●初心者歓迎 スレを立てる前に此処で質問を377,226

2007-07-09 23:33:25 | Weblog
226 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/04(月) 21:19:21 ID:2is7qxqR
下士官兵と士官の食事の差について。

第二次世界大戦中の、日本の陸海軍については、前線や小型艦艇においては、差がなかった。
後方や大型艦艇においては差があったと思われます。
飢餓の極限状態においては、差があったと思われる。

諸外国を含めた、軍隊の食事の基本原則は、下士官兵の食事は、政府が支給する。士官の食事は、自前というものです。
従って、普段は下士官兵と士官の食事は差がありました。しかし、前線や小型艦艇では、そんなことしていられません。差が無かったと思われます。

小泉信三著の『海軍主計大尉小泉信吉』にその記述があります。
貨物船を改造した仮装巡洋艦に乗り込んだ信吉が、麦飯の兵食を食べていたとあります。
潜水艦でも、差はありませんでした。こちらでは、下士官兵が白米の銀飯を食べていました。
少数の主計兵が、下士官兵と士官の食事を分けて作る余裕など無かったのでしょう。

下士官の陸攻乗りが書いた手記に、機上での航空弁当が、下士官兵と士官で差があり、気分を害したとありました。

飢餓の極限状態では、上級者の食事が良かったのでしょう。生還率に階級で差があります。

●初心者歓迎 スレを立てる前に此処で質問を379,127~386

2007-07-09 23:29:53 | Weblog
386 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/13(水) 06:22:12 ID:1do1c7Z5
>>375
三笠は乗員の自殺に伴う爆発沈没事故なの?

霞ヶ浦の住人の回答。
不明です。
火薬庫が爆発しました。
当事者は即死したでしょう。
下記ウィキペディアでは、火遊び説と、下瀬火薬の変質説が紹介されています。
霞ヶ浦の住人が聞いた別の説では、水兵が火薬庫で酒盛りをして、料理の火が火薬に引火したとありました。
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/ä¸‰ç¬ _(戦艦)

182 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/12(火) 06:21:30 ID:lQLttjTW
>>176
>認めたくないんだと思うが、連山はB-17のほぼフルコピーだ

霞ヶ浦の住人の回答。
下記は、実戦配備できなかった連山を指す説明でした。
>>127
>駄目なのは、B17をコピーできなかった、日本です。
ウィキペディア一八試陸上攻撃機(連山)参照。
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/ä¸aring;…«è©¦é™¸ä¸Šæ”»æ’ƒæ©Ÿ
127 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/11(月) 23:53:47 ID:fLfTCm3D
>>93
>不時着したB-29をフルコピーできたソ連って、すごいんでしょうか?

霞ヶ浦の住人の回答。
すごいです!

1番すごいのは、B29を開発した、アメリカです。
次にすごいのは、それをフルコピーできたソ連です。
駄目なのは、B17をコピーできなかった、日本です。

弘法大師は、書道のすごい大家です。
その字を真似して書ける人は、すごいです。
駄目なのは、真似も出来ない人です。

●初心者歓迎 スレを立てる前に此処で質問を380,63~680

2007-07-09 23:21:49 | Weblog
680 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/18(月) 06:26:54 ID:SC9WTygF
>>657
>ドコの国でも警察も軍隊も公務員であり
>地位的には警察=軍隊であると思われます
>日本でも(地位は)警察=軍隊(自衛隊)ですよ?

霞ヶ浦の住人の回答。
警察と軍の地位が同等というのは、建前論としては正しいです。
しかし、実態は、戦前は軍の地位が高く、戦後は、自衛隊より警察の地位が高かったのです。

理由は
1 戦前は軍の地位が高かった。
2 自衛隊の内局(背広組)に、警察官僚がなった。

戦前は、警察の地位が低いというよりは、軍の地位が他の官僚全体に比べて高かったと言えます。官位を見ても分かります。

自衛隊が発足したのは、警察予備隊としてでした。
自衛隊のような大きな組織を管理できる能力を持つのは、警察官僚しかいませんでした。
そのため、警察官僚が自衛隊員の上に君臨する形となりました。


548 :名無し三等兵:2007/06/17(日) 21:00:27 ID:ng+5R14a
>>500
>>495
>すくなくとも、自分たちは精鋭でないと思ってる部隊は無いと思うが。
>どの部隊も俺たちは精鋭だと思って日々の訓練に励んでるはずだけど。
>そうじゃない部隊があるの?

霞ヶ浦の住人の回答。
同意見です。
昔の『軍事情報』に、イスラエル陸軍の取材記事が載りました。
記者が、広報担当官に聞きました。「この部隊は、イスラエル陸軍の精鋭部隊なんですか?」。
「いや違います。普通の部隊です。ただ、ここの連中は、精鋭部隊だと主張するだろがね!」。

539 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/17(日) 20:34:28 ID:JJJPa5/F
>>498
>太平洋戦争の少し前に、日本軍では満期除隊の制度がなくなったと聞きました。
>制度がなくなる直前に満期除隊した人は、その後数年は召集はなかったんでしょうか?
>しれとも又すぐに召集されたんでしょうか?

