あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

Yoytubeから3度目のご紹介

2015年08月19日 23時52分00秒 | Weblog
「教えて!あかりちゃん」シリーズの続きをご紹介します。

教えて!あかりちゃん~なんでロボットになっちゃうの編


教えて!あかりちゃん~似てるよね編


教えて!あかりちゃん~真面目に「謝罪」を考える編


教えて!あかりちゃん~抑止力ってどういうこと?編


安部談話と「三つの視点」

2015年08月17日 23時41分13秒 | Weblog
 安倍首相の戦後70年談話について、リベラル派の一部にも評価する声がある。たとえば次のような部分だ。

「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」
「私たちは、20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります」

 もちろんこの文言自体を否定するつもりはないし、評価する論者を批判するつもりもない。しかし、当然ながら、問題なのはこのことをどのように実現しようとしているのか、またしてきたかである。ぼくたちが見てきたのは、従軍慰安婦の「公的な」存在を否定し、国家としての責任を否定し、慰安婦問題を報道するマスコミを偏向として攻撃し続けてきた安倍氏と政権与党の姿勢である。談話が発表されたのとタイミングを合わせるかのようにフィリピンの元従軍慰安婦による日本政府批判のデモが行われたのは象徴的である。
 ましてや、国際社会の中でも特に男女差別が激しいと言われている日本において、女性の社会進出に対して否定的な言辞を発するのはまさに安倍氏が総裁を務める自民党系の人士が多いのではないだろうか。
 政治家においては言葉が全てだと言う人もいるが、その言葉がその人の現実とかけ離れた空疎なものであったら、それは無意味を通り越して罪悪でしかない。

 今回の談話で特に注目を集めているのが次の一文である。

「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」

 まず第一に間違ってはいけないのは、どの国も日本の民衆、若者に戦争責任を問うているのではないということだ。問われているのは、日本という国家である。国家には継承性が存在する。その国が対外的に結んだ外交条約は、それが破棄されない限り何世代でも有効である。国家による対外債務・債権も同様だ。いかに「あの戦争には何ら関わりがない」と言おうと、国家間の問題にはそれこそ関係がない。
 前回のブログでも書いたように、許すか許さないかは被害者が決めるしかないことである。加害者が「許すべきだ」「許されて当然だ」などと言えるはずがない。加害者にできることはただ謝罪し続けることだけである。その誠意が伝わったときに恩讐は初めて消える。こうした考え方は日本文化における美意識の一つでさえある。なぜそれが侵略の問題になると理解できなくなるのか。そこには、あえて言うが、民族差別的な意識が存在していると思わざるを得ない。いまだに(戦争に負けたにもかかわらず)中国人や朝鮮人を見下しているのである。その意識が透けて見えていたら相手が許す気になるはずがない。

 さて、日曜の日本テレビ「真相報道バンキシャ!」で、今回の安倍氏の首相談話と、その祖父である岸信介が戦犯として収容されていた巣鴨プリズンで書いた手記との間に、酷似した部分が存在していることが指摘されていた。岸信介の手記は次のようなものである。

「大東亜戦争を以て日本の侵略戦争と云ふは許すべからざるところなり。(中略)先進国の二世紀に亘る世界侵略に依る既得権益の確保を目指す世界政策が後進の興隆民族に課したる桎梏、之れを打破せんとする後進興隆民族の台頭、之れその遠因たり。日米交渉に於ける日本の動きの取れぬ窮境、之れその近因たり。(中略)而して吾々は過去に於て未だ嘗て所謂侵略戦争を為したるの歴史を有せず。現在も然り。又将来も断じてあるべからず。」

 つまり…
 15年戦争(日中戦争~太平洋戦争)を日本の侵略戦争だと言われるのは許せない。欧米先進諸国がが200年にわたって世界中で侵略を行い既得権益を確保しようとしたために、アジアなど後進地域の民族は押さえつけられた。(戦争の発生は)それを打破しようとする後進民族の台頭が根本原因であり、日米交渉において日本が身動きのとれない状況に追い込まれたのが直接的原因であった。そういう訳だから、日本が行ったのは侵略戦争ではなく、現在も将来も断じて侵略戦争をすることなどない、
 と言うのである。

 一方の安倍談話は次のように言っている。

「100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました」
「世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました」

 そしてこの文脈の先に、

「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」

 と語られている。
 今回の談話は冗長な上に、様々な文言があちこちにちりばめられ、しかも主語が大変わかりづらい。もちろんわざと分かりづらくしているのだ。だからこのように文脈を切り分けて読んでいってはじめて、この談話における「侵略」という言葉が、主に欧米諸国が行った19世紀から20世紀の世界侵略を指していることがわかるし、その侵略の被害を受けた日本がそれを振り払う自衛のための戦争を起こさざるを得なかったのだ、と言いたいのだということがわかる。
 もう少し斟酌したとしても、ようするに日本が侵略と言われるのなら、欧米の方がずっとひどい侵略をやったでしょ、と言っているのである。この辺りの歴史観は、まさに祖父の岸信介の主張と同じだと言えるだろう。安倍談話において本来「侵略」と言うべき部分は「新世界秩序への挑戦」に言い換えられている。

