コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

柔軟といえば柔軟

2009-03-16 | Weblog
柔軟といえば柔軟。乱暴といえば乱暴。前もって打ち合わせてある、多くの人々が関与する行事予定を、直前になって大幅にひっくり返す。こちらは大いに心配するし、時間変更などで大迷惑を蒙る人々もいるのではないかと、冷や冷やする。しかし、誰もが大丈夫、大丈夫と言って、特に焦りやストレスを感じている風でもない。日本では考えられない、予定というものについてのこだわりの無さ。

ベナンに出張して、私はいくつか署名式典を行うことになっていた。まず、外務次官との間で、給水の協力案件と、食糧支援の協力案件の2つについて、交換公文に署名するという懸案があった。ベナン政府の外務省との間で打ち合わせ、署名文書をきちんと確認した上で、3月13日の午前10時から、ベナン外務省の講堂で式典を行う手はずを整えた。さらに、署名式典に引き続いて10時半から、村の婦人たちの生活基盤を強化することを内容とする、小規模協力案件について、2つのNGOとの間で契約書を交わす式典が予定されていた。

両方の式典とも、私の相手として署名を行う、外務次官やNGOの代表者だけでなく、協力案件に関係する人々や、報道関係者などが呼ばれている。署名式典の後には、カクテルも用意されている。そして、式典を終了した後、午後1時からは、ラフィア水資源相が私を昼食会に呼んでくれている。昼食会には、水資源開発関係の人々が、十数人呼ばれているはずだ。そして、午後には、内閣の筆頭大臣であるクパキ開発相との会談を行う予定が入っている。13日の日程は、午前も午後も、きっちり組み上げられていた。

さて、前日の12日夜に夕食を取っていると、午後8時過ぎになって電話がかかってくる。ベナン外務省のアジア局からである。
「明日の予定ですけど、少し変更になります。署名式典に続いて、村落開発案件の起工式典も行おうということになりました。ヤイ大統領が、日本大使が来ているのなら、起工式典を是非行おうと言い出したのです。」
村落開発案件の起工式とは、全く予定になかった。まあ、日本関連の式典を、日本大使の私にも出番を作ってくれて、行おうということであるから、結構だ。私にとって一番大事な署名式典さえ午前中に予定通り済ませられるなら、ヤイ大統領のお望みどおりに、と答える。

村落開発案件というのは、ベナンの12の県の77村落に、学校教室や診療所など、それぞれの村落の必要に応じた小さな施設を、日本の資金を使って建設するという案件である。以前に、ヤイ大統領が、その起工式を行うから日本大使にベナンまで来てほしい、と言って来ていた。それだけのためにお金をかけて出張するわけにはいかないから、私抜きで起工式をしてください、と言ったら、起工式は延期になっていた。それを私が来たから行おうというのは御尤もなこと。願わくは、もう少し前に言っておいてほしかった。

13日の朝になって、署名式典に出掛けようとしたら、外務省から連絡があって、大統領の予定のほうが大事だから、署名式典は後回し。まず村落開発案件の起工式を先に行うという。後回しといって、時間は大丈夫だろうか。少し心配になる。
「大丈夫、大丈夫。起工式は11時から行うのですが、その後午前中に、署名式典を行うだけの時間があります。ラフィア水資源相との昼食は、少し遅らせます。」
と、外務省の担当局長はこともなげに言う。午後にはクパキ開発相との会談が予定されているが、同じ政府内の予定だから、影響のないように取り計らってくれるだろう。

それで、行き先は外務省の講堂ではなく、まず起工式の会場ということになった。大統領が来て起工式が始まるのが11時だから、10時半までには現地に到着しなければ、と白バイの先導で車を飛ばす。会場は意外に遠かった。コトヌから車で小一時間走る距離にある村だった。村の小学校にテントが張ってあり、大勢の人々が集まっていた。案内されて、会場となっている体育館の演壇に座る。昨日に急遽決まった式典なのに、横断幕も日付入りでちゃんと設えてある。こういうところは、たいしたものである。

さて予定の11時になっても、起工式が始まる様子がない。車を飛ばしてきた意味はなかった。さらに1時間が経つ。12時。同席の大臣たちは、すでに勢ぞろいして演壇に並んでいるけれど、大統領が来る様子はない。このままでは、起工式を終えた後、午前中に署名式典を行うというのは、不可能だ。
「署名式典は、ラフィア水資源相の昼食会のあとに行います。ええっと、午後3時半から署名式典ということにしましょう。」
と、一緒に来てくれている外務省の担当局長。午前の予定で、外務省に集まっていたはずの署名式典の関係者は、どうなっているのだろう、と聞いた。大丈夫、大丈夫、ちゃんと連絡してありますから。午後に予定されていたクパキ開発相との会談は、ちょっと無理ですね、とあっさりキャンセルになった。

ヤイ大統領が現れたのは、午後1時近くになってからである。すでに3時間が無駄に過ぎている。演説などが一通り終わって、さあコトヌに戻ろうと思ったら、まだこれから学校建設の礎石にセメントを流す儀式がある、という。そのまま車列で連れて行かれる。これがまたでこぼこ道を走って行った先の、別の村である。村人が集まっていて、また儀式。ああ、時間はどんどん過ぎていく。

起工式の儀式全てが終了して、コトヌへの帰途についたのは、午後2時半をまわっていた。予定変更して午後3時半からとなっている署名式典には、車を飛ばして帰っても、かなり遅れざるを得ない。出席者には申し訳ないが、大統領の用事があったのだから、分かってもらえるだろう。そう思っていたら、外務省の担当局長は、まずレストランに行くという。ラフィア水資源相の昼食会が待っているから。

ちょっと待って。昼食会など行う暇はないし、ラフィア水資源相だって今日は仕方がなかったと分かるのではないか。何と言っても、相手は大統領である。しかし、外務省担当局長は、大丈夫、大丈夫。私をレストランに連れて行った。水資源相との昼食会は、午後3時半から始まった。さすがに料理を急がせるが、時間はお構いなく過ぎていく。

結局、署名式典会場に到着したのは、午後4時半になっていた。経済協力の交換公文に署名して、水と食料の分野での日本の協力について演説。外務次官も演説。続いてNGOとの契約文書に署名して、婦人の活動への日本の協力について演説。NGOの代表も演説。その後、記念撮影とカクテルがあって、式典が終わった。やれやれ。

一日の終わりになってみれば、結局のところすべて問題なく終了している。誰も、日程が大混乱したことに、責任を感じてもいないどころか、問題であるとさえ思っていなかった様子である。やきもきした私だけが、損をしている。世界とつきあうには、日本人の神経は、もっと図太くならなければならない。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
その気持ち分かります (上海在住日本人)
2009-03-16 13:07:13
ベナンへの出張について読ませて頂きました。
さすがベナンですね。
実は私も中国で仕事をしておりますが、時間にルーズなのはどこの国も同じだと思います。
私が思うのに日本という国は特別なのだと感じます。
中国に来て最初に思ったのが「時間を守らない」でした。
日本のようにお客様に対して時間を守れなければ信頼も何も無くなるというような事が、海外に来ると成立はしません。
「時は金なり」という言葉が通用するのは日本だけでしょうか?
「日本の常識が海外では非常識」となっているのが現実なのですが、逆に日本では考えられない事がその国の常識なのかも知れません。
返信する

コメントを投稿