左派リベラルは、理念理想は高い。
しかし、いくら素晴らしい理念を抱いていたとしても、政治の世界に於いては、国政の政権を担わないことには、いくら素晴らしくてもその理念思想が世に出ることは無い。
政権を担う与党はどうか。
ほんの70数年前には敵国と定めて命懸けで凌ぎを削り、そして敗れ、我が国を地獄のどん底へと突き落とした憎き大国に寄り添い、対米従属を是とするような売国政党が戦後長きに渡ってこの国を支配している。
理念理想よりも金権利権に魅了され、国民や国益ではなく、国家と己を守ることにだけ力を注ぐ。
そんな浅ましい、金権まみれの、何よりもお金が大好きという下衆どもにずっと私たちは負け続けてきた。
理念理想がどんなに素晴らしいものでも、お金で繋がっている結束力にはどうしても勝つ事ができない。
何故勝てないのか。
絵に描いた餅は、食べたくても食べられない。腹が減ってもその空腹を満たす事ができないからだ。どんなに素晴らしい、万人が認める政策や理念を訴えたところで、絵に描いた餅では腹の足しにもならないという事だ。
「金なんかよりも、もっと大切なものがあるだろう!」
なんてリベラルを気取る人ほど口にするが、ただ単に金がないから悔しくて叫んでいるだけ、単なる負け犬の遠吠えに過ぎない。
権力者たちはそんなことはお見通しだ。それが分かっているから、一度政権を手にしたら、何があっても手放さない。
奴らには、お金という紙切れがどれほど己の窮地を救ってくれるのかをよく弁え、心得ているのだ。
金の切れ目が縁の切れ目というが、切れ目がなければ、縁というものは永遠に続くのだということを、しかも、より強い縁が構築されることを奴らは経験則として、ちゃんと学んでいる。
「金なんかよりも、もっと大切なものがあるだろう!」などと現実逃避しているうちは政権奪取なんて夢のまた夢。
奴等にとって、金よりももっと大切なものにしがみつく我々のことなんて、全然怖くもなんともないって訳だ。
だから戦わずして、どちらが勝つか、どちらが負けるかなんて、もうこの時点で決まったようなもの。
権力を守る側と、権力を奪う側とでは、本来ならば攻める立場の奪う側が強いはずなのだが、しかし答えはいつもその逆。
奪うからには犠牲だって払わなくてはならないし、死に物狂いで、命懸けで権力を奪い取りに行かなければ奪えるはずがない。
しかし、非暴力を是とし、平和が一番だなどと戯事を言っているうちは、悔しいけれど奴等から権力を奪うなんてことは有り得ない。
何よりも平和が一番に決まっている。平和こそ最強なのだ。
だからこそ、その平和を手に入れるために、今戦わなくていつ戦うのだと、私は強く訴えたい。
無傷で奪い取るなんて甘いことを考えていれば、奴らの思う壺だ。無傷で勝とうなんて思っているうちは勝てる訳がない。
革命には犠牲がつきものだろ?
奪う側はもっと凶暴でなくてはならないし、もっと強欲になるべきだ。
(文責・田中正道)
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