岩淸水

心を潤す

田原総一朗

2009年03月27日 01時00分00秒 | 人物

 人物の索引 

田原総一朗【人物】 田原総一朗

 

田原総一朗 (たはら・そういちろう)

田原総一朗 1934年滋賀県生まれ。早大文学部卒業後、岩波映画製作所、テレビ東京を経て、フリーランスのジャーナリストとして独立。1987年から「朝まで生テレビ!」、1989年からスタートした「サンデープロジェクト」のキャスターを務める。新しいスタイルのテレビ・ジャーナリズムを作りあげたとして、1998年、ギャラクシー35周年記念賞(城戸賞)を受賞。また、オピニオン誌「オフレコ!」を責任編集。20024月に母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生たちの指導にあたっている。

 

 

 

 

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経歴・人物

近江商人の末裔。戦時中は人並みに軍国少年で、「海軍兵学校を経て海軍に入り、特攻隊員として戦闘機に乗り敵の軍艦にぶつかって死ぬ」のが夢だった。敗戦当時、それまで習ってきた価値観が180度ひっくり返ったことに対して、「そうか、世の中に絶対なんてないんだ。偉い人の言うことは信用できない」と感じたという。

1941年、彦根市立城東国民学校(現:彦根市立城東小学校)に入学。

1943年、学区整理により彦根市立佐和山国民学校(現:彦根市立佐和山小学校)に転校。

1947年、学制改革により新設された彦根市立東中学校に入学(1950年に卒業)。

1953年、滋賀県立彦根東高等学校を卒業。作家を志して上京し日本交通公社(現JTB)で働きながら早稲田大学第二文学部日本文学科(夜学)に在籍。文学賞に何度か応募したが箸にも棒にもかからず、さらに同人誌の先輩に才能がないと二、三度「宣告」を受けたことで意気消沈していたところで、同世代の石原慎太郎・大江健三郎の作品を読み、「これはダメだ、全く敵わない」と作家を目指すことを断念。志望をジャーナリストに切り替え、3年間でほとんど通っていなかった二文を辞めた。

1956年早稲田大学第一文学部史学科に再入学し、1960年に卒業。

ジャーナリスト志望だったため、NHKや朝日新聞、日本教育テレビ(現:テレビ朝日)などのマスコミを手当たり次第受けたがどれにも受からず、11社目にして初めて合格した岩波映画製作所に入社。カメラマン助手をつとめる。

幼少期より相撲が大好きで、非常に強かった。
(経歴の詳細は、wikipedia をクリックして御覧ください。)

 

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