 さらに、談話発表直後の記者会見で安倍氏は次のようなことも言っている。

「(21世紀構想懇談会の)報告書の中にもあるとおり、(日本のやったことの)中には侵略と評価される行為もあったと思います。先の大戦における日本の行いが侵略という言葉の定義に当てはまれば駄目だが、当てはまらなければ許されるというものではありません」

 つまり、どうしても日本がやったことを自分からは侵略と言いたくないのだ。侵略ではなかったが許される行為ではなかったと言い換えているのである。この点は岸手記とは違っているが、とは言ってもアメリカにおもねるために「反省」ポーズをとらざるを得ないだけなのだろう。考えてみれば、岸も後に総理大臣となったときにはアメリカのポチとなって日米安保再締結を強行したのである。

 ただ、安倍氏はこのように今回の談話を分析的に読まれることをあらかじめけん制している。同じ記者会見で御丁寧にも次のように釘を刺している。

「より幅広い国民とメッセージを共有するという観点からは、一部だけを切り取って強調することよりも、談話全体としてのメッセージを御覧いただきたい、受け取っていただきたいと思います」

 そもそも談話全体が何を言いたいのかわからない、と言うより、わからないように作ってあるのだから、よく言うよというしかない。
 また記者会見では安倍氏は次のようにも述べている。

「私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ…」

 新たなるブロック化であるTPP締結に全力を尽くしている総理大臣の言葉であることを考えると暗然とせざるを得ない。まさにTPPは大国と大企業の意向によって各国の自由と公正を破壊するシステムではないのか。この続きはこうだ。

「途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります」

 まさにTPPが「持てる者」「強い者」にとって一方的に有利な条件を固定化する策動であり、それが国際的、国内的格差をさらに拡大させるものであることは明らかである。この矛盾を安倍氏にはぜひ説明してもらいたい。

 もう一度、話を元に戻す。
 安倍氏は「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせては」ならないと言う。「あの戦争には何ら関わり」がないからという論理だ。しかし「あの戦争には何ら関わり」がないというのはどういう意味だろうか。
 談話の中で安倍氏は「(戦争の)これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある」と述べている。現在の日本人が戦争と全く関係ないなどとは言っていないのである。この部分はあきらかに論理矛盾である。
 それでは「謝罪を続ける宿命を背負」わないで許される条件とは何か。それは敗戦前までの日本の政治思想と政策からの断絶である。よく比較されるドイツでは徹底的にナチス時代を自己批判し、自らがナチスの罪悪を暴き続けることをもって近隣諸国からの「許し」を得た。しかもそれは現在までずっと続けられている。今でも戦犯の摘発が行われ、戦争協力者への糾弾が行われる。振り返って日本ではどうか。見てきたとおり、安倍氏は開戦の詔勅に署名した紛う事なき戦争責任者である岸信介の思想と歴史観をそのまま引き継いでいる。そこには全く断絶がないのである。それで戦争責任を不問にされるはずがない。
 安倍氏が主張するように、この問題は過去にとらわれるべきではなく、未来志向でなければならないし、事実、問題は日本の現在と未来に対して問われているのである。過去の問題は起こってしまったこと、つまり安倍氏が言うとおり「歴史とは実に取り返しのつかない」ものなのだから、問題にされているのは実際には現在と未来の日本が何をするのかと言うことなのである。しかし、その現在の日本の(しかも未来の政治指導者になるかもしれない)若い国会議員が次のようなことを公然と言うような現状ではどうしようもない。

「SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。」(武藤貴也衆院議員による7/30付ツイート)
「そもそも「日本精神」が失われてしまった原因は、戦後もたらされた「欧米の思想」にあると私は考えている。そしてその「欧米の思想」の教科書ともいうべきものが「日本国憲法」であると私は思う。/日本の全ての教科書に、日本国憲法の「三大原理」というものが取り上げられ、全ての子どもに教育されている。その「三大原理」とは言わずと知れた「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」である。(中略)むしろ私はこの三つとも日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている。」(同議員による2012/7/23付ブログ)

 武藤氏は言わずと知れた弱冠36歳ながら強固な「安倍晋三親衛隊員」である。もっとも当の安倍氏が談話発表の記者会見で次のように述べているのはお笑いというか、もはや悲劇であろう。

「我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し(中略)世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」

 ただ、この問題は実は掘り下げてみれば大変複雑な構造を持っている。その意味では、日本の近代史を総括するということが非常に難しく、混乱するのも仕方ない面がある。
 先にドイツの戦争総括について取り上げた。ドイツはナチス時代を否定し決別している。一方の日本は昭和ファシズム時代との連続性をあいまいにし続けている。しかし本当の問題はそこにあるのだろうか。戦争総括についていつも一番大きな問題になるのは中国や韓国の反応である。そうした国々はいったい何を問題にしているのか。もちろんそれは日本の侵略と植民地化の歴史である。それではその日本の侵略と植民地化の歴史はどこから始まったのか。安倍談話では次のように語られている。

