ゾンビな人生

ゾンビの映画の感想や社会をゾンビ思考で語ります。

何が悪いの?バスケットボール不祥事のゾンビ感

2018-08-21 22:14:04 | ゾンビ心理学
ゾンビのヤスです。
バスケットボールの不祥事
https://www.sanspo.com/sports/amp/20180821/bsk18082105030003-a.html

人間の受け止め方では大罪のようだ。
しかし、ゾンビから見ればなんの問題があるのかわからない。
人間のオスなら、メスと交われる場所があれば行くのは自然なこと。

もしかしてセックスを汚らわしいと思っているのか?
いやー人間として至極自然だ。
禅僧じゃーないのだ。
そこで欲望を満たして何が悪い。
それで良い成績になればよい。

偉そうにテレビなどで批判コメントしているおっさんは一切そういうところに行ったことがないと言うのだろうか。

日本代表のウエアを来ていたことが問題だって?
いや、合法のサービス受けただけ。
堂々とやればよい。
何も恥ずべきことではない。
何を恥じるかなんて、場所や時代で違う。
昔は人前で食事するのも恥ずかしい行為だったのだ。

公園や電車でいちゃついてるやつらの方が恥ずかしいだろう。

一応人目のないところでやっているんだから。

で、ゾンビ的には、世の中みんな聖人か、処女か、童貞かと言いたい。
自分は全くエロいことなど考えたこともない、全くけしからん。ってなんやねん。

風俗行ったら会社クビなら、ほとんどのオスはクビだろう。

別に強姦したわけじゃない。
恋愛感情があって無料でやらせるか
恋愛感情がなくて有料でやらせるか
の違い。
お金貰ってプロの仕事する方が断然素晴らしいだろう。

サービスする側はもしかして今日生きる糧を得られて助かっているかもしれない。

合意のある男と女が交わることがそんなに悪いことか?

歌舞伎役者は許されるのか。

それこそ差別だ。

なぜ、自然な行為を抑圧する。

そんなに叩かれることか。

皆、清廉潔白な聖人なのか?

風俗は悪なのか?

人間の愚かさを染々感じた。

ゾンビは自然である。
セックスもするし、子供も生む。
(ブレインデッド参照)

自然なことを叩きまくる奴らって
本当に腐っていると感じた。
ゾンビ以上に。


✳️あくまでも、ゾンビからみた意見であるので、人間的な批判は意味がないと言っておく。

時間がない、やらないといけない、なのにやれないゾンビ感

2018-05-14 10:27:52 | ゾンビ心理学
ゾンビーのヤスです。
人間の時、締め切りも近いのに、
今、それをやる時間があるのに、
やらないと後が大変なのに、
やらない。
やらずにゾンビ動画に熱中してしまう。
ゾンビ動画を楽しんだ後、
事態が全く好転していない現実に
愕然とする。

けれどそこはポジティブに
「気分転換が必要」ということで
ごまかしてしまう。

だが、心は晴れなかったよ。

でも、それが人間なのだ。

ゾンビはそもそも何かやろうとか
思わない。

思わないから焦らない。

足が引っ掛かって、何ヵ月も
進めなくてもイライラしない。

人間の肉を取られた時は
さすがのゾンビも怒る。
だって、数少ない存在理由だから。

足を負傷して、同じところを
グルグル回っていても
気にならなければ、
永遠に回っていることになる。
それにイライラするから
脱出したいと思うわけだ。

だから、焦って、不安で、イライラ
するのは仕方がない。人間だもの。
ただ、それで周りに当たらないこと。
それだけ。

そして、後回しにしてしまうのは、
上手く書こう、やろうとし過ぎるから。
やり出したら、意外と出来ない
現実から逃れたいから。
だから、下手でもいい。
下書きと思ってやる。

あと、やる作業が多くてどこから
やればいいかわからなくて
心がざわざわして落ち着かなくなるから。
なので一つタスクを選んでそれに
集中すれば、動けると思う。

そうやって悩んで、苦しむのも人間。
だからこそ、それを乗り越えるとうれしい。
悩みたくなければゾンビになることを
おすすめする。

ゾンビも人間を食べた時はめっちゃうれしいのである。だから待ってます。

ゾンビ心理学:ゾンビを通して見た人間の本質

2018-04-26 10:10:43 | ゾンビ心理学


<ゾンビ心理学>

ゾンビ心理学はゾンビを通して見た人間の本質(心理、生き方)について解説する学問です。
学問なんていうと大そうですねえ。
ゾンビ映画などから人間の一面、良さや悪さを再認識してもらい、
普段の生活から、今後の人生の役に立ててもらう、ちょっとした問答みたいなものです。

ゾンビって恐ろしいモンスターですか?
でも、ゾンビからみたら人間の方が残酷で恐ろしいモンスターだったりするんですよ。
そう、そのゾンビ視点で見ると人間の本質が見えてくるかもしれません。

ちなみに私、ゾンビのヤスと申します。
イキイキしておる時は人間に近くなり
ドロドロしている時はゾンビに近くなるゾンビ人間です。

さて、ゾンビというとリビングデッド(Kiving Dead)=生きる屍です。
これって死んでいるの?それとも生きているの?
という永遠の命題があります。

人間の基準では心臓が止まっていて脈がないのは
「死んでいる」ということになります。
それが蠢き、歩き出す。それをどう捉えるのか。

では、動くことではなく「精神」が重要であり、
意思の疎通があるかないかという考え方もあります。

低知能系(ジョージ・A・ロメロの)ゾンビは確かに
意志などあまりないかもしれません。
しかし、超知的なゾンビもいるわけで、
普通に社会人をしていたり、
正義のために活躍しているゾンビもいるわけです。

ゾンビ処刑人

考えて見れば酩酊しているおっさんとゾンビの何が違うのか?
さらには無気力、無関心、無感動、無表情の人間は人間なのだろうか?
目が死んでいる人間より、人間を食いたいゾンビの方が
目が爛々と輝いているではないか。

人間は心臓が動いていて脈はあるかもしれませんが、
生きる意味を見失って生きる意志を失えば
デッドリビング?=死せる生き人なのではないかと思うわけです。
人を襲う襲わないの違いはあれどどっちもゾンビみたいなものです。

ということは「生きる」ってどういうことかと言う事です。
「生きる」って意志があります。
「生きている」には意志がありません。

「生きる」ことを意識していることが人間ではないでしょうか。
ただ「生きている」、ゾンビ的にはただ「死んでいる」のでは
ゾンビなのです。

ゾンビが蔓延する世界というのはただ「生きているだけ」の人間が支配するもの。
そう考えます。

逆に「生きる」強い意志があれば肉体がなくなっても
その魂は生き続ける・・・そう感じます。

生きながらゾンビになるなかれ