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ピンピンころりを目指して!

スポーツで汗を流し、太陽と風と緑の自然の中で過ごし、友との交流でこころ豊かな日々の生活を目指して!

那須湯本を巡りました4

2017年03月19日 | 山荘生活
温泉神社(ゆせんじんじゃ)
第三十四代舒明天皇の御代、湯本より南方約八キロメートルの茗荷沢村の住人、狩ノ三郎行広は、小牛ほどの白鹿を追い求め矢傷を負わせてなおも追い続けて雪不尽山(那須岳)の麓、霧生谷(元湯付近)に至った。
濃霧に包まれ白鹿を見失い呆然として佇んでいるとき、岩上に白髪の老翁あらわれ、
「吾は温泉の神なり、汝の求める鹿はかの谷間の温泉に浴しておれり,その温泉は万病をなおして甚だ効あり。鹿の浴するも手負いを癒さんがためなり、汝よろしく之を聞きて万民の病苦を救うべし」
と言い終わりて消え去る。三郎白鹿を射止め、温泉を発見して神社を建立し歳時の祭礼怠りなく崇敬の誠をつくしたと言う。

御祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと


殺生石
殺生石は、大陸から渡って来た八百歳の妖狐・九尾の狐。
鳥羽上皇の頃に「玉藻前」と名乗り、朝廷に出入りする。陰陽師・安倍泰成に、その正体を見破られ、那須野ヶ原へと逃げる。その後、三浦介、上総介によって退治されたが、妖狐は毒石となり、ガスを噴出して人畜に害を与えるようになった。源翁和尚によって、その恨みを封じられ、粉々に砕かれたと伝えられている。



教伝地蔵

教伝地蔵は、教伝地獄として語り継がれている。
白河の関の近くの古い山寺に教伝という乱暴者の小坊主がいた。
この小坊主村でも手がつけられなぬ悪童で、近所の農家で飼育している鶏や家畜に乱暴したり、
畑の作物は踏み荒らしたりで毎日暴れまわっていた。
ある日のこと教伝が友達と一緒に薪を取りに行く約束をして帰ってきたことがある。
次の日の朝「明日は早く起こしてくれ」と約束したが母は寝坊してしまった。
教伝は母の寝室に跳んで行くと「飯はどうした」と側にあった薬缶を蹴った。
母はすぐに朝食の準備をし支度が終わろうとしているところに教伝がやってきて、何を思ったか
お膳を蹴り上げ教伝は謝りもせず薪取りに出かけた。
その日の昼、教伝と友達は那須山の賽の河原に辿り着き、山深く分け入ったところで空が急に
暗くなってきた。
二人は離れていたので教伝の名前を呼んだが全く返事がない。その時である、物凄い雷鳴がなり
篠つくような雨が降ってきた。何処からか「助けてくれ」と叫ぶ声が聞こえてくる。
友達は急いで声のする方に行き、丁度賽の河原まできた時である。
熱湯の噴出している湯壷に教伝が落ちてもがいておりすぐに駆け寄り助けようとしたが、急に湯煙が
立ち上り教伝の姿が見えなくなってしまった。
生前の悪事と親不孝にたいして仏罰が下ったのか、教伝は熱湯の中に命を絶ったと言い伝えられている。


千体地蔵
殺生石に行く途中に千体地蔵という非常に多くのお地蔵様があります。 衆生の平安を願ってくれているものとをいわれていて、全てとても大きな手のひらを合掌させているという珍しい特徴をしており、全て手作りによって作られているということです。
帽子を被っていたり今の寒い時期は手袋をしていて表情もぞれぞれ違います。現在800体余りが立ち並んでいるといわれております。



那須湯本を巡りました3

2017年03月11日 | 山荘生活
ミズナラの木:ご神木、樹齢800年 パワースポットとして人気があります。カブの幹の側面には多くの人が触っている為か色が変わっておりました。


五葉松
樹齢800年の大木(神様が来るのを「松」待つ)


