コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

食糧危機はありません

2010-02-11 | Weblog

ニジェールの国土面積は、127万平方キロというから、日本の3倍半の広さである。そのうち、3分の2は砂漠、残る3分の1も、いわゆる半熱帯乾燥地である。短期間に降る限られた雨を頼りに、日本の粟や稗にあたる穀物(ミル、ソルゴ)を育てる。その雨がきちんと降ってくれればよいが、天候不順があると、土地によっては全く降らないということになる。そういう場合は、たちまち食糧不足、悪くすれば飢饉に陥る。

最近では、2005年に旱魃があり、またバッタの大量発生の被害があって、深刻な食糧不足を経験している。そして、昨年(2009年)の降雨も悪かった。ニジェール政府は、ニアメに駐在する各国の援助機関を集めて、次の収穫時期(9月ころ)までは食糧備蓄が持たず、深刻な食糧不足になる場所が出てくる懸念があると伝えてきた。食糧事情は村々によって異なるという。昨年の雨季に雨が全く降ってくれなかったところは、もうすでに食糧が無くなりつつある。政府は、そういう村々に食糧を運んで、村人たちを飢饉から救う。各国からの食糧援助は、救済活動にむけた備蓄としても活用される。

日本も、ニジェールに対して、毎年食糧支援を行ってきている。私がミンダウドゥ外相との間で交換公文を締結(2月4日)したのは、今年度(2009年度)の分についてである。そして、私のニジェール滞在中、ちょうど折よく、昨年度(2008年度)分の食糧支援が到着した。今回到着分の支援は、全部で米を1万1千トン。そのうち約5千トンが、ベナンのコトヌ港に陸揚げされ、陸路ニアメに運ばれてきたところであった。

日本への感謝の意を表したい。食糧支援の受け取りの窓口官庁をつとめる商業省から、そう言って来た。日本の食糧支援到着を歓迎して、バジェ商業相が私を迎え、一緒にお米の山を視察しようという。私がニアメに着いてから言われたのであるが、こちらから断る理由はない。それで、国営食糧公社の備蓄倉庫に出かけた。

バジェ商業相は、私より先に着いていた。テレビカメラが多数来ている。商業相は、日本からの協力を、大いに宣伝をするつもりなのだ。普段ならば望むところ、なのだけれど、こと今回に限ってはこちらに警戒心がある。ニジェール政府として、この機会を利用して、日本はタンジャ大統領の政権に大いに支援をしている、という印象を作ろうとしているのかもしれない。

備蓄倉庫では、日本が支給した米が、見上げるほどの山に積まれていた。屋根のある倉庫に入りきらず、屋外にもビニールシートを掛けて、いくつも山を作っていた。米は、日本の米ではなくて、タイとカリフォルニアから来ていた。私とバジェ商業相は、説明を聞きながら山の間を一巡した。最後に報道関係者がカメラとともに待ち構えている。

日本大使、今回の食糧支援の到着について一言、と言われる。私は、この支援が、ニジェールの人々への直接の支援、人道的な観点からの支援であることを強調しようと思った。決して、タンジャ大統領を評価してのプレゼントではないのだ。
「ニジェールの人々は、大変過酷な気候の中で、農業をしなければならない。それに加えて、最近の気候変動で、雨が降りにくくなり、安定した食糧生産には多くの苦労があります。日本の国民は、そうしたニジェールの人々への、支援の気持ちを持っています。こういう食糧支援のかたちで、その気持ちが具体化したことを喜ばしく思います。」

そうして私は、ニジェール政府が、食糧問題に真剣に取り組んでいることを評価する、と述べた。
「日本は、ニジェール政府の、食糧危機との戦いを応援しています。」
バジェ商業相の表情が、当惑を示したのを、私は何となく横目で感じた。まあ、その場では気にせず、少し軽い話題もおまけに付け加える。
「今回、日本が支援した米を、ニジェールの人々が喜んで食べてくれることは嬉しいです。なぜなら、日本人は米を主食にする国民だからです。」

次にバジェ商業相がインタビューに答える番である。商業相は、日本への深甚な感謝を述べたい、と答えた上で、何やら一生懸命説明をし始めた。
「日本からの支援は、もう毎年続いているものなのです。日本は、毎年支援をしてくれています。ありがたいことです。だから、特に今年が食糧難だから、というわけではありません。食糧危機、というのは、ニジェールではありません。タンジャ大統領は、国民の皆さんが食糧不足になるようなことがないように、きちんと様々な政策を取ってきていますから、心配はありません。くれぐれも申し上げますけれど、食糧危機ということは一切ありません。」

どうも、私が「食糧危機」という言葉を使ったことが、良くなかったようだ。しかし、どうしてだろう。食糧危機は、生産力が貧しい地域にはどこでも、共通する問題であるし、政府の責任であるとは一概には言えない。そもそも私は、食糧危機が来ると言ったわけではない。食糧危機が来ないようにと、政府がこれに立ち向かっている姿勢を評価すると言ったのだ。それでも、食糧危機という言葉が出てくること自体が、困るようである。人々に深刻な食糧不足を予感させることだけで、ニジェールでは社会不安を呼ぶのかもしれない。

さて、夜になり、その日一日の行事を全て終えて、私は一人で食事に出た。背広ネクタイをはずし、私服に着替え、行先はホテルの近くの中華料理屋である。焼飯と豚肉料理を頼み、一人ビールを傾ける。「大使」の役割から逃れ、無名の市井人になれる、のんびりした嬉しい時間である。さて、そうして気楽な一杯を楽しんでいると、それが毎日のサービスなのか、中華料理屋の給仕たちが、前方に大きなスクリーンを広げた。プロジェクターが点灯され、国営放送の8時のニュースが投影された。これはまずい。

案の定、ニュースはいきなり日本の食糧支援の話で始まった。日本からの米の山、商業相の顔に続いて、私の顔が大写しになる。ニュースの解説のあと、私の声。インタビューに答えている。
「今回、日本が支援した米を、ニジェールの人々が喜んで食べてくれることは嬉しいです。なぜなら、日本人は米を主食にする国民だからです。」
ああ、あのおまけの部分だけである。日本の支援が、人道目的で人々への直接の支援である、と私が強調したところは、全く出てこない。「食糧危機」という言葉を使ったために、その部分はすっかり切られてしまった。

それにも増して、私はどぎまぎしている。中華料理屋中が、私の顔を見た。テレビの背広にネクタイの紳士は、今そこで、普通のおじさんに戻って、普段着でビールを傾けている。私は、当惑の笑い顔で応じる。そのうち給仕が、皿を片づけに来た。私は、勘定を頼む。
「大使閣下、ニジェールのためにいろいろ支援を下さって、大変ありがとうございます。日・ニジェール友好万歳。」
ニジェール人の給仕はそう言った。

日本がタンジャ政権を支援していると受け取られるかどうか、私がいろいろ考えを巡らせる前に、ニジェールの人々は素朴に日本の協力を喜んでくれるのだろう。そのことこそ、大使として何より大事にしなければならないことである。

 日本から届いた支援米の山

 手前の人がバジェ商業相


翌日の新聞記事(画像クリックで拡大します)
この記事は、バジェ商業相が「食糧危機はない」と力説した、という内容になっている。
私は「日本はニジェールの食糧安全保障のために支援した」と述べている。


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