「100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」

 日本の近代化というのは別の言い方をすれば帝国主義化である。まさに明治の大日本帝国の成立が対外侵略政策の開始であったと言って良い。明治政府内の征韓論は誰でも聞いたことがあるだろう。談話で触れられている日露戦争もその大きな一環であった。たとえば日本語版ウィキペディアの「日露戦争」の項目の冒頭を見てみよう。

「日露戦争は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争である」

 「日露」戦争とは言っても、別に日本やロシアを戦場に闘われた戦争ではない。ようするに日本とロシアによる朝鮮半島と中国東北部の奪い合いだったのだ。ちなみにこの前段にはもちろん日清戦争がある。同じくウィキペディアを引用してみる。

「日清戦争は、1894年(明治27年)7月(光緒20年6月)から1895年(明治28年)3月(光緒21年2月)にかけて行われた主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる大日本帝国と大清国の戦争である。」

 つまり日清戦争もまた朝鮮半島など植民地の奪い合いだったのだ。日本は日清戦争によって台湾を、日露戦争によって朝鮮半島を併合することとなった。もちろんこうした植民地支配は当時にあっても全ての日本人が肯定したわけではない。石川啄木はそのことを不正と感じ有名な一首を詠んだ。

「地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつつ秋風を聞く」

 日本は欧米列強の脅威を言い訳にして、自らが帝国主義としてアジア各国、各地域の植民地化を目指したのである。岸が書き残した言葉に従えば「世界侵略に依る既得権益の確保を目指す世界政策」をとったのだ。
 こうした侵略政策が、右翼が主張するような「欧米の侵略からのアジア諸国防衛」などにあったわけではないという興味深い記述が残されている。安倍首相が国会演説にも引用するほど心酔する福沢諭吉の文章である。

「奥羽・函館の戦争もすでに平定し、諸藩の兵隊はいずれも東京に集まりたるに(中略)、互いにあい争わんとするの勢いあり。(中略)時の参議・木戸準一郎(孝允)氏はここに一策を案じ、『(中略)兵隊の矛を外に向けてその思想を一に集むるのほかに、策あるべからず。…』」
「『…外に向けるとあれば、その方向はとりあえず朝鮮なり(中略)』」
「…内の人心を一致せしむるために外に対して事端を開くは、政治家の時に行うところの政略…」
「…人心を外に転じせしめるの方便としては、南洋諸島に植民地を開くの策もなきにあらず」
「(しかし)…植民の事業はあまりに尋常の計画にして、一時に人心を転じて内の紛争忘れしむるの効果少なかるべきがゆえに…」
「…我輩はやはり木戸氏のひそみにならうて、朝鮮攻略を主張せざるを得ず」
(福沢諭吉「一大英断を要す」1892/7 なお、引用はIWJ Independent Web Journal「(再掲)2014/01/04 【岩上安身のツイ録】「圧制もまた愉快なるかな」~福沢諭吉の「時事新報」論説を読む 「栄光の明治」の延長としての「暴走の昭和」、そして現代」http://iwj.co.jp/wj/open/archives/118697を参照させていただきました) 

 つまり明治政府の木戸孝允は、明治維新の内戦が一段落ついたところで、このままでは再び旧藩勢力による内乱が起きないとも限らない、これを防ぐためには外に目を向けさせる必要があり、その目標は朝鮮半島侵略であると言ったというのだ。福沢はこうした方策を支持した上で、侵略をするなら簡単に植民地化できる南洋諸国より朝鮮半島がよいと述べている。現在では福沢諭吉が強固な民族差別者であり、格差を是認し、侵略戦争の旗振り役であったことは周知の事実である。実際に福沢が書いているものを読むと胸が悪くなる。

 さてこうして日本の歴史を見てみれば、中国や韓国が批判している日本とは昭和ファシズムの時代に限定されたものではなく、近代日本そのものであることが分かる。ここにドイツとの立場制の違いがある。ドイツが侵略した近隣諸国はそもそも先進国であったのだ。その意味では西洋近代の歴史を共有していた。ヨーロッパ諸国はドイツやイタリアのファシズムは否定できても、その直前にあった近代主義を否定できない。なぜならそれは自己否定になってしまうからである。ドイツは少なくとも周辺諸国からは近代帝国主義の植民地支配という本質的問題で責められることはなかったのである。
 もちろん20世紀後半の国際社会は帝国主義の植民地支配を否定し、植民地解放運動が広範に広がった。その過程でヨーロッパ諸国は批判にさらされることになったのだが、それは戦勝国、敗戦国の区別無く南北問題として表面化した。この部分ではナチス・ドイツを批判する各国とドイツはいわば同じ穴のムジナであった。
 この点で日本は、侵略を行った周辺諸国がそのままアジアの「後進国」であったために、ダイレクトにその近代化そのものが批判にさらされることになってしまったのである。今回の安倍談話への国際的評価の違いを見るとそれは一層明確になる。日本国内では賛否両論が渦巻くが、アメリカは好意的に評価し、中韓は否定的に評価した。これを図式的に描けば次のようになる。