霞ヶ浦の住人の回答。
満期除隊の制度がなくなったのではありません。
満期除隊日に、即日召集される人が多くなって、実質的な除隊が少なくなったのです。
太平洋戦争中にも、実質的な満期除隊をした人はいました。

その後の召集は、各人各様です。
市町村役場の兵事係が、各人の特技や性格や家庭環境などを把握していて、部隊編成の必要に応じて、召集します。
しかし、第二次世界大戦末期には、根こそぎ動員をかけられました。
満期除隊した人のほとんどが召集されたと考えてよいでしょう。

私の知人の父親は、普通は2年で満期除隊のところを、8年間以上続けて陸軍に在籍したそうです。
徴兵で入隊しました。それが、二二六事件の決起部隊となったのです。
事件の後、満州へ移駐となり、そのまま除隊できなかったそうです
505 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/17(日) 19:58:40 ID:5wI/BW1j
>>476
台湾の状況からすれば,台北、高雄、馬公などの
重要港湾を封鎖されないのが絶対命題。

霞ヶ浦の住人の回答。
台北は海に面していません。
近くの外港は基隆です。
495 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/17(日) 19:42:19 ID:6aU13+Ez
>>453
>>452
>雪の中での戦闘を想定した精鋭部隊って欧米の軍隊にはありますか?
>何が言いたいんだ?
>「どの部隊も雪の中の戦闘は考量してる」なかで「鋭部隊」だけは例外で
>雪中の運用は想定外だとでも?
>それとも北欧やロシアなんて欧州じゃねーとでも言いたいのか?

霞ヶ浦の住人の回答。
一般常識と読解力を持ってください。
>>402の質問者も、霞ヶ浦の住人も、>>453の方も、ヨーロッパやアメリカに雪が降ることを知っています。
「どの部隊も雪の中の戦闘は考量してる」は、漢字の誤用を除いて、霞ヶ浦の住人も同意見です。

それでいて、>>402の質問者は下記の質問をしたのです。
>雪の中での戦闘を想定した精鋭部隊って欧米の軍隊にはありますか?
「何が言いたいんだ?」は霞ヶ浦の住人にではなく、>>402の質問者にしてください。
その前に、質問を何度も読み直せば、理解されるのではないかと、密かに期待しています。


>>444の出典を誤ったかもしれません。
『ラスト・オブ・カンプフグルッペ』高橋慶史著と書きました。続だったかもしれません

452 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/17(日) 17:28:26 ID:15O4dqgd
>>446
>>444
北欧および、中部ヨーロッパの緯度は日本の北海道とほぼ同じか
さらに北なので、普通にどの部隊も雪の中の戦闘は考量してる。

霞ヶ浦の住人の回答。
「どの部隊も雪の中の戦闘は考量してる」は、漢字の誤用を除いて、霞ヶ浦の住人も同意見です。
しかし、質問は下記でした。
>>402
>雪の中での戦闘を想定した精鋭部隊って欧米の軍隊にはありますか?

444 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/17(日) 16:55:00 ID:WrI0WLAQ
>>402
>雪の中での戦闘を想定した精鋭部隊って欧米の軍隊にはありますか?

霞ヶ浦の住人の回答。
第二次世界大戦中のドイツ軍の東部戦線で、冬季用の部隊を編成したそうです。
しかし、実際には夏の間に、消耗してしまって、肝心に冬季には役に立たなかったそうです。
『ラスト・オブ・カンプフグルッペ』高橋慶史著

405 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/17(日) 12:53:36 ID:wn6Wl6Xa
>>385
><ソースはwiki!!!

霞ヶ浦の住人の回答。
回答の正確を期するためにウィキペディアを掲示しました。

広島の師団が上陸戦の担当であったことは前から知っていました。
しかし、回答を書き込むからには、正確を期さなくてはなりません。
証拠をインターネットで検索したら、沢山出てきました。
その中でウィキペディアが一番信頼できて、分かりやすく記されているので、掲示しただけです。
403 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/17(日) 12:23:53 ID:vZquvweY
>>86
>なぜナチスドイツは優れた兵器を保有していたのに負けたのですか?
>連合軍の物量に負けたのですか?

霞ヶ浦の住人の回答。
戦争の勝敗は、兵器の質だけで決まるのではありません
軍人の能力、政治力いろんな要素がからんできます。

ドイツ軍は軍人の能力が優れていました。
必ずしも兵器の質が優れていた訳ではありません。
フランス侵攻の電撃戦当時は、ドイツ戦車の性能と物量は、明らかに連合軍より劣っていました。
ウィキペディア電撃戦を参照してください。
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/電撃戦
それを、ドイツの電撃戦の新ドクトリンと、将兵の質だけで勝ってしまったのです。
独ソ戦当初のドイツ軍戦車の性能は、ソ連軍のT34より、明らかに劣っていました。それでも、ドイツ軍は訓練された将兵と戦術を駆使して、ソ連のT34を撃破したのです。
独ソ戦後半は、逆に、高性能のドイツ軍戦車が、数を頼みにしたソ連のT34に撃破されました。
北アフリカ戦当初の、ドイツ軍と連合軍の戦車の質で言えば、明らかに連合軍のグラント戦車の方が勝っていました。それでも勝ってしまいました。後半には、高性能のティーゲル戦車を投入しても負けました。
チャーチルは言っています。もし、イギリスとドイツの一個連隊が同じ条件で戦ったら、必ずドイツが勝であろう。

