409 :霞ヶ浦の住人 ◆HzqDOXy.Ho :2007/11/04(日) 19:16:07 ID:OA2POu6Z
>>400
>>397
>そこまで言うなら最初から旧軍の「曹長等」「帯刀本分兵」について解説した>方が
>いいんじゃないか?
霞ヶ浦の住人の回答。
「曹長等」は、「曹長刀」の誤りと想像いたします。
九五式軍刀の通称です。
下記、九五式(Type 95)の帯 刀 本 分 兵を参照ください。
ttp://www.h4.dion.ne.jp/~t-ohmura/gunto_070.htm
397 :霞ヶ浦の住人 ◆HzqDOXy.Ho :2007/11/04(日) 18:53:24 ID:OA2POu6Z
>>384
>>381
>それ「回答」じゃないだろ。
>質問に答えてるわけじゃないんだから。
>んで、
>「陸軍の場合は下士官も軍刀を持っていた
と、
>ほとんどの下士官は、軍刀を持っていませんでした
>は別に相反しないだろ。軍刀を持っている下士官は実際にいたのだから。
>建前がどう決められていたのかと現実がどうだったのかは別の問題。
>少なくとも「将校の装備は自前という決まりだが、実際は兵への官給品を勝>>手に使ってよい」
>なんて明文化されてたわけじゃないのだし。
>つか、アンタは一体何がしたい?
霞ヶ浦の住人の回答。
>>362
>陸軍の場合は下士官も軍刀を持っていた。
上記は誤りです。
理由。
読む人は、下士官の全てが軍刀を持っていたと、誤解します。
正しくは
>ほとんどの下士官は、軍刀を持っていませんでした。
兵まで含めて、必要な職種の下士官兵には、軍刀が支給されたということです。
>>333の質問者は「建前がどう決められていたのかと現実がどうだったのか」では、現実を知りたいのだと想像します。
陸軍の服装規定で、将校が兵の装いをすることを禁じられていた。だから、実戦で狙撃を避けるために、兵の装いをしたことは、無かったと建前ではなっている、との回答を知りたいでしょうか?
381 :霞ヶ浦の住人 ◆HzqDOXy.Ho :2007/11/04(日) 18:22:23 ID:OA2POu6Z
>>362
>>333
>陸軍の場合は下士官も軍刀を持っていた。
>一応将校でも戦地で希望すれば小銃は持てたが、将校の装備は基本的に>自前で、
>軍制式の小銃を買うことは簡単にはできないから、「員数外」の装備調達に>なるので
>基本的には無理。
>尚日本軍は戦争が進むにつれて精神主義に走ったので、むしろ軍刀は「軍>人精神の象徴」と
>して重用された。
>太平洋戦争でも夜間斬り込みに軍刀を掲げて、月明かりを反射したので発>見された、
>という間抜けな例が結構ある。
>隊本部付き下士官だったうちの爺様は、
>「突撃のとき将校の近くにいるといい的になる」
>のでなるべく近くに寄らないようにしていたとか・・・。
霞ヶ浦の住人の回答。
「陸軍の場合は下士官も軍刀を持っていた」は誤りです。
「将校の装備は基本的に自前」は、建前です。
ほとんどの下士官は、軍刀を持っていませんでした。
必要な職種の下士官兵には、軍刀が支給されたというだけです。
騎兵・輜重兵・憲兵等です。
被服も私物を買わなくてはなりません。
しかし、兵に支給される軍足を、将校が自由に使っていたとの手記を読んだことがあります。その他の被服や装備も、実態は将校が自由に使えたと想像します。
あなたの職場の上司が、職場の物品を私用に使ったとします。
咎める人はいますか?
下記、ウィキペディアの軍刀を参照ください。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E5%88%80
369 :霞ヶ浦の住人 ◆HzqDOXy.Ho :2007/11/04(日) 17:53:57 ID:OA2POu6Z
>>333
>大戦中の帝國陸海軍では将校は拳銃・軍刀(指揮刀)で武装しており小銃等>持ちませんよね。
>突撃の時もそうだったみたいですが、本人が希望すれば持っても良かったの>でしょうか?
>また軍刀を持っているのが将校だと一目で判るため狙撃対象として非常に判>別が容易で狙われやすかったとありましたが
>みすみす的になるような行為を軍は改めさせなかったのでしょうか?
霞ヶ浦の住人の回答。
将校が希望すれば小銃を持ちました。
陸軍の上層部の許可を得てのことかどうかは、分かりません。
戦場で将校であること判断されると、狙撃の対象となります。
そのため、軍刀を外し、小銃を持って、兵と同じ装いとしました。
中国戦線の歩兵の最前線部隊の指揮官の手記に、よく記されています。
霞ヶ浦の住人が想像するに、陸軍上層部の許可を得たものでは無かった
のでしょう。
現場の判断と思われます。
アメリカ軍が南方戦線で、日本軍の狙撃を避けるため、同様なことをした記録は読んだことがあります。
ソ連軍も、ノモンハン事件当時、将校が兵隊の装いで偵察に出たとの記録を読んだことがあります。
>>400
>>397
>そこまで言うなら最初から旧軍の「曹長等」「帯刀本分兵」について解説した>方が
>いいんじゃないか?
