yasumaroの石造物めぐり

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新宿 諏訪神社寒神三柱塔

2012-11-14 12:00:47 | まち歩き

 諏訪神社寒神三柱(さえのかみみはしら)塔の写真を(野仏の見方p79)を見て出かけた

副都心線西早稲田駅(2番出口)下車数分で諏訪神社

諏訪神社は弘仁年間(810~824)の創建と伝えられる
松原神社と命名されたが江戸初期徳川義直が信濃国諏訪神を歓請し合祀
諏訪神社と改名
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本殿手前左側に 寒神三柱塔が建っている
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天和2年(1682)に造立された船形の石塔 新宿区登録有形民俗文化財
中央に「寒神三柱塔」その右側「諏訪上下大明神」
左側に「天 以下欠損の為不明」「稲荷大明神」と銘記されている
上方には右に月形、左に日形が彫られている
寒神は村の境や峠に祀られている
境界を守護する神とされ、石塔としては江戸時代に南関東を中心に盛に造立された
諏訪神社の寒神三柱塔は区内唯一のもので、寒神三柱塔の文字が刻まれた例がない 新宿区教育委員会掲示板より

向かい側に三猿庚申塔
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石燈籠 裏に享保4年(1720)
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コンクリート製校倉造りの神輿保管庫 昭和52年
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狛犬
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菊のご紋が輝いている
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明日香路の旅 最終回

2012-11-12 15:03:17 | まち歩き

11.飛鳥寺
明日香村にある寺院 蘇我氏の氏寺で日本最古の本格的寺院でもある胞興寺の後身である 本尊は「飛鳥大仏」と呼ばれている釈迦如来
開基は蘇我馬子で、山号を鳥形山 現在は真言宗豊山派

現在は江戸時代に再建された本堂と堂宇があるだけの小さな寺で
 安居院とも呼ばれる
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寺院の中に飛鳥の大仏の説明を受ける 重要文化財
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聖徳太子16歳 の時父用明天皇のご病気回復祈願されている姿である
木造 室町時代
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中庭に 飛鳥寺形石燈籠 南北朝時代
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本堂前
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塔の礎石
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飛鳥寺の裏に
12.曽我入鹿の首塚(五輪塔 )切られた首の着地点? 
乙巳の変で暗殺された曽我入鹿の首が飛んで落ちた場所と伝えられる<o:p></o:p>

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水落遺跡
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世紀後半の建物の礎石群がある 方形基壇を持つ遺跡

 <o:p></o:p>

発掘調査の結果、特異な基壇を持つ大形の正方形建物遺構が見つかった。発見された遺構は他に、基壇内を走る木樋暗渠、銅管、漆塗木箱などがある。基壇内部に引き込んだ水を基壇上へ汲み上げる装置を持ち、中国に現存する元・明・清代の漏刻の受水槽と同様の漆塗木箱の痕跡が検出されていることなどから、これらの遺構は斉明天皇6年の時、皇太子であった中大兄皇子が作ったと伝えられる「漏刻」台の跡であることが想定されている。「漏刻」台が築かれた背景として、当時の中国的な政治理念にもとづいた「時の支配」の観念が存在したことが考えられている。出土した土器の検討から650年~660年代の間に造営され廃絶したと推定されている

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この後甘樫丘展望台に上って明日香村を展望するところでしたが足の具合が悪く
頂上に行くことを断念した
お昼頃を明日香村を後にして帰宅する8時間余りで町田駅前に(20時半ごろ)
滞在時間が少なくまたゆっくりと出かけてきたい

















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明日香路のたび4

2012-11-04 16:27:19 | まち歩き

9.岡寺(龍蓋寺)りゅうがいじ
小高い丘の上にあるため坂を上ったところにある
山門(仁王門)慶長17年(1612)年建立

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仁王像
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山門を入ると石造物がある
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明日香のシンボル三重塔
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本堂

巨大な仏像が鎮座 日本最初の厄除け寺天智天皇の勅願によって義淵僧正天智2年(663<o:p></o:p> 年が創建した
 
本尊は如意輪観音坐像は高さ4.8mあり、塑像の観音像として
 
日本最大。奈良時代末期弘法大師が日本、中国、インドの土を持ち寄って
<o:p>

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本尊は日本最大、最古の塑(つち)像観音像
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撮影禁止の為カタログからコピーした物です
本堂前に 
あるこの「龍蓋寺(りゅうがいいけ)」。岡寺の開祖・義淵僧正が龍を封じ込めた池だと言われていて、「龍に蓋をした池」ということからこの名前となっています