政治力で、ドイツは劣っていました。
イギリスとの戦いの決着がついていないのに、ソ連との二正面戦争を始める。
ソ連に侵攻して、スターリンに虐げられていた人々から、解放者として迎えられたのに、虐政を敷いて、反抗される。
馬鹿なアジアの同盟国、日本が、アメリカとの戦争を始めると、同盟に参戦義務は無いのに、アメリカに宣戦布告をする。
駐ドイツ、日本大使の大島に、内情を全て話してしまう。それの日本への報告の暗号が、解読されて、内情を全て知られてしまう。

ドイツ軍兵器の質が、必ずしも連合軍より優れていたとは言えないです。
それをドイツ軍将兵の質で勝ちました。
しかし、政治力で、負けてしまったのです。
382 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/17(日) 10:21:34 ID:8FXmWfTO
>>348
>戦前の日本軍に海兵隊的な部隊は存在して活躍したのでしょうか?
>というのも硫黄島に上陸して戦ったのは海兵隊ですよね?
>日本もアジアを開放するんだって名目でどこかの島に上陸して戦ったと思う>>のですが
>海兵隊的な訓練したのかなって思いまして

霞ヶ浦の住人の回答。
第5師団(司令部広島)です。
ウィキペディア海兵隊の日本の場合を参照してください。
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/浕兵隊


63 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/16(土) 04:58:35 ID:ti419ix6
>>8
>何故、B-52はエンジンが八基も装備されているのですか?
>素人的に見れば、あのサイズの機体なら四基あれば
>十分な気がしますが。

霞ヶ浦の住人の回答。
戦闘機用のエンジンなのです。
B-52の開発当時、ちょうど合うサイズのジェットエンジンが存在しませんでした。
そのため、戦闘機用のジェットエンジンを2基ずつ、合わせて使ったのです。

●初心者歓迎 スレを立てる前に此処で質問を380,827~59

2007-07-09 23:09:12 | Weblog
959 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/19(火) 02:25:24 ID:08GTJtzU
>>914
>>901
>台湾人という民族はありません。本省人も外省人もどちらも中国人です。

霞ヶ浦の住人の回答。
台湾の住民は、中国と台湾独立の間で揺れています。

中国派が、国民党、外省人(日本の敗戦後に台湾へ移り住んだ本土出身者)です。
台湾独立派が、民主進歩党、本省人(日本の敗戦前から台湾に住んでいる人たち)、陳水扁現総統といった人たちです。

霞ヶ浦の住人は、台湾旅行中に両派のデモに遭遇しました。
二二八記念館で説明をしてくれた、元、日本海軍の予科練生のおじいさんは、明らかな台湾独立派です。
自分を台湾人と表現して、中国人と区別していました。
ちなみに、霞ヶ浦の住人は、台湾旅行中によく現地の人と間違えられました。その際には「中国人ではありません。日本人です」と英語で話しました。「台湾人ではありません」とは言いませんでした。

台湾の総統選挙の際に、台湾独立派を牽制する意味で、中華人民共和国が、誤射したとの名目でミサイルを打ち込もうとしたこともありました。
事前に情報が漏れて、実際に発射できませんでしたが。

ウィキペディア台湾の政治の項目をお読みください。
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/台湾

920 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/19(火) 01:32:37 ID:FTIgEDKG
>>881
>>871
>細川なんとかって首相いなかったっけ?

霞ヶ浦の住人の回答。
細川 護熙(ほそかわ もりひろ)です。
1993年8月5日から1994年4月25日まで、日本国総理大臣でした。
河野洋平が自由民主党総裁でありながら、日本国総理大臣になれなかったときです。
祖父は、日中戦争中、日米開戦前の総理大臣、近衛文麿です。
日本を戦争の破滅の淵から救うことができずに、内閣を投げ出しました。
その孫もまた、内閣を投げ出しました。
今は、陶芸三昧の毎日とのこと。腕前はプロ級らしいです。
ウィキペディア細川護熙http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/細啝謕熙

887 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/18(月) 22:51:33 ID:n5fPgPNz
>>865
>>830
>あなたは間違っています。旧軍は天皇の軍隊でしたがナチス突撃隊
>みたいなものといったらおかしいでしょう。

霞ヶ浦の住人の回答。
「旧軍は天皇の軍隊」という「あなたは間違っています」。

明治から昭和まで、形式的には「天皇の軍隊」とい建前には、なっていました。
しかし、実際には「国家の軍隊」でした。

そのような主張なさるのは、この板へ書き込むような軍事知識を持った方の中では、恐らくあなた一人だけでしょう。
広く世間を見渡せば、「天皇の軍隊」ということで、統帥権干犯を国会で非難した、鳩山一郎の孫、鳩山由紀夫、鳩山邦夫兄弟もそう思っているかも?

