七 讃嘆 ・ 結合と離脱
世尊の仰せ 「・・・・・・(省略)
このように実践する彼は、物と結合するのでもなく、離れるのでもない。感覚、観念、意志形成、認識と結合するのでもなく、離れるのでもない。心的・物質的なものと結合するのでもなく、離れるのでもない。転倒や誤った考えと結合するのでもなく、離れるのでもない。(以下、76項目について「結合するのでもなく、離れるのでもない」と説かれていますが、省略)
それはなぜであるか。善勇猛よ、実にあらゆるものは、結合されることもなく、離れられることもないからである。
それはまたなぜであるか。善勇猛よ、実にあらゆるものは、(他と)結合するものとしてあるのでもなく、離れるものとしてあるのでもないからである。善勇猛よ、結合というのは、これは永続をあらわす語であり、離とは断滅のことである。善勇猛よ、実にあらゆる存在に関してなんらかの理解があり、その理解によって(その存在が)結合したり、あるいは離れたりする、ということはない。(「善勇猛般若経」 戸崎宏正訳 中公文庫・大乗仏典 1 p269-271)
私の解釈
最後に、私は補記として「私の活用方法」を述べました。
この引用文でいう、”実践する彼”とは、知恵の完成を実践する菩薩のことです。引用文によりますと、菩薩は五蘊(色・受・想・行・識)を初めとして、あらゆるものが心と結合することもなく、離れることもない、と説かれています。
このことは、私たち凡人も同様であると思います。
先ず、「ものが心に結合されない」ということについて考えてみます。
たとえば、私たちが特定の分野とか物事に対して、それを理解するために徹底的に取り組んだとします。このとき、私たちはそのものに成りきるとか、或は、心がそのものと一体になるというような体験をすることがあります。
しかし、そのような体験は一時的な現象であり、私たちは特定の心の状態をいつまでも持続させることはできません。何故なら、私たちの心は因縁によって変化するからです。私たちの心の中が変わらないということは絶対にありえないということです。だから、ものが心に結合されることはないのです。
次に、「ものが心から離れない」ということについて。
私たちが、一時的な体験として深く関わったものは、年月が過ぎてから、ふと思い出すことがあります。このことは過去に経験したことが私たちの潜在意識の中に記憶されていることを示しています。これが、あらゆるものは心から離れない、といわれる所以です。しかし、心から離れないといっても、それらが心と結合しているということではないと思います。何故なら、私たちが過去に体験した様々な物事は、潜在意識の内部において、まるで暴流の如くに互いに混合し合って、夫々に変化しているからです。(仏教の唯識哲学ではこれを「業異熟」ということばで説明しています)
ですから、厳密にいえば年月が過ぎてから思い出される過去の体験は、心に結合したものではない、ということになります。それられは過去の体験とは違ったものとして思い出されるからです。
以上の解釈によって私は、ものは心と結合するのでもなく、離れるのでもないと理解します。
ここで、引用文の教説を理解するために、参考となる教えを次に紹介します。
「あらゆるものは因果律に従って変化するもの(諸行)であり、空である、とことばによって説かれる。しかし、ことばの本性は、深遠で、微妙で、理解しがたい。[一一七] 」 (『三昧王経』・大乗仏典11、p155、田村智淳・一郷正道訳)という教えがあります。
補記・私の活用方法
以上のようなわけで、あらゆるものは私たちの心に結合するのでもなく、離れるのでもないのです。この教えは、私たちの心の働きに因縁が深く関わっていることを示しています。
そこで私は、この教えの活用方法の一つとして、因縁の働きを利用することにより、不安や妄想を取り除くために役立てています。
もう直ぐ71歳になる私は、肉体的にも精神的にも活動量が少ない生活のため、睡眠が浅く、また、夜中に眼を覚ました後、いろいろな雑念や妄想が思い浮かんで中々寝付かれない時があります。このような時に眠る対応策として、私は静かな「心の城」に入るための訓練をしています。
その訓練とは、次のようなものです。
・毎朝、目覚めた直後に、寝床の中で気持ちを調えてから、小声で「ありがとう」を500回、 続いて「ついてる」を500回唱えます。
・「ありがとう」は、眼・耳・鼻・口・丹田・両足・頭脳・天・空・地(10器官等)に対して、意識を巡らせながら唱えるのです。(このとき私は、これらの器官等のお陰で、 元気に生活することができるということと、 ありがたいということを強く思うようにしています)
・「ついてる」は、広大な砂浜の海岸に立って、大海原を眺めている姿を思い浮かべながら 2,2,3,3(=10)のリズムで唱えます。(私の場合は、近くにこのような風景が見られる場所に住んでいる自分はついていると思うようにしています。
なお、「ついてる」ということばを声に出して言うことを発明された斎藤一人さんは、少なくとも毎日100回言い続ければ、本当に「ついている人間」になれると断言しておられます)
・数の数え方は、自己流に左右の手の指を使うことによって、500まで、殆ど意識せずに数えることができます。
毎日、このような訓練(約10分間)をしておきますと、睡眠を妨げる雑念(不安や妄想)が発生して寝付きにくい時に、上記の手段を用いれば、心が静まる「心の城」に入って行くことができるのです。
また、強烈な雑念のために妄想が増大する気配があるときには、特別に、これらの言葉を1000回唱えます。それでも駄目な場合には、続けて静かな呼吸をしながら、数を「ひとーつ、ふたーつ・・・・」と100まで数えますと、自然に「心の城」に入って行くことができます。私はこのようにして夜の睡眠を快適なものにしています。
以上です。最後まで読んでいただいてありがとうございました。