私たちが食事をするのは、私たちの五感を満足させるためではなく、主のために主と共に働きたいこと、犠牲とつぐないの生活を送りたいという私たちの主に対する気持ちの表われに他なりません。 マザー・テレサ「愛と祈りのことば」より
わたしは食事をこんな風に考えて食べていただろうか?否
一応感謝をしてから食べますが、「犠牲とつぐないの生活を送りたい」なんて少しも思っていなかった。
確かに主のために働きたいとは思うこともあったかもしれないけど・・・
そして聖書を開いてみた。
ありました。テモテへの手紙第一 4章3、4節「食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。神が造られた物はみな良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。」と。
私の信仰って何だったの、心理なんて全然わかってないんじゃない?マザーはカトリックの人なので、プロテスタントとは少し違うかもしれないと思っても、やっぱり空腹を満たすことを第一にしていたような
もっともっとイエス様に近づいていろいろ教えを受けなくちゃ
そして、食事一つ満足に取れないものではなく、行いを伴う信仰を身につけたい
イエス様助けて・・・・
でもでもそんな私なのに、今日も恵みをたくさん下さって(このブログが書けたことも含めて)、守ってくださったことを感謝します。
知りたがりBでした
わたしは食事をこんな風に考えて食べていただろうか?否



ありました。テモテへの手紙第一 4章3、4節「食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。神が造られた物はみな良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。」と。
私の信仰って何だったの、心理なんて全然わかってないんじゃない?マザーはカトリックの人なので、プロテスタントとは少し違うかもしれないと思っても、やっぱり空腹を満たすことを第一にしていたような

もっともっとイエス様に近づいていろいろ教えを受けなくちゃ


イエス様助けて・・・・
でもでもそんな私なのに、今日も恵みをたくさん下さって(このブログが書けたことも含めて)、守ってくださったことを感謝します。

知りたがりBでした