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学びつづけて

歴史がゆっくり大きく動いています。学び続けて50年。日々新鮮に感じたことを「徒然なるままに」書き続けます。

日韓基本条約および日韓請求権協定の交渉ー日本政府は植民地支配の不法性について一切認めようとせず、謝罪も反省も行わなかった

2018-11-02 21:10:23 | 日記
 一九六五年の「日韓条約国会」で衆院参院すべての審議を取材した「赤旗」記者吉岡吉典氏の著書「『韓国併合』100年と日本」(2009年新日本出版社)を改めて読んだ。 「1965年の日韓基本条約および日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は植民地支配の不法性について一切認めようとせず、謝罪も反省も行わなかった」ことが生々しい。
 一九五二年第一次会談から一九六五年第七次会談の妥結まで、日本政府の驚くべき歴史認識をめぐって難航、長い中断もある交渉だった。「36年間というものは資本主義経済機構のもとで平等に扱われた」「日本は朝鮮の鉄道や港をつくり、農地を造成し、大蔵省は多い年で二千万円も持ち出した」「韓国の独立はサンフランシスコ条約の効力が発生したとき、その前に独立したとは日本からみれば異例の措置」(第二次、第三次日韓会談久保田主席代表)。日本側岡崎外相「(久保田発言は)当たり前のことを当たり前に行っただけのものだ」。
 一九六五年日本側日韓会談主席代表高杉晋一氏「(朝鮮植民地支配を美化し)敗戦でダメになってしまったが、もう二〇年間朝鮮をもっていたら、こんなことにはならなかったかもしれない」「日本は朝鮮を支配したというけれども、わが国はいいことをしようとしたのだ。日本は朝鮮に工場や家屋、山林など、みんなおいてきた。創氏改名もよかった。それは朝鮮人を同化し、日本人と同等に扱うためにとられた措置であって、搾取とか圧迫とかいったものではない。過去をいえば、むこうにもいい分はあるだろうが、わが方にはもっといい分がある」。
 「日韓条約」の調印者になる椎名悦三郎外務大臣は著書で「日本が明治以来、‥台湾を経営し、朝鮮を合邦し、満州に五族共和の夢を託したことが、日本帝国主義というなら、それは栄光の帝国主義であり」とたたえる。椎名外相は「日韓条約」仮調印のために訪韓したソウルで「栄光の帝国主義者帰れ」と叫ぶ激しいデモ隊の抗議行動あった。
 佐藤栄作首相は「対等の立場で、また自由意志でこの条約(韓国併合条約)が締結された」と繰り返し言明(一九六五年一一月五日、衆議院日韓特別委員会)

 吉岡吉典氏は当時を「軍事クーデターによって成立した朴正熙政権が、日本の経済協力による経済発展めざして、日本の植民地支配の謝罪、精算を問題にしないで日韓会談を再開したことで急速に動き出し、なお紆余曲折を経ながらも、妥結へとむかった」と振り返っている。

日本企業と政府は、被害の事実に誠実に向き合い、解決への努力を払うべき-韓国徴用工訴訟の韓国最高裁判決

2018-10-31 16:57:13 | 日記
「あり得ない判断だ」。韓国徴用工訴訟の韓国最高裁判決に対して安倍首相は憤然と批判した。今日の朝からのワイドショウも元韓国大使なども参加させ、「文在寅政権は国際常識が通用しない政権だ」と言わんばかりの論調だ。異様だ。
 第二次世界大戦中、植民地だった朝鮮半島から多くの朝鮮人が日本本土につれてこられ、日本企業の工場や炭鉱などで強制的に働かされ、虐待、過酷な重労働での死亡虐殺、賃金の未払いが起こった。被害者は22万人にのぼる。「1965年日韓請求権協定で完全最終的に解決している」と加害国日本が言っても、多くの被害者が「解決していない」と叫び救済を求めている。「個人の実体的な請求権までは消滅していない」(07年日本最高裁)。日本鋼管(99年)や不二越(2000年)、三菱マテリアル(16年)など、加害企業が被害者への謝罪と「見舞金」支給で和解している。中国の強制連行被害者で西松建設は被害者らと正式に和解、謝罪し、記念碑を建立、和解金を支払っている。
 いま何よりも求められているのは被害者の救済であり、日本企業と政府は、被害の事実に誠実に向き合い、解決への努力を払うべきだ。
 「京都新聞」10月31日は「人権派弁護士出身の文在寅大統領の政権下、朴槿恵前政権が、日韓関係悪化を懸念し訴訟を事実上凍結させた疑惑の捜査は本格化。一方、日本側は「解決済み」の立場から官邸主導で和解を拒む」と背景と経過をくわしく配信している(ソウル 東京共同)。「赤旗」31日は「日本企業・政府は誠実に向き合え」と栗原千鶴記者が。

