226 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/06/04(月) 21:19:21 ID:2is7qxqR
下士官兵と士官の食事の差について。
第二次世界大戦中の、日本の陸海軍については、前線や小型艦艇においては、差がなかった。
後方や大型艦艇においては差があったと思われます。
飢餓の極限状態においては、差があったと思われる。
諸外国を含めた、軍隊の食事の基本原則は、下士官兵の食事は、政府が支給する。士官の食事は、自前というものです。
従って、普段は下士官兵と士官の食事は差がありました。しかし、前線や小型艦艇では、そんなことしていられません。差が無かったと思われます。
小泉信三著の『海軍主計大尉小泉信吉』にその記述があります。
貨物船を改造した仮装巡洋艦に乗り込んだ信吉が、麦飯の兵食を食べていたとあります。
潜水艦でも、差はありませんでした。こちらでは、下士官兵が白米の銀飯を食べていました。
少数の主計兵が、下士官兵と士官の食事を分けて作る余裕など無かったのでしょう。
下士官の陸攻乗りが書いた手記に、機上での航空弁当が、下士官兵と士官で差があり、気分を害したとありました。
飢餓の極限状態では、上級者の食事が良かったのでしょう。生還率に階級で差があります。
下士官兵と士官の食事の差について。
第二次世界大戦中の、日本の陸海軍については、前線や小型艦艇においては、差がなかった。
後方や大型艦艇においては差があったと思われます。
飢餓の極限状態においては、差があったと思われる。
諸外国を含めた、軍隊の食事の基本原則は、下士官兵の食事は、政府が支給する。士官の食事は、自前というものです。
従って、普段は下士官兵と士官の食事は差がありました。しかし、前線や小型艦艇では、そんなことしていられません。差が無かったと思われます。
小泉信三著の『海軍主計大尉小泉信吉』にその記述があります。
貨物船を改造した仮装巡洋艦に乗り込んだ信吉が、麦飯の兵食を食べていたとあります。
潜水艦でも、差はありませんでした。こちらでは、下士官兵が白米の銀飯を食べていました。
少数の主計兵が、下士官兵と士官の食事を分けて作る余裕など無かったのでしょう。
下士官の陸攻乗りが書いた手記に、機上での航空弁当が、下士官兵と士官で差があり、気分を害したとありました。
飢餓の極限状態では、上級者の食事が良かったのでしょう。生還率に階級で差があります。