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墓守り

2021-10-16 12:09:00 | 日記
俺があの世に逝ったあと、お世話になる予定のお墓が実は3つもある。その三箇所の墓を今、俺は守っている。
埼玉の奥の方にある森林公園駅の側にある霊園に2基、それから市内の三室にある霊園にも1基、計三箇所の墓守りを俺は仏さんから仰せ遣っているってわけだ。

3つの墓のうち、一番古い墓は俺を大切に育ててくれたばあちゃんが亡くなった時に建てたお墓。
祖母が亡くなった時、親父が遠いところにお務めに行っていたため、俺が喪主である親父の代理として葬儀を執り行ったのだが、祖母は亡くなる少し前にポツリと俺にこんなことを言った。
「あたしが死んだら田中家の墓には絶対に入れないでおくれよ」

祖母は若い頃、向島で芸者をして生計を立てていたそうだ。聞けばかなり苦労したらしい。そこに俺の親父の父親が遊びで通っているうちに良い仲になり、置き屋から祖母が借りている借金を肩代わりして家に連れて帰り、後添えにしたらしい。とは言え、当時祖父には本妻がいたのだが、祖母を連れて帰って一年ほどしてその本妻は亡くなってしまったそうだ。
そしてめでたく祖母は正式にじいちゃんの妻として田中家に迎え入れられたってわけだ。
しかし、祖母がじいちゃんに引き取られてから本妻が亡くなるまでのおよそ一年、祖母は、針の筵に座らされている気分だったと言う。

本妻と祖母の仲は、当然と言えば当然なのだが、お互い口も聞きたくない、顔も見たくないという犬猿の仲。その二人が同じ家に住んでいる。しかも祖母が田中家に入って一年もしないうちに本妻が突然亡くなってしまったというのだから、祖母から当時のことを事細かく聞かなくても、祖母にとって田中家がどれほど居心地の悪いところだったのかは想像がつく。

だから祖母は絶対に田中家の墓には死んでも入るものか、と固く心に決めていたらしく、親父が社会不在だったから、祖母は自分の死期を悟って亡くなる前に俺に明かしてくれたのだろう。
だから俺は亡くなった祖母のために墓を建ててやった。
俺の叔母(親父の姉)が森林公園の方に住んでいたので、俺の住まいからはだいぶ遠くて不便だったが、足の悪い叔母がいつでも自分の母親の墓参りができるようにと、叔母の家から歩いても行けるところに建てることにした。 
祖母一人じゃ可哀想だから、俺が死んだらそこに入れてくれと、俺の妻に頼んでおいたのだが、その妻も16年ほど前に亡くなってしまったのだが。

祖母が眠っている墓にはその後親父が入った。親父が亡くなった時、今度は俺が社会不在だったため、親父の片腕で、組織の代行を務めていた、俺が唯一「兄貴」と呼ぶ人が、親父の葬儀一切の施主をやり、その兄貴の判断で祖母が眠る森林公園の墓に親父を葬ってくれた。

その後、俺の愛妻も亡くなってしまったのだが、3歳年下の俺の妻は、地元では不良少女としてブイブイ言わせていた。
その妻がまだ15〜16の小娘の頃から、どうしたわけか俺に懐いて、街中で俺と会うたびに「お嫁さんにしてね💕」と、人目を憚らず俺の嫁になるのが私の夢、みたいに口癖のように言っていたが、その通りになってしまった。

そんな女房に先立たれ、遠くの墓に入れるのはどうしても忍びないので、思い出したらいつでも線香を手向けに行けるようにと、俺が住んでいるところからそう遠くない、市立病院の裏の方にある霊園に妻のために墓を建てることにした。

そして三つ目の墓は、祖母と親父が眠る田中家の墓のすぐ隣に建つ、国仲家の墓だ。
そもそも叔母の夫(俺の叔父さん)が亡くなった時、叔母が建てた墓が森林公園の霊園だったので、祖母が亡くなった時叔母の家の墓地の隣がたまたま空いていたので、そこに祖母の墓を建てたのだ。

