2007年5月23日現在の書き込み

2007-05-24 21:39:54 | Weblog

2007年5月23日までの書き込みです。



603 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/05/23(水) 23:56:03 ID:LFohLT6U
>>595
ここはWarBirdsををちするスレであって、滓民が騙るスレではないはず
ここはお前の日記帳じゃねチラシの裏にでも書いてろ。

回答。
毎回、美しい絵をありがとうございます。
しかし ここは「WarBirdsををちするスレであって」、絵を描くレスではありません。
「チラシの裏にでも書いてろ」。


594 :霞ヶ浦の住人:2007/05/23(水) 18:01:09 ID:DH/81xFb

>>593
マジメな話
>イギリス人が移住してくると、スポーツハンティングと称して、殺してしまいました。
>日本も、ユーラシア大陸からもっと離れていて、同じ条件でしたら、
>私たち日本人も、スポーツハンティングされる側となっていたでしょう。

この表現は色んな意味でヤバ過ぎると思うんだが・・・

回答
ウィキペディアのアボリジニの欄、「アボリジニの受難」の項目に「スポーツハンティング」の表現があります。
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/アボリジニ

私たち日本人の先祖が、開国して明治時代は、世界中で有色人種が、白色人種に虐殺されていた時代です。
オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、ハワイ、それらの土地には、誰が住んでいましたか?
そして、現在住んでいるのは、誰ですか?

私たち日本人の祖先に、知恵と幸運があったお陰で、現在の私たちが存在するのです。




585 :霞ヶ浦の住人:2007/05/23(水) 02:31:16 ID:9TR2120+
霞ヶ浦の住人が、霞ヶ浦の住人である証拠に、ワカサギムシの話をします。

以前は、春と秋に、ワカサギムシが大発生しました。
蚊のような虫ですが、人を刺すことはありません。
しかし、大量に発生します。田んぼの上などに、竜巻にように、音を立てて舞っていました。

幼虫は、霞ヶ浦の水中で成長します。しかし、それを食べたワカサギは、美味しくないので、旬とはなりません。

20年以上前でしょうか、テレビ東京の正月特別番組で、『山本五十六』が放送されました。
そのロケを霞ヶ浦でしました。テレビのロケは、夜に照明を点けて、昼間の場面を撮影します。
ちょうど、ワカサギムシの季節に、夜間撮影をしました。照明の光に、ワカサギムシが集まりました。
そのテレビ番組を、霞ヶ浦の住人も見ました。まるで、雨が降っているように感じました。

以上の書き込みで、霞ヶ浦の住人が、霞ヶ浦の住人である証拠になりましたか?



581 :霞ヶ浦の住人:2007/05/23(水) 02:00:57 ID:GCvmb8bB
>>580 自慢話を後で訂正しているように感じます。

霞ヶ浦の住人は
二流でいいじゃありませんか! 自分の人生も日本も!
と回答している人間です。


578 :霞ヶ浦の住人:2007/05/23(水) 01:46:14 ID:kTRCpCB8
>>576
それでQCの説明は?
国防総省の役人が何を喜んだのか説明してください。
それがちゃんとできれば本物だと思うが。
:
回答
友人である、唐津氏の助言を喜んだのでしょう。
霞ヶ浦の人の件は添え物か?
ただ「日本企業は建前は良くても、手の内を手の内を明かしてくれない。技術の進歩が早くて、追いかけるのが大変。日本と組まなくてはうまくいかない」だそうです。

霞ヶ浦の住人の感想。
日本は、軍事技術は劣っても、軍事技術に転用できる、民用技術は、優れているのだな! です。


575 :霞ヶ浦の住人:2007/05/23(水) 01:21:12 ID:TR4hOroK
:>>573偽物は失せろ。

現実を認めたくないのでしょう。

>>568<今から、霞ヶ浦の住人さんは、偽者さんなの。よろしくね。

とあるように、霞ヶ浦の住人を、霞ヶ浦の住人として、認めたくない。
だから、偽者だと、主張する。

間接的ながらも霞ヶ浦の住人が、アメリカ国防総省と接点があるなんて、現実を認めたくないのです。




573 :霞ヶ浦の住人:2007/05/23(水) 00:07:43 ID:nNmFeT/n
>>566高卒で誰でも入れる所に就職したあなたにエリートが負けた、と言いたい訳ですね。

回答
二流でいいじゃありませんか! 自分の人生も日本も!

