温泉神社(ゆせんじんじゃ)
第三十四代舒明天皇の御代、湯本より南方約八キロメートルの茗荷沢村の住人、狩ノ三郎行広は、小牛ほどの白鹿を追い求め矢傷を負わせてなおも追い続けて雪不尽山(那須岳)の麓、霧生谷(元湯付近)に至った。
濃霧に包まれ白鹿を見失い呆然として佇んでいるとき、岩上に白髪の老翁あらわれ、
「吾は温泉の神なり、汝の求める鹿はかの谷間の温泉に浴しておれり,その温泉は万病をなおして甚だ効あり。鹿の浴するも手負いを癒さんがためなり、汝よろしく之を聞きて万民の病苦を救うべし」
と言い終わりて消え去る。三郎白鹿を射止め、温泉を発見して神社を建立し歳時の祭礼怠りなく崇敬の誠をつくしたと言う。
御祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと

殺生石
殺生石は、大陸から渡って来た八百歳の妖狐・九尾の狐。
鳥羽上皇の頃に「玉藻前」と名乗り、朝廷に出入りする。陰陽師・安倍泰成に、その正体を見破られ、那須野ヶ原へと逃げる。その後、三浦介、上総介によって退治されたが、妖狐は毒石となり、ガスを噴出して人畜に害を与えるようになった。源翁和尚によって、その恨みを封じられ、粉々に砕かれたと伝えられている。


教伝地蔵
教伝地蔵は、教伝地獄として語り継がれている。
白河の関の近くの古い山寺に教伝という乱暴者の小坊主がいた。
この小坊主村でも手がつけられなぬ悪童で、近所の農家で飼育している鶏や家畜に乱暴したり、
畑の作物は踏み荒らしたりで毎日暴れまわっていた。
ある日のこと教伝が友達と一緒に薪を取りに行く約束をして帰ってきたことがある。
次の日の朝「明日は早く起こしてくれ」と約束したが母は寝坊してしまった。
教伝は母の寝室に跳んで行くと「飯はどうした」と側にあった薬缶を蹴った。
母はすぐに朝食の準備をし支度が終わろうとしているところに教伝がやってきて、何を思ったか
お膳を蹴り上げ教伝は謝りもせず薪取りに出かけた。
その日の昼、教伝と友達は那須山の賽の河原に辿り着き、山深く分け入ったところで空が急に
暗くなってきた。
二人は離れていたので教伝の名前を呼んだが全く返事がない。その時である、物凄い雷鳴がなり
篠つくような雨が降ってきた。何処からか「助けてくれ」と叫ぶ声が聞こえてくる。
友達は急いで声のする方に行き、丁度賽の河原まできた時である。
熱湯の噴出している湯壷に教伝が落ちてもがいておりすぐに駆け寄り助けようとしたが、急に湯煙が
立ち上り教伝の姿が見えなくなってしまった。
生前の悪事と親不孝にたいして仏罰が下ったのか、教伝は熱湯の中に命を絶ったと言い伝えられている。

千体地蔵
殺生石に行く途中に千体地蔵という非常に多くのお地蔵様があります。 衆生の平安を願ってくれているものとをいわれていて、全てとても大きな手のひらを合掌させているという珍しい特徴をしており、全て手作りによって作られているということです。
帽子を被っていたり今の寒い時期は手袋をしていて表情もぞれぞれ違います。現在800体余りが立ち並んでいるといわれております。

第三十四代舒明天皇の御代、湯本より南方約八キロメートルの茗荷沢村の住人、狩ノ三郎行広は、小牛ほどの白鹿を追い求め矢傷を負わせてなおも追い続けて雪不尽山(那須岳)の麓、霧生谷(元湯付近)に至った。
濃霧に包まれ白鹿を見失い呆然として佇んでいるとき、岩上に白髪の老翁あらわれ、
「吾は温泉の神なり、汝の求める鹿はかの谷間の温泉に浴しておれり,その温泉は万病をなおして甚だ効あり。鹿の浴するも手負いを癒さんがためなり、汝よろしく之を聞きて万民の病苦を救うべし」
と言い終わりて消え去る。三郎白鹿を射止め、温泉を発見して神社を建立し歳時の祭礼怠りなく崇敬の誠をつくしたと言う。
御祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと

殺生石
殺生石は、大陸から渡って来た八百歳の妖狐・九尾の狐。
鳥羽上皇の頃に「玉藻前」と名乗り、朝廷に出入りする。陰陽師・安倍泰成に、その正体を見破られ、那須野ヶ原へと逃げる。その後、三浦介、上総介によって退治されたが、妖狐は毒石となり、ガスを噴出して人畜に害を与えるようになった。源翁和尚によって、その恨みを封じられ、粉々に砕かれたと伝えられている。


教伝地蔵
教伝地蔵は、教伝地獄として語り継がれている。
白河の関の近くの古い山寺に教伝という乱暴者の小坊主がいた。
この小坊主村でも手がつけられなぬ悪童で、近所の農家で飼育している鶏や家畜に乱暴したり、
畑の作物は踏み荒らしたりで毎日暴れまわっていた。
ある日のこと教伝が友達と一緒に薪を取りに行く約束をして帰ってきたことがある。
次の日の朝「明日は早く起こしてくれ」と約束したが母は寝坊してしまった。
教伝は母の寝室に跳んで行くと「飯はどうした」と側にあった薬缶を蹴った。
母はすぐに朝食の準備をし支度が終わろうとしているところに教伝がやってきて、何を思ったか
お膳を蹴り上げ教伝は謝りもせず薪取りに出かけた。
その日の昼、教伝と友達は那須山の賽の河原に辿り着き、山深く分け入ったところで空が急に
暗くなってきた。
二人は離れていたので教伝の名前を呼んだが全く返事がない。その時である、物凄い雷鳴がなり
篠つくような雨が降ってきた。何処からか「助けてくれ」と叫ぶ声が聞こえてくる。
友達は急いで声のする方に行き、丁度賽の河原まできた時である。
熱湯の噴出している湯壷に教伝が落ちてもがいておりすぐに駆け寄り助けようとしたが、急に湯煙が
立ち上り教伝の姿が見えなくなってしまった。
生前の悪事と親不孝にたいして仏罰が下ったのか、教伝は熱湯の中に命を絶ったと言い伝えられている。

千体地蔵
殺生石に行く途中に千体地蔵という非常に多くのお地蔵様があります。 衆生の平安を願ってくれているものとをいわれていて、全てとても大きな手のひらを合掌させているという珍しい特徴をしており、全て手作りによって作られているということです。
帽子を被っていたり今の寒い時期は手袋をしていて表情もぞれぞれ違います。現在800体余りが立ち並んでいるといわれております。