その叔母夫婦には子供がいなかったので、実は俺がまだ幼少の頃、俺を叔母の家の養子に迎える話になっていたらしいのだが、親父が俺を手放さなかったため、その話は流れたらしい。
叔父さんはあの有名都立校、日比谷高校で定年を迎え、定年後は天下りで体操協会の理事をやったりした人で、また、叔母さんも定年まで中学校の教師をしていたのだが、そんな教育者の家に養子にもらわれていたら、俺の人生はどんなだっただろうかと、たまに思いに耽る時がある。

結局叔母夫婦は子供を授かることなく年老いて行き、国仲家の墓守がいないので、生前叔母から俺は墓守を頼まれていた。
なので国仲家の墓守も俺が任されているというわけだ。
だから俺が死んで荼毘に付されたら三等分に分骨して、俺が墓守をしてきたところに均等に埋めてもらおうと思っている。

俺が建てた二ヶ所の墓石の裏には赤い文字で「田中正道」と、俺の名前が彫られている。建立者の俺が生存している間は俺の俗名が赤い色で彫られているのだが、あの世に行ったら赤い文字の俗名が削られて、消したところに戒名が刻まれるそうだ。
近年では戒名を坊さんに付けてもらうのではなく、生きているうちに自分で戒名を考える人が増えているらしい。俺も自分で俺らしい戒名を考えておこうと思っている。
そろそろ準備をしておかなくてはと、実は既にいくつか候補は考えていて、妹に預けてあるのだ。
備えあれば憂いなし。笑

しかし、三箇所も永眠できるところがあるなんて、ただ眠ってるだけなのに贅沢だな、と思う。
墓参りする子供達には少々大変な思いをさせるかもしれないが、俺って奴は、死んでも尚、迷惑をかけ、欲に駆られるってわけか。
煩悩の塊のような俺には、そんな程度がお似合いなんだと思う。笑

そんなことを思い出しながら、天気が良かったのでご先祖様へご挨拶。

日本共産党についての考察

2021-10-16 12:07:00 | 日記
ひるおびでコメンテーターが「共産党は暴力的な革命を党の要綱として廃止していない」などと発言し、番組スポンサーが降板するなど物議を醸している。
これを機に日本共産党の暴力革命について、Facebookでもあちらこちらで議論が展開されているが、議論に参加している共産党員と思しき人たちの多くは、
「共産党と暴力革命をセットにして政府が共産党潰しを企み、マスコミがそれに乗っかって大騒ぎした結果、共産党は破防法に基づく調査対象組織に認定されたことで悪い印象を植え付けられてしまった」
みたいな反論をし、共産党は暴力革命など考えたこともなく、またこれからも暴力を持って革命を起こすことはない。共産党は何も悪くないと言うことをことさらに強調する。

いずれにしても過去の暴力革命路線を掲げていた事実は歴史上確かにあったわけで、それについての総括をせず、過ちも認めず、反省もしない。
過去の共産党の歴史を偽りなく総括した上で、平和路線への方針転換を明確に説明すべきだったのに、未だにそれができていない事が問題だと私は思うのだが。

まあ、こう言う主張を私がすると、返ってくる言葉は、
「暴力事件を起こしたのは共産党から弾かれ、出て行った者たちが勝手にやったことで、共産党が起こしたわけではないし、指示したわけでもない。一部の暴挙のために共産党は多大な迷惑を被っている」
などと主張するのだが、ヤクザの抗争事件で組織ぐるみの犯罪を捜査当局が立証しようとする時、捜査当局から組織を守るためにやむなく事件を起こした鉄砲玉を破門にすることがあるのだが、共産党の主張はそれと何ら変わらないのであって、しかもその主張が正しいと思い込んでしまっているから厄介なのだ。

共産党は間違っていない、正しいのだと言う主張は、社会主義や共産主義といった宗教的政治思想を運動に持ち込んだ結果の必然的帰結な訳で、そのため今も尚、多くの市民運動の先頭には共産党系が蔓延り、共産党なくしては市民運動を語れないと言う風潮になってしまっている。
これも本当に困ったことなのだが、それを誰も指摘しないから共産党は正しいとされてしまうのだ。
反省がないのだから進歩も望めないのであって、共産党アレルギーを持つ人の多くは、共産党のこうした体質が気持ち悪いと考えるのではないだろうか。

