ヌーディズム
(英語: Nudism)は、全裸でありながら服を着た状態と全く同じように過ごすこと。
ただし衣服を着て生活することが規範となっている社会における活動を言う。裸体主義。
ヌーディズムは、自然との関わりを強調してナチュリズム(英 Naturism:ネイチャリズム)と呼ばれることもある。ドイツではFKK(独 Freikörperkultur)と呼ばれる。ただし、似ている語のナチュラリズム(英 Naturalism)は 「自然主義」 のことで全く別の概念である。
ヌーディズムを実践する者をヌーディスト (Nudist)、ナチュリスト (Naturist:ネイチャリスト)、裸体主義者という。
本稿は大部分を、wikipedia に依拠しているが、適宜【岩淸水】にて編集とか、加筆する場合がある。また画像の添付は、岩淸水にて。
一般に、衣服の拘束からの解放感や、全身が直接日光や水や空気に触れることを楽しむことを目的に、レクリエーション、またリラックス法として実践されている。全裸の状態で公園・海岸・森林などにおいて日光浴・海水浴[1]・外気浴・森林浴・スポーツなどを行ったり、全裸になって屋内で過ごすことなどが挙げられる。ただし、風呂に入る、衣服を着替える、等の行為はたとえ全裸になったとしてもヌーディズムとは看做されない。
ドイツやフランスなどの 「ヌーディズム先進国」では、家族や仲間でヌーディズムが実践されていて、公認のヌーディストエリアも多数存在する。また、ヌーディズムを否定的に捉える人との 「棲み分け」 を図るべく、専用のビーチやキャンプ施設等が設けられている場合も多い。ヌーディスト専用のホテルも存在する。ヨーロッパでは剃毛がごく普通におこなわれるため、現在のヌーディストは完全に局部を剃ってある人が多いが、陰毛に関する規定はなく、はやしていても良い。
ヌーディズム先進国では、いわゆる露出行為とは「性的感情の有無」などを基準に区別されている。しかし、日本を含めてそれ以外の地域においては、両者を同一視されてしまうことも多い。
日本では裸体賛美の文化は、発達しなかった。
というよりも、明治になってプロティスタント厳格主義が、上流支配層に浸透してゆくにつれて、大らかな性風俗は消滅していったのだろう。とくに戦後になって、日本人は特定の日本人に支配されることとなった。目には見えない日本人の二重構造が、進駐軍の戦後支配構造に、ひそやかに、しかし確実に組み付けられてきた。日本人は勤勉だとか、働くことは他人の為になることで、人として最大の徳目だとか、盛んに学校教育とか、出版やマスコミで言い囃された。
日本人は特定日本人を牧犬として、牧人たる国際金融に飼われている。
効率よく毛をはやして、年老いればとっとと肉にされる。
そのために余分なことにエネルギーを消費しない。つまり性欲が根源となっている、レジャーとかスポーツには、大いなる制約が架せられた。「菊と刀」とかの書物があって、日本人は体面を重んじるとかまことしやかに言われたりもした。つまり、外で裸になるなんて、とんでもないことだ。日本人は恥を知る。なので裸身を公共の面前でさらすなど、絶対にあってはならない。西欧の厳格な、ピューリタニズムなどは表面的なもので、ネーデルランドなどがスペインの支配から、離反するための、エモーショナリズムを掻き立てるために、商人たちにらよってまことしやかに宣伝された。
この生真面目さを吹き払って、人間としての溌剌さを回復させるには、ヌーディズムが恰好の清涼剤だったのだろう。
社会の上層部に属する識者たちが言うには、厳格な体裁も整わせねばならぬ。
それでこの運動は、セックスの衝動とは無縁なもの、あくまでも精神と身体の健康のため。
その点、日本では清教徒の厳格さなど、単なるお上品な上流の「知識」にすぎない。
なので鬱屈する閉塞なんて、一般庶民には全くない。そもそも公衆浴場などでは、江戸時代は混浴が普通だった。その名残で今でも地方に行けば、温泉の混浴は当たり前にある。湯治という文化は、農耕などの重労働などで疲れた体を癒すために行われる。なので、西洋のヌーディストなどのように、裸でうろうろと歩き回ることはしない。静かに湯につかり、あるいは滝のような湯で、腰や肩を打たせるぐらい。それに対して普段は体を使わない、ゴロゴロしているだけの牧人の末は、歩いたり走ったり、あるいは泳いだりせねば体がなまる。
ヌーディズムの歴史
19世紀末、ヨーロッパにおいて、工業生産の増大と鉄道、自動車による加速度的な近代化に反発するかたちで、自然回帰の動きが高まり、ハンドクラフト運動、禁煙・禁酒運動、健康食、健康飲料(果実ジュースなど)、ダンス、海水浴、日光浴、ワンダーフォーゲル、ハイキングなど野外活動の推奨などが声高に叫ばれ始めた頃に、こうした運動がまずドイツで始まり、続いて他のヨーロッパ各国に広がり、さらにアメリカ大陸やオーストラリアなどにも広まった。
