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旧約聖書

2011年05月11日 10時00分00秒 | 言葉の説明

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旧約聖書  (英語 the Old Testament  ヘブライ語  תַּנַ"ךְ‎  )

旧約聖書(きゅうやくせいしょ)は、ユダヤ教およびキリスト教の正典である。また、イスラム教においてもその一部(モーセ五書、詩篇)が啓典とされている。「旧約聖書」という呼称は旧約の成就としての『新約聖書』を持つキリスト教の立場からのもので、ユダヤ教ではこれが唯一の「聖書」である。そのためユダヤ教では旧約聖書とは呼ばれず、単に聖書と呼ばれる。『旧約聖書』は原則としてヘブライ語で記載され、一部にアラム語で記載されている。

上記3宗教の文化圏では近代の考古学によって古代文明の詳細が明らかになるまで、世界最古の文献と信じられてきた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8

 

『旧約聖書』とは、『新約聖書』の『コリントの信徒への手紙二』3章14節などの「古い契約」という言葉をもとに、2世紀頃からキリスト教徒によって用いられ始めた呼称である。キリスト教側の観点でしかないために最近では『ユダヤ教聖書』、『ヘブライ語聖書』、『ヘブライ語聖典』などと呼ばれることもある。

ユダヤ教においては、トーラー、ネビイーム、ケトゥビームの頭文字、TNKに母音を付した『タナハ』と呼ばれる他、『ミクラー(Miqra):朗誦するもの』と呼ばれることもある。ミクラーはクルアーンと語源を同じくしている[1]。

 

 

 

モーセと律法[編集]

創世記は以上で終わり、物語は出エジプト記につながっていく。前述のヨセフの時代にエジプトに移住していたイスラエル人達は、王朝が変ったために、やがて迫害されるようになる(出エジプト1:1-14)。そこに、エジプト人として教育を受けたモーセ(出エジプト2:1-10)が、神から召命を受けて立ち上がり(出エジプト3:1-4:17)イスラエル人たちを率いてエジプトを脱出し(出エジプト5:1-15:21)、神が族長ヤコブに約束した「乳と蜜の流れる」カナンの地を目指しながら40年間シナイ半島で放浪する(出エジプト15:22-40:38、民数記)。モーセが数々の奇跡でエジプト王を威嚇し(出エジプト7:8-11:10)、追跡するエジプト軍を逃れるために海を二つに割ってその間を通っていくシーン(出エジプト13:17-30)などは有名であり、映像化もされている。現在も続くユダヤ教の行事、たとえば過越祭/除酵祭、仮庵祭などはこの出エジプトおよび荒野流浪の故事にちなむものとされており、ユダヤ文化の中でも特別で象徴的な位置を占める物語である[2]。

シナイ山でモーセとイスラエル人は神から十戒を授かり(出エジプト20:1-16)、他にも様々な祭儀規定や倫理規定、法律が言い渡される(出エジプト19:1-34:35)。十戒は多神教の禁止や偶像崇拝の禁止に始まり、殺人・姦淫・窃盗を禁止し、父母への敬愛や隣人愛などの倫理を規定するものであるが、この十戒を基にして神はイスラエル人全体と契約を結ぶ。このシナイ山での契約は、ユダヤ教の重要な原点のひとつとされている。「ヤーウェ(ヤハウェ)」という神の名はモーセの召命時に初めて明かされ(出エジプト3:13-15)、モーセ以前には「アブラハムの神」「イサクの神」「ヤコブの神」という呼ばれ方でしか知られていなかった部族の神が、名前を明かした状態で民衆全体と契約を結んだのである。

出エジプト記の他にもレビ記、民数記、申命記には、おびただしい量の法律、倫理規定、禁忌規定、祭祀規定が記されており、これらをまとめて律法(トーラー、原義は「教え」)と呼ぶ。たとえば法律としては「ある人の牛が隣人の牛を突いて死なせた場合、生きている方の牛を売って折半し、死んだほうの牛も折半する」など細かな規定に及んでいる(出エジプト21:35)。倫理規定としては「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ19:18)など、禁忌規定としては豚食や鱗のない魚を食べることの禁止(レビ記11章、申命記14章など)であるとか子ヤギの肉を乳で煮てはいけない(申命14:21)だとかの細かな食物規定であり、祭祀については祭壇の寸法までが細かに指示されている(出エジプト25-28章)。レビ記、民数記、申命記は物語よりは律法の記載がほとんどであり、ユダヤ教の伝統では創世記から申命記までの五書全体を律法と呼んでいる。また、これらの律法はモーセが神から伝えられたものであるし、五書自体もモーセ自身が執筆したという聖書自身の記述と伝承があったためにモーセ五書という呼ばれ方がなされていた。イエス・キリストも「モーセの律法」と呼んでいる。[3]

