、徳川の血筋や老中、側用人など幕府中枢の人達が

城主になってましてな、これが!柳沢吉保ちゅう徳川綱吉の側用人知ってまっか?

彼の時代位から、『小江戸川越』と言われ、商業、文化の発展、新田開発による

藩財政の安定化が進められたんですわ!

 そない言うたら、川越城隣の川越高校は

映画『ウォーターボーイズ』のモデルでます。ほんまでっせ!
 
 長い前置きはこの位にして、まず川越巡りはレトロバス(500円)普通バス(300円)。

乗り放題で巡回してるので活用すべしです。φ(..)

 前述した川越城本丸御殿へ



 今は本丸御殿しか残っておりませんが、昔は高校や市役所がすっぽり入る

9万9千坪の広大な城だったのです。)^o^(

 元々上杉持朝が1457年に太田道真、道灌父子に命じて作らせた城です。

後に1546年川越合戦にて後北条氏に奪われ、秀吉、家康と変遷する中、

徳川重臣がこの城を中心に川越領を受けることとなったのです。
 
 いやあ、黒瓦に白漆喰は映えますね!きっとメンテは大変そう(^^ゞ

 立派な唐破風屋根の玄関から本殿に入りますとケヤキ廊下を隔て旧間36畳の

広間がありました。きっと来客が城主を待つ間として使ったんでしょうね。

この廊下も場所によりケヤキ、ツガ、マツと材質を使い分けているのが分りますよ。

本丸御殿の廊下は現存する本丸の中でもそうとうな幅広さで、

川越藩がいかに大きな藩だったを知らしめています。


 

 更に各部屋の釘隠しも見事!先日長野の真田屋敷を訪ねてビックリ!

真新しい現代風釘隠しに変えられており、どうせ悪徳業者が所有者をたぶらかし、

本来の釘隠しは転売したな!(笑)と思ってしまいました。
 
 ちなみに家老詰所では武士達がなにやら談合しておりました。

(蝋人形ですが・・・。)




 それから厠!老中詰所の廊下両側に一つずつ厠が設置されているのも

当時としてはさすがだなと感じ入りのすけ! 

旧来の武家屋敷の佇まいつうのは派手さはないですが、

それでいて趣向が凝らしてあり、IWATIとしては好感がもてます。
 
 話はそれますが、本丸御殿ではタイムスリップTV番組、

あの「JINー仁」(大沢たかお主演、原作は村上もとか作のコミックですね。)

のロケも行われており、訪問してみてダブルで嬉しかったです。

しかも、ロケで使われた放送回は、単なる撮影場所でなくて「川越藩の一大事」

の話だったので、仁の撮影スタッフの正しい歴史へのこだわりが感じられ、

歴史ファンタジーとして大変楽しめたドラマだったと思います。
 
 更にドラマ「JINー仁」の歴史考証を担当した「山田順子」さんが、

真田昌幸、幸村ゆかりの上田に家を構えて地域づくりに積極参加するそうです!

JINのあと、気分転換に上田を訪れ、武田信玄の起請文が保存されている

生島足島神社や塩田北条氏が治めた塩田平など色々歴史資源があるのに

生かされてなくてもったいないと思い、上田市に提言したら早速取り上げられた

とのこと。自ら住んで「歴史の匂い漂う街にしたい」とは!

地域活性化に繋がって欲しいものです。
 
 本題に戻ります。

旧跡にしては色々な調度品や武具なんかが少ないなぁと感じておりましたが、

なんとこの本殿、明治以降に川越県庁(一時川越県が存在した。

後に熊谷県、埼玉県と移行)、煙草工場、武道場、小学校と転用されてたのです。

もの凄い転換期ですよね。龍馬を始め新政府の立役者はどんどん殺されちゃうわ、

文化・政治そして人の生き方の変遷は戦後どころじゃないですよね。

そんな中、「お城を守った、再建した」というのは、やはりとてつもなく

凄いことなんだと思います。そこには「壮大なロマン」や心意気しかない。

誰もその時にゃ観光資源になるなんて思わなかっただろう。

ただただ必死に、純粋に守りたかっただけだろう。

日本人が四百年あまり守り続けた日本人の心意気の象徴を感じた本丸御殿でした。
 
 すいません、本殿解説だけになっちゃった。

他に川越の「時の鐘」やら、



大正ロマンなレストラン「太陽軒」やら



「蔵作り資料館」



多くの寺社など話題満載!機会あれば続報出しますね。
 
 最後に、冬の文化財(春の訪れの遅い時期も)には厚手の靴下が必須と

深く深く実感したのでした。板間は寒いのです(^-^)/

はじめまして!

2012-04-16 19:30:02 | 趣味
はじめまして!

ヒロシです・・・


四月からブログの仲間入りしましたっ!
宜しくお願いしますっっ!!



さて

先日、休日を利用して、演奏会のリハーサルをして来ました。

今回はブラジル音楽の『ショーロ』!

私の担当する楽器は、ウクレレの様なこの楽器。


ブラジルではポピュラーな『カバキーニョ』という楽器です。

ショーロとは、19世紀頃のブラジルにおいて
奴隷として連れてこられたアフリカ人をはじめ、
現地人、ポルトガル系、ヨーロッパ系民族などの
混成社会が生み出したものと言われています。
これは「都市混血音楽」と呼ばれ、
この時代に色んなものが生まれました。
手軽に演奏できるギターやカバキーニョ、フルート、
などで編成され、西洋の室内楽にも似た印象を持ちます。
その後、さらに複数の楽器やリズムを取り入れて発達し、
後にサンバやボサノバへとつながっていったようです。

ブラジルでは、酒の席に楽器を持ち寄り、ショーロを、お酒を楽しんでるそうな。

日本の飲み屋さんで出来たらな~~~~~

と思った休日でした。


ではまたっ!!!