朝。スマホをあけたらいきなり、「さくら(森山直太朗)」の動画を見る画面になっていた。
そしてまた「今日はミュージックの日」というコメントも。3、1、9、で、ミュージックね・・・誰が言い出したのかしら。
とりあえず音を流し、寝起きながらも一緒に口ずさんだ。
この曲の詞の中で私がいつもキュンッとするのは・・・
1位 うつりゆく街はまるで僕らを急かすように (2番)
2位 霞みゆく景色の中にあの日の唄が聴こえる (1番)
3位 またこの場所で会おう さくら舞い散る道の上で (ラスト)
思い描くのはしかし、自分の「アオハル」ではなく、育てた家族の成長の場面。
(そもそも私には、青春というべき時期の青春はなかったのだが、それは置いといて・・・)
一度しかない「今」がどんどん過ぎていくのが切ない日々だった。時間の砂が指の間からこぼれ落ちるのをただ見てるしかなくて。
瞬間的にもうやだって思うことは、たくさんあったけど。
あの日の唄・・・保育園の年中さんのとき、1年上の子たち最後の登園日、お迎え時間にホールでみんなで歌っていた歌。
クリスチャン系だったので、「きれいな花の咲いている国でみんなでまた集まろう、グローリーグローリハレルーヤー」みたいな歌詞。
それから、5年生のリコーダーに送られて出ていく6年生たちには、6年前の小さな姿を重ねて感無量だった。
それから、中学入学直後、男子校、声変わり前の合唱企画、ウィーン少年合唱団とまではいかずとも、子供時代の最後の輝きだった。
そして、そのあとにはもはや、怒涛の反抗期が訪れるのみであった。
うつりゆく街。さくら舞い散る道。またこの場所で。
自分たちがランチしたいがために入学式も卒業式も繰り出したママたち。どちらもいい天気だった。
卒業ランチは和食のお店。食後に近くのアイスクリームスタンドで一服していたら、目の前を通って駅のほうへ歩いて行った。
今日で学生時代が終わることを本人はどう思っているのか、思い出にしがみつくタイプではないらしいのでいいことだと思った。
(私は思い出にしがみつき過ぎる・・・)
思い出話はここまで。
今日はまず、返却期限過ぎの本を図書館に返しに行った。近所の桜並木を走行したら、1分咲きの木がちらほら。
そのあと、もう少しドライブ&お散歩したかったが、午後は自治会の作業に呼ばれていたので断念した。
私に割り当てられた作業は、印刷できた総会資料に折り目をつけることと綴じること。
終わってから一回り散歩をした。ブロガーの皆様が紹介してくださる花もいろいろ咲いていた。
今日の大相撲解説は荒磯親方。感じがいいなあと思う。豪栄道も引退しちゃったし、世代交代が進んでいる。
お相撲さんは、オフの日常の表情が可愛くて、取り組みの時の表情とのギャップがすごくいい。
ギョーザの皮が余っていたのでピザチーズ入れてフライパンで焼いて、自分は夕飯の準備中にアツアツを食べてしまった。
家族は、「今日はこれいらない」だった。
これは、育てた家族の好物だ。私が作るもので喜んで食べてくれるものは少ない。でもこれはぺろり。まあ、作るというほどのものでもない。
そして、もう、うちでご飯を食べることはほとんどない。さびしいなあ・・・お正月に帰った時にこれ、出すの忘れたなあ・・・