申命記の最後でヨルダン川東岸から約束の地であるカナンを遠く望んだモーセは、そこでヨシュアを後継者に指名して後、モアブの地で没する。

 

 

 

歴史記述[編集]

申命記から続けて、ヨシュア記ではヨシュアに率いられたイスラエル人たちによってカナンの諸都市が攻略され、そこに移住していく様子が描かれる。角笛を吹き鳴らすと城壁が崩れ落ちた(ヨシュア記6:20)とされるエリコへの攻略(ヨシュア記2-6)などが有名。

ヨシュアに続いて、デボラ(士師記4-5)、ギデオン(士師記6-8)、サムソン(士師記13-16)といった軍事指導者が続いていくのだが、彼らは士師と称され、部族連合体であったイスラエル人たちの裁判官と軍事指導者の役割を兼ねていた。また、軍事判断によって神の意向を民に伝えていたことから彼らは預言者でもある。これらの士師たちの活躍を描いたのが士師記であり、女性の間諜によって髪を切られて力を失って殺されるサムスンの話などが有名である。

最後の士師がサムエルである。ここで物語はサムエル記に移り、イスラエル部族連合体が王制国家に移行する様子が描かれている。民衆の要求に応えて渋々ながらではあるがサムエルはサウルを王に指名するのである(サムエル上9-10)。

サウルはアンモン人やペリシテ人との戦争に勝つなど功績をあげるが(サムエル上11-14)、アマレク人との戦いで神の意に背いたためにサムエルから遠ざけられた(サムエル上15)。サウルに次いでサムエルから王に指名されるのが羊飼いであったダビデである(サムエル上16:1-13)。サウルとダビデとの確執は詳細に描かれるが(サムエル上16-30)、最後にサウルは戦死して(サムエル上31)、ダビデが王国を継ぐことになる。

ダビデ 

ダビデはまず南部のユダの王となり(サムエル下2:1-7)、次いで北部のイスラエルの王となった(サムエル下5:1-5)。そしてエルサレムに遷都し(サムエル下5:6-12)、外敵を破って(サムエル下5:17-25,8:1-14など)、王国を確立して旧約聖書中最大の賛辞を受けている王である。また、詩篇に収められた歌の多くはダビデの作になるものとされており、文武に秀で神に愛でられた王として描かれている。サムエル記はこのダビデ王の治世までを描いており、そこから先は列王記に渡される。なお、キリスト教の旧約聖書でサミュエル記の前に挿入されているルツ記は外国人であったルツがダビデの曽祖父ボアズに嫁ぐ話で、キリストの贖い(買い戻し)の型であるとされる。

 

 

王国はダビデの息子のソロモン王の時代に最盛期を迎える。彼はダビデがエルサレムに運び込んだ「契約の箱」を安置するための壮麗な神殿を建築してユダヤ教の中心地としてのエルサレムを確立し、次いで自らのために豪華な宮殿を造営した。旧約聖書ではその富の噂を聞きつけて遠国からの献納が絶えなかったとしている。その中ではシバの女王の来訪などが有名であろう(列王上10章、歴代下9章)。新約聖書の中でも「ソロモン王の栄華」といった言葉が登場する。またソロモンは知恵に優れた者とされており、格言集である箴言はソロモン王に帰せられている。しかし、ソロモンは神殿や宮殿の造営を過酷な課税で賄っていたために、ことに北部の反感を買った(列王上12:4など)。王の死後、北部のイスラエル王国と南部のユダ王国に分裂することになる。

列王記はこの後、南北の王朝史を綴っていくことになる。それによれば、北部のイスラエル王国は短命な王朝が相次ぎ最後にはアッシリアに滅ぼされてしまう。また南部ユダ王国ではダビデ王の血筋が続くものの最後にはバビロニアに滅ぼされ、神殿は破壊されて多数の国民が連行されてしまう(バビロン捕囚)。ユダ王国では、宗教改革が行われたことが伝えられており、ヨシア王の時代にモーセの律法が再発見されたという(列王下22章)。

歴代誌はサムエル記と列王記と内容的に重複する歴史書であるが、南王国の立場から書かれていて、北王国については何も書かれていない。

バビロン捕囚での様子は旧約聖書の歴史書には記されず、預言書の中から窺い知るしかない。イザヤ書やエレミヤ書、エゼキエル書がバビロン捕囚の時代に編纂されたと推定されており、流謫の嘆きが語られているし、詩篇の中にも捕囚時代が反映しているとされる歌が収められている(詩篇137:1-6)。また、哀歌はエルサレム陥落を嘆いたとされる歌をまとめたものである。