自衛隊関係者や旧軍関係者が使いたがる言葉に「超一流」があります。
自衛隊や旧軍が採用した兵器は全て「超一流」なのです。
弾の出ない62式機関銃や、27ノットの戦艦大和も「超一流」なのだそうです。

堀 栄三は『大本営参謀の情報戦記』で述べています。
日本陸軍の火力は、アメリカ陸軍の三分の一だそうです。
まともに戦って勝てる訳がありません。
そこで、山岳戦を薦めていました。
レイテ島では、完敗しないで、50日間持ち堪えることができました。

正直に、自分を見ることです。
高卒の私には、数学や外国語を駆使しての、仕事はできません。
しかし、しかし、QCを駆使しての、活動はできます。
れで、講演を依頼されて、全国へ行きます。

二流の人生も結構楽しいものですよ!



564 :霞ヶ浦の住人:2007/05/22(火) 23:19:19 ID:QuDOey/F
>>560
騙り者は霞ヶ浦の住人様に比べると遥かに回答の品質が落ちる。
こんな程度の低い回答を返すなんて事は本物ではありえない。
まるでQCの説明が出来てない。QC雑誌のインタビューを受け、
講演までした霞ヶ浦の住人様とは断じて思えない。

回答
世の中、そんなものです。

>まるでQCの説明が出来てない

実情
>国防総省の友人が、仕事で悩んでいました。著書の『QCからの発想』の英語版と一緒に、霞ヶ浦の住人からの手紙の概要を送ったそうです。
大変喜んでいたそうです。その人は、国防総省の両用技術、つまり、民生と軍用の両方に使える技術の担当者です。

霞ヶ浦の住人が、QCサークルの発表会に参加している人に聞くと「手順書なんて、実際の工場では使っていない。
皆いい加減にやっている」と答えます。


難関の海軍兵学校へ入学して、海軍大学校を優秀な成績で卒業した参謀が、馬鹿な作戦計画を立てているのです。

>>530霞ヶ浦の住人
兵力の集中は、軍事学の基本中の基本です。しかし、日本海軍はミッドウェー海戦で、それを怠り敗北しました。



559 :霞ヶ浦の住人:2007/05/22(火) 22:36:26 ID:yWbRQdiT
>>544
1905年に出現した、イギリスの戦艦、ドレッドノート

を1906年と訂正します。起工は1905年ですが、進水と就役は1906年です。


556 :霞ヶ浦の住人:2007/05/22(火) 22:24:44 ID:HzcQ+I46

>>540
で、カスミンが唐沢氏に送ったその手紙って、どんな内容なん?

回答
唐津一氏です。
ウィキペディア唐津一
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/唐æ´\ä¸



554 :霞ヶ浦の住人:2007/05/22(火) 22:09:09 ID:GRcFGkn9
>>552
「super dreadnoughts」と「World War Ⅱ」でググってみればあ?
なんぼでも洋書がヒットするけどねー。
そっか、これらの洋書の著者、全部知識の浅い軍事マニアなのかー。
Conwayに関わってる人までいるみたいだけどな。

回答
霞ヶ浦の住人は英語を読めません。



553 :霞ヶ浦の住人:2007/05/22(火) 22:05:24 ID:GRcFGkn9
>>540
で、カスミンが唐沢氏に送ったその手紙って、どんな内容なん?
本人なら詳細に答えられるんじゃね? まさか忘れました憶えてませんってか?

