チェンムーのおしゃべり広場

忙中閑ありしとき、ブログにむかひて心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、何とはなしに、心満ちたりにけり。

旅の最後に大笑い

2006-11-29 19:31:04 | 2006秋の四川旅行
旅行日程も全て終了し、成都を飛び立った飛行機は北京を経由し、一路成田へ向かった。
CA421便の中で、ウトウトしていると、とつぜん窓際に座っていた友人が話しかけて来た。
「ねえ、今どこを飛んでいると思う?」

窓の外を見ると、左下にチラチラと明かりが見える。
私:「韓国あたりじゃない?」
友人:「韓国じゃないと思うわ! 静岡あたりじゃない?」
私:「静岡じゃ早すぎない?」
友人:「だって、ほら、あれ富士山だと思うのよ! 私、前に韓国に住んでいたことがあるけど、ああいうきれいな形の山はなかったわよ!あれはきっと富士山よ!」
窓の外を見ると、なるほど富士山らしい影が見える。

私:「ほんと、富士山みたいだね。じゃもう静岡に着いたんだ!でも、富士山にしては、ずいぶん近くに見えるね。近すぎない?これは危ないかもしれないよ!4000万円になるかもしれないよ!」
私達は、出国時に1160円払って死亡時4000万円の保険に入っていたのだった。
友人:「4000万円ねぇ・・・」

しばらくして、
友人:「ねえ、ねえ、おかしいわよ! 富士山まだくっついてくる! 飛行機が止まっているってありうる?」
私:「いや~、聞いたことないよ。」

しばらくして、
友人:「ねえぇ、まだ富士山くっついてくるわ! ほんとにおかしいわねぇ!」
私:「おかしいねぇ!」

しばらくすると、「間もなく成田に着きます。」と飛行機のアナウンスあり。
思わず窓の外を見て私は愕然とした。飛行場の明かりに照らされると、富士山と思っていた黒い影は、飛行機の羽だったのだ。

友人もすでに理解したらしく、クックと身を小さくして笑っている。
私も身をよじって笑い、しばらくは笑いが止まらなかった。

           秋の四川旅行【完】


蜀犬、日に吠ゆ。

2006-11-28 18:13:37 | 2006秋の四川旅行
蜀犬、日に吠ゆ。“蜀犬吠日”は、成語です。
蜀(四川)は山地で霧が多く、太陽を見ることが少ないため、犬は太陽を見ると怪しんで吠える。(見識の狭い人は何でも不思議がる例え)という意味です。

確かに、四川の省都である成都は、日本のように、太陽がキラキラと照り輝く、ということは少なく、いつも雲の後ろに白く光を放っているという感じでした。それに郊外では犬を良く見かけました。(もちろん放し飼い)

下の画像の太陽は本物ではなく、こんな感じだったと、ペイントで私が描いたものです。
でも、女性にとっては、日焼けしないでいいのではないかな!
成都の女性は、中国の美人コンテストで、いつも上位を占めるそうです。



成都での食事

2006-11-27 15:21:11 | 2006秋の四川旅行
観光第1日目の夕食の“四川小吃”です。
小さな器に、料理が少しずつ出て、どれもおいしく感じましたが、中には猛烈に辛いのがあって、これは残しました。


観光第2目の夕食の“四川料理”です(2人分)
もう一品あったのだけれど、食べきれないので、ガイドさんのテーブルに持っていったのです。


観光第3日目は、自由行動の日でしたので、昼食は、個人的にホテルのレストランで“ピザ”を食べることにしました。
注文すると、「薄いのがいいですか?厚いのがいいですか?」と聞かれたので、ピザには薄いのと厚いのがあるんだ! と思ったけれど、「厚いのを下さい。」と言って、テーブルに着きました。
広いレストランに、お客は私達2人だけ、ピザはなかなかやって来ません。多分小麦粉を練っているのだろうと思って、雑談して待つことにしました。
40分ほどして持って来たのが、下の画像のピザ。なるほど、厚い!
8つに切ってあり、友人と2切れずつ食べて充分でした。46元でした。