昭和天皇歌碑
 お題(晴れ)   空晴れて ふりさけ見れば那須岳は さやけくそびゆ 高原の上
皇后 お題(草原) 見わたせば 廣野がすえは山につづく 君がめでます 那須の草原
                                         と詠まれました

那須湯本を巡りました。2

2017年03月10日 | 山荘生活
二の鳥居

さざれ石
もともとは「細石」と書き、小さい石の事。2億4千万年かけて形成されたという。石質は小さな石の隙間が「炭酸カルシウム」や「水酸化鉄」で埋められて固定化した石で、さざれ石の名称は平安期の姫君の名前「さざれの君」と言う御伽草子の中の話が元になっているという説があります。


水琴屈 平成4年にできた。水琴窟(すいきんくつ)は、日本庭園の装飾の一つで、手水鉢の近くの地中に作りだした空洞の中に水滴を落下させ、その際に発せられる音を反響させる仕掛けで[1]、手水鉢の排水を処理する機能をもつ[1]。水琴窟という


愛宕神社(火産霊神:ヒホモスビにカミ)入口
火防(ヒブセ)の神様で高いところに祀る(火の見櫓は高い所にある)


三の鳥居
那須与一崇降が1186年に奉献 注連飾りは扇の形をしている。

那須湯本を巡りました

2017年03月09日 | 山荘生活
新春の那須は今だ雪のちらつく季節でしたが茶臼岳が真っ白に冠雪した時期に那須湯本の観光ガイドさんに案内されて2時間余りの短い時間でしたが歴史と伝説の数々を教えていただきました。
温泉神社
壇ノ浦屋島の合戦で平家の扇の的を射落とす時、成功を心中祈願した「那須ゆぜん大明神」にお参りしに来た西暦1186年に社殿を造営した。

一之鳥居前

平成3年平成天皇の大嘗祭で奉献された鳥居で74代内閣総理大臣竹下登氏の書「延喜式内 温泉神社」と書かれてある。

見立神社
西暦630年狩野三郎行広が畑を荒らす鹿を打ち損じて山奥に入ると白髪の老人が降臨し”汝の追っている打ち損じた鹿は温泉で傷を癒している。この温泉は万病に効く温泉につき万人の病気を救うべし,我は温泉の神なり”とお告げがあり温泉を発見したという。その温泉の神を「那須ゆぜん大明神」としてお祀りしたのが見立て神社です。

神社宝物
万字鹿角 狩野三郎行広が射止めた鹿の角

那須与一が壇ノ浦で扇を射た矢



今年最後となると山荘生活

2016年12月12日 | 山荘生活
寒さも厳しさの山荘にでかけましたが毎夜、強風と那須の山々から降り降りる雪の中での生活となりました。鹿の湯にはこの寒さと雪にも拘らずたくさんの湯治客が訪れていました。私達も毎日、風呂に入り山荘に閉じ込めれた生活ですがだらだら生活も又よいかもしれません。

那須は紅葉に染まり、茶臼岳は冠雪

2016年11月05日 | 山荘生活
昨日は強風に寒さが身にしみる1日でした。文化の日のマラソンの疲れを癒すため朝早くから鹿野湯にあさぶろに!
                              茶臼岳は初冠雪か?妻はそれでも風呂前に走る!ただひたすら!

紅葉の那須と沼ッ原湿原

2016年09月28日 | 山荘生活
今年の那須は台風の影響で紅葉の楽しみができずに帰宅したので昨年の秋の景色を掲載します

南ヶ丘牧場 那須の雄大な自然を楽しめる南ヶ丘牧場、ガーンジィ牛の牛乳とアイスクリームは濃厚で美味しい。

那須岳は茶臼岳、朝日岳、三本槍岳、南月山、黒尾谷岳の五峰からなる山々です。

朝日岳が朝日に染まる。

登山口から朝日が昇る景色

沼ッ原湿原は私だ大好きな場所です四季折々の景色を楽しむため何度も足を運びます。
那須連山の日の出平(1786m)白笠山(1719m)西ボッチ(1410m)の間にある1230mの湿原には四季折々の花々、小鳥の楽園です。