うすい山荘は、
天然の車えびにこだわっておりますので、
季節や時期により、若干サイズの大小がございます。
ご予約くださいませ。
※長文ですが、最後まで、読んで頂ければ、とても幸せます。
タウンページの
うすい山荘のなりたち
臼井(うすい)家の歴史をクリックしてしてください。
店主、臼井 博隆
定休日
1月 不定休
2月1日(月曜日)からしばらくの間(3月上旬予定)お休みさせていただきます。
3月 不定休
※ご来店の際は必ずお電話にてご連絡をお願いいたします。
お得情報・うすい山荘(天然車えび料理専門)
1月15日より、1月31日まで、
フライコース 5,300円➡4,700円
ミニフライコース 3,500円➡3,100円
個室(5部屋)の為に、
予約優先、
お電話、お待ちしております。
2月1日~2月28日迄、
お休みさせて頂きます。
3月より、通常営業致しますので、
宜しくお願い致します。
ご来店の際は、必ずお電話にて、ご連絡を、お願い致します。
昼の営業は、11時~14時迄、
夜の営業は、17時~20時迄、(L.O 19時)
夜の営業は、予約のみの営業とさせて頂きます。
うすい山荘は、
創業48周年目(昭和48年から営業し現在に至る。)
家内と私で天然車えびを使った
ランチ・ビジネスランチ・贅沢ランチ・彩りコース・ミニフライコース・ミニ塩焼きコース・ミニフルコース・等々を開発し、
お食事ができるようにうすい山荘で提供を始めました。
当時(昭和48年)は天然車えび料理を、知らない人がほとんどで苦労の連続でしたが、
これでもかと、私は、いつもプラス思考、後ろを振り向かない精神で営業しておりました。
昭和58年9月18日日曜日の西日本新聞社(福岡)の朝刊1ページに大きく取り上げていただき、(うすい山荘のみの記事です。)
掲載されたのをきっかけに、
旅行観光会社の大手JTB さま、とも提携結果、
あらゆる新聞社が問い合わせにきました。
執筆者は、吉田記者(元・福岡県知事)
西日本新聞社、朝日新聞社、毎日新聞社、西日本スポーツ、日刊スポーツ、九州スポーツ、スポニチ、等、
私は、あらゆる新聞社に行きまして記事になりました。
福岡のラジオ番組、もでました。
天然車えび料理専門、うすい山荘が、全国的な車えび一代ブームとなりました。
これから、車えび料理がブームとなり、今でも、この味が忘れられないで来る人が、堪えません。
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※臼井氏由来記
九州筑前国の「臼井氏由来記」を転記する。
臼井氏の祖が臼井常安であることは、どの文献においても変わりない。
臼井の名は常安の代に現在の千葉県印旛沼の近くの臼井庄を領したところから始まった。
臼井の地名は現在も残っており、常安は1114年(永久2年)にここに居を構えたという。
臼井(うすい)氏は本姓は千葉といい平氏である。
祖先は桓武天皇から出た天皇の御子 葛原親王(かずらわらしんのう)である。
葛原親王は四品に叙して式部卿となった。
葛原親王の子は高見、孫は高望という。高望は平氏の姓を賜り上総介となる。
高望には四人の子があって、國香・良将・良兼・良文といったが、武士となって東門守介或いは鎮守府将軍を任ぜられる。
國香の子は貞盛、良将の子は将門である。
良兼は上総介であり、すなわち 臼井家の元祖である。
良兼の妻は右大臣菅原道真公の娘で道真公左遷の時 父を慕って播州まで後を追った。
曽根相公はその孝に感心し、道真公の画像を 写して娘に授けたという。
これが千葉家より臼井家に伝わっている。
約1300年の歴史を持つ・・・。
臼井氏は千葉一族のなかでも最も古く、
平安時代後期に千葉氏から分かれた一族である。
同じころに千葉氏から分流した白井・匝瑳・海上氏などが勢力を衰えさせたのちも、
印旛郡臼井庄の臼井城(千葉県佐倉市臼井田字城内)を中心に栄えた。
臼井城は、志津城(佐倉市上志津字御屋敷)・
岩戸城(印旛村岩戸字高田山)・
師戸城(印旛村師戸)といった支城を持ち、
臼井氏は一族や重臣を派遣して守らせていたという。
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たくさんのお客さまに車えびをご賞味いただけるようになり、
遠方や地元のお客さまに支えられて現在に至っております。
山口県秋穂の車エビ料理を有名にしたのは母親、店主・博隆、家内の3名と自負しております。
今後とも山口県秋穂の天然車えびと私どもうすい山荘を宜しくお願い申し上げます。
天然車えび料理専門うすい山荘
全室個室で快適に車えびをご賞味いただけますよう、当店は予約制となっております。