回答
仕事で間違いだらけだった、霞ヶ浦の住人が、唐津一氏著の『QCからの発想』を読んで、QCを知りました。
1 人に聞く2 試す3 手順を書き出す を実行して間違いが減りました。
ありがとうございました。との内容です。

自衛隊もやっている、QC活動。
航空自衛隊もQC活動をしています。
以前、AnsQの航空機関係の質問の板へ、アメリカ空軍のアクロバット飛行チーム、サンダーバーズが百里基地へやって来ると、霞ヶ浦の住人が、書き込みをしました。
これは、茨城県のQCサークルの発表会で、航空自衛隊百里基地の整備関係者が発表なさいました。
その際に、航空際の開催日を聞きました。すると、「今年は人出が多いですよ! サンダーバーズがやって来るからです」と聞きました。
思わず、嬉しくなって、場違いなのに書き込んでしまいました。



548 :霞ヶ浦の住人:2007/05/22(火) 21:38:31 ID:Bi0vwTco
カーキ色はどんな色?

デパートの帽子売り場に、オリーブドラブ色の帽子がありました。
表示を見ると「カーキ色」とありました。

上記を疑問に思う方は、知識の深い軍事マニアです。
疑問に思わない方は、知識の浅い軍事マニアです。

「カーキ色」はオリーブドラブ色ではないからです。
土埃の色なのです。
インドでイギリス軍は、土埃の色を軍服に使用しました。
カーキとは、インドの言葉で土埃を意味します。
1900年、南アフリカでの、ボーア戦争でも保護色として役立ちました。
日本陸軍も1904年の日露戦争で採用しました。
アメリカ陸軍でも採用したりして、カーキ色=軍用色ということになりしまた。
それが、1960年代のベトナム戦争の頃からでしょうか、アメリカ陸軍はオリーブドラブ色を軍用色に使うようになりました。
日本の陸上自衛隊もそれに倣いました。

カーキ色=軍用色から、軍用色=オリーブドラブ色=カーキ色、となってしまったようなのです。

ちなみに、デパーにあった、本当のカーキ色の帽子には「ブラウン」と表示してありました。

そのうち、知識の深い軍事マニア以外は全員、オリーブドラブ色をカーキ色と思うようになるのでしょうか? なんか、淋しいです。

ウィキペディア軍服
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/軍服
ウィキペディアカーキ色
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/カーガ色
ウィキペディアオリーブドラブ
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/オリーブドラブ


545 :霞ヶ浦の住人:2007/05/22(火) 21:36:17 ID:Bi0vwTco
>>544の資料です。
ウィキペディア戦艦
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/戦艦

ウィキペディアドレッドノート (戦艦)
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/ドレッドノート_(戦艦)

ウィキペディア大和 (戦艦)
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/大和_(戦è




544 :霞ヶ浦の住人:2007/05/22(火) 21:34:04 ID:Bi0vwTco
「超弩級戦艦大和」

上記を疑問に思う方は、知識の深い軍事マニアです。
疑問に思わない方は、知識の浅い軍事マニアです。

間違いだからです。
「超弩級戦艦」とは、第一次世界大戦前の戦艦のクラスなのです。
第二次世界大戦中に出現した、戦艦大和は、第二次世界大戦型と言うべきです。

1905年に出現した、イギリスの戦艦、ドレッドノートは、それ以前の戦艦と性能が隔絶していました。
そのため、その後造られた、同じクラスの戦艦を、弩級戦艦;dreadnoughtsと呼びました。

その後、ドレッドノートを越える性能の戦艦が造られました。それらは超弩級戦艦と呼ばれました。

その後、言葉だけが、独り歩きをして、「すごい」という意味に使われるようになりました。
それが、また、戦艦大和の形容詞に戻ってきて、使われたのです。

『超弩級戦艦大和の最後』双葉社が出版されています。

霞ヶ浦の住人は、出版社の編集者は責めません。執筆者を責めます。
所詮、編集者は素人なのです。新聞記者が素人なのと同じです。
「超弩級戦艦」の本当の意味を知らなくても仕方ありません。
だが、執筆者は違います。本の中で、戦艦大和について、詳しく書いているのです。
そんな人たちが、「超弩級戦艦」の本当の意味を知らないで通るのでしょうか? 
題名が決まってから出版されるまで、期間はあるはずです。
「それはおかしいよ!」と、出版社へ言うべきでした。

