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ドーリットル空襲

2010年12月03日 13時29分51秒 | 言葉の説明

 

 

 


ドーリットル空襲 ドーリットルくうしゅう、 英語:Doolittle Raid )、

またはドゥリットル空襲とは、第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)4月18日に、
アメリカ軍が、航空母艦に搭載した陸軍の爆撃機によって行った日本本土に対する
初めての空襲である。なお作戦遂行において中華民国軍の支援を受けた。
名称は空襲の指揮官であったジミー・ドーリットル中佐に由来する。


相次ぐアメリカ本土攻撃 [編集]1941年(昭和16年)12月8日に行われた真珠湾攻撃以降、アメリカ軍は日本軍に対し各方面で一方的な敗退が続き、さらに開戦後には、同攻撃の援護を行っていた日本海軍の 巡潜乙型潜水艦 計9隻(伊9、伊10、伊15、伊17、伊19、伊21、伊23、伊25、伊26[2]。10隻との記録もある)は、太平洋のアメリカとカナダ、メキシコの西海岸に展開し、12月20日頃より連合国、特にアメリカに対する通商破壊戦を展開した。

 


 伊四〇型潜水艦(乙型改1)

その結果、翌年上旬までにアメリカ西海岸沿岸を航行中のアメリカのタンカーや貨物船を5隻撃沈し、5隻大破させ、その総トン数は6万4669トンに上った。中には西海岸沿岸の住宅街の沖わずか数キロにおいて、日中に多くの市民の目前で貨物船を撃沈した他、浮上して艦船への砲撃を行い撃沈するなど、活潑な作戦を行った。

さらに1942年(昭和17年)2月24日には、日本海軍の伊17乙型大型潜水艦によるカリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド石油製油所への砲撃を行うなど[3]、一連の本土への先制攻撃を行った。


日本本土攻撃計画 [編集]これらの日本軍による一連の本土への先制攻撃は、これまで長い間本土を攻撃された経験のないアメリカ政府のみならず国民に大きな衝撃を与えた。この様な状況を受けて、アメリカ軍は士気を高める方策として帝都、東京を攻撃する計画を立てた。

しかし、当時アジア太平洋の各地域で敗退を続けていたアメリカ海軍の潜水艦は、警戒の厳しい日本本土を砲撃することのみならず、近付くにも大きな危険が伴うために、海軍艦船による砲撃は行えないと考えられた。アメリカ海軍は、潜水艦搭載偵察機とそれを搭載する大型潜水艦を実用化していなかった。

 

また、アメリカ陸軍は長距離爆撃機を保有していたものの、その行動半径内に日本を収める基地は無く、ソ連の領土は日ソ中立条約のため、爆撃のための基地使用は行えなかった。また、アメリカ海軍の空母艦載機は航続距離が短く、爆撃のためには空母を日本近海に接近させる必要があり、これは太平洋上で唯一動ける空母機動部隊が危険に晒されることを意味した。その一方、米軍空母機動部隊は1942年初頭から、マーシャル・ギルバート諸島機動空襲を皮切りに日本軍の警戒が手薄な拠点に牽制攻撃をかけている。宇垣纏連合艦隊参謀長は2月2日の陣中日誌『戦藻録』に「冒険性は彼の特徴なり。今や戦局南に西に火花を散らすの時機に投じたりと謂ふべく実効果と合わせ牽制の目的を達したり。今後と雖も彼として最もやりよく旦効果的なる本法を執るべし。其の最大なるものを帝都空襲なりとす。」と記した[4]。宇垣は3月11日にも、戦勝祝賀日の最中に本土空襲があることを想定して「其の結果思ふだに戦慄を禁ずる能はず」と述べている[5]。だが宇垣の懸念は個人的なものにとどまり、日本軍に共有されなかった[要出典]。


空母艦載機による空襲計画 [編集]

空母ホーネットに詰め込まれたB-25

B-25 ミッチェル

B-25ミッチェル爆撃機ルーズベルト大統領は、真珠湾攻撃から間もない1942年1月16日の段階で、海軍に日本本土空襲の可能性を研究させていた[6]。1月31日、空母「ホーネット」を上空から視察した海軍作戦部作戦参謀フランシス・S・ロー海軍大佐は、双発爆撃機を空母から発進させるプランを思いつく。ローはこのアイデアを航空作戦参謀ドナルド・B・ダンカン海軍大佐に報告した[7]。2月1日、ノーフォーク沖でジョン・E・フィッツラルド海軍大尉とジェームス・F・マッカーシー海軍大尉がB-25を空母「ホーネット」から発進させることに成功する[8]。そんな中、アメリカ海軍の潜水艦乗組員が「航続距離の長い陸軍の爆撃機を空母から発艦させ、爆撃後には同盟国である中華民国の領土に着陸させてはどうだろうか」とルーズベルトに進言した。

陸軍爆撃機の空母からの発艦は実戦では初であり、この作戦の詳細は大統領にさえトップシークレットとされた。また、空母に着艦するのではなく、日本列島を横断して当時、日本軍と戦争中であり、連合国軍の主要構成国の1国であった中華民国東部に中華民国国軍の誘導信号の下で着陸する予定となった。米軍はウラジオストクを避難場所とすることを検討してソ連に提案したが、日本と中立条約を結んでいた同国は拒否した[9]。B-25を搭載する空母は「ホーネット」とされ、姉妹艦「エンタープライズ」が護衛に付くこととなった。

ノースアメリカンB-25爆撃機の方は、第17爆撃隊(第34、第37、第95爆撃中隊、第89偵察中隊)から志願者を選別し、24機を抽出した。長距離飛行が要求されるため、燃料タンクを大幅に増設したほか、任務の性格上必要ないと判断されたノルデン爆撃照準器を取り外した[10]。4月1日、16機がサンフランシスコ・アラメダ埠頭で空母「ホーネット」の甲板にクレーンで搭載された[11]。

 参加兵力 [編集]第18任務部隊

ウィリアム・F・ハルゼー中将
空母 「ホーネット」
重巡洋艦:ノーザンプトン
重巡洋艦:ヴィンセンス
軽巡洋艦:ナッシュビル
第52駆逐隊
駆逐艦:グイ、グレイソン、メレデス、モンセン
給油艦:シマロン
(4月13日、ミッドウェー環礁北方で第16任務部隊と合同。同部隊に編入)

第16任務部隊

空母 「エンタープライズ」
重巡洋艦:ソルトレイクシティ
重巡洋艦:ノーザンプトン
駆逐艦:ヴァルチ、ベンヘン、ファニング、エレット
給油艦:サビン

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■ 2009年7月9日
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