 第一の視点は欧米の視点であり、それは近代帝国主義そのものは否定せず、ファシズムだけを否定する。第二の視点は復古主義者の視点で、帝国主義とファシズムの両方を肯定する。そして第三の視点が戦後民主主義の視点であり、近代帝国主義もファシズムも否定する立場である。第三の視点は、アジアやアフリカなど発展途上国的な視点であると同時に、日本の戦後民主主義の基本的視点であり、またいわゆるフラワーパワーなど戦後の国際的反戦運動、人権主義の視点でもある。
 こうした視点が複雑に絡み合うことで、問題は複雑化する。それが極右・民族主義者にある種の「不公平感」を感じさせてもいる。なぜ欧米と同じことをやっただけなのに日本だけが批判され続けるのか?というよく聞く反発である。

 日本はその近代史の特殊性から、敗戦後に社会の形式としては欧米的近代主義、精神的には戦後民主主義となった。このことはあえて言えば幸運なことであったと言えよう。たぶん最も理想的な近代の最先端の位置に自分たちを置くことができたのである。だがそのことは逆に、この先に進まなければ後に戻るしかないというところに立たされているのだとも言える。
 安倍総理は8月15日の全国戦没者追悼式の式辞で、今年も「不戦の誓い」という言葉を使わず、アジア諸国への加害責任にも触れなかった。その一方で天皇は「過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に」という異例の文言を入れた。ここにはまさに逆行しようとする時代とそれを阻もうとする戦後民主主義のせめぎ合いがあった。
 先に戦争責任が問われているのは国家であって、民衆ではないと書いた。しかし、もしぼくたちが民主主義であろうとするのなら、国家の責任は有権者である国民が担うしかない。ぼくたちは自分たちがいったいどこから来たのか、そしてどこに行くべきかを主体的に自らを切開することの中から考えなくてはならない。それは残念ながら政治家たちが言うようなバラ色の未来につながるものではないだろう。どの道を選んでも茨の道だ。しかしだからこそ目をそらさずに前に進まねばならないのである。
 安倍首相も次のように言っている。言うまでもないが、この言葉を空疎な笑い話に済ますのか、それとも実体的な内容を持つものにするのか、それはぼくたちの問題である。

「歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります」

過去の談話を引き継がなかった安倍談話

2015年08月14日 20時40分51秒 | Weblog
 戦後70年の安倍談話は、あまりにも意外な展開を見せた。当初、安倍氏は、いわゆる過去の総理談話のキーワード「痛切な反省、植民地支配、お詫び、侵略」を使わないという方針を打ち出していた。ところが安倍氏の誤算は、その後の戦争法案(安保法制)の強行採決などを経て、一気に安倍政権の極右体質への批判が大きくなり、強きの態度を取り続けると政権自体が危うくなるまでに追い込まれてしまったことだった。
 そこで、戦争法案の参議院審議の最中はなるべく反対派の勢いを抑えようと、たとえば辺野古基地建設の一時中断などの表面的な融和策を取ることになった。総理談話も同じく、突然、四つのキーワードを盛り込むという発表をした。これはその直前までの報道を完全に覆し、驚きを持って捉えられた。
 ところが、今日の午後六時、語られた総理談話は、全くと言ってよいほど過去の談話を踏襲していなかった。確かに言葉としては「踏襲する」と言い、文言の中にキーワードもちりばめられている。しかし、言葉を使えば過去の総理談話を踏襲するというものではない。その内容には日本が行った侵略と植民地支配への反省とお詫びは含まれていないのである。安倍氏が語ったのは、客観的歴史としての侵略と植民地支配の歴史であり、過去の総理談話が何を言ったかという紹介でしかなかった。そこには自分の主体的な反省も謝罪も無かったし、日本が侵略と植民地支配をしたという問題へ真正面から向き合っていなかった。
 これは安倍政権がずっと繰り返している「言葉のすり替え」でしかない。国外で自分の国が攻められていないのに相手を先制攻撃したり、アメリカ軍の核攻撃に荷担したりできるようにする法律に、「安全」の文字を使うのと同じことである。「自分の国が他国を侵略した」と言うのと「侵略の時代に自分の国が巻き込まれた」と言うのとでは、全くその立場、その意味が違う。しかも、その侵略の第一歩であった日露戦争をもって、アジア解放の希望を与えたというような全く噴飯ものの歴史認識も織り交ぜているのである。
 「キーワードを使う」という事前の発表は、マスコミが騒がないようにする実質的な「ウソ」でしかなかった。こんな姑息なことをする者を総理大臣にしていることは、日本人として大きな恥と言うしかない。しかも安倍氏はその発表のタイミングも、入念に考えられたものだった。別に朝に閣議決定して昼の発表でも良かったのである。午後3時でも5時でもよかった。しかし、そうするとテレビ各局の夕方のニュースでその内容が詳細に分析されてしまう。そこで自分の生中継だけはさせてメディアに露出し、しかし時間切れでニュース中でその姑息な意図が分析されないような絶妙なタイミングとして午後6時が設定されたのである。
 そしてその後、詳しく報道する最初のメジャーなニュース番組がNHKの7時のニュースなのだが、これが提灯報道でしかなかった。直前の民法のニュース番組ではコメンテーターがかろうじて問題点を指摘していたのに、NHKは「四つのキーワードが全て使われた」「中韓は理解してくれるし関係は改善するはず」という手放しで評価するニュアンスで報道した。まったくなーと言うしかない。
 安倍氏は談話の中で、次の世代にまで謝罪はさせたくないと言った。しかし、このような談話を発表していたら、いつまで経っても日本は理解されない。鳩山由紀夫元首相はソウルで「傷ついた国々の国民が『やめてもよい』と言う時期が来るまで、続けなければならない」と述べたが、それは全くその通りである。
 よく「いつまで謝れば良いんだ」という言葉を聞くが、たとえばある凶悪な犯罪を犯した犯人がいるとしよう。その人物が裁判で「痛烈な反省とお詫び」を言ったら、世間はそのまま許すのだろうか。たとえば10年経ったら許すだろうか。しかもその犯人が表向きは「反省と謝罪」を口にしていても、裏に回ったらその真逆のことを、自分は悪くないとか、相手が悪い、周囲が悪いとか、こんな犯罪は実はたいしたことはないとか言っていたとしたら、世間は許すだろうか。日本がやってきたことは、というより自民党や右翼がやって来たことはこういうことなのである。犯人の家族の家ではそんな犯人を全面的に肯定して、自分の家の者が犯した犯罪を悪く言うのは「自虐的だ」と言っていたとしたら、あなたはどう思うだろうか。
 そもそも安倍氏個人が過去の総理談話を否定的に捉えていることを明言している。百歩譲って政府としては「反省と謝罪」を引き継ぐのだと言ったところで、本心が全く違う人物が総理大臣をやっているというところで、その談話の価値は大変に低くなってしまう。問題は別に他国がどう評価するかではない。他国の評価に左右される必要はない。自分たちの国の指導者がこういう人物でよいのか、自分たちの国がこういう方向でよいのか、そのことが一番の問題なのだ。その意味で、我々がこの談話を受け入れるのかどうか、そのことは我々の内側を問うているのである。