霞ヶ浦の住人の回答。
「曹長等」は、「曹長刀」の誤りと想像いたします。
九五式軍刀の通称です。
下記、九五式(Type 95)の帯 刀 本 分 兵を参照ください。
ttp://www.h4.dion.ne.jp/~t-ohmura/gunto_070.htm
397 :霞ヶ浦の住人 ◆HzqDOXy.Ho :2007/11/04(日) 18:53:24 ID:OA2POu6Z
>>384
>>381
>それ「回答」じゃないだろ。
>質問に答えてるわけじゃないんだから。
>んで、
>「陸軍の場合は下士官も軍刀を持っていた
と、
>ほとんどの下士官は、軍刀を持っていませんでした
>は別に相反しないだろ。軍刀を持っている下士官は実際にいたのだから。
>建前がどう決められていたのかと現実がどうだったのかは別の問題。
>少なくとも「将校の装備は自前という決まりだが、実際は兵への官給品を勝>>手に使ってよい」
>なんて明文化されてたわけじゃないのだし。
>つか、アンタは一体何がしたい?
霞ヶ浦の住人の回答。
>>362
>陸軍の場合は下士官も軍刀を持っていた。
上記は誤りです。
理由。
読む人は、下士官の全てが軍刀を持っていたと、誤解します。
正しくは
>ほとんどの下士官は、軍刀を持っていませんでした。
兵まで含めて、必要な職種の下士官兵には、軍刀が支給されたということです。
>>333の質問者は「建前がどう決められていたのかと現実がどうだったのか」では、現実を知りたいのだと想像します。
陸軍の服装規定で、将校が兵の装いをすることを禁じられていた。だから、実戦で狙撃を避けるために、兵の装いをしたことは、無かったと建前ではなっている、との回答を知りたいでしょうか?
381 :霞ヶ浦の住人 ◆HzqDOXy.Ho :2007/11/04(日) 18:22:23 ID:OA2POu6Z
>>362
>>333
>陸軍の場合は下士官も軍刀を持っていた。
>一応将校でも戦地で希望すれば小銃は持てたが、将校の装備は基本的に>自前で、
>軍制式の小銃を買うことは簡単にはできないから、「員数外」の装備調達に>なるので
>基本的には無理。
>尚日本軍は戦争が進むにつれて精神主義に走ったので、むしろ軍刀は「軍>人精神の象徴」と
>して重用された。
>太平洋戦争でも夜間斬り込みに軍刀を掲げて、月明かりを反射したので発>見された、
>という間抜けな例が結構ある。
>隊本部付き下士官だったうちの爺様は、
>「突撃のとき将校の近くにいるといい的になる」
>のでなるべく近くに寄らないようにしていたとか・・・。
霞ヶ浦の住人の回答。
「陸軍の場合は下士官も軍刀を持っていた」は誤りです。
「将校の装備は基本的に自前」は、建前です。
ほとんどの下士官は、軍刀を持っていませんでした。
必要な職種の下士官兵には、軍刀が支給されたというだけです。
騎兵・輜重兵・憲兵等です。
被服も私物を買わなくてはなりません。
しかし、兵に支給される軍足を、将校が自由に使っていたとの手記を読んだことがあります。その他の被服や装備も、実態は将校が自由に使えたと想像します。
あなたの職場の上司が、職場の物品を私用に使ったとします。
咎める人はいますか?
下記、ウィキペディアの軍刀を参照ください。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E5%88%80
369 :霞ヶ浦の住人 ◆HzqDOXy.Ho :2007/11/04(日) 17:53:57 ID:OA2POu6Z
>>333
>大戦中の帝國陸海軍では将校は拳銃・軍刀(指揮刀)で武装しており小銃等>持ちませんよね。
>突撃の時もそうだったみたいですが、本人が希望すれば持っても良かったの>でしょうか?
>また軍刀を持っているのが将校だと一目で判るため狙撃対象として非常に判>別が容易で狙われやすかったとありましたが
>みすみす的になるような行為を軍は改めさせなかったのでしょうか?
霞ヶ浦の住人の回答。
将校が希望すれば小銃を持ちました。
陸軍の上層部の許可を得てのことかどうかは、分かりません。
戦場で将校であること判断されると、狙撃の対象となります。
そのため、軍刀を外し、小銃を持って、兵と同じ装いとしました。
中国戦線の歩兵の最前線部隊の指揮官の手記に、よく記されています。
霞ヶ浦の住人が想像するに、陸軍上層部の許可を得たものでは無かった
のでしょう。
現場の判断と思われます。
アメリカ軍が南方戦線で、日本軍の狙撃を避けるため、同様なことをした記録は読んだことがあります。
ソ連軍も、ノモンハン事件当時、将校が兵隊の装いで偵察に出たとの記録を読んだことがあります。