1920年にフランス最初のナチュリズム施設 「スパルタクラブ」 がヴァル=ドワーズ県にでき、1950年にはフランスナチュリズム連盟 (FFN) が設立された。
ヨーロッパが東西の両陣営に分裂していた時分も、夏場には東欧諸国やソビエト連邦内部の欧州側にはこうした文化がしっかりと存在していた。
2002年の時点においてFFN加盟のヌーディストキャンプは約170ヵ所あるが、小は数十人を収容できるだけの簡単なキャンプ場から、大は大西洋岸の EURONAT のような数千人を収容できる規模まで様々である。自治体によって認可されているヌーディズム用の海岸及び川、湖は2000年時点で約70カ所である。
2004年から2005年にかけて、中国や韓国でヌーディストビーチ開設の動きがあったが、実現しなかった。
ヌーディズムの現状
ヌーディズムを愛好して実践する者は、まだ少数派に止まっているのが現状である。しかし、西欧諸国を中心に、多数の「ヌーディストビーチ」や「ヌーディストキャンプ」がある。南フランスのキャプ・ダグド (Cap d'Agde) のような大規模な施設は「ヌーディストリゾート」と呼ばれることもある。
こうした活動のできる場所のガイドブックは、ヨーロッパでは夏場、駅のキヨスクのようなところで簡単に手に入れられる。国家や地方自治体が公的に用意した観光案内のホームページでもヌーディズムの紹介が掲載されたり、ヌーディストサイトを紹介するガイドブックがダウンロードできるなど、社会的に一定の認知を受けている。海岸だけでなく大都市部の真ん中の公園なども夏場は、こうした愛好者たちが集まって来る。教会や市議会などでは毎年のように対応が議論されている。
全裸が義務づけられて裸になる者だけが入場できる所と、服は着ても着なくてもいい ("clothing optional") という所があるが、いずれの場合でも、他人の裸を見ることではなく、自分が裸になることを楽しむための場所である。ヌーディズムが一定の社会認知を得ている欧米でも、法律とのトラブルを避けるためにも性的な行動を除外しようとする所が多い。例外的に、性的な関係を求める者が集まる危険な場所も存在する。
これらの場所には、その規模によって様々だが、プール・サウナをはじめ、テニス場・アーチェリー場・ジムなどのスポーツ施設や、売店・レストラン・子供の遊び場などが設置されている。また、イベントとして、スポーツ大会・歌謡・ダンスパーティー・コンテスト・ボディペインティング・映画上映会などが催されることがある。これらを総称してヌードレクリエーション(略してヌーレク)と言う。
一般的には、週末や休日などにこれらの場所に、カップル、夫婦、家族連れなどで出かけ、日帰りで、あるいは宿泊して(1泊から、夏の長期休暇には数週間も)過ごす。椅子などに座る際はタオルを敷くことが衛生上のエチケットとして求められる。裸でいることを除いて、基本的な日常生活でのマナーは全て必要である。
また、特別な場所に出掛けるのではなく、自宅等において全裸で日常生活を行う者がいる。また、他人が立ち入らない野山や海岸で ヌーディズムを実践 する者もいる。露天風呂や混浴風呂などの施設を利用して、全裸の開放感を楽しむ者もいる。
平和を求めたり、戦争・環境汚染・野生動物の狩猟に反対するために、全裸でアピールを行う場合がある。全裸で自転車に乗り、自動車による環境汚染に抗議するNaked Bike[3]が有名で、パリやロンドン、マドリード、モントリオール、メキシコ市など世界各都市で毎年行われている。
米国のミシガン州立大学には、学生が全裸で町を走るNaked Mileという伝統行事が2004年まであった。
カリフォルニア大学サンタクルーズ校では、「最初の雨(First Rain)」という名で知られている秋の伝統行事が行われている。例年10月頃、秋になって最初の雨の日に、ポーターカレッジの学生が大学構内を裸で走り抜ける行事である。
ヌーディズムの国際団体として「国際ナチュリスト連盟(International Naturist Federation/INF)」(1953年創立、本部ベルギーのアントウェルペン)があり、またアメリカ大陸やヨーロッパ、オーストラリアなどの各国に国内組織がある(例えば、アメリカ合衆国のAmerican Association for Nude Recreation/AANR、フランスのFédération française de naturisme/FFNなど)。