広島原爆の日、安倍首相は

2015年08月06日 18時24分34秒 | Weblog
 広島原爆の日。今年の安倍首相のあいさつからは、史上初めて「非核三原則」の言葉が消された。このことは大変重要である。14日の首相談話でも安倍氏は「お詫び」という言葉を入れない可能性が高い。つまりこれが戦後70年を「戦後レジームの総決算」と位置づけ、戦後から新たな戦前への転換点とするアピールなのである。

 政府の使う言葉は一般的な言葉ではない。その一言一句に意味があり、歴史的に縛られている。たとえば自衛隊を「軍隊」と言ってはいけない。それは憲法を堅持するかどうかの政策的立場制を決めるからだ。安倍氏はそれがわかっているのかどうか、先日「我が軍」と呼んで波紋を広げた。あいさつや談話であったとしても、それが政府もしくは閣僚の公式の言葉である場合は、その言葉だけではなく、何を言わないのかも大きなメッセージとなる。安倍氏や管官房長官はさかんに「さんざん過去を踏襲していると言っているのだから、わざわざ言わなくてもわかってもらえるはず」と言うが、それはただの言い訳に過ぎない。言わないことで今後の政治的方向性を決定しようとしているのである。

 折しも国会では戦争法案の審議の中で、防衛大臣が自衛隊による核兵器輸送が法文上可能であることを明言した。この中で中谷防衛大臣は「非核三原則があるから実際に核兵器を輸送することは絶対にない」とも発言したが、あまりにも頓珍漢である。言うまでもなく非核三原則とは「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」である。集団的自衛権とは全く別次元の問題だ。輸送なんだから自衛隊が保有するわけでも、製造するわけでもないし、ここで問題になるケースは国外の話だから持ち込むわけでもないだろう。別に自衛隊に核兵器を運べと言いたいのではない。だがこの答弁は論理的に噛み合っていないのである。これが国会で国会議員同士で行われている議論かと思うと、暗澹たる気持ちになる。
 だいたい「国是」だとか「原則」だとか「絶対」だとかは、結果に対して使う言葉であって、根拠、論拠になるものではない。「戦争放棄」の国是を守る根拠に憲法第九条があるのであって、戦争放棄の国是が憲法の平和主義を維持する根拠にならないのは、現在の安倍政権の動きを見れば明らかだ。事実、「武器輸出三原則」も「武力行使の三要件」も安倍政権によっていとも容易く変更されてしまった。最高法規の憲法でさえ乗り越えられてしまうのに、原則とか要件とか法律ですらないものが歯止めになるはずがない。