霞ヶ浦の住人の、双葉社の本に対する信用が落ちました。


539 :霞ヶ浦の住人:2007/05/22(火) 19:37:39 ID:4aAhAIFt
>>゛534 本物というならば敢えて尋ねたい
>1 人に聞く
>2 試す
>3 手順を書き出す

唐津氏はQCとは統計が肝と最初から主張されている
こんなQCともいえない低レベルでは唐津氏はじめ関係者に
相手にされる筈がない
従ってQCを知らない偽者が適当に書いていることは自明
ブログも神田の成りすましだろう 霞ンが狂ったのは最近で不自然

回答
唐津氏からの手紙を要約します。
霞ヶ浦の住人からの手紙の内容を、アメリカ国防総省の友人に紹介なさったそうです。
国防総省の友人が、仕事で悩んでいました。著書の『QCからの発想』の英語版と一緒に、霞ヶ浦の住人からの手紙の概要を送ったそうです。
大変喜んでいたそうです。その人は、国防総省の両用技術、つまり、民生と軍用の両方に使える技術の担当者です。

霞ヶ浦の住人が品質管理を知ったのは、『QCからの発想』を読んででした。



530 :霞ヶ浦の住人:2007/05/22(火) 06:45:39 ID:Ujl92+W0
>>509絶対に偽者だろう

本物の霞ヶ浦の住人です。
当たり前の事を、当たりまえにする事が大切なのです。
これは、品質管理(QC)でも、戦争でも同じです。
1 人に聞く
2 試す
3 手順を書き出す
至極当たり前のことです。しかし、品質管理を知る前の霞ヶ浦の住人は、やっていませんでした。
それで、仕事で失敗ばかりしていました。
唐津一氏の著書を読んで、品質管理を知りました。
QCサークルの大会へ出席して勉強しました。
それで、失敗が少なくなったのです。
QCサークルの大会で、製造業からの参加者に聞くと、実際の現場では、手順を書き出すことを怠っている場合が多いそうです。

兵力の集中は、軍事学の基本中の基本です。しかし、日本海軍はミッドウェー海戦で、それを怠り敗北しました。

戦争でも、品質管理でも、当たり前の事を、当たり前にしましょう。



529 :霞ヶ浦の住人:2007/05/22(火) 06:04:04 ID:m+jbBvB/
ブログへ2007年5月21日現在の書き込みを表示しました。
http://ime.nu/blog.goo.ne.jp/19450815d/

【戦鳥】War Birdsをうぉちするスレ【Ans.Q】 11
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359 :霞ヶ浦の住人 ◆g5HpHpqYK6 :2007/05/23(水) 23:03:00 ID:zMsxoVSM
ヒトラー
>>283
>>273
ヒトラーの甥、ハインツ・ヒトラーは1941年の初頭に捕虜になってモスクワの収容所に送られ、
数ヵ月後に死亡している。

質問
上記は誰の子どもですか?
『アドルフ・ヒトラーの一族』には、記述が無かったです。
霞ヶ浦の住人は、ヒトラーの甥はウィリアム・パトリック・ヒトラー(異母兄の子)、しか知りません。
彼は、第二次世界大戦中、アメリカ海軍へ入隊しました。

アドルフ・ヒトラーの異母兄がイギリスへ行った際に、アイルランド人の女性と結婚して出来た子どもです。
イギリスで成長して、後に、アメリカへ渡りました。
私が読んだ本には、ヒトラーの名前を受け継ぐ男子は、ウィリアム・パトリック・ヒトラーしか存在しないと書いてあったように記憶しております。

