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クロの里山生活

愛犬クロの目を通して描く千葉の里山暮らしの日々

神童と言われた男-3

2014-08-08 12:13:55 | 日記

ところで、神一郎がアメリカ留学中(ハーバード大学)に、同郷の山本五十六(元越後長岡藩の藩士の息子で、後の連合艦隊司令官)と出会った可能性がある。

山本五十六は海軍大学校卒業後、1919年から2年間、ボストンのハーバード大学へ留学しているが、神一郎が帝大卒業(1920年)後、アメリカへ留学したとすれば五十六氏の滞在と重なる。

五十六氏は神太郎より14歳年上なので兄貴的存在であるが、二人がもしボストンで出会っていたとしたら、どんな話をしたのだろうか。

 

かつて、日露戦争の際の日本海海戦において、少尉候補生であった五十六氏は装甲巡洋艦「日進」に乗船してバルチック艦隊と戦っている。その海戦において、彼は左手の人差指と中指を欠損し、左大腿部に重傷を負った。

五十六氏はそんな思い出話をしたかもしれない。

また、欧州においては、第一次世界大戦(1914~18年)が終結した直後でもある。当然、これからの日本の将来などについても、二人の間で真剣な意見交換がされたことだろう。

 

また神一郎は、この留学中に素敵なアメリカ人女性と出会い恋に落ちた。そして結婚の約束をした。誠実でハンサムな日本男児の神太郎はアメリカ女性に惚れられてしまったのだ。

 

ともかく、当時世界の大国になりつつあった自由の国アメリカで、神一郎は若き青春の日々を過ごしていた。

この米国留学が、神一郎にとっては青春の輝きに包まれた最も幸せな日々であったかも知れない。

 

ところで、岩室中学で帰朝講演を終えた神郎は、その夜、実家で家族や親族達とくつろいだ夕食を摂っていた。

その時、神一郎は、近くの席で自分の話をジッと聞いている女の子に気付き、手招きした。

「ていこちゃん、こっちへおいで」

その子を抱き寄せて、隣のお膳に座っていたその子の父親に言った。

「この子が中学を卒業したら、私の所へ寄越しなさい。東京には女の子が勉強するための女学校が色々あります。この子にふさわしい良い学校へ上げてあげます。立派な人間に育ててあげますよ」

神一郎は、小学1年生になったばかりの女の子の頭をなでながら、そう言った。

その女の子とは春樹の母であった。

神一郎は母にとって叔父さんにあたる。

母の母親の弟が神一郎であったのだ。

母に貞子という名前を付けてくれたのも、神一郎であった。

 

続く・・・・・。

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神童と言われた男-2

2014-08-07 11:21:03 | 日記

神一郎の名付け親となった住職が住んでいた寺院

 

三井財閥の支援を受けて東京帝国大学で勉学に励んだ神一郎は、優秀な成績を修めて卒業し、更にその後、米国とドイツに研究のため留学する。

「神一郎さんが留学を終えて帰国し、岩室に里帰りした時は大変な騒ぎになったもんさ。駅では村中の人が日の丸の旗を打ち振って出迎えをして、楽団を先頭に行列をして神一郎さんの家までみんなで送って行ったもんだよ」

母は懐かしそうに時々そんな話をする。

 

その時、神一郎は岩室中学校の講堂で講演をした。いわゆる帰朝講演である。

会場は近隣の村や町から駆けつけた聴衆であふれ、新潟日報の記者も駆けつけ盛んに写真を撮った。

来賓席にはあの元校長も座っていた。その来賓席の末席には、緊張して座っている神一郎の父親の姿もあった。その手には妻(神一郎の母親)の遺影が握られていた。

紋付袴姿の村長の挨拶で始まった講演会は、時々ユーモアを交える神一郎の場慣れしたスピーチで会場は盛り上がった。

東京帝国大学を卒業し、アメリカとドイツでの留学を終え、立派に成長した神一郎が、堂々とした姿で村人達の前で話をしている。

父親は妻の遺影に語りかけた。

「おい、見えるか。我が息子のあの姿が見えるか。あんなに立派になって還ってきたぞ。まるで夢のようだな・・・・」

手元の手ぬぐいが涙でグシャグシャになっていた。

 

来賓席の村長と校長が、講演する神一郎を誇らしげに見つめながら言葉を交わした。

「凄い人がこの村から出たものだ」

「ほんにのう・・・。末は博士か大臣じゃ」

「いやいや総理大臣も夢ではないぞ」

 

時代は、日本が日露戦争であの大ロシア帝国を打ち破り、世界列強の仲間入りをした頃である。

日本中が不思議な高揚感に包まれていた時代であった。

 