 安倍政権にはあまりにも批判すべき点が多い。つい先日、「法的安定性なんか関係ない」と暴言を吐いた例の礒崎首相補佐官が、なんの恥じらいもなく「来夏の参院選は憲法改正のための大事な選挙。自民党で単独過半数を取り、憲法改正を有利に進めたい」と発言したという。そもそも現憲法を否定している者が政治の中枢にいるというこの矛盾が、もう限界にまで来ていると言ってよい。どのように言おうと、彼らの本音は現憲法の廃棄=自主憲法制定=明治憲法復活以外のなにものでもない。
 このことの危険性に多くの人が気付き、自民党=保守・右翼勢力による支配という戦後レジームを乗り越えることができたとき、それが本当の脱戦後だと言えるのだろう。

今日のネット署名

2015年08月04日 20時19分14秒 | Weblog
 ぼくは度々インターネット署名をしている。
 どれくらい意味があるのかは分からない。しかし別にたいした負担もないのだから、役に立つか立たぬかはともかく、ネット署名をして悪いこともない。そんな感じで参加した署名運動を紹介している。
 今日賛同した署名は次の署名である。

セシルの死を無駄にしない!アフリカライオンを守るための規制強化を求めます


「教えて!ヒゲの隊長」を書き起こしてみた

2015年08月01日 21時13分51秒 | Weblog
 今、自民党の作ったアニメ動画「教えて!ヒゲの隊長」が話題だ。もっとも話題になっているのは、それに対するカウンターのパロディー版である「ヒゲの隊長に教えてあげてみた」の方なのだが。
 自民党のオリジナル版では、徴兵制の問題に触れかけたところで終わっていたことが疑問視されていたのだが、先日パート2が公開され、そこからの続きとなっている。
 さて、カウンター版の方はネット上に多くの書き起こしが掲載されているが,オリジナルの方のテキストがなかなか見つからない。どういう立場であれ、やはりテキストでちゃんと確認しておくことは重要だと思う。そこでともかく自分で書き起こしをやってみた。いろいろ突っ込みどころがあるが、とりあえず今回は何も付け足さずにテキストだけを掲載しておく。何かの役に立ったら幸いだ。
 なお、動画は以下の所にある。念のため。

教えて!ヒゲの隊長
http://www.youtube.com/watch?v=0YzSHNlSs9g


教えて!ヒゲの隊長 Part2 - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=CMZKitpe-nk


【あかりちゃん】ヒゲの隊長に教えてあげてみた
http://www.youtube.com/watch?v=L9WjGyo9AU8


────────────────────────
『教えて!ヒゲの隊長』

風の音。
砂漠をイメージした壁紙の中に国連部隊の兵士のように見える人影が薄く浮かび上がる。

タイトル画面

(男女の声)教えて! ヒゲの隊長ー。

電車の車内
女子高生あかりちゃんが座って本を読んでいる隣にヒゲの隊長が座る。

(ヒゲの隊長)あれっ あかりちゃん?

(あかり)あっ ヒゲの隊長さん! ナーイスタイミングゥ!

(隊)なに? ナイスタイミングって。

(あ)いま会いたい人ナンバーワンよ、隊長さん! だって、訊きたいことが、こんなに、こんなに、こーんなに、あるんですもの。

(隊)そりゃ大変だ。

(あ)じゃあ、ズバリ訊くわよ。日本は、戦争に巻き込まれちゃうの?

(隊)そんなことない。でも本気で心配なんだね。大事な問題だよね。政治を預かる私たちも真剣に考えているんだ。

(あ)ニュースでも平和安全ナントカって法律のことを言っているけど。

キャプション「平和安全法制」
キャプション「日本国民の命と平和な暮らしを守る法律」

(隊)平和安全法制のことだね。日本国民みんなの命と平和な暮らしを守る、そのための法律の整備だよ。あかりちゃんも知っているとおり、最近の日本を取り巻く状勢は、残念ながら決して安全とは言えなくなっているよね。

(あ)うん。ホント心配。

(隊)実際に日本にミサイルを向けている国があるの知ってる?

(あ)なんとなくは…。

(隊)もし現実にミサイルを撃ってきたらどうする?

(あ)えっ撃ってくるの? ムリムリ! 誰か守ってー!

(隊)そうだよね。私たちも守りたいと思っているんだ。他にも尖閣諸島でのトラブルとか知ってるでしょ。日本の領土、領空を守るために自衛隊の飛行機が緊急発進した回数は、なんと10年前の7倍になっているんだ。北朝鮮も核実験を繰り返しているし、最近はテロやサイバー攻撃もホントに深刻。私たち日本人もいろんな脅威にさらされているんだ。

(あ)やれやれ、物騒だねえ。

(隊)そこで問題なのは、今ある法律ではね、いくつか隙間があって万が一の事態に対応できないということなんだ。具体的には戦争が起きた国から日本人を避難させようとしてアメリカの船が運んでくれていても、その船を守ることができないんだ。あと日本に向けて発射されたミサイルを同盟国のアメリカの戦艦が撃ち落とそうとする。そのときその戦艦が攻撃されても何にも手助けができないんだ。おかしいよね。だって撃ち落としに失敗したら、日本にミサイルが飛んで来るのに。

キャプション「スキマ!」

(あ)わー恐ーい!

