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「真珠湾攻撃はゲームではない」元ゼロ戦搭乗員が語る

2014年12月08日 | トピックス
パ-ルハーバー奇襲攻撃から73年

【東京新聞 Web 2014.12.08 07:13】 日米開戦の口火を切った真珠湾攻撃から八日で七十三年を迎える。当時の奇襲作戦を回想できる体験者は日米を通じてほとんどいなくなった。零式艦上戦闘機(零戦)の搭乗員として参加した元海軍中尉の原田要(かなめ)さん(98)=長野市=は二度と戦争を繰り返してはならないと、二十数年前から戦争体験を語り続けている。九死に一生を得た元戦闘機乗りは、集団的自衛権の行使容認に舵(かじ)を切った日本の安全保障政策に危機感を隠さない。

 一九四一年十二月八日未明(現地時間七日朝)。ハワイ・オアフ島の真珠湾に停泊中の米太平洋艦隊に、三百機を超える日本海軍の航空機が襲いかかった。一時間余で戦艦四隻を撃沈、他の十数隻を損傷させ、航空機数百機を破壊した。

 「戦艦を沈めた」「格納庫を爆破した」-。原田さんが乗る空母「蒼龍」に帰艦した仲間は戦果を自慢し、艦内はお祭り騒ぎ。艦隊の上空で空母を護衛していた原田さんには、手柄を立てられなかった悔しさと同時に引っ掛かりもあった。

 蒼龍の零戦の未帰還は三機。一機は空母の場所を見失って帰艦できなかった。艦隊は位置を知られないよう無線を封止していた。「艦隊を守るため一人、二人の命は簡単に捨ててしまう。大きな虫を守るため小さな虫を犠牲にする。人間として扱わない、戦争ほど罪深いものはない」と思ったという。

 約半年後、旧日本軍はミッドウェー海戦で大敗。蒼龍は米軍機の爆撃で撃沈し、七百人以上が戦死した。着艦する空母を失った原田さんは燃料切れで海に不時着し、漂流中を味方の駆逐艦に救助された。その四カ月後のガダルカナル島の戦いではジャングルに不時着。基地にたどり着いたが、マラリアなどを発症し生死の境をさまよった。回復後、内地で搭乗員の教官を務め、北海道の千歳海軍航空隊で終戦を迎えた。

 「話すと当時のことを思い出す」と、半世紀近く体験を積極的に語らなかった。心境が変わったのは九一年の湾岸戦争。「テレビゲームみたい」と若者が話したと知り危機感を覚え、講演などを引き受けるようになった。

 自衛隊は海外で活動し、米軍への支援活動にも踏み出した。安倍政権は今年、集団的自衛権を認める閣議決定をした。九十八歳の目には平和国家の歩みが逆行し始めたように映る。「戦前と同じ、割り切れない不安を感じて心配しています」

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