続く・・・・。

 

 

 

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神童と言われた男-1

2014-08-06 16:50:28 | 日記

 (故郷の風景)

 

春樹の母が時々思い出したように呟くことがある。

「ああ、もし神一郎さんが生きていてくれたらなーーーー」

 

春樹が生まれた岩室(いわむろ)村に、神童と言われた男がいた。

その男の名を本間神一郎という。

明治31年、神一郎は貧しい農家の長男として生まれた。

しかし、神一郎が八歳の時に母親が病死した。

冷たくなった母の亡骸を前にして、神一郎は叫んだ。

「魂はどこへ行った! 俺のかあちゃんの魂はどこへ行った!」

八歳の子供が、天を仰いで泣きながら叫んだという。

 

小、中学校時代の神一郎に、学校の教師は必要なかった。

4月の始業式に教科書をもらってくると、その日のうちに全教科書を読破してしまった。

学校の先生は、時々、神一郎を教壇に立たせて教員の代役させた。

やがて中学校の卒業が近づくと、神一郎の進路が問題になった。

 

神一郎は農家の長男である。

父親は彼に後を継がせたいと思った。

農家にとって、先祖伝来の田畑を大事に守り、子孫に残すことが最重要事であったのだ。

しかし神一郎は農業に関心はない。

もっともっと勉強したかった。

世の中に知りたいことが山ほどあった。

 

ある日、学校の校長先生と担任が神一郎の家を訪れた。

校長先生は父親に言った。

「お父さん、神一郎君は我が校始まって以来の優秀な生徒です。こんな生徒はもう二度と現れることはないでしょう。

彼はこの岩室村の宝ですが、日本の宝でもあります。

どうか上の学校へ行かせてやって下さい。東京帝国大学への入学も夢ではありません。お国のために働く人間にさせてやって下さい。どうかお願いします」

「しかし校長先生、ご覧の通り、うちにはそんなおカネはありません。どうやったら息子を東京の大学まで行かせることができるんですか」

その時、神一郎が静かに口を開いた。

「父さん、俺はまず高田の高等師範学校へ行く。あそこへ入学すれば月謝はかからないし生活の面倒もみてくれる。それから、俺は家庭教師のアルバイトをして小遣いを稼ぐ。もらったおカネは全て父さんに仕送りする」

それを受けて、担任の先生が父に言った。

「高等師範を卒業した後、もし神一郎君が東京帝国大学に進学することができれば、生活費はなんとかなります。東京の財閥が優秀な学生を支援してくれます」

「・・・・・・・・・・分かりました。 神一郎をどうか宜しくお願いします」

 

このようにして、神一郎は新潟県内にある高田高等師範学校へ入学することになった。

その後、高等師範をトップの成績で卒業した神一郎は、見事、東京帝国大学へ最優秀の成績で入学を果たす。

明治という時代が終わろうとしていた頃である。

 

続く・・・。

 

 

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夏の想い出ー盆踊りの夜

2014-08-05 15:52:38 | 日記

立川談志の田んぼの近くにある観光案内板

 

 

春樹の夏の想い出の双璧といえば、間瀬海岸の海水浴と並んで鎮守の杜の盆踊りである。

彼が子供の頃の故郷の盆踊りはとても賑やかであった。

西の山の向こうに陽が沈み、北の山裾から涼風が渡り始めると、近くの鎮守の杜から太鼓の音が聞こえてくる。

「トンツクトントン、トンツクトントンーーーーーーー」

遠くで静かに聞こえ始めたその音は、夕闇の深まりと共に、次第に大きな響きとなって村中の家々に届く。

早めの夕食を終えたゆかた姿の村人達は、太鼓の音に誘われるかのように、カランコロンと下駄の音を響かせて、裏山にある鎮守の杜を目指す。

森の中にある鎮守の杜の広場には、たくさんの提灯に火が灯されて村人達を迎える。

その提灯の輪の真ん中には、高く組まれた櫓(やぐら)があり、村の若衆がフンドシ姿で威勢よく太鼓を叩いている。

その太鼓の音に合わせて、のど自慢のおばさんが民謡を歌い始める。

♪ ハァーーーー佐渡をへーー、佐渡をへーーとを草木もーなびーくよ ♪

「ハァ どぅしたどぅした!」

あでやかなゆかた姿の娘達が踊りの輪に加わり始めると、櫓の上の若衆の太鼓は一段と威勢を増す。

ウチワを片手に遠巻きに眺めていた村の若者達も、一人二人とその輪の中に入って行く。

♪ ハァーーおらが若い頃、 弥彦参りをしたればなーーーー

「ハァ どぅしたどぅした!」

♪ なじょ(女)がなーー見つけて、寄りなれとゆうた(言った)ども 

 かか(女房)がいたれば ああ声も出せぬーーーー ♪

 