(隊)だから日本人の安全を守るため、いろいろな法律を点検して隙間を防ぐこと、そして協力し合って、日本を守ることが大事。そうすることで抑止力がさらに高まり、戦争を未然に防ぐ、それが平和安全法制の目的なんだ。

キャプション「スキマを防ぐ!」
キャプション「抑止力が高まり、戦争を未然に防ぐ」

(あ)隙間に物が挟まると虫歯になるしね。それと抑止力って言葉よく聞くけど。

キャプション「抑止力」

(隊)それはね。軽々しく日本を攻撃しようなんて思わせない力。相手を思いとどまらせることだね。抑止力が高まれば戦争が起きにくくなる。

キャプション「抑止力=戦争を起きにくくする力」

(あ)じゃあ抑止力があればいいのね。

(隊)ははん、そんなに簡単じゃないんだ。でも、何重にもそなえることは大事。アメリカとの同盟関係も強化するし、それだけでなく、アジアの国々や世界中の友好国と信頼関係を深める努力も一層大事になってくるよね。具体的には、積極的に国際社会の責任を果たすこと。どんな国もいまや一国だけで安全を守ることはできないよね。だから日本自身が国際社会の平和と繁栄に積極的に貢献をして信頼されるメンバーになることが必要なんだ。いろんな国々が国際社会の平和と安全のため汗を流している。日本も人道的な国際貢献の幅を広げたりして更に汗を流していくことが重要なんだよね。

キャプション「積極的に国際社会の責任を果たすこと」
キャプション「信頼されるメンバー」

(あ)自衛隊さんには頑張って欲しいね。

(隊)ついついみんな他人事みたいになっちゃうけど、政治家や自衛隊だけの話じゃないんだ。みんなで関心を持って正しく理解することが日本にとって一番大事だね。

(あ)うん、私も頑張るわ。…で、本当に戦争に巻き込まれたりしちゃわないわけ?

(隊)そんなことないから。徴兵制なんかも絶対にあり得ない。だって…。

キャプション「徴兵制」

(あ)あれっ、もう着いちゃった。もっと、もっと、もっと話を聞きたかったけど、続きはまたね、ヒゲの隊長さん!

(隊)ははっ、お手柔らかに。

あかり立ち上がって敬礼(?)する。

(あ)シーユーっ!

あかりドアの方に歩いて行く。
終わり

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『教えて!ヒゲの隊長 Part2』

風の音。
砂漠をイメージした壁紙の中に国連部隊の兵士のように見える人影が薄く浮かび上がる。

タイトル画面

(男女の声)教えて! ヒゲの隊長ー。

電車の車内
女子高生あかりちゃんが座って本を読んでいる隣にヒゲの隊長が座る。

(あ)あっー、ヒゲの隊長さん! またまたナーイスタイミングゥ!

(隊)やあ、あかりちゃん、また会ったね。

(あ)あれから他人ごとじゃいけないと思って色々見たり聞いたりしたけど、わからないことが、こんなに、こんなに、こーんなにあって、もうヒゲの隊長さん、一家に一台必要だと思ったわよ。

(隊)一家に一台? それじゃヒゲロボの隊長だな。

隊長がロボットに変身する。

(あ)じゃあ、今日も平和安全法制についてあれこれ訊くわね。覚悟して! …うふふっ。

隊長もとに戻る。
キャプション「Q.日本は近い将来、徴兵制になるの?」

(あ)じゃあこの前の続き。最初のお便りです。日本は徴兵制になるんですか。

(隊)えっ、誰から?

(あ)日本のみんなからよ。細かいことはあまり気にしないで。

(隊)ははん。ではお答えします。それは大きな大きな間違い。徴兵制は今の憲法では許されていないよ。そもそも最近では訓練されたプロしか扱えない装備がほとんどで、素人が戦闘機とか戦車を扱えると思う?

(あ)うーん、無理だと思うわ。

(隊)だから徴兵制を導入する意味は少なくなっているんだ。サミットに参加している先進7カ国はどこも徴兵制をやっていないよ。だから日本は憲法上も必要性からも徴兵制の国にはなりません。

キャプション「A.日本は徴兵制になりません!」

(あ)むりやり兵隊にされるのは嫌よね。私も絶対反対! では次の質問ね。憲法学者の先生たちが憲法違反だって言っているけど大丈夫なの。

キャプション「Q.平和安全法制は憲法違反なの?」

(隊)憲法学者の中にも憲法違反ではないと言う人、違反だと言う人、その両方がいて、違反だという人の中には自衛隊そのものが憲法違反だと言う人もいるくらい。

(あ)えーっ専門の先生たちでさえいろんな意見があるのに、どう考えたらいいの?

