岩淸水

心を潤す

丸岩

2010年07月15日 21時02分19秒 | 言葉の説明

 「ことばの説明」 見出し

丸岩【岩淸水・言葉の説明】 丸岩

拡大  丸岩大橋より

 

王湯【岩淸水・言葉の説明】 王湯

始めて八ッ場ダムを訪れたとき、自分のいる場所だとか。方角が判らなくて、困った事がある。丸岩は、その特異な山容から、このあたりのランドマークとしての、利用価値が多い。北アルプスでは、槍ヶ岳。八ッ場では、丸岩である。

王湯の絵を撮ったのは、八ッ場大橋の中央部から。そして、不動大橋からも、丸岩は見えるし。丸岩大橋からも、当然正面に見える。

 

 

Google マップ【丸岩付近】 Google マップ 【丸岩付近】

 

 

群馬県長野原町観光サイト » 真田ゆかりの地-丸岩城址

丸岩城址(丸屋用害)

○丸岩城の概要
 長野原町大字横壁の南方丸岩の岩峯は丸岩城址を頂いている。北面は赤い岩肌をむき出した絶壁となり、南は岩峯から続く稜線が起状しながら須賀尾峠へと伸びている。
 標高1,120m、三方は100m余の岩壁を繞らし、南の一方だけが登路になっていて峠に通じている。この稜線が追手虎口で蜒々170m余の土居が北西に向かってのびていて、西風を防ぐ役割を果たしており、須賀尾峠からの登山道になっている。
この土居の南端部東側(追手虎口附近)には武者溜が見られ、その東と南との下方には腰曲輪がついている。

○丸岩城は柳沢城の要害城
丸岩城は柳沢城の要害城であって、両城を合わせて横壁城というべきであろう。この城とは別に丸屋の要害ともいい、築城年月については不詳であるが、加沢記によれば永禄6年(1563)10月中旬真田昌幸、矢沢頼綱は五百余人を引きつれて、大手三島大竹の陣所に向う途中、この丸屋要害を通ったことが記されている。このとき大戸真楽斎、弟但馬守の両名は二百人程の兵を率い須賀尾峠丸屋の要害に出迎え、真田の兵と合わせて七百余騎云々とある。或るいはこの時代、この城は大戸真楽斎の城であったのではあるまいか。
(記事の全文は、こちら をクリックしてご覧下さい。)

 

 

 沼田から国道145号に沿って、八ッ場ダムの工事を見て、丸岩大橋を渡ると、正面に丸岩の奇岩が見える。吾妻郡長野原町で国道は、国道292号(バイパス) につながる。この道は六合村を通らず、急勾配を避けたバイパス的存在である。などと、wikipedia に記されている。遅沢川に沿って登り、西吾妻福祉病院や道の駅草津運動茶屋公園、草津町立草津小学校を通る。六合村経由の現道(国道292号)とは「草津交差点」で合流する。

 

カーナビに導かれるままに、走っていたら

万座ハイウェイの方に進んでしまっていた。

それで引き返して、草津町への方角に進むこととした。

 

 

 

不動 大橋【岩淸水・言葉の説明】 不動 大橋 

 

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