明治天皇は「天皇の軍隊」に、自分が食べて脚気が直った麦飯を食べさせようとして、できませんでした。
そのため、日露戦争では、万単位の脚気による死者を出しました。
危うく負けるところでした。
昭和天皇は、台湾沖航空戦の大戦果の誤報を受けました。
これが、ヒトラーやスターリンでしたら、源田實は銃殺刑です。

ちなみに「皇軍」という言葉は、昭和期まで使われなかったそうです。
それまでは「国軍」です。
「コウグン」と聞いた兵隊が「行軍」と勘違いしたとか。

876 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/18(月) 22:10:18 ID:DNe7IHgf
>>861
>>860
>その「CIA文書」のソースを出してくれ。

霞ヶ浦の住人の回答。
下記サイトをご覧ください。朝日新聞の取材による記事が載っています。
http://ime.nu/homepage.mac.com/ehara_gen1/jealous_gay/cia_funded.html
霞ヶ浦の住人が読んだのは、産経新聞へ掲載された、機密指定が解除された後のCIA文書でした。

860 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/18(月) 21:43:07 ID:bLmHtTAr
>>806
>当時、自民党はCIAから資金援助をうけていた。某議員の事務所にいた
>オレがいうんだから間違いない。

霞ヶ浦の住人の回答。
間違いないようです。
機密指定を解除されたCIA文書で明らかになりました。
岸内閣当時、弟の佐藤栄作がパイプ役となって、資金援助を受けていました


830 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/18(月) 21:21:30 ID:aS61HG8C
>>716
>人民解放軍って武装SSみたいなもんですか?

霞ヶ浦の住人の回答。
人民解放軍はナチス突撃隊みたいなもんです。

中国人民解放軍は、中国共産党の軍隊です。
中華人民共和国成立前から、存在しました。
党の軍隊が国家を作ったのです。

ナチ党の軍隊は、突撃隊です。
その一部分であった、ヒトラー党首のボディガードが、SSです。
それが、武力化したのが武装SSです。

中国人民解放軍は、現在では国家の軍隊としての一面を持っているのは事実です。
しかし、党の軍隊としての一面も無くしたわけではありません。

827 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/18(月) 21:01:16 ID:PUiVi5wl
>>767
>日米戦争終結後、大日本帝國は条約により台湾の領有権を失いました。
>その後台湾は、國共内戦に敗れた中華民國に占領されてしまいます。
>質問ですが、大日本帝國が居なくなってから中華民國に支配されるまで、
>台湾はどのような状況だったのでしょうか?台湾人は何をしていたのでしょう>か?

霞ヶ浦の住人の回答。
②日本の降伏後すぐに、台湾は中華民國に割譲された
です。

台湾の人々の態度の変化。
1 最初は、中国復帰への喜び。
2 中国本土人(外省人)への期待の落胆。
3 武装蜂起。
日本が負けて、台湾が中国に復帰することとなり、台湾人は喜び、祖国に期待しました。
タレントの岡田真澄とE・H・エリック兄弟は台湾に住んでいました。
岡田が本の中で、石を投げられて追われたと書いています。

その後、国民政府軍が進駐してきました。
これが、乞食のような格好で、悪さばかりします。
鉄道の駅で、駅員が兵隊に、乗車券を買うように注意しました。
すると、その場に居合わせた、駅員数人を即座に射殺してしまいました。

1947年2月28日、住民の武装蜂起が起きましたが、鎮圧され、大虐殺されました。

台湾の人たちの対日感情が良いのは、日本の支配が去って、更に悪い支配となったためなのでしょう。

台北にある、二二八記念館を訪れました。元、日本海軍の予科練生だったという、台湾人のおじいちゃんのボランティアから、説明を聞いて、そう思いました。
ウィキペディア、二・二八事件を参照ください。

http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/二二八事件

●初心者歓迎 スレを立てる前に此処で質問を 381、405~795

2007-07-09 23:01:43 | Weblog
:霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/22(金) 20:41:04 ID:x06Gy+Nn
>>580
>>575
>>自他共に認める侵攻能力があった
>と思わせて、実際の武力侵攻をせずに、目的を達するのが、最良の策なのです。

>その侵攻能力がないといってるんですが。

霞ヶ浦の住人の回答。
中国は核兵器を持っています。日本は核兵器を持っていません。


575 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/21(木) 21:35:05 ID:jX8azYf/
>>412
>>405
>ドイツがチェコを侵略する際に、実際に軍事力を使いましたか?
>ソ連がバルト三国を侵略する際には?