(隊)日本を取り巻く環境が厳しくなる中で、国民の命を守るための必要な自衛の措置はどこまでなの?とずーっと議論してきたんだ。そして、最高裁判所の判例の範囲内で国民を守るために集団的自衛権の一部を認める平和安全法制を作ったんだ。だから絶対に憲法違反じゃない。

キャプション「A.平和安全法制は憲法が定める範囲で制定!」

(あ)知らなかった。最高裁判所が認めた範囲なら安心ね。

(隊)武力行使や集団的自衛権のことばかり話題になるけど、まず大事なことは平和外交なんだ。自衛のためとは言え、自衛隊が武力の行使をしなくても良い国際環境を作る外交努力が一番だと思うよ。

(あ)うん、大事よね。

(隊)でも万が一の事態に備えて準備をしておかないといけないし、しっかり備えをしておけば、日本を攻撃しようとする国も自分も大きな被害が出るから攻撃を止めようと思うかもしれないよね。

キャプション「抑止力」

(あ)抑止力!

(隊)そのとおり! わかってきたね。でもそれでも攻撃を仕掛けてくる場合には国民を守るために自衛隊は対応しないといけないよね。

(あ)そりゃあちゃんと守ってもらわないと。でも、どういう場合に自衛隊って対応できるの?

キャプション「Q.自衛隊はどのような場合に出動するの?」

(隊)自衛隊が動けるのは国民を守るための必要な自衛の措置の範囲内に限られるから、今回の平和安全法制でも厳しい歯止めをかけているんだ。つまり、むやみに自衛隊を出すことはできない。武力を行使する場合も新三要件を満たして、しかも国会の承認が必要な仕組みにしているんだ。

キャプション「国民を守る為に自衛が必要なとき」
キャプション「新三要件を満たしている」
キャプション「国会の承認が必要」

(あ)新三要件? なんだか難しそうな話に聞こえるけど…

キャプション「新三要件」

(隊)そうかもしれないけど、大事だからよく聞いて。これから言う三つの条件にあてはまらない限り、自衛権は使えないんだ。まずひとつめ。どこかの国が日本を武力攻撃してきた場合。または日本と密接な関係にある国、たとえばアメリカなどに対して武力攻撃が発生したことで、日本国民の命や平和な暮らしが脅かされる明らかな危険がある場合に限るんだ。

キャプション「1.我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」

(あ)「日本が攻撃を受けた場合」というのはわかるけど、アメリカなどが武力攻撃を受けた場合っていうのは、たしか、このまえ会った時に教えてもらったわよね。

(隊)そうそう、紛争国から逃げる日本人を乗せたアメリカの輸送艦が攻撃を受けた場合のことだったね。とにかく日本人士(?)を守るためでなきゃ出動できない。それ以外の目的で他の国を守るために武力を使うことはできないんだ。

(あ)日本を守るためだけなのね。

(隊)ははん。では新三要件の二つ目。これを排除するために他に適当な手段が無いこと。何度も言っているけどね。

キャプション「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと」

(あ)日本の武力行使は最後の手段よね。

(隊)そう、他って言うのは外交などあらゆる手段を尽くして他に手立てがないっていうこと。武力以外に日本の平和や日本人の安全を守ることができないっていう状態だ。そしてその場合の武力の行使も新三要件の三つ目、必要最小限の実力行使に止まるべきことと決められているんだ。必要最小限度ってことが大事。

キャプション「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」

(あ)うん、かなり理解できた気がする。でもね、そうは言っても武力の使用を許すとアメリカに頼まれて関係ない戦争に巻き込まれちゃうんじゃないかなぁ。

(隊)それはあり得ないよ。さっきも言ったとおり、日本が武力行使をするのは日本国民を守るために限るんだ。新たな日米合意の中にもはっきりと書き込まれているからね。そのことはアメリカも理解しているよ。かつての湾岸戦争やイラク戦争のような戦争の参加を要請された場合は必ず断ります。

(あ)そう、そこそこ! アメリカとその約束が無ければ、なーんでもありになっちゃうからね。じゃあ、最後の質問。PKOのヒゲの隊長さんだからこそわかる質問よ。実際に国際貢献する時にどんな苦労や問題があるか教えてほしいな。

キャプション「Q.今の法律だと国際貢献の際に問題があるの?」

(隊)ニュースでも話題になったので覚えている人も多いと思うんだけど、具体的にどういう問題かというと、派遣された自衛隊は任務や武器の使用が制限されているから自衛隊のキャンプ地近くの日本のNGOやマスコミの人たちから守ってほしいっと要請があっても駆けつけて守ることができない。おかしいでしょ? あと建設材料や援助物資とかの輸送団を護衛できないとか、他国軍の医療部隊に医療技術の手ほどきができないとか、もうホントに現場は大変なんだ。

(あ)国際貢献でしっかり成果を出すためにも、現場にいる隊員さんが危ない目にあったり、困っってしまう状況は問題ね。

(隊)だから今回の平和安全法制で現場の自衛隊が迷ったり困ったりしないようにしてあげて、隊員の安全を確保しながら更に力を発揮できるようにするんだよ。

(あ)あー、もう駅に着いちゃった。今日も隊長さんのヒゲのように濃いぃ時間だったわ。ヒゲの隊長さん、ありがとね。シーユーっ。

あかりドアの方に歩いて行く。
終わり