おばさん達も若い頃を思い出し、しなを作りながら(色気を出しながら)踊り始める。

やがて一杯機嫌のオヤジ達も加わり、踊りの輪は二重三重になり、異様な熱気をはらんで広がって行く。

そして若衆が交代で叩く太鼓の音は、村人が踊り疲れるまで続いて行く。

 

ところで、その盆踊りは、村の若者達にとって、一年で一番心ときめく一大イベントであった。

田舎の初心な若者達は、踊りの輪を眺めながら、思いを寄せているあの娘(こ)はどこかと興奮しながら探す。

その娘の姿を見つけると、心ときめかせながらその列に加わり、娘の後に付いて踊り始める。そして言葉をかけるきっかけを、今か今かと待つ。

前で踊る娘もやがてその若者の姿に気づき、恥ずかしそうに時々チラチラと微笑み返す。

若者はもう気もそぞろとなり、前の娘のしなやかな踊りをただただ見つめるばかりとなる。

その若い二人の姿は、やがて踊りの輪から離れ、そして森の中へ消えて行く。

 

盆踊りの夜は、昔から無礼講の慣わしがあった。

テレビもないラジオもない、何の娯楽もない昔の時代から、盆踊りの夜は若者達にとってまたとない、心ときめく夜なのであった。

この日の夜を思い、興奮して幾日も眠れない夜を過ごした若者もいたであろう。

従って、その村に飛び切りのベッピンさんがいたら大変なことになった。

近くの町のチンピラが押しかけてくることもあった。

そして刃傷沙汰に及ぶこともあったという。

 

盆踊りの夜は、その昔から様々な物語を作り出してきた。

春樹が子供の頃は、そんな時代であった。

 

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続夏の想い出ー間瀬海岸

2014-08-04 10:04:06 | 日記

(立川談志が愛した新潟の田んぼ: なんと我が故郷の田んぼです )

 

満員の臨時バスは、ノロノロと多宝山(地元の人は石瀬山とも言う)の山道を登り峠を越える。

峠を越えた辺りで短いトンネルに入る。

岩肌に山水の雫がしたたり落ちる狭いトンネルを抜けると、眼下に青い海原が見えてくる。

「ワー海だ!」

車内で子供達の歓声が上がる。

 

浜は越後七浦のひとつとだけあって、所々に魚が隠れる岩場などがあるきれいな砂浜である。

浜には数軒の浜茶屋が軒を並べていた。

「おばさん、また来たこて。お世話になるこて」

「まあ、良く来てくれなさったこて。暑かったでしょうがね。さあさあ、上がってくんなせや」

春樹の母は、馴染みの浜茶屋のおばさんとそんな挨拶を交わして、一緒に行った近所の家族と共に浜茶屋に上がり、潮風に吹かれながら一息つく。

しかし疲れを知らない少年達は、海水パンツに着替えると、我先にと熱く焼けた砂浜を飛び跳ねるように走り抜け海に飛び込む。

そして陽が傾くまで海で遊び呆ける。

 

遊びつかれた少年達を待っているのは、帰路のバス停の行列である。

当然の如く、その始発のバス停の周りは長蛇の列だ。

陽が傾いたとは言え、夏の太陽の日差しはまだまだ強い。

遊びつかれた子供達は立っているのもシンドく、しゃがみ込んでバスの出発を待つ。

そんなバス停の哀れな子供達の目の前を、一台の白い乗用車が砂埃をあげて通り過ぎた。

「アッ、あれはお医者さんの車じゃねーか! クーラーまで付いてるでよー」

と、誰かが叫んだ。

《そうか、あれはあのやぶ医者の家族の車か・・・・・》

春樹はため息をつきながら、走り去る車を眺めていた。

 

春樹は、あの医者はどうも信用できないと思っていた。

それまで何回か風邪や腹痛などでその医者に診てもらっていたのだが、その診察態度というかその醸し出す雰囲気がお医者様という風情ではないのである。

《こいつは仁術より算術だな》

子供心に、春樹はそんな風に感じていた。

 

そして、春樹が通う小学校の一学年下に、そのやぶ医者の息子がいた。

上品な顔立ちをしていたが、頭の方はイマイチという噂であった。

しかし、いずれは親の後を継いで医者になるのだという。

《あの程度で医者になれるのか・・・・・》

春樹は世の中の不公平を、その時初めて実感として感じたような気がした。

疲労感が倍増した少年は、白い乗用車が走り去ったデコボコ道を、ぼんやりといつまでも眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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