ヒトラーの姓は、私生児後だった、アドルフの父アイロスが、新しく創作したものです。
ですから、親戚は多くても、ヒトラー姓は彼らの家族しかいません。




191 :霞ヶ浦の住人:2007/05/23(水) 06:54:25 ID:khJTFrCu


192 :霞ヶ浦の住人:2007/05/23(水) 07:28:39 ID:Cul/s7UI
>>190
 >>163
 >ドイツとイスラエルはどの士官も兵から始める
 >普通は士官学校を経由するけど

士官の教育制度として、兵から始めているのです。
戦前の、日本陸軍がそうでした。士官学校へ入っても、二等兵の階級から始めました。
学校と部隊を往復します。部隊で、兵や下士官としての勤務をして、少しずつ、階級が上がっていきました。
ドイツの影響です。ドイツでは、陸軍ばかりでなく、海軍も同じ制度でした。

ちなみに、日本海軍は、士官は最初から士官として始まりました。イギリス海軍の影響です。

イスラエルの士官任用への道は、最初、徴兵で軍に入ります。
その後、選抜されて、教育を受けて下士官となります。
その後、また選抜されて教育を受けて、士官になる制度だったと思います。


191 :霞ヶ浦の住人:2007/05/23(水) 06:54:25 ID:khJTFrCu

>>159天皇は普通に王だろ。
諸民族を支配する帝国の王でなきゃ皇帝とは言えない。
大日本帝国は短命過ぎるたからそれを根拠に今の天皇を皇帝と分類するのは無茶苦茶。

回答。
その通りですが、中国の皇帝と対等に付き合うためには、天皇と名乗らざるを得なかったのです。

明治期の東アジアでは、王と名乗ることは、中国皇帝の臣下を意味しまたした。
それで、天皇=皇帝と名乗ったのです。別に朝鮮を支配したからではありません。
それ以前から名乗っていました。
イギリスは、インドを支配していた時代には、その関係で皇帝を名乗っていました。
インドが独立した現在は王です。


188 :霞ヶ浦の住人:2007/05/23(水) 06:33:59 ID:GRxDPYs7
>>163
一般的に尉官以上の士官になるためには士官学校を出ないとなれないのでしょうか?
兵からのし上がっていくこともできるのでしょうか?

回答。

国、所属する軍、時代、言葉の定義によって異なります。

第二次世界大戦頃の日本の陸海軍では、兵からのし上がっていく、限界は、ともに少佐でした。
ですから、俗に少佐のことを、「兵隊元帥」と呼んでいました。

言葉の定義を確認してください。以上とは、それを含んで、それより上です。
尉官以上とは、尉官も含みます。尉官は下級士官の意味です。下士官から士官に昇進したら、即尉官なわけです。

日本でも、第二次世界大戦前には、兵隊から将官にまでなった人がいました。
日露戦争当時の、ロシアのマカロフ提督とか。
最近では、名前は忘れましたが、アメリカの海軍作戦部長までなった人がいます。
しかし、経歴を偽り、危険な実戦に参加した勲章を付けていたことが発覚して、自殺しました。
151 :霞ヶ浦の住人:2007/05/23(水) 00:55:25 ID:nLg6ltY0
>>91
世界史で習ったのですが、ノモンハン事件の時、ソ連将校の軍への報告書に、
日本の兵は良く訓練されて優秀だが、将校は使い物にならない、とあったと記憶してます。
インパールの牟田口中将もそうですが、日本は何ゆえ将校の質が低下したのでしょう?

回答
日本人の国民性で、指導者に責任を求めることをしないから。

「使い物にならない」は将軍と参謀の評価だと思いますが?
下級将校のことは「頑強」とか言って、誉めていたと思います。

日本の位置は、ユーラシア大陸の東に横たわる、島国です。
外敵の進入があまりありませんでした。
そのため、指導者は、外敵に勝つより、内部を揉め事なく収める手腕が求められました。
外敵に勝った軍人よりも、軍内部に受けの良い軍人が出世しまた。
そのため、弱将化が進んだと、霞ヶ浦の住人は推察しています。

●初心者歓迎 スレを立てる前に此処で質問を 373