そもそも武力による革命は悪だと言う考えが、共産党の過去の歴史を語ることさえできなくさせてしまい、共産党を支えて来た幹部党員の根底に武力による革命は認めないと言う考えが根付いてしまっていて、その結果、過去の歴史を綺麗事で終わらせようとして、真実を語れなくなってしまったのだ。

これまでの歴史の中で暴力革命を肯定せざるを得ない時だって実際には何度もあったはずだし、それが起きた時はその行動は正義だったはずだ。時が経ち、今思い起こすから、あの時のことは過ちだったと気付くことができるわけで、それを否定するから、未だに過去の総括も出来ないでいるのではないのか。
自民党が大戦後の慰安婦問題を始めとした歴史的な大罪を認めることができないために平和外交という国家にとって一番大切な部分を怠り、公に認めさせないために教科書を書き換え、歴史修正しようと目論むのと何ら変わらない気がする。

今は平和路線の王道を行く共産党だが、差別問題も、障害者の諸問題も、原発の問題についても共産党の主張は一貫しているとは思えないが、思考や思想はある時突然変わることだってあるのだし、変わることで進歩する場合だってあるのだから、何も恥じることではないはずだし、真実を語ることができるからこそ、その先に正義があるのであって、共産党の主張は全くブレていないということをことさら主張する必要はないと思う。
しかし、ひるおび発言を受けて小池晃書記局長が
「だいたい、志位委員長とか、私の顔を見てほしい。暴力革命の党に見えますか? 極めて平和的な人間だ。根拠のないデマを打ち返していこう」
と声を張り上げていたが、根拠があるからデマになるのであって、火のないところに煙が立つことはあり得ないのだ。

そう言えば、確か60年前にソ連の核はきれいな核だと核を肯定した事もあったわけで。笑


政権交代に向けて

2021-10-16 11:53:00 | 日記
左派リベラルは、理念理想は高い。
しかし、いくら素晴らしい理念を抱いていたとしても、政治の世界に於いては、国政の政権を担わないことには、いくら素晴らしくてもその理念思想が世に出ることは無い。

政権を担う与党はどうか。
ほんの70数年前には敵国と定めて命懸けで凌ぎを削り、そして敗れ、我が国を地獄のどん底へと突き落とした憎き大国に寄り添い、対米従属を是とするような売国政党が戦後長きに渡ってこの国を支配している。
理念理想よりも金権利権に魅了され、国民や国益ではなく、国家と己を守ることにだけ力を注ぐ。
そんな浅ましい、金権まみれの、何よりもお金が大好きという下衆どもにずっと私たちは負け続けてきた。

理念理想がどんなに素晴らしいものでも、お金で繋がっている結束力にはどうしても勝つ事ができない。

何故勝てないのか。

絵に描いた餅は、食べたくても食べられない。腹が減ってもその空腹を満たす事ができないからだ。どんなに素晴らしい、万人が認める政策や理念を訴えたところで、絵に描いた餅では腹の足しにもならないという事だ。

「金なんかよりも、もっと大切なものがあるだろう!」
なんてリベラルを気取る人ほど口にするが、ただ単に金がないから悔しくて叫んでいるだけ、単なる負け犬の遠吠えに過ぎない。
権力者たちはそんなことはお見通しだ。それが分かっているから、一度政権を手にしたら、何があっても手放さない。
奴らには、お金という紙切れがどれほど己の窮地を救ってくれるのかをよく弁え、心得ているのだ。
金の切れ目が縁の切れ目というが、切れ目がなければ、縁というものは永遠に続くのだということを、しかも、より強い縁が構築されることを奴らは経験則として、ちゃんと学んでいる。
「金なんかよりも、もっと大切なものがあるだろう!」などと現実逃避しているうちは政権奪取なんて夢のまた夢。

奴等にとって、金よりももっと大切なものにしがみつく我々のことなんて、全然怖くもなんともないって訳だ。
だから戦わずして、どちらが勝つか、どちらが負けるかなんて、もうこの時点で決まったようなもの。