>あなたはバカですか。自他共に認める侵攻能力があったから
>でしょうが。孫子を100回読み直しなさい。

霞ヶ浦の住人の回答。
孫子より引用。
「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」。
>自他共に認める侵攻能力があった
と思わせて、実際の武力侵攻をせずに、目的を達するのが、最良の策なのです。
ナチスドイツは、チェコを武力を使わないで侵略する事に成功しました。
その後はどうなりましたか?
フランス侵略の電撃戦の主力になったのは、ドイツの訓練用戦車、Ⅰ号、Ⅱ号ではありません。
チェコスロバキア陸軍から接収した戦車でした。もし、ナチスドイツがチョコスロバキアに対して武力を行使していたら、決して無傷で手に入るはずが無かった戦車たちでした。


559 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/21(木) 21:05:36 ID:hMiJcbtM
>>408
>>405
旧敵国条項とは何でしょうか?
国連憲章の第何条に旧敵国条項という明確な項目が挙げられているのでしょうか?
また、その条項には、日独伊など具体的な国名が書かれていますか?

妄想は結構です。
きちんと調べてから回答しましょう。

霞ヶ浦の住人の回答。
ウィキペディア敵国条項を参照ください。
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/æ—§æ•µå›½æ¡é …
現在死文化しているというのは、日米安保があるからです。
もし、無くなったら、中国は敵国条項を活用するでしょう。
これは恐ろしい予測です。


405 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/21(木) 06:29:45 ID:41xUNmUS
>>312
>従軍慰安婦決議が採択されてさらに来年の大統領選挙で民主党が政権を握り、日
>米関係が悪化して、日米同盟が破棄されて、日本は中国に侵略されてアポーンとい>うことは十分にありえるんでしょうか?

>>315
>ありえません。アメリカがじゃましなくても中国軍に日本
>までの渡洋侵攻能力はありません。

霞ヶ浦の住人の回答。
有り得ます。

理由。
1 侵略には実際に軍事力を行使するとは限らないからです。
2 中国は理由なく日本を侵略することができる。国連憲章に旧敵国条項があるからです。

ドイツがチェコを侵略する際に、実際に軍事力を使いましたか?
ソ連がバルト三国を侵略する際には?
孫子に曰く、軍事力を実際に行使するのは下作である。
中国が台湾バナナを大量に買い付けたというニュースを見ました。
台湾農民の懐柔策です。
台湾侵略のための軍事力増強を続けるとともに、政治的ゆさぶりをかけているのです。
日本に対しても同じ手を使うでしょう。

国連は、第二次世界大戦中に出来た連合国の組織です。
その名残が旧敵国条項です。
日本やドイツに対して、理由なく開戦することが可能です。
日米安保があるうちは大丈夫です。
無くなったら、本当に中国は日本に開戦するやもしれません。
日本は国連の常任理事国になるより、この危険な旧敵国条項を廃止させる事に努力を集中すべきです。

●初心者歓迎 スレを立てる前に此処で質問を 382、152~739

2007-07-09 22:51:23 | Weblog

739 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/25(月) 22:54:59 ID:X6WNE0NF
>>717
>>713
>インディペンデンス級航空母艦は艦種記号から言っても「軽空母」以外の
>表記は無用だろ。
>勝手に用語作ってんじゃねぇよ。

霞ヶ浦の住人の回答。
『日米情報戦記』という本、実松譲著では、「巡洋空母」と表現していました。
日本海軍が零戦と表現した戦闘機を、アメリカは勝手に用語作って「ジーク」と表現しました。では、「ジーク」の表現は、誤りなのでしょうか


736 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/25(月) 22:40:57 ID:CDXkJ7L7
>>723
>ak47を開発した人の住んでる家ってどんな家なの?

霞ヶ浦の住人の回答。
アパートとダーチャ(郊外の別荘)です。
決して豊かな暮らしではありません。
朝日新聞が出版した書籍『カラシニコフ』の載っています。

727 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/25(月) 22:29:12 ID:r91U69SB
>>700
>>696
>やっぱそれって転属すると一回目から数えなおしなんだよね?
>なんか賽の河原の石積みみたいだなぁ

霞ヶ浦の住人の回答。
違う種類の部隊へ転属されたと想像します。

地雷除去部隊などです。
健康的に、飛行任務に適さないとか言って、転属させます。
転属先は、それまでと違う種類の部隊です。
それまでのカウントは無効となります。
ノルマは、希望を持って任務を遂行するように、本人へ伝えます。
しかし、一度懲罰部隊に入れたら、生きて帰さないのです。

696 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/25(月) 21:36:56 ID:uaIj6JfJ
>>558
>>556
>「空飛ぶ戦車」と呼ばれるシュトゥルモビクだが、後部座席には
>実はほとんど装甲がない。
>なので、戦闘機に後ろからガンガン撃たれるとか地上から対空砲火でタコ殴りにされ>る
>とかいった状況になると、操縦士やエンジンは全く無事なのに後部銃手だけはかな>りの
>確立で被弾して戦死した。

霞ヶ浦の住人の参考発言。
後部座席は懲罰目的で乗せたと聞いています。

戦意不足などで懲罰にかけられた兵士を後部座席に乗せたそうです。
太平洋での戦いとは違い、航法の必要はありません。機関銃を撃てれば良いのです。
10回出撃のノルマが課せられました。
ノルマ達成まで生き残る者は、殆どいませんでした。
たまに、達成しそうな者がいると、転属させられました。

知恵者がいました。
後部銃手が死亡したことを、敵機に悟られないように、ばねを装着して、機関銃が垂れ下がらないようにしたそうです。


686 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/25(月) 21:05:31 ID:REXqUCSm
>>691
>太平洋戦争末期において、日本の発案した航空特攻は高い戦果を上げていました>が、
>もしもっと早い段階から特攻を発明し、積極的に特攻戦術・特攻機の研究を行ってい>れば、
>日本はアメリカを圧倒していた可能性もありますか?