やがてバビロニアがペルシャに滅ぼされると、ユダヤへの帰還活動が始まる。エズラ記によれば第一次帰還がキュロス王の布告で実施されるのだが、他民族の抵抗により神殿復興は叶わなかった。ダレイオス1世の時代になって神殿建設が許可され、エルサレム神殿は復興する。その後、アルタクセルクセス王の時代に「モーセの律法に詳しい書記官」であるエズラがペルシャ帝国からエルサレムに派遣されて、ペルシャ王の「献酌官」ネヘミヤと共にモーセの律法の復興運動を起こしたことがエズラ記、ネヘミヤ記で描かれている。エズラは外国人との結婚を無効宣告し、ユダヤ人の純化運動を進めた。ここで復興された神殿がハスモン王朝時代に拡張され、イエスの時代に至っている。

キリスト教の旧約聖書にあるエステル記は、この時期にペルシャ王の后になったユダヤ人女性エステルについての挿話である。

以上、旧約聖書における歴史記述を概観したが、王国時代の歴史記述が最も詳しく、バビロン捕囚以後の歴史は断片的にしか語られていない。ヘロドトスの『歴史』で有名なペルシャ戦争も、ユダヤは軍隊の通行路に当たっていたと考えられるが、旧約聖書ではまったく言及されていない。

ユダヤ教文化自体が歴史から預言文学へその興味を移してしまったかのごとく、旧約聖書での歴史記述は途切れることになる。[要出典]

例外として、正典ではないものの、ヘレニズム時代のマカバイ戦争とハスモン朝の勃興を描いたマカバイ記がある。ペルシャがアレクサンダー大王によって滅ぼされるとユダヤは大王の死後に成立したセレウコス朝の支配下に入るのだが、アンティオコス4世はエルサレム神殿を略奪し、ユダヤ教を迫害したためにハスモン家の主導で反乱が起こる。ユダヤ人はこの反乱によって再独立を果たし、ハスモン王朝が成立するのである。新約聖書に登場するヘロデ大王もハスモン王朝に連なっている。

 

 

 

 

 

 

参照文献

旧約聖書について -The Old Testament Study- 

 

 

13.ヘブル語正典(旧約聖書)の内容は大きく3つに区分できると聞くが?

 ユダヤ教の世界では、以下のようになります。

第一部『律法(トーラー)』
  創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記。

第二部『預言書(ネビイーム)』
  前預言書~ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記
  後預言書~イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、十二小預言書

  一般に、預言書といえば、『後預言書』の中の書をさしている。
  また、『歴史書』であるものが『前預言書』とよばれている。
  サムエル、エリヤなどの預言者の記録が書かれているからであろう。
   セプトゥアギンタ(七十人訳ギリシア語旧約聖書)は、
  歴史・文学・預言書の順に配列されているが、
  この預言書(ネビイーム)の中に、哀歌とダニエル書が入っている。
  ヘブル語正典では含まれない。
   そして、日本語をはじめ、多くの現代語訳聖書の配列は、
  つまり【共同訳】,【新改約】などは、セプトゥアギンタの配列に従っている。
         参照『キリスト教大辞典』・教文館、一部補修

第三部『諸書(ケスービーム)』
 詩編、ヨブ記、箴言、
メギロース(ルツ記、雅歌、伝道の書、哀歌、エステル記)、
ダニエル書、エズラ記、ネヘミヤ記、歴代誌

メギロース(Megilloth)とは、祭りの際用いられた書である。
それぞれユダヤ教の特定の祭日に会堂で朗読された。
すなわち、雅歌(過越の祭),ルツ記(五句節),哀歌(エルサレム滅亡の記念日),
 伝道の書(仮庵の祭)、エステル記(プリム祭)である。
また、諸書(ケスービーム)は、律法や預言書に比べ、
 一段低いものと見られていたようである。
セプトゥアギンタでは諸書は『聖文集』とも呼ばれる。

 

 

14.旧約聖書に出てくる、十戒って何ですか?

簡単に言えば、神が人間に与えた律法(法律)です。
それは、聖書の中の一つの書物である、出エジプト記20章1-17節に記されています。
そこには「自由の倫理」(左近淑)とも言うべき旧約聖書のエッセンスがあります。

 十戒の前提は、神によるエジプトの解放という恵みです。その神の恵みの応答として
「わたしのほかに神があってはならない」(第一戒)という生き方(倫理)が基礎づけられています。
また十戒の根本的性質は、神と人間との関係についての規定(第一~第五戒)と、
 人間と人間との関係についての規定(第六~第十戒)が固く結びついているということです。
それは「信仰」と「倫理」が切り離されていないことを意味しています。
 -参照『聖書はなにを語るか』・大島力著・日本基督教団出版局』

 十戒(要約)-こどもさんびか・日本基督教団出版局より転載
1,あなたは、わたしのほかに、なにものも神としてはならない。
 2,あなたは、自分のために、きざんだ像をつくってはならない。
 3,あなたの神、主の名を、みだりにとなえてはならない。
 4,安息日をおぼえてこれを聖とせよ。
 5,あなたの父と母を敬え。
 6,あなたは殺してはならない。
 7,あなたは、姦淫してはならない。
 8,あなたは、ぬすんではならない。
 9,あなたは、隣人について、偽証してはならない。
 10,あなたは、隣人の家をむさぼってはならない。

 

 

15.旧約聖書は、選民思想と聞きますが本当ですか?