権力を守る側と、権力を奪う側とでは、本来ならば攻める立場の奪う側が強いはずなのだが、しかし答えはいつもその逆。
奪うからには犠牲だって払わなくてはならないし、死に物狂いで、命懸けで権力を奪い取りに行かなければ奪えるはずがない。
しかし、非暴力を是とし、平和が一番だなどと戯事を言っているうちは、悔しいけれど奴等から権力を奪うなんてことは有り得ない。

何よりも平和が一番に決まっている。平和こそ最強なのだ。
だからこそ、その平和を手に入れるために、今戦わなくていつ戦うのだと、私は強く訴えたい。

無傷で奪い取るなんて甘いことを考えていれば、奴らの思う壺だ。無傷で勝とうなんて思っているうちは勝てる訳がない。
革命には犠牲がつきものだろ?
奪う側はもっと凶暴でなくてはならないし、もっと強欲になるべきだ。
(文責・田中正道)

個性についての考察

2021-10-16 11:50:00 | 日記
最近個性について考えさせられたことがあるんですよ。
自由ということについて、深く探求していた時にちょっとね。

自由や個性ってとても大事なものではあるけれど、そこは揺るぎない思いがあるとして、しかし、その個性というやつはとても面倒臭い代物なんだ、と言うことに今更ながら気がついてしまったのですよ。

個性の塊のような俺が言うのもなんだけど、世の中には個性なんかいらない、あったら嫌だ、と言う人、結構いるんじゃないかな、と思った。
だって個性って、本人が長い人生の中で死ぬまで付き合わなきゃいけないわけだよね。
だけど、その個性が自分にとっては好ましくない、気に入らないものだったとしたら、顔見ただけでヘドが出る古女房と死ぬまで一緒にいなきゃいけないようなもんで、ちょっと堪え難い気がする。笑

これは俺に限ったことかもしれないけど、世の中に個性なるものがもしも存在しなければ、どれほど楽に生きられたかな、とか。
個性というものがこの世に存在しなければきっと上下関係とかも今とは全く違う形のものになってた気がする。

人の好き嫌いだって今よりはずっと少ないはず。摩擦や争いの原因の多くはその個性というものを主張するがためのものが圧倒的に多い気がするし。

俺を含めて、活動や運動をする人たちが政府に対して抗う大きな理由のひとつに、権利とか自由とかを国家や政府に奪われかけ始めたことがだんだんわかってきて、こりや、たまらん!とばかりに声を上げている人が多いよねえ。
原発問題だって沖縄の問題だって、人権とか自由とか、結局そこにたどり着く。

そうそう、権利や自由に加えて今日のテーマでもある個性も。個性を取り戻せ!とは言わないと思うけど、個人の尊厳なんていう代物はまさに個性だと思うし。

そんな事考えてたらひとつ面白いことというか、恐ろしいことに気がついてしまった。
俺たちが権力者から奪い返そうとしている権利とか自由とか個人の尊厳とか、これって全部形がなくて目に見えないものばかりなんだよね。
目に見えないものを俺たちは一生懸命追いかけて求めていたんだってことに今更ながら驚いてしまったよ、俺は。

この目に見えないっていうのが曲者で、自由とか個性とか権利なんて、人によって絶対に大きさや存在価値や受け取り方とか意義とか、全部違う筈だし。
その違うものを同じものだと思って一緒に追いかけ始めたって、いつか自分の求めるものがなんだかわかった時には、そりゃ、分断するわけだ。

そうか、なるほどね。
この運動って、仲間なのに仲間意識とかはとても薄っぺらだし、同じ方向性だと思っているのにいつの間にか違うことをやり始めたり。
社会運動とか大衆運動とか、やればやるほど人が集まってきてもいいようなものなのに、人が増えれば必ず分断していく。
何故? っていつも思ってたが、分断は自然の摂理だったってことか。

だって求めるものが人によって微妙に違ってるんだもの。
人それぞれ求めるものが違うんだから分断するに決まってる。
当然人が集まるところほど同じ方向性の人を見つけやすいから人が増えれば分断が起こる。