霞ヶ浦の住人の回答。
ありません!
特攻は非効率な戦法です。

巡洋空母、プリンストンの撃沈。エセックス級空母、フランクリンの大破は、いずれも、彗星艦爆による通常攻撃です。
特攻機が、機体と一緒に爆弾を空母に激突させても、大きなダメージを与えることはできません。機体から爆弾を離した、急降下爆撃の方が、スピードとエネルギーの関係で、戦果があるのです。
ウィキペディア特別攻撃隊の「戦闘機による特攻」を参照ください。
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/特攻

152 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/23(土) 20:09:47 ID:PVnlh7kS
>>35
>前スレで「パンパンはアメリカ軍の慰安婦」と聞いたのですが、それは
>アメリカ人の売春婦を日本政府が雇ったんですか?

霞ヶ浦の住人の回答。
日本人売春婦の意味です。
占領の初期には、日本政府が雇いました。
「特殊慰安施設協会」です。
1946年に廃止されて、個人営業となりました。
廃止の理由は性病の蔓延とのことです。
しかし、実際には、個人営業になってからの方が、統制が効かないため、性病は増えたそうです。

ウィキペディアパンパンを参照ください。
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/パンパン_(éš èªž)


ウィキペディア特殊慰安施設協会を参照ください。
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/特殊慰安施訬協会

●初心者歓迎 スレを立てる前に此処で質問を 385.755~983

2007-07-09 22:38:08 | Weblog
983 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/07/06(金) 05:45:36 ID:6TqFZ+WU
>>870
>アメリカが原爆投下を予告するビラを撒いたり放送をしたという話を聞いたの>ですが、本当でしょうか?

霞ヶ浦の住人の回答。
間違いです。

原爆投下を日本側に予告した記録はありません。
『大本営参謀の情報戦記』堀栄三著に、原爆投下を予見できなかったとの記述があります。

しかし、アメリカが一般の爆撃を予告するビラを撒いたことはあります。
東京や大阪など大都市の爆撃が済んで、中小都市の爆撃となったときに行いました。
目的は、日本国民の日本政府に対する信用失墜です。
爆撃目標を日本側に知られても、迎撃ができないと見てのことです。
日本政府は、日本国民にビラを読まないように指導しましたが、実際には読まれていたようです。
外国の謀略ラジオ放送を聞くことも、勿論禁止されていました。
しかし、飛行機内で、飛行中に乗員がこっそり聞くなどは行なわれていたようです。

755 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/07/05(木) 06:42:08 ID:gADBmZdh
>>674
>WW2でソ連や、国共合作時代の八路軍に武器援助しまくって、
>あなたのいう「放置」どころか「増長」させたのはアメリカだよん。

霞ヶ浦の住人の疑問。
アメリカが八路軍に武器援助した事実は無いと思うのですが?

第二次世界大戦中、アメリカは、国民党軍には、武器援助しました。
アメリカは使節を延安へ送り、中国共産党とも接触がありました。
武器援助を要請されました。しかし、実施はしなかったと思います。

八路軍=人民解放軍=中国共産党軍には武器援助していないでしょう。
日本人の書いた本には、国民党軍に、アメリカ式装備をした部隊があったとの記述があります。
中国共産党軍は、日本軍から奪った銃くらいしか記述がありません。

第二次世界大戦後、中国共産党軍は日本軍から接収した武器で軍備を増強して、国共内戦に勝利したのです。
北京で行なわれた建国記念のパレードには、日本の飛行機や戦車が登場しました。
日本製の武器と日本人の要員を使っていたのです。
中国に残った、大量のアメリカ製武器は、国民党軍へ援助した物です。

現在、日本が中国にある毒ガスを処理しています。
これは、日本に責任に無いことです。
第二次世界大戦の敗戦によって、日本軍の武器は中国共産党軍や国民党軍やソ連軍に接収されました。
その後の処分は彼らの責任です。
接収した武器を使って取った政権は自分のもの。
自分たちが間違った処分をして被害を及ぼした毒ガスは、日本の責任というのが、彼らの主張です。

初心者歓迎 スレを立てる前に此処で質問を 386 191~845

2007-07-09 22:31:18 | Weblog
845 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/07/09(月) 22:22:19 ID:Z1hUZjyH
>>838
>山本長官機撃墜時には何機かの護衛戦闘機がいたはずですが、そのパイロ>ットはその後どうなったのでしょう?
>長官を守れなかった責任を取らされたとか、そういうことになってしまったの>でしょうか

霞ヶ浦の住人の回答。
6人全員戦死です。
「責任を取らされた」のだと思われます。
六機の護衛戦闘機―非情の空併載 (光人社NF文庫) (文庫)
高城 肇 (著)を参照してください。

348 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/07/07(土) 19:40:38 ID:8i8GM8sH
●初心者歓迎 スレを立てる前に此処で質問を 385
>>870
>アメリカが原爆投下を予告するビラを撒いたり放送をしたという話を聞いたの>ですが、本当でしょうか?

