ところで、神一郎がアメリカ留学中(ハーバード大学)に、同郷の山本五十六(元越後長岡藩の藩士の息子で、後の連合艦隊司令官)と出会った可能性がある。
山本五十六は海軍大学校卒業後、1919年から2年間、ボストンのハーバード大学へ留学しているが、神一郎が帝大卒業(1920年)後、アメリカへ留学したとすれば五十六氏の滞在と重なる。
五十六氏は神太郎より14歳年上なので兄貴的存在であるが、二人がもしボストンで出会っていたとしたら、どんな話をしたのだろうか。
かつて、日露戦争の際の日本海海戦において、少尉候補生であった五十六氏は装甲巡洋艦「日進」に乗船してバルチック艦隊と戦っている。その海戦において、彼は左手の人差指と中指を欠損し、左大腿部に重傷を負った。
五十六氏はそんな思い出話をしたかもしれない。
また、欧州においては、第一次世界大戦(1914~18年)が終結した直後でもある。当然、これからの日本の将来などについても、二人の間で真剣な意見交換がされたことだろう。
また神一郎は、この留学中に素敵なアメリカ人女性と出会い恋に落ちた。そして結婚の約束をした。誠実でハンサムな日本男児の神太郎はアメリカ女性に惚れられてしまったのだ。
ともかく、当時世界の大国になりつつあった自由の国アメリカで、神一郎は若き青春の日々を過ごしていた。
この米国留学が、神一郎にとっては青春の輝きに包まれた最も幸せな日々であったかも知れない。
ところで、岩室中学で帰朝講演を終えた神郎は、その夜、実家で家族や親族達とくつろいだ夕食を摂っていた。
その時、神一郎は、近くの席で自分の話をジッと聞いている女の子に気付き、手招きした。
「ていこちゃん、こっちへおいで」
その子を抱き寄せて、隣のお膳に座っていたその子の父親に言った。
「この子が中学を卒業したら、私の所へ寄越しなさい。東京には女の子が勉強するための女学校が色々あります。この子にふさわしい良い学校へ上げてあげます。立派な人間に育ててあげますよ」
神一郎は、小学1年生になったばかりの女の子の頭をなでながら、そう言った。
その女の子とは春樹の母であった。
神一郎は母にとって叔父さんにあたる。
母の母親の弟が神一郎であったのだ。
母に貞子という名前を付けてくれたのも、神一郎であった。
続く・・・・・。