<もうひとつの花水木>
昨日庭と父の思い出を書いたら、またひとつ父の言葉を
思い出した。
父は金型職人で60年間も現場に立ち続けた人である。
私が高校生の頃、金型作りも何も知らないころの話である。
”高英、いい金型を作るには手間がかかるのだ。
その手間を惜しんではいい金型は作れないのだ。
それが、ネクタイしている奴には分からないだ。”
父の体の底から絞り出るような声でそっとつぶやきであった。
私は、薄々その背景を理解していた。
きっと元請けの大手企業の誰かが、値引きの話をしたのだろう。
よっぽど悔しかったに違いない。
それで話が終わってしまったので、その後どうなったかは知らない。
4月に社員教育をしていて同じことを自分が言っているのに驚いた。
パソコンのソフトのワードやエクセルをマスターすることの意義を話した。
手間とは手と間である。
手とは手順のことで、間とは時間のことである。
もし、手順を飛ばせばいい成果は得られない。
それを手抜きと言う。
スピードの時代とは時間の効率をあげて短かくすることで
手順をすっ飛ばすことではない。
時間の効率を上げるにはワードやエクセルを徹底的に
マスターすることだ。
インターネットも同じことである。
道具を上手に使えば時間が助かるだけだ。
考えることを手抜きにはできない。
<会社に庭に咲く 花水木>
庭に咲く花々を見ていると幸せな気分になる。
父親が残した庭である。
私は若い頃、父の手伝いで庭の手入れを一緒にやっていた。
当時は、大嫌いで嫌々ながら手伝っていた。
父はそんな若い息子の心を読みとるように言った。
”若いうちは分からないだろうが、いつかこの庭のよさが分かる時が
くるよ”
日頃はモタモタしている息子に厳しい口調で言う父であったが、
この時だけは、やさしくそっとささやくようであった。
その口調のせいか、40年を月日を越えて私の中でその時の光景
が生きている。
庭を見るたびに思い出されるのか、思い出したいから庭を
見るのか自分ではわからない。
4月23日にビックサイトでの講演とパネルデスカッションが無事に終わった。
セミナー会場は満員、4時間もの間途中で席も立つ人もおらず皆さんの熱心さにおどろいた。
私の講演の骨子は作る側からでなく利用する側からの立場で近未来を予想してみた。
近未来を描くのに、今までの流れからと未来からの要求されいるものと両方の流れから近未来の予想をした。インターネットで情報があふれているといっても、身近な問題についてはまだ不十分である。
例えば、家族とのコミュニケーションや環境省エネについて具体的な事例をあげて説明した。
その不十分さの中にセンサーの新しいマーケットがあることを力説してきた。
講演の記録はこちらからダウンロードしてください
http://www.sensorexpojapan.com/contents/seminar.php
テーマは”情報家電の相互接続とセンサーアプリケーションの可能性” という大きなものだ。
どこから話を始めてよいのやらずいぶん苦しんだ。
センサーは家電についているもので、家電は家についているものである 家については、外壁断熱の研究者たちと今年になって話をしてきていたので多少知識がある。情報家電はまったくの消費者の立場でしかわからない。 センサーにいたっては簡単な理屈程度である。
あちこちのショールームに行って実際にさわったり、本やネットで関連することを 調べたりまるで研究者のような1か月を送った。
ノート一冊程度、情報と知識が集められた。
これからは、私の世界だ。
分析の手法は、いろいろ持っているのでその手法を使って料理していく。 最近はやりのマインドマップ、メモリーツリーなどの手法で整理して、それに独自の視点をつけていく。
それが楽しい。
庭や草花以外のもうひとつの私の隠れた楽しみでもある。
<隠れた楽しみ その2 >
社員の新人教育とやらをやっていた。
子供のような年ごろの子たちに教えるのは難しいもんである。
素直で頭が悪いわけではないが考え方がずいぶん違う。
2つのチームに分けて、コーチング式とスパルタ式の
2種類を使い分けてみた。
これがなかなか面白い。どちらがいいと言うわけでなく
生徒のタイプ次第で効果が違うことがわかった。
生徒のタイプを見極めるのは難しい。
タイプで分けずに、レベルで分けたほうがいいと感じている。
私の教えているのは、知識でも技能でもなく
考える手法である。
知的生産性を上げるには必須なのだが、
知識も情報も使いこなして何ぼのもんであるのに
日本の学校教育のたまものでからっきしみな苦手ときている。
まあ、しばらく彼らにカルチャーショックを与えておこう
伝えたいことの半分くらい伝わればいいと覚悟はして
望んだもののそうは問屋がおろしてくれない。
忍耐、忍耐をこちらが学ばさせらえていると思えば
いいか、と開き直ることにした。
<桜の花びらの絨毯>
自分で設計した庭の散歩道。
散歩道が春に桜の花びらが絨毯のようになる。
これで、お花見と散った花びらの二重の楽しめる。
桜が終わると色とりどりの花が順番に咲くように設計した。
最近は温暖化のせいか、
順番が狂って一斉に咲いたりして
楽しみの期間が短くなってきているのは残念だ。
それでも、春の喜びを感じられるのは幸せである。
一人で花をながめるのは
私の隠れた楽しみである。
<椿山荘特設水上舞台前にて>
椿山荘で薪能・狂言の夕べに先日行ってきた。
豪華な出演者狂言がシテ野村萬斎、能がシテ櫻間右陣、大鼓 亀井宏忠他であった。
友人がプロデユースをしていて、各国大使もたくさんみえていたので
どうなるか心配したが無事公演は成功してなにより。
しかし、雨で室内の公演となってしまった。
残念であるが、知り合いの亀井宏忠くん大鼓が雨に濡れなくてよかった。彼の大鼓は桃山時代から代々引き継いできた代物とついこないだ聞いたばかりだったのでほっとした。
まあ、満開の桜とおいしいデイナーもついて楽しいひと時を過ごせただけで十分に英気を養えた。
<千鳥が淵の桜>
ついにガソリンの暫定税率が無くなった。
また復活する様相であるが。
昨年の中東の海上自衛隊の派遣問題といい日銀総裁の空席といい
政治が混迷し続けている。
社会保険の問題も阿倍内閣で約束していたことも守られず、今だに5000万件も不明なままだ。
民間企業の不祥事や親族による殺人事件も後を絶たない。
政治も行政も企業も一般庶民も含めて日本全体が混迷し迷走をし始めている状態である。
私もその波をかぶり、中小企業主としていろいろと影響を受けている。
その中で必死に考え抜いた末に出した答えは
”混迷の時代だからこそ原点に戻ろう”
現在の地点を測定したいから原点を見つけだしかった。
そして原点からの距離とベクトルを測定してみた。
歴史を振り返り、自分の生きていた道を振り返った。
我々は何のために、
それぞれをやろうとしたか、
いつからそれが本来の目的から離れていったか、
その原因や要因は何なのか、
ひとつひとつ絡みついた糸をほぐすように丁寧に分析してみた。
結果は、原点に戻ったほうが解決策が早く見つかるということまでわかった。
4月1日、すがすがしい気持ちで桜を見ながら、風の中を歩いた。
風にまかせ、あるがままの自分で生きて行こうと決意を新たにした。