霞ヶ浦の住人の回答。
広島への原爆投下後に、次の原爆投下を示唆したビラを撒きました。
ただし、投下される都市名や予定日は記されていません。

広島・長崎への原爆投下の前に、予告はありません。
しかし、広島への原爆投下後に、全ての都市より避難するように、勧告するビラが撒かれました。

7月31日に、水戸など、12の都市名を明記しての爆撃予告ビラが撒かれました。
実際に、8月1日以降に爆撃を受けました。

参考図書
『米軍が記録した日本空襲』平塚 柾緒編著。
ビラの写真が掲載されています。


343 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/07/07(土) 18:54:36 ID:LP7KJCGa
>>302
>ポツダム宣言発表時に、国体保持に関する項が削除されたというのは本当でしょう>か?
>もしそうなら、それはつまり米国が対日戦争を長引かせたかったから
>削除したということなのでしょうか?

霞ヶ浦の住人の回答。
本当だと、下記の本には書いてあります。
『原爆を投下させるまで日本を降伏させるな』鳥居民著。
理由は書名の通りです。
書いてある内容が真実かどうかの判断は、霞ヶ浦の住人にはできません。


191 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/07/06(金) 23:55:07 ID:ZhPA1So/
現代のドロップタンク(投下型増槽)はジュラルミン(金属)製。

以前、この板で、ドロップタンクの材質に関する質問がありました。
紙やプラスティック製との回答がされました。
航空自衛隊百里基地の第501飛行隊の人に聞きました。RF-4ファントム偵察機のドロップタンクはジュラルミン製とのことでしたF14。F15。F16。F18も、同様にジュラルミン製と思われます。

第二次世界大戦中のドロップタンクは、日本が竹製の枠に紙を貼ったのを使いました。ドイツとイギリスはジュラルミン製です。アメリカ空軍は、下記ウィキペディアに、イギリス駐留の第八航空軍では、紙製が使われたとの記述があります。他の戦線や海軍は分かりません。
ウィキペディア増槽を参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%97%E6%A7%BD

さすが、ジェット戦闘機ともなると、もう紙製のドロップタンクは使えないのでしょう。

驚いたのは、ドロップタンクの整備作業に、6人かかりで1日(8時間)かかるそうです。故障したタンクを整備して再使用するそうです。

ちなみに、これは、品質管理(QC)の大会で聞きました。
航空自衛隊が品質管理を導入して、その大会で発表しました。
その際に、霞ヶ浦の住人が質問したのです。
多数の隊員が大会に参加していました。
参考までに、百里基地の公開は、2007年は、9月9日(日)だそうです。

派生議論スレ22、829~990

2007-07-09 22:08:10 | Weblog


990 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/27(水) 06:34:34 ID:FWyVSLMO
>>981
>戦史叢書「大本営海軍部・連合艦隊<6>第三段作戦後期」から引用
>巡洋空母(CVL)

霞ヶ浦の住人からのお礼。
戦史叢書の引用、ありがとうございました。
巡洋空母の表現が存在したということですね。
>当時わが海軍では、軽空母のことを巡洋艦改造空母(「巡改」と略す)と呼ぶことが多かった。
としても。

963 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/26(火) 23:35:57 ID:zzTF8bKy
>>961。
字面に関する限り正しいのは絶対的に戦史叢書の方。

再度同じ質問をします。
>>959霞ヶ浦の住人からの質問。
>「戦史叢書」には、算用数字で書かれていたのですか? 漢数字でしたか?

959 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/26(火) 23:14:29 ID:Q9KXvBEw
>>952
>戦史叢書「大本営海軍部・連合艦隊<6>第三段作戦後期」から引用

>大海機密第111255番電(昭和19年10月11日)
> 発 軍令部第3部長、宛 各艦隊司令長官)

霞ヶ浦の住人からの質問。
「戦史叢書」には、算用数字で書かれていたのですか? 漢数字でしたか?