 本当です。旧約聖書には、ユダヤ人が神に選ばれ特別な民として描かれています。
しかしどうして神は、世界中の民の中から、ユダヤ人を選んだのか、
 聖書の中から考えていきたいと思います。それは、旧約聖書の一つの書物である、申命記から考えてみます。

  『あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の民とされた。
  主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。
  あなたたちはどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに・・・
 奴隷の家から救い出されたのである(旧約聖書・申命記7:6-8)。』

 神がイスラエルを選んだのは彼らが強大であったからではないということです。
むしろ「小を選ぶ神」ということが明確に示されています。
これは旧約聖書の選びの思想の根本的性質です。
               -参照『聖書はなにを語るか』大島力著・日本基督教団出版局

イスラエルの民はどの民族よりも弱かったのです。
エジプトの国からも、アッシリアからも、バビロニア帝国にも攻撃されていました。
 迫害の歴史の中だったのです。
だからこそ、神はこのような小さな民と一緒にその苦労をともにし、
 神の大いなる手によって、守っただと聖書は言っているのです。
 聖書には、こう書いてあります。

 『わたしはあなたを選び、決して見捨てない(旧約聖書イザヤ41:8-9)。』
 神はなぜイスラエルの民をえらばれたのかは、弱さを愛する神の愛だったからなのです。

 

16.旧約聖書の唯一神、ヤハウェの根本的性質は?

 旧約聖書の神は、人間の罪を罰する怖い父なる神というイメージを持っている人が多いです。
しかしその神の真実の姿はどうなのでしょうか。それを考えてみます。

 旧約聖書の神観の根底にあるのは「低きに降る神」ということです。
 具体的なテキストを、まず詩編とイザヤ書から取り上げます。

 『主は天を傾けて降り、密雲を足もとに従え(詩編18:10)。』

この最初の「主は天を傾けて降り」は、「神は天を引き裂いて下り」とも訳せます。
すなわち、神は時としてその天を引き裂いてまで、人間に近づいてきて下さる方なのです。

 『「主はすべての国を越えて高くいまし、主の栄光は人を越えて輝く。
わたしたちの神、主に並ぶものがあるだろうか。主は御座を高く置き、
なお低く下って天と地を御覧になる。弱い者を塵の中から起こし、
 乏しい者を芥の中から高く上げ・・・(詩編113・4-7)。』

 本来は高きいます神は天を引き裂いてまでも、人間に近づきその悲しみを見過ごしにはできないのだと、
 聖書は言っているのです。はしりよって、はしって、だきしめる。
 人の苦しみを自らの苦しみとして、担いとってくださる方であると言うのです。
      -参照『聖書はなにを語るか』・大島力著・日本基督教団出版局』

神の性質を表す聖書の言葉として、次の言葉をあげています。

おまえがどこへ行こうと、わたしいつも共にいて、おまえを助ける。
                                創世記28章15節

 一生の間、おまえに手向かう者などいない。
わたしが、モーセと共に歩んだように、おまえとも共に歩むからだ。
 決して見放したり、期待を裏切って見捨てたりはしない。雄々しく勇気を出せ。
いいか、どこへ行っても、おまえの神であるわたしが、ついているのだ。
                                   ヨシュア記1章5節~6節,9節,LB

 

 

キリスト教、ユダヤ教

 【キリスト教】(英語:Christianity)

イエスをキリストと認め、その人格と教えを中心とする宗教。
 旧約・新約聖書が教典。正義と慈愛にみちた父なる神、人類の罪、キリストによる購罪を説く。
パレスチナに起こり、ローマ帝国の国教となり、欧米のほかほとんど世界のいたるところに信徒を有する。

 【ユダヤ教】(英語:Judaism)

イエスラエルに興った啓示宗教の一。モーセの律法を基礎として唯一の神ヤハウェを信奉し、
イスラエルの民のために神の国を地上にもたらすメシアの来臨を信ずる。
バビロン補因以後に教団として発達。今日もユダヤ人の多くはイスラエルや世界の各地で、この信仰的伝統に生きる。

 

 

 

 

 

 ■ Site Information

■ 2009年7月9日
  「我が郷は足日木の垂水のほとり」 はじめました。
  本稿はその保管用記事です。

■ 2010年3月2日
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