成都永陵博物館

2006-11-25 09:53:44 | 2006秋の四川旅行
成都永陵博物館は、「五代十国」の動乱期に前蜀を打ち立てた「王健(847~918)」のお墓です。


五代十国時代(907年 - 960年))というのは、中国の唐の滅亡から宋の成立までの間に黄河流域を中心とした華北を統治した五つの王朝(五代)と、華中・華南と華北の一部を支配した諸地方政権(十国)とが興亡した時代です。
王健が立てた前蜀は、「十国」の中の一つの王朝で、現在の四川省の大部分と重慶、陝西省南部、甘粛省の東南及び湖北省の西部を統治しました。



石造りの墓室に置かれた石棺の側面には、太鼓を叩く者、笛奏者・琵琶を奏でる者・舞いを舞う者など、24の伎楽奏者のレリーフがあり、当時の宮廷の華やかな様子が分かります。
そして石棺の東西両側にはそれぞれ6尊の神像が置かれ、凶邪を追い出し、墓主を守り、使者の霊魂に安息をもたらすようにしています。


上の画像は出土品の“銀頤托”です。銀頤托は死者の口が開かないように顎を支える用具らしいです。
私は以前、亡くなった方に最後のお別れをしたことがありましたが、棺の中の死者の口があんぐりと開き、感じが良くなかったので、何とかできないのかと思いましたが、古代もこうしたことを心配して、口を閉じさせるための道具があったことを知り、なるほどと思いました。

このように神聖な王墓に、血縁者でもなく、単なる旅行者の私が、わずか20元の入舘料を払ってジロジロと観察するのは、本当は失礼なのではないでしょうか? 
もし、私が墓主だったら、絶対に拒否するでしょう。







望江楼公園

2006-11-24 09:04:11 | 2006秋の四川旅行

望江楼公園は、成都市街の南東にある自然あふれる公園で、竹の名所としても知られています。
広い公園内には、竹製のテーブルと椅子が置かれ、お茶をのんびりと味わう人、読書する人、編み物をする人、マージャンをする人など、沢山の市民が楽しんでいました。(10元払うと、ボーイが湯のみと、お茶の入った魔法瓶を持ってきてくれます。)



芙蓉の花がとてもきれいに咲いていて、近くを流れる錦江には、白鷺が飛んでいました。
それで、杜甫の絶句の一句目“江碧鳥逾白”の鳥は、きっと白鷺だったのだろうと思いました。



望江楼公園はとても環境の良い、美しい、桃源郷のような公園で、忘れられません。

繁華街の春熙路

2006-11-23 21:36:11 | 2006秋の四川旅行
“春熙路”は成都の繁華街で、歩行者天国です。
イトーヨーカ堂(伊藤洋華堂)もありますが、日本のヨーカードーと違って、スーパー型でなく、高級品を扱っているデパートだそうですので、行くのは敬遠しました。(実は疲れ切っていたので)


アムウェイの大々的な宣伝の看板がありました。


“春熙路”には、なつかしい“冰糖葫蘆”が売っていました。
これは、サンザシの実などを竹串に刺し、煮とかした砂糖の中につけて衣を着せたお菓子です。北京では良く見かけ、何度か食べましたが、甘酸っぱくておいしいです。


紙銭

2006-11-22 09:59:33 | 2006秋の四川旅行
“宝光寺”というところに行きました。
成都市から18kmの新都県の北にあり、成都地域で最も大きな仏教寺院で、ここの五百羅漢は特に有名だそうです。
私はお寺にはあまり興味がなかったので、プラプラしただけで、写真は撮りませんでした。

でも、なんとなく門前の供物を販売するお店に入ると、赤い蝋燭とか、お線香とか売っている中に、“紙銭”があったのです。
中国の小説や映画には、死者のために紙銭を焼く場面がときどきあります。

  