「大海機密一一一二五五番電」は実松譲氏が起案しました。
『日米情報戦記』の中に「筆者は~次の電文を起案し『大海機密一一一二五五番電』をもって各艦隊司令長官あてに電報してもらった」とあります。

>>952の内容は『日米情報戦記』で紹介されていた内容と殆ど同じです。
違うのは、算用数字と漢数字、巡洋艦改と巡洋空母です。

第二次世界大戦当時の日本海軍の文書は縦書きです。ですから、数字も漢数字でした。
霞ヶ浦の住人は、引用するに当たって、横書きにはしまたが、原文に忠実に漢数字としました。
米国軍事彙報第226号は電報ではなくて、表です。こちらは、ローマ字や算用数字も使われていました。

霞ヶ浦の住人は、同じ資料で表記の違いがなぜあるのか分かりません。
「戦史叢書」が正しいとは限りません。

大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 堀 栄三の中で、著者の行動を
「戦史叢書」では誤って記述していると指摘しています。

著者である、実松譲氏の読者に対する配慮から、本に掲載した内容を分かりやすく変更したとも考えられます。巡洋艦改と巡洋空母では、どちら素人の読者に理解しやすいかは、一目瞭然ですから。

947 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/26(火) 20:48:22 ID:+ZO+Cooa
>>918
>つまり、「勝手に考えたか誤訳」かどうかは分かりませんが、彼が考えた名称が、日本海軍での名称となったのです。
>「彼が考えた名称が、日本海軍での名称となった」の証拠を示されたし。
>回想録や通説本でなく一次資料を。海軍の名称なら公文書に記載されてい>るはず。

>一次資料の調べ方を知らないとか言って逃げるなよ。言い切った以上は論拠>があるよな?

霞ヶ浦の住人の回答。
『日米情報戦記』の中に、「大海機密一一一二五五番電」昭和十九年十月十一日付け、が掲載されています。
軍機密、米国軍事彙報第226号、南西諸島及び台湾来襲ノ米第38任務部隊編制概要推定表、軍令部第三部・昭和19年11月4日。
いずれにも、「巡洋空母」の表現が用いられています。


915 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/26(火) 05:35:35 ID:BIpnSToh
●初心者歓迎 スレを立てる前に此処で質問を 382
>829
>っていうかさ、そのソース元の『日米情報戦記』という本書いた実松 譲って>人が
>勝手に考えたか誤訳したんでないのか?
>巡洋空母

霞ヶ浦の住人の回答。
著者の実松 譲は、第二次世界大戦中、海軍軍令部の情報部にいた人です。
日本海軍全体へ情報を流していまました。
つまり、「勝手に考えたか誤訳」かどうかは分かりませんが、彼が考えた名称が、日本海軍での名称となったのです。
ちなみに、エセックス級空母=大型空母は、「正規空母」の名称でした。
護衛空母は「特空母」です。
機動部隊は「任務部隊」です。


834 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/23(土) 21:38:13 ID:8vpeMA2S
>>830
>ウィキの紹介するだけならば、もう来なくていいぞ。
>そんなんじゃ誰もアンタを必要と思わない。

霞ヶ浦の住人の回答。
これからもウィキペディアをこの板へ書き込みします。
理由1 知識が無い人はウィキペディアで調べることも出来ない。
理由2 少なくとも、霞ヶ浦の住人が書き込むよりは、信頼性が高い。

まったく知らない人には、ウィキペディアで調べることも出来ないのです。
その人たちのために、書き込みを続けます。

ウィキペディアにも誤りはあります。しかし、霞ヶ浦の住人の誤りよりは、少ないと思います。


833 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/23(土) 21:08:50 ID:+dEB2OSd
>>832
>>829
>元回答者が言いたかったのはWW2終結時の戦勝国しか
>権利がないといいたかったのでは?

霞ヶ浦の住人の回答。
上記が事実だとしたら、霞ヶ浦の住人としては、こんなに心休まることはありません。
サンフランシスコ条約に中華民国政府は参加していません。 
第二次世界大戦の終結時に中華人民共和国政府は成立していません。
そうすると、中華人民共和国政府は、国連の敵国条項に基づいての日本への攻撃はできない理屈になります。

本当にそうなのでしょうか?
中華人民共和国政府は、現在、国連の加盟国です。
前の加盟国である中華民国政府の権利を継承しています。
中華民国政府は、第二次世界大戦の終結時の戦勝国です。
国連創設のときからの加盟国でもあります。
当然、敵国条項が作られたときも、加盟国でした。
従って、中華人民共和国政府は、敵国条項に基づいての日本攻撃の権利を継承していると、霞ヶ浦の住人は考えます。

ちなみに、1972年の日中国交正常化によって、日本国政府が承認する中国政府は、中華民国政府から中華人民共和国政府と代わりました。そのため、在日大使館を、新たに設置したのではありません。
以前、中華民国政府が使用していた在日大使館を使用する権利を、中華民国政府から継承したのです。中華民国政府を追い出して、そこへ入りました。


829 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/23(土) 06:27:42 ID:A6UxFpdr
>>732
>もそも、旧敵国条項を発動できるのはSF条約の
>署名国だけじゃなかったっけ?

霞ヶ浦の住人の回答。
「旧敵国条項」や「サンフランシスコ条約(SF条約)にそのことが記載されていますか?
ウィキペディア敵国条項を参照なさってください。
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/æ•µå›½æ¡é …
ウィキペディア日本国との平和条約参照なさってください。
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/サンフランゕスコ条約