零戦21型画像と3Dモデルの台南航空隊(V-103)坂井三郎搭乗機追加 2017-10-06 15:59:06 | 航空機 2017.10.06:台南航空隊(V-103)坂井三郎搭乗機を追加しました。ゼロファイターエースで有名な坂井機でガダルカナル空戦で負傷したときの機体V-103号機です。最近では赤帯が有力ですが、なんか昔から青帯が似合っているのでそままにしています。ところでアンテナ支柱は当時無線機の性能が良くないので取っ払っていた機が多かったそうです。詳しくはこちらから。 « お待たせしました!局地戦闘... | トップ | 局地戦闘機雷電二一型画像と3... »
1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (台南航空隊V―103(新)) 2022-02-07 12:34:21 はじめまして。こんにちは。たまたま、ブログを拝見致しました。当方は、生前、坂井三郎さんと深交があり、台南航空隊について、様々な証言を、坂井三郎さんのご自宅にて、直接伺っております。坂井三郎さんの搭乗機のV―103号は、開戦当初の台南基地~バリ島基地までの機体と、ラバウル進出し、ラバウル基地~ラエ基地~ラバウル基地の時代の機体では、同じ機体番号V―103であっても、製造番号自体が異なります。バリ島基地に開戦当初からの機体は廃棄し、ラバウル進出の際には、内地から新品の機体を投入しました。尚、V―103号は、坂井三郎さんがラバウル基地から、ラエ基地に進出の際、【ラエの青組】として、機体の胴体帯は青帯で進出しており、ラエ基地を撤退し、ラバウル基地に坂井三郎さんが戻られた際、本来ならば【ラエの青組】だった、高塚寅一さんが、ラバウルの赤組の指揮官になられた際、坂井三郎さんに、【貴様のV―103号機をワシにくれんか?坂井三郎が搭乗していたV―103号の機体番号を見れば、ラバウルの赤組の士気を鼓舞する事が出来るんだ。頼む!】と、高塚寅一さんから懇願されて、坂井三郎さんが機体を高塚寅一さんに譲られ、高塚寅一機となった【V―103号機】は、機体の胴体帯を【ラバウルの赤組】として、【赤帯】に変更し、ガダルカナルに参加され、高塚寅一さんは撃墜され、その【V―103号機】の胴体帯が赤帯だった事から、いつしか、坂井三郎さんの搭乗機【V―103号機は赤帯だった!】という説が1人歩きしてしまいました。ちなみに、坂井三郎さん本人からの証言では、坂井三郎さんは、台南基地からラバウル基地でガダルカナル作戦で被弾するまで、終始、胴体帯は青帯だったとの証言を得ております。尚、坂井三郎さんがラエ基地を撤退し、ラバウル基地に戻り、ガダルカナルで被弾するまでの機体は、【V―128】で、胴体帯は青帯。機体番号は、黒文字。垂直尾翼の機体番号の上に、小隊長機を現す、白帯1本でした。また、笹井醇一中隊では、全ての零戦21型は、三菱製の機体だった為、胴体帯は、腹側まで延びて、腹側で交わる塗装が正しく、胴体帯が腹側は交わらないのは、中島製の零戦21型の胴体帯の塗装法であり、多くの本で、考証間違いがございます。詳しい事につきましては、私のアメブロの【台南航空隊V―103(新)】をご覧下さいませ。参考になれば幸いです。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
たまたま、ブログを拝見致しました。
当方は、生前、坂井三郎さんと深交があり、台南航空隊について、様々な証言を、坂井三郎さんのご自宅にて、直接伺っております。坂井三郎さんの搭乗機のV―103号は、開戦当初の台南基地~バリ島基地までの機体と、ラバウル進出し、ラバウル基地~ラエ基地~ラバウル基地の時代の機体では、同じ機体番号V―103であっても、製造番号自体が異なります。
バリ島基地に開戦当初からの機体は廃棄し、ラバウル進出の際には、内地から新品の機体を投入しました。
尚、V―103号は、坂井三郎さんがラバウル基地から、ラエ基地に進出の際、【ラエの青組】として、機体の胴体帯は青帯で進出しており、ラエ基地を撤退し、ラバウル基地に坂井三郎さんが戻られた際、本来ならば【ラエの青組】だった、高塚寅一さんが、ラバウルの赤組の指揮官になられた際、坂井三郎さんに、【貴様のV―103号機をワシにくれんか?坂井三郎が搭乗していたV―103号の機体番号を見れば、ラバウルの赤組の士気を鼓舞する事が出来るんだ。頼む!】と、高塚寅一さんから懇願されて、坂井三郎さんが機体を高塚寅一さんに譲られ、高塚寅一機となった【V―103号機】は、機体の胴体帯を【ラバウルの赤組】として、【赤帯】に変更し、ガダルカナルに参加され、高塚寅一さんは撃墜され、その【V―103号機】の胴体帯が赤帯だった事から、いつしか、坂井三郎さんの搭乗機【V―103号機は赤帯だった!】という説が1人歩きしてしまいました。
ちなみに、坂井三郎さん本人からの証言では、坂井三郎さんは、台南基地からラバウル基地でガダルカナル作戦で被弾するまで、終始、胴体帯は青帯だったとの証言を得ております。
尚、坂井三郎さんがラエ基地を撤退し、ラバウル基地に戻り、ガダルカナルで被弾するまでの機体は、【V―128】で、胴体帯は青帯。機体番号は、黒文字。垂直尾翼の機体番号の上に、小隊長機を現す、白帯1本でした。
また、笹井醇一中隊では、全ての零戦21型は、三菱製の機体だった為、胴体帯は、腹側まで延びて、腹側で交わる塗装が正しく、胴体帯が腹側は交わらないのは、中島製の零戦21型の胴体帯の塗装法であり、多くの本で、考証間違いがございます。
詳しい事につきましては、私のアメブロの【台南航空隊V―103(新)】をご覧下さいませ。
参考になれば幸いです。