“紙銭”について、広辞苑を引いて見ると以下のような説明がありました。
「死者を祭るときに焼く、紙で作った銭。白い紙を直径10センチくらいの円形に切り、真ん中に四角い穴をあけたもの。そのほか、四角い大きな紙に、たくさんの小さな銭の形を刻みつけたものや、黄色いザラ紙に金紙・銀紙などを貼りつけたものなど各種のものがある。また、“元宝”(馬蹄銀)に似せたものを“紙(元)宝”という。冥界で紙幣として通用すると信じられ、焼いて天上に届けられる。」
     
私が買った紙銭は、広辞苑で説明されているような古風な紙銭でなく、とても現代的で、一束1元(日本円で15円くらい)でした。
上が一億円(日本円で15億円)、下が百円(日本円で1500円)の紙銭でした。

現在、紙銭は迷信的な物品として北京市内での販売は禁止されているそうですが、真偽のほどは分かりません。

三星堆遺跡博物館

2006-11-21 08:56:09 | 2006秋の四川旅行
成都の北40kmにある博物館。三星堆遺跡の出土物を展示するために1997年に建てられた。この遺跡から約3000年前の祭祀跡が発見され、青銅器、玉石器、金製品、象牙など1000点以上の文物が出土した。

その様式は漢民族の文化とは明らかに異なり、漢民族と系列を異にする古代少数民族が独自の高度文明の花を咲かせていたと考えられている。



上の画像は、目が飛び出し、耳が外に張り出し、鼻翼が高く聳えた青銅面具。
ほかにも様々な面具が出土しているが、これら奇怪な面をかぶった古代人が、祭祀を行っている様子を想像すると、神秘的でもあるが不気味な感じがする。でも、面具をはずすと、どんな素顔が出てくるのだろう?

     
三星堆遺跡では、青銅器や玉石器などの上に、積み重なった象牙が大量に出土している。
象の神通力は大きく、邪気を追い払い悪霊を鎮圧できると古代の人々は信じていたらしい。
動物学者の鑑定によると、これらの象はアジア象だそうである。
又、考古材料によると、有史以前及び先秦時代、中国大陸の広範な区域には象が群をなして出没し、人類と親密な関係を持っていたそうである。


グッズ売り場で「三星堆金面罩頭像」という一枚80分(日本円で12円くらい)の切手を、2枚10元(150円)で買った。なぜか一枚では売ってくれない。
この切手は、2001年発行とあるから、5年で6倍くらいの値上がりと言える



杜甫草堂にて

2006-11-20 08:32:33 | 2006秋の四川旅行
“詩聖”として名高い唐の大詩人“杜甫”は安史の乱によって、759年成都に避難することになった。杜甫は4年あまり成都に住み、240首あまりの詩を作ったそうだが、その住居が杜甫草堂。(現在の建築群は、清時代に修建されたものが元になっている。)

画像は、杜甫を知っていたという人が書いた絵を石碑にしたものなので、杜甫の様子を一番良く表していると、ガイドさんが言っていたような気がします。

武侯祠かな?

2006-11-19 21:17:39 | 2006秋の四川旅行
武侯祠は、三国志で有名な諸葛孔明と劉備が祀られている祠堂。
諸葛孔明・劉備玄徳・関羽・張飛像をはじめ、劉備に仕えた文官や武官の塑像が並び、三国志関連の遺物・文物が展示されているが、美しくて印象に残っていたのは赤壁の小道。

それに「出師の表」の拓本を買って来ようと思ったが、ちょっと高かったので、やめることにした。(前と後の2冊で300元だったかな?)

「出師の表」は諸葛孔明が劉備没後、魏を討つため出陣するにあたり、後主劉禅に奉った前後2回の上奏文。

★実は同じ日に「武侯祠」と「杜甫草堂」へ行ったので、記憶がゴチャゴチャしてしまいました。デジカメの日付もタイムも狂ったままなので、もしかしたら、この画像は「武侯祠」ではないかも知れません。苦しんでいます。