161cm

切り上げ

転用

2008-02-02 19:53:14 | Weblog
某所で書いたものだが、われながら冴えてる気がするので、ここに転用する。


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どんぐりころころ どんぶりこ
お池にはまって さあ大変
どじょうが出て来て 今日は
ぼっちゃん一緒に 遊びましょう

どんぐりころころ よろこんで
しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと
泣いてはどじょうを 困らせた


この童謡、よくよく考えてみると謎に満ちた部分が多くあります。例えば、どんぐりが池にはまって大変だと騒いでいる最中に、一緒に遊びましょうというどじょうは空気が読めないというもおろかなりでしょう。しかも大変なはずのどんぐりは喜んで一緒に遊ぶのです。そんな簡単に抜けられるならはじめから大変とか言うな、とこういった具合に整合性に欠きます。これはどのように解釈すべきなのでしょうか。
この歌詞を一通り見て、どんぐりもどじょうも人語を解しているので、どちらも人間を象徴的にあらわしたものだと推察されます。仮に団栗さんと泥鰌さんとします。

冒頭で団栗さんはころころして、どんぶりこします。後の記述からどんぶりこは「お池にはまった」ことの言い換えでしょうが、問題はころころです。転がっている擬音とは考えにくい。人間がころころと転がるのはなかなか不自然ですから。これはおそらく感情表現です。ころころと笑う、という表現がありますからね。団栗さんはころころと笑って、転落して「お池にはまった」のでしょう。とすれば「お池」はネガティブなイメージをまとったものであるのが自然です。これはお水、すなわち水商売を指すと考えられます。こう考えると「はまった」と「さあ大変」の意味も納得いきます。
つまり、団栗さんはそういったお店に繰り返し出入りし大いに遊びまわりとうとう金が底をついた、と。
こうなった人のすることはたいてい決まっています。借金です。そして借金をしてまで遊びを続け、最終的に窮地に立つ。そこに登場する泥鰌さんはどう考えても借金取りです。そしてこう言うわけです。
「坊ちゃん……一緒に、遊びましょう」
無論、これは字義通りではないでしょう。普通に考えるとこれは脅し文句です。つまり「おいこら小僧……お前、ちょっとこっちこいや」といって手招きして数発ぶちこんで最終的に髪の毛をつかんで「次はないと思え」というあのパターンです。
しかし二番で団栗さんは喜んでいる。無論そんなことされて喜ぶのは尋常ではない。ここれは泥鰌さんは団栗さんに対して救いの手をのべた、と考えると自然です。但し泥鰌さんは自分が損をしてまで団栗さんを許してあげるはずがありません。このとき、団栗さんと泥鰌さんの利害は一致していなければなりません。つまり団栗さんは「借金を返せる」、泥鰌さんは「借金を回収できる」。その手段が「一緒に遊ぶ」ということです。分かりましたね。そうです、「団栗さんが泥鰌さんの仕事を借金分だけ手伝う」ということです。
おそらく泥鰌さんの仕事は借金取りだけではないでしょう。いろいろなお仕事をなされていることと思います。そのお仕事にはさまざまな危険が伴っているでしょう。しかし団栗さんがやらされたことに表面的な危険は伴わなかったと思われます。話を聴いた段階では、借金返済と天秤にかけて喜べたのですから。
ですがその内、その危険が分かり始める。しかしもう既にその時点では手遅れです。この場合のお山とは「どんぐりにとってのお山」ですから、「故郷」のことでしょう。おそらく団栗さんは上京して夜遊びをしった口であったために、この経験で東京の恐ろしさを知り「あの懐かしきふるさと、あそこに戻りたい」と泣くわけです。大の男が泣くとも思っていなかったでしょうから、さすがの泥鰌さんも困ってしまいます。なだめすかして仕事を続けさせる、とこういうわけです。

最後にまとめてみたいと思います。

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 この春、就職のために上京してきた団栗は、仲よくなった先輩から夜遊びを教えてもらい、それからというもの、毎日のように夜の街で豪遊していた。生まれ育った故郷では勤勉な男と評されていた団栗ではあったが、こういった型の男にはよくある話で遊び始めるととまらなかった。瞬く間に金が尽きたがそれでも彼はあきらめず、サラ金にも手を出した。そしてついに自宅に借金取りが現れたのである。
 男は泥鰌だと名乗った。団栗にも本名ではないと分かった。泥鰌は団栗のことを坊っちゃんと呼んだ。確かにこの男から見れば自分は子供同然だろう、と団栗は思った。
 泥鰌はひとつの提案をした。自分たちの仕事を手伝ったら借金を帳消しにしてやろう、と。仕事はある荷物の運搬だ。自分たちの指示通りに動けばいい、危険も伴わないという話だった。団栗はその話に飛びついた。
 しかし、団栗はその決断をやがて後悔するようになる。数度目の仕事で、自分の運んでいるのはクスリだ、と聞かされたのだ。団栗は自分がとんでもない愚か者だったと気付いた。そうなると故郷にいた頃の幸せな生活が思い浮かぶ。あの頃に帰りたい、という思いは強くなるばかりで、やがてその思いは時間も場所も選ばないで団栗を襲うようになった。泥鰌の前でも何度か泣いて手を焼かせた。
 帰りたい。その思いはいつ実現するのだろう。いつまでも実現しないだろう、ということにだんだん気付き始めている。
 今日、団栗は自宅の梁の強度を確かめ終えた。これからロープを買いに行くつもりである。

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