(ご来店の際はご予約で満席の場合が有り、事前にお問い合わせ下さい)
TEL:083-984-2426
昼の営業は、11時~14時迄、
夜の営業は、17時~20時迄、(L.O 19時)
夜の営業は、予約のみの営業とさせて頂きます。
完全個室で快適にうすい山荘自慢の天然車えび料理をご賞味いただきたく思っておりますので、
お早めのご予約をお願いいたします。
天然車えび料理専門うすい山荘では、天然の車えび一筋にこだわっておりますので、
季節や時期により、若干サイズの大小がございます。
ご予約くださいませ。
店主、臼井博隆
うすい山荘は
★1983年、昭和58年年9月18日日曜日の西日本新聞社(福岡)の朝刊1ページに大きく取り上げていただき、掲載されました。
執筆者は、吉田記者(元・福岡県知事)
当家のルーツは九州にて17代、山口県秋穂で10代、計27代続く医師の家系です。
1623年に、山口県山口市秋穂の地で
臼井(うすい)医院として開院し400年近く続きました。
山口県秋穂(あいお)で12代目当主、臼井博隆(うすい山荘2代目)、九州から数えると私が、臼井家29代目にあたります。
医業と車えび料理…かけ離れているようで、当地・秋穂の風土への愛着に基づくことには変わりありません。
幼い頃に医師であった父を、そして戦争で多くのものを失った母が一念発揮して開いた当店。
妻と引き継いだ時には秋穂名物の・車えびは、養殖・天然ともに知名度が低く「なにもない」と言えるような状態でした。
しかし皆様のお力添えもあり、今ではお客様が増え、現在では「この味が忘れられない」と重ねてご来店になるお得意様が絶えません。(2020年11月現在)
福岡県福岡市の西日本新聞社のうすい山荘の日曜版の記事が西暦1983年、昭和58年9月18日に出て以降、
西日本新聞社、朝日新聞社、毎日新聞社、西日本スポーツ、日刊スポーツ、九州スポーツ、スポニチ、等、
私は、あらゆる新聞社に行きまして記事になりました。
福岡ラジオ番組、もでました。
福岡県福岡市の博多駅のコンコースで水槽が置かれて、活き車えびが展示されたことがありました。
私博隆と妻2人で全国的に車えび料理を有名にすることができました。
今から、36年前です。
タウンページうすい山荘検索してもらうと幸せます。
ちなみに当家は日本を代表する
シベリアシリーズ画家、香月泰男さんと
日本画家小林和作さんとも縁続きで、
二人の作品は山口美術館に常時展示されております。
小林和作さんは出生地も秋穂でありますので、
画家の足跡を訪ねにおいでになりましたら
是非当店にもお立ち寄り頂けたらと願っております。
天然車えび料理専門、うすい山荘
電話・083-984-2426
珍しい手相
当主、臼井博隆は、占師の方に「大変まれで珍しい吉相だ」と言われたぐらいの手相をしてるそうです。
「ますかけ線」しかも両手にあるみたいです!!
片手では1000人に1人で、両手では10,000人に1人持っているぐらいの手相だそうです。
他にもラッキーM字線や神秘十字線、俵線、運命線、太陽線、財運線、仏眼線(3眼線あります)などあり、
私もビックリしております。
車えびの美味しさと一緒に、幸運もおすそわけしたい!!そんな気持ちで、皆様にご提供しております。
天下取りの相『ますかけ線』
手相の主要3線の知能線と感情線が一緒になり、
生命線の始点から横一直線に伸びている線がますかけ線です。
片手にある人は100人に数人程度居るそうですが、
両手ともにますかけ線がある人は1万人に1人とも言われる珍しい線です。
この手相は、一度つかんだ物を離さない大変な強運の持ち主。
また、天下取りの相ともいわれ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人は、このますかけ線だったと伝わっています。
ご先祖様に守られている証『神秘十字』
神秘十字とは、その名の通り、十字に入った線なのですが、
感情線から知能線の間にあるもののことを言います。
こちらの線は、信心深い人や神秘的なものに関心が高い人に現れる手相で、
実際占い師やスピリチュアルな仕事をされている人に多いとされています。
また、ご先祖様に守られている証とも言われ、
知らず知らずのうちに災難や事故が回避できたり、あったとしても軽傷で済んだりということもあるようです。
霊感が強い人は親指に目を持っている『仏眼相』
親指の第一関節のところに、目のような形で現れるのが仏眼相。
インスピレーションが働き、霊感も強い人といわれる手相です。
また、記憶力が優れている人や直感力がある人にも多く見られます。
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