「保守と大東亜戦争」中島岳志著を読む

2018-10-30 23:10:55 | 日記
 10月10日「とことん共産党」に出演した保守論客中島岳志氏。門真図書館の書架にあった2018年7月発行の集英社新書「保守と大東亜戦争」を借りて一気に読んだ。おもしろい。
 中島氏の紹介する保守論客は竹山道雄、田中美知太郎・猪木正道・福田恆存・池島信平・山本七平・会田雄次・林健太郎。いずれも「大東亜戦争開戦当時」二〇歳以上だった人たちだった。一九八〇年代にはいると、開戦当時一〇歳前後だった世代が保守論壇の中核を担うようになり、戦争についての歴史認識は、戦後の歴史教育や民主主義的な言論に反発する中で構成された。「日本がアジア諸国を欧米列強の植民地支配から解放した」「朝鮮半島に対する日本の支配の功績を説く」などの「大東亜戦争肯定論」が噴出してきた。
 これに戦前・戦中派保守は危機感を抱き、最後の力を振り絞って反論した。その代表が林健太郎。林は「中国に対して日本はその国民の意思に反してその領土を武力占領したのだからこれは侵略以外の何者でもない」「南方の諸民族が独立したのは日本が負けたからで日本が占領中に独立させたものはない」「日本がつくった満州国や汪兆銘政権は傀儡国家であった、民族の政権ではなかった」と主張し論戦した。猪木正道も「正論」一九九八年で「東京裁判史観の害毒は弾劾是正しなければならないが」、だからといって「軍国日本のきわめて有害な皇国史観を復活させるようでは‥狂った日本に逆戻りしてしまう。国際的に完全に孤立した、自爆戦争の絶望時代を再現するのは狂気の沙汰ではない」と指摘批判した。
 中島氏は「戦前・戦中派保守は、軍国主義に抵抗し、批判の論陣を張り、軍国主義・超国家主義に強い嫌悪感を示した」と指摘する。
 保守論客は「諸君」の執筆者であり、保守・右派と云われていた人たちだった。勉強になった。

大阪経済はカジノで必ず衰退ー中山徹奈良女子子大教授「明日の大阪をつくるスタート集会」

2018-10-29 11:21:10 | 日記
 基調報告した中山氏は、台風被害などをよそに松井知事や吉村大阪市長が2015年の国際博覧会(万博)の誘致に必死になっているが、万博誘致はカジノ誘致の口実だと指摘しました。
 住民投票で否決されたにもかかわらず、維新が「都」構想に固執するのは、大阪市を廃止して税金の一部を府に吸い上げることで、カジノ誘致のための財源を確保するためだとし、「いま府市では『すべての道はカジノに通じる』になっている」と語りました。
 カジノ誘致の最大の理由は「大阪経済の活性化」だが、府の想定では客の7〜8割が大阪とその周辺の日本人だと中山氏。お金は外資のカジノ業者に吸い上げられ、地域経済は必ず衰退し、ギャンブル依存症の増加は計り知れないと警告しました。
 大阪の産業経済政策は、活性化をけん引する「リーディング産業」を見つけることにこだわり、「存在しない青い烏」を追い掛けてきたが、すべて失敗し、その挙句の果てがカジノ誘致だと批判。「歴史のある豊かな大阪を、一業界や一企業で活性化させることはあり得ない」と述べました。
 「本当の青い烏の卵は、大阪の、皆さんの身近なところにある」と中山氏。若者が活躍でき、府民が望む医療・福祉・教育を充実させ、そこで働く人々を増やすこと。災害に備えた耐震改修や高齢者向けの住宅改修の要求と地元の工務店をつなぐことこそ、行政の役割だと強調しました。
 中山氏は最後に、「カジノ誘致に必死になっている彼らの最大の弱点は、府民のエネルギー、大阪の文化や歴史に確信をもっていないことだ。府民を信頼し、中小企業に確信をもって、経済対策、福祉施策を展開することが、いまの大阪に最も望まれている。府民に語り掛けて、(維新政治で)奪われた10年を、この1年のたたかいで変えよう」と語りました。
    (2018年10月18日「明日の大阪をつくるスタート集会」で)「大阪民主新報 10月28日より

韓国・朝鮮人民との連帯・交流をつらぬいてー戦前の「赤旗」紙面から

2018-10-28 10:40:44 | 日記
「月刊学習」2018年11月号に赤旗編集局次長近藤政雄氏が「韓国・朝鮮人民との連帯・交流をつらぬいてー戦前の「赤旗」紙面からー「3・1独立運動」100年を前に」という論文が掲載されている。おもしろい。
 近藤氏は1928年2月1日に創刊された「赤旗」は、韓国・朝鮮人敵視・差別政策をはね返し、「兄弟的」ともいえる広く深い報道を行っていたと、その当時の「赤旗」紙面を調べあげて紹介している。「赤旗」が1935年、第187号で天皇制政府による弾圧で発行停止をよぎなくされるまでの七年間の関連記事は「朝鮮の独立反植民地のたたかい」7本、「朝鮮での人民のたたかいとくらし」10本、「在日のたたかいとくらし、共同闘争」14本、「交流・連帯のひろがり」4本にのぼる。
 日本には3・1運動(1919年)に示され、以来脈々と受け継がれる朝鮮独立要求の正当性を正面から論じる政党・メディアが当時まったくなかった。しかし1922年植民地の完全独立を正面から掲げる日本共産党が誕生し、1928年に「赤旗」が創刊されたことで初めて実現した。
 日本帝国主義=天皇制政府の過酷な植民地支配にたいして、独立宣言の発表と示威行動に人口の10%200万人が参加した「3・1独立運動」。天皇制政府は4万6千人の朝鮮人が検挙、示威過程で7500人あまりを殺害、1万6千人が負傷した。
3・1運動はその後国外の武装独立運動につながっていった。