コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

天国と地獄

2010-03-16 | Weblog
ギトリ県の幹部の人が、席から立ち上がった。司会の人にマイクを求める。日本大使がした話に触発されて、自分も話すことがあると言った。
「そういえば、今日はまだ、祖先の霊にお祈りをしていません。私は、ずっと以前に、祖先の霊に聞いたところ、偉大な人が来て村々を救う、というご託宣でした。そしたら、ケデム大使が現れたのです。引き続き、祖先の霊に聞いたら、やって来る偉大な人は一人ではない、というご託宣でした。そして今日、日本大使が現れたのです。」

そうして、その人の提案で、会場の全員が立ち上がって、祖先の霊への黙祷を捧げた。私は、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教、と挙げて、皆さんの神様に、と述べたのだけれど、ここの村々の人々にとっての神様とは、祖先の霊だったのだ。引き続き、ケデム前イスラエル大使に、マイクが回った。ケデム前大使は、先ほど日本大使が神様の話をしましたので、私も神様の話をします、と切り出した。

「バボコン村の長老が、この人は賢者として尊敬を集めていた人で、たいへん長生きしたのだけれどついに病気になって、死を覚悟しました。それで、その賢者は、つくづくと考えました。自分は確かに賢人であったが、どうも世界の著名な賢人ほどではなくて、それが証拠に、神様という人に会ったことがない。死ぬ前に一度、神様に会っておきたい。そう思うと、死ぬにも死に切れず、毎夜うつうつと時間を過ごしていたのです。ところが、ある夜、夢枕に突然神様が現れました。」

「お前は、私に会いたいと願っているようだが、何故なのだ。そう神様は言いました。おお、と賢者は驚いた。でも答えた。私はもうすぐ死ぬのですが、天国に行くのか地獄に行くのか、知りたいのです。神様は言いました。お前は賢人だったから、どちらでも好きな方に行かせてあげよう。ああ、それは困ります、と賢者。私は天国も地獄も、見た事がないから、どちらがいいか選べと言われても、選びようがありません。そうしたら神様は、分った、それももっともだ。それでは、両方を見せてあげよう。」

「ある日の夜、賢者が夜に外に出てみると、「地獄行き」とかいたバスがやってきた。賢者は早速乗り込んだ。バスは、地獄に入った。そうしたら、稲穂がたわわに実り、木々には果実が豊か、草原には牛や羊が沢山群れている。村にはいると、家々は立派で、広いお庭に花が咲き乱れている。そして、バスは大きなお城についた。」

「賢者がお城に入ると、中には、素晴らしい調度品、ビロードのカーテンが下がり、天井からは豪華なシャンデリア。奥の部屋からいい香りがする。行ってみると、素晴らしいごちそうが並んでいる。あれ、とよくみると、ごちそうが並ぶ机の周りに、人々が椅子に座っている。ところが、体も手も椅子に括りつけられて動けない。人々は痩せこけて、泣きそうな表情である。彼らの手にはスプーンやフォークが握られているのだけれど、長い長い柄のスプーンやフォークなので、御馳走を掬っても自分の口に運ぶことが出来ない。だから、御馳走を目の前にして、食べることが出来ず、泣いていた。」

「翌日の夜、賢者が夜に外に出てみると、「天国行き」とかいたバスがやってきた。賢者は早速乗り込んだ。バスは、天国に入った。そうしたら、稲穂がたわわに実り、木々には果実が豊か、草原には牛や羊が沢山群れている。あれ、この光景はいつか見たことがあるぞ、と賢者。村にはいると、家々は立派で、広いお庭に花が咲き乱れている。あれ、この光景はいつか見たことがあるぞ、と賢者。そして、バスは大きなお城についた」

「賢者がお城に入ると、中には前に見たお城と同じく、素晴らしい調度品、ビロードのカーテンが下がり、天井からは豪華なシャンデリア。そして、同じく奥の部屋からいい香りがする。行ってみると、やはり素晴らしいごちそうが並んでいる。あれ、とよくみると、ごちそうが並ぶ机の周りに、人々が椅子に座っている。ここでも同じように、人々は体も手も椅子に括りつけられ、動けなくなっていた。」

「ところがこちらのお城の人々は、顔色もつやつやとして、明るい笑い声が絶えず、楽しそうにしている。彼らの手にあるスプーンやフォークも、同じように長い柄のスプーンやフォークなので、御馳走を掬っても自分の口に運ぶことが出来ない。ところが、天国のお城の人々は、そのスプーンやフォークで、御馳走を掬っては、机の反対側にいる人の口元に運んであげていた。」

小話を終えて、ケデム大使は言った。
「これが、団結ということです。誰もが、自分のできることで他の人のためになることをする。それが組み合わさっていくことで、幸せが築けるのです。シャローム。」

ケデム大使のお話は、やはり協力の大切さを説く寓話であった。そしてこの式典の挨拶は、神様だらけになってしまった。どんな神様であれ、祝福を与えてくれる神様は歓迎である。ここに集った誰もが、それぞれのやり方で、それぞれの神様に、稲作計画の成功を祈ってほしい。そう思いながら、私は、続いて農耕機械の引渡し行事に移るために席から立ち上がった。

(続く)

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