
イーサン・ハントが捕らえたシンジケートのボス、ソロモン・レーンを手札に、残党とのプルトニウム奪取戦を繰り広げるIMFのメンバーたち。
彼らのCIA内における立場は依然として悪く、本部が派遣した敏腕エージェントの監視のもと、イーサンは史上かつてない背水の陣に立たされる。
今回はオリジナルTVシリーズ「スパイ大作戦」の精神により近づき、スパイサスペンスとしての騙し合いやトリック機能をフルに働かせ、加えてマッカリー監督の初期脚本作「ユージュアル・サスペクツ」のごとく巧技に階層化された筋立てになっている。
過去シリーズの登場人物も密接な関わりを見せ、正直「シリーズを知らなくても楽しめる」などと無責任なことは言えない。
むしろこうした取り組みは、なぜイーサン・ハントが我が身を犠牲にしてまで悪に挑むのか、観る者がそんなイーサンの苛烈きわまる格闘史や、戦いにともない芽生えてきた「贖罪」の意識に同期してこそ、彼の生きざまに共感を覚える作りになっている。
ただ、そのためにトム・クルーズが生身を駆使して挑むアクションの数々は、想像を超えた狂気の領域へと足を踏み入れている。
高度7,620メートルからのダイブを地上スレスレまで追う空撮や、パリ凱旋門の放射状道路を逆走するバイクチェイス。
そして骨折報道も記憶に新しい、屋上をつたいビル間を飛び越えて移動する全力疾走&跳躍ショットに至っては、もはやイーサンの任務に対する情熱に心打たれるよりも「トム、あんた死に急いでいるのか?」と役者の精神構造を疑いたくなる。
そんな心配をよそに、トム自身が操縦するクライマックスのヘリ追撃シーンへと、アクションのボルテージはひたすら上昇しまくる本作。
個人的には序盤に用意されたトイレ室での死闘バトルを、映画史に残る名シーンとして激賞したい。
終始イテテ感がつきまとうこの描写は、かつて同じトイレでの格闘を描いた「ターミネーター3」のジョナサン・モストウ監督の言葉を切に思い出させる。
「トイレは驚異的な破壊力や殺傷能力を実感させるときに有効な場所。
便器や仕切りの材質とか空間の距離感を誰もが共有しているから。
だってトイレを使わない人間はいないだろ?」