俺は分断こそ罪だなんて今の今まで思ってたけど、そうした観点から捉えると全く違うものが見えてくる。
分断というのはそれぞれが自分たちの求めるものに向かうための発展的な解消だったのだ。
分断は罪どころか、当事者にとっては大きな進歩なのかもしれない。

ひとつ言えることは、いつの時代にも俺たちが求めてきたものは人によって違うものだったんだっていう事。
しかも形がなくて見えない代物だから、時には意見の違いで喧嘩になったり分断したり。

結局長い歴史の中で未だ勝ち取ることができないでいるのは至極当然のことなんだよ。
そりゃ、勝ち取れるわけがない。
俺たちが求め、欲しがっている代物はとてつもなく大きくて、下手したら無限大のものなんだ。
しかもみんなが少しずつ違うものを求め、そこに向かってる。
そんなもの、何百何千年かかったって手にできるわけがないわ。

その大きさの違うものが万人に与えられ、そのくせ、法の下に平等とか言うけど、いったいどこらへんが平等なのかしらん。

学ばないのが一番幸せなのかもしれない。
学ばなければ現状平和だし、幸せだし、権利とか自由とか個人の尊厳とか、そんなややこしいことも考えなくても何ひとつ困ることもないし。

そんなことを探求し始めると、俺の頭の中の思考回路がショートし始めて、迷路にどっぷり浸かって抜け出せなくなってしまうのだ。
今、まさにそうなり始めてる。

だんだん書いてるうちになんか頭くらくらしてきたので頭休めまーす。笑

9.11回顧録

2021-10-16 11:48:00 | 日記
朝、臨時ニュースが流れてきた。世界貿易センターに旅客機が突っ込み、およそ3000人の尊い命が奪われ、多くの犠牲者を出した、20年前、9.11同時多発テロが勃発した。
葛飾区小菅にある東京拘置所内で放送されるラジオでこの悲報を耳にした私は、大きな衝撃を覚えた。

施設内では色々と自由が制限されてはいるが、この拘置所に居るうちはまだあくまでも推定無罪の原則からまだ犯人扱いではなく、被告人として扱われる。だからラジオは起床後から就寝までほぼ流れているし、新聞は一般大手紙は回覧されて読めるし、スポーツ紙も外から差し入れて貰えば毎日きちんと配達される。週刊誌も読みたければ週に3冊まで購入できる。
とはいえ、不自由この上ないのだが。

だからアフガニスタンはタリバン新政権が発足し、アメリカと何やらきな臭い雰囲気が漂っていたことも、大手紙の社会面を読んでいたのでそれなりの知識はあった。
しかし、ラジオから流れてくるアナウンサーは頻繁に「事故」と言う言葉を使っていたが、
「とうとう始まったな」と私は思った。
我が国が稚拙な思考から真珠湾を奇襲した時のように、タリバン側が無謀とも言える戦いを仕掛けてきたのではないかと私は考えた。そしてその数分後、確信した。2機目の旅客機が同ビルに突っ込んだことがラジオの臨時ニュースでアナウンスされたからだ。

この東京拘置所で戦争が勃発したと言うアナウンスを聞くのはこれで2度目になる。1度目はこのさらに10年前、
「本日、湾岸戦争が勃発しました!」と興奮気味に伝えるアナウンサーの震える声が聞こえてきたのも、やはり東京拘置所のラジオから流されたアナウンスだった。この時も大きな衝撃を受けたのは言うまでもないのだが、この平和な地球の何処かで今も戦争が起こっている。わが国もいずれ若者たちが武器を担いで駆り出される日が必ず来るに違いない、そんなことが呆然とだが、頭をよぎったのを思い出す。

自由が制限され、人権なんてほぼ無いに等しい人里離れた刑務所という施設。人生のおよそ1/3の時間、施設での生活を余儀なくされた私が声高に人権差別について叫んでいるのは、障がい者やLGBT を抱えて生きてきた人たちと同じ、まさに差別された側の当事者だからだ。

しかし、この9.11同時多発テロ。実はアメリカ政府の自作自演なのでは、と思わせるCGの動画が公表され、話題になったが、それが陰謀論なのか、真相論なのか。答えは未だに闇の中だ。
(文責・田中正道)
*写真は友人のUS army