「イグノーベル賞」の2004年文学賞に「米国ヌーディスト研究図書館 (The American Nudist Research Library)」が選ばれている。
日本の状況
2009年現在、日本には自治体公認のヌーディストビーチなど、公共のヌーディズム実践の場所は存在しない。刑法上の問題で公共の場で全裸でいることが可能なのは、銭湯や公衆浴場、露天風呂などを除いてほとんどない。また男女が同時にというのは、混浴の場合が唯一許容されている例である。
歴史
1970年代初めには、和歌山県の白浜海岸で、ヌーディストビーチを設置する計画があったが、実現しなかった。[4]またその後、インターネットの普及により1997年頃からヌーディズム関係のホームページが開かれるようになり、掲示板上での交流が行なわれ仲間を集めて活動したり、私的なクラブが設立されたりしているが、公共のヌーディストビーチを開設しようとするなどのまとまった形のヌーディズム運動が展開されるには至っていない。
実践における問題点
全裸になって他人の性的羞恥心を害すると刑法第174条の公然わいせつ罪に問われ、わいせつの解釈や状況次第では有罪になることもある。ヌーディズムは日本人全体から見ればごく少数による活動であり日本で広く理解を得ているとは言いがたく、全裸が性欲を興奮させ刺激する行動であると考える者が多数なので、たとえ私有地や屋内であっても他者の目に触れる状況であれば変質者や露出狂とみなされる。しかし、刑法にはヌーディズムそのものを制限する条文はないので、当然ながら他者の目に触れない場所での実践まで制限されていない。
刑法上の問題以外でも、ヌーディズムに反対する意見の根幹にあるのは、公共の場などで「裸でいること」そのものに対する反対であり、「裸でいること」を必要条件とするヌーディズム推進派とは根本的に相容れない。ヌーディズム推進派はこれに対し、活動が性愛的な要素を含まないこと、「裸でいること」による健康面における様々な効果、「裸でいること」に対する羞恥心や嫌悪感は後天的なものであることなどを主張しているが、反対意見を説得できていない。このことに対して、喫煙に対する解決方法が、禁煙と分煙であることが参考になる。
合法化について
ヌーディズムの盛んな欧米においては、当初「違法」とされながらも歴史を経て、一般の場所では全裸になることが許容されなくても、特定の場所(例えばヌーディストビーチなど)では全裸でいることを「公然猥褻」などの適用外とするような法解釈の変更や法令の改正が行われたケースがある。日本でもそれを念頭に置いて合法化を目指すべきと考えている者もいる。現行法に抵触しない範囲と判断して、私有地や他人の訪れる可能性が低い場所で実践している者[5]もいる。
外部リンク
国際ナチュリスト連盟 (International Naturist Federation/INF)
ヌーディズムの変遷
日本の精神文化に於ける、
恥という概念は思いの外強いモノで、……。
自分の美質を、たとえそれが内心は誇らしく思っていようが、それを誇示するのは『恥』だと思う観念が、誇示欲を圧倒してしまっている。
サンフランシスコ、主な公共の場での裸が条例で禁止に 【黒須三太】
AFP=時事 11月21日(水)16時39分配信
【AFP=時事】自由で気楽な都市として知られる米カリフォルニア(California)州サンフランシスコ(San Francisco)で20日、大部分の公共の場で全裸になることを禁止する条例案が可決された。条例案は、同性愛者が好んで集まるカストロ(Castro)地区に15年前から暮らしているスコット・ウィーナー(Scott Wiener)さんが提出したもので、市の管理委員会による採決は賛成6票、反対5票の僅差だった。
AFPが入手した条例の写しによると、条例は5歳以上の全ての人々に対し「性器、陰部、肛門部を露出してはならない」とし、「全ての公道、歩道、分離帯、ポケットパーク、広場、公共交通、駅、駅構内、停留所」が適用対象となる。違反者には100ドル(約8200円)の罰金が科せられるが、3回目の違反になると処罰が罰金500ドル(約4万1000円)と禁錮1年に引き上げられる。条例は裸に関する現行法に優先・反するものではないが、わいせつ行為を伴わなくても適用されるという。
条例案を提出したウィーナーさんはAFPの取材に、サンフランシスコでは条例の施行後も海辺やストリート・フェスティバル、パレードなどでの裸は認められると強調した。【翻訳編集】 AFPBB News source