コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

仕事の文化を伝える

2009-10-23 | Weblog
ベナンのコトヌで、日本の無償資金協力により建設中のラギューン母子病院が、完成間近である。施工した「戸田建設」の本社(国際支店)から、建築工事部長の古賀孝三さんが、建物の出来映えを確認するために出張してきた。古賀さんは、コトヌで母子病院を視察した後、アビジャンに足を伸ばして、私のところに挨拶に来られた。

私が昨年12月に行った時には、まだ基礎工事の段階であった。今、母子病院は、コトヌの街の湖畔に、白亜の美しい姿を浮かべているという。完成すれば、母子病院のベナン政府側への引渡し式を行う。私は、この式典に日本の代表として臨むことになるので、いつ頃どのように行うかなどを、古賀さんと一緒に打ち合わせた。

それで、古賀さんから、いい話を聞いた。古賀さんは、数日前、コトヌで現場視察を終えてから、病院建設に携わった現地の建設関係者を皆招いて、打ち上げの慰労会を催した。そうしたら、ベナンの建設業者の代表が、こう挨拶した。
「このたび「戸田建設」と一緒に仕事をすることができて、たいへん勉強になりました。じつに仕事というのは、こうやってやるものなのだ、ということを教わりました。いいものを作る、ということを教わったのです。これからは、「戸田建設」をみならって、教わった仕事のやり方で、自分たちもいいものを作っていきたいと思います。」

古賀さんは、これを聞いて、涙が出そうになるくらい嬉しかったという。ベナンの下請業者との間で、仕事を進める上でのやり方の違いなどがあり、いろいろ苦労が多かった。しかしこうして最後には、建設にかける日本企業の心意気、いいものをきちんと作るという精神が、ちゃんとベナンの人々にも伝わっていた。

私は、こういう話を聞くと、1994年にザイール(現在のコンゴ民主共和国)のゴマに赴いたときのことを思い起こす。当時、ルワンダで民族紛争が起こり、殺戮を逃れて大量の難民が、隣国ザイールの国境の街ゴマに流れ込んだ。その数90万人。病弊から一日2千人が死ぬというような、極端な人道上の危機が起こった。当時の村山内閣は、人道支援のために自衛隊を派遣した。3百人規模の陸上自衛隊が、ゴマに駐屯し、医療や給水活動などを行った。航空自衛隊の輸送部隊も、輸送活動に従事した。私は、外務省から派遣され、政府連絡調整員として、自衛隊と現地の行政当局、国際機関、NGOなどとの調整作業に従事した。

私の滞在は、活動開始から約2ヶ月ほどであった。一通りの仕事を終え、報告のため日本に戻ることになった。離任にあたって、現地ゴマ市のマシャコ市長が、私を送別の食事に招待してくれた。
その席で、マシャコ市長は私に言った。
「日本の方々には、ほんとうに感謝しているのです。市長として、ゴマ市民を代表して感謝の意をお伝えしたい。」

私もゴマの市民には感銘を受けていた。これだけの難民がなだれ込み、市民生活が混乱し、公共の建物はほとんど占拠され、森の木は暖をとるために切り倒され、とにかく否応なく被害を受けていた。しかし、マシャコ市長のもと、ゴマ市民は粛々と難民を受け入れ、支援に協力していた。だから、日本政府としても、自衛隊を受け入れてくれたゴマ市の人々の苦労に報いるためもあって、ゴマの地元病院に医療機材を提供したり、市内の小学校の机や椅子などを補修したり、いろいろと経済協力を行った。そのことを感謝されているのだろう、そう思った。

マシャコ市長は、続けて言った。
「日本の方々は、ゴマの市民を教育してくれました。」
人々を教育してくれたことに、感謝しているのだという。しかし私たちには、何か具体的に、教育といえるような活動を行った覚えはない。
「自衛隊の方々が来て、きちんとした仕事をするのを見て、ゴマの人々は皆、驚いたのです。規律正しく、整理整頓、時間に正確で、約束をきちんと守る。市民たちも、そういう日本の人々を見て、その態度を見習うようになったのです。」

たしかに、私の気付く範囲でも、マシャコ市長が語るような変化があった。自衛隊が活動をはじめたところ、しばらくしてゴミだらけだった街の清掃が始まった。街の中心地に、花壇が出来た。そして、一般の市民たちが自ら、下水溝の掃除をする姿が見られるようになった。明らかに自衛隊が範となったのは、路上駐車である。乱雑に駐められていた車が、きちんと並ぶようになった。人々は日本軍式の駐め方、と呼んでいた。自衛隊員たちの仕事ぶりや、日ごろの振る舞いが、人々の日常生活に、思いもかけず良い影響を与えていた。

私たちは日本人として、日本に生活するうちに、自然に身に付いた仕事への態度、仕事の文化を持っている。海外で日本人として仕事をするかぎり、そうした仕事の文化が滲み出る。私が昨年、ラギューン母子病院の建設現場を訪れたときも、「戸田建設」の施工が丁寧でしっかりしていることはもちろん、隠れたところも手を抜かない真面目さ、工程や時間を厳しく管理する姿勢、安全や整理整頓の徹底、毎日の正確な報告、そうした日々の仕事ぶりが、ベナンの人々に新鮮な驚きを与えていた。そして、ベナンの人々が、それを見習い、目標とするようになった。

私は、この仕事の文化を伝える、というところが、日本の国際協力のとても重要な部分であると考えている。

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