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奥ノ院があったのですが足の状態がよくなく行きませんでした
元道に戻り酒船石に行く
10.
酒船石  さけふねいし

高い丘の上にある花崗岩の石造物。主軸はほぼ東西で、現存の長さ約5.5メートル、幅(南北)約2.3メートル、厚さ約1メートルであるが、北と南の一部が欠けている。皿状のいくつかのくぼみとそれを結ぶ溝が刻まれている]。酒を造る道具、あるいは薬などを造るための道具とも言われ諸説あるが定かではない近くに水を引いたと見られる土管や石の樋も見つかっていることから庭園の施設とも言われている。欠けている部分は後に何かに流用したらしく、上面の造形を無視した石割の跡が見られる。欠けた部分には石割用の工具である矢が打ち込まれた跡があり、同じように石を割ろうとした痕跡が鬼の俎にも見ることができる。高取城を築く際に、石垣用の石材として利用しようとしたためとみられる。1927年(昭和2年)48日、国の史跡に指定された


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石垣跡
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酒船石から北西方向50m程の斜面に、砂岩の切石を積んだ石垣が発見されたのは平成4年(1992)のことである。斉明天皇2年是歳条に「宮の東の山に石を累ねて垣となす」とあり、出土した石垣はこの記載と結びつけて斉明天皇の時代(655~661年)の遺構という説が有力となった。書紀には、石上山(いそのかみやま=天理市)から、渠(みぞ=運河)を掘り船200艘で石を運んだとされる。実際、出土した砂岩は天理で産出した石である。<o:p></o:p>

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明日香路の旅 3

2012-11-02 14:49:01 | まち歩き

7板蓋宮遺跡
 石敷遺構などを復元 曽我入鹿暗殺の地
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皇極天皇の住居である板蓋宮と伝えられる
 
近年の調査では3時期の宮殿遺構が重なった複合遺跡の可能性がされている
 
曽我入鹿が殺害(乙巳の変)ところでもある
石敷井戸
飛鳥京跡といえばこの遺構を指すことが一般的でありン、昭和38年にこの大井戸の発見された板蓋宮伝承地は明日香の中心地
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近くにに万葉歌の石碑

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石舞台古墳
巨石を積み上げた飛鳥のシンボル古墳<o:p></o:p> 7世紀初頭の築造と言われる日本最大級の上円下方墳墳丘の盛り土がなく、横穴式石室が露呈している<o:p></o:p>

  約30の岩からなり天井の石の重さ約77t
上面が平らで舞台のように見えるためこの名がついた
 
被葬者は明らかでないが飛鳥の豪族、曽我馬子の墓と伝えられている
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 いつの時代か旅芸人がこの石の上で舞を披露したといわれて名をつけられたらしい
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右側が入口
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中に入ると広い 周囲には排水の為の溝が掘られている
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天井部
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この中に入っていたらしい石棺のレプリカ
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説明文
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石舞台古墳に行く途中街中を歩く
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つづく

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明日香路の旅 2

2012-11-02 14:13:36 | まち歩き

大阪の宿舎(サニーストンホテル)8時に出発
ホテルの前観光バス

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明日香村の駐車場から橘寺に行く途中に
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文字の庚申塔

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橘寺
天皇の離宮を改造、聖徳太子生誕の地に建つ<o:p></o:p>
 

 聖徳太子建立の七寺のひとつ<o:p></o:p>

 

 寺伝では聖徳太子生誕の地という<o:p></o:p>

 

 7世紀後半の建立と言われている
 
66棟もの堂宇を有する四天王寺式ギャラン配置の壮大な
 
寺だった 本堂に聖徳太子坐像を安置<o:p></o:p>

門を入ったところに信者の皆さん寄付金石碑が並んでいた
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本殿前の聖徳太子の愛馬の寄贈塔
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本殿前の石燈籠
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本殿左側に二面石
善と悪の両方の顔と呼ばれている 寺の説明では、表と裏で人の心の
善悪二業一心を表しており、人間の善悪を石に具現化した物である
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五重塔の礎石 この模様が寺の名前の由来と言われている
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三光石
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梵字「あ」の字に似せた池 聖徳太子が造ったといwれる

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西門(正門)
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近くの道沿いに「きうい」が実っていた
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聖徳太子の生誕の地石塔
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続く


















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