八正道

お釈迦様の言葉とのことですが、常に、これら八つの言葉で
示される正しい道を進むように心がけたいと思います。

「八千頌般若経」を読む (32) [六波羅蜜・1]

2007-07-28 04:06:57 | Weblog

第二十二章 「善友」・六種の完成

 世尊はスブーティ長老に次のように説かれた。

 「・・・・・・(省略) スブーティよ、六種の完成はすべてみな菩薩大士の善友である、と知りなさい。

 六種の完成こそは菩薩大士の教師であり、六種の完成は道であり、六種の完成は光明であり、六種の完成は炬火であり、六種の完成は光輝であり、六種の完成は救いの場所であり、六種の完成は帰依の場所であり、六種の完成は安息の場所であり、六種の完成は目的地であり、六種の完成は苦海のなかの島であり、六種の完成は母であり、六種の完成は父であり、六種の完成が知、さとり、無上にして完全なさとりに導くのである。

 それはなぜか。というのは、スブーティよ、実に、知恵の完成が、これら、すなわち六種の完成のなかで達成されるからである。

 以下、・・・・・・(省略)」

 過去の世に於ても、未来の世に於ても、現在の世に於ても、彼ら諸仏世尊の全知者性も、これら、すなわち六種の完成から生じたのである。

 (「八千頌般若経Ⅱ」 丹治昭義訳 中公文庫・大乗仏典 3 p205)

 本文から学んだこと

 六種の完成とはいわゆる六波羅蜜のことであり、次の六種の徳目が完成態に達しているということです。

 1.布施 : 財施、法施(真理を教えること)、                         無為施(恐怖をのぞき、安心を与えること)の三種。

 2.持戒 : 戒律を守ること。

 3.忍辱 : 苦難に耐え忍ぶこと。

 4.精進 : たゆまず仏道を実践すること。

 5.禅定 : 瞑想により精神を統一させること。

 6.智慧 : 真理を見極め、悟りを完成させる智慧。

 六波羅蜜の中ではこの智慧波羅蜜が肝要とされ、前の五波羅蜜はこれを得るための準備手段として要請される。

 波羅蜜とは、これら六種の徳目の完成態をいう。

  (徳目などの説明文は「岩波 仏教辞典」による)

 本文によりますと、これら六波羅蜜はすべてみな菩薩大士の善友であり、教師であり、道であり、光明であり、炬火であり、光耀であり、救いの場所であり、帰依の場所であり、安息の場所であり、目的地であり、苦海のなかの島であり、母であり、父である、というのです。

 つまり菩薩大士は、六波羅蜜のなかで達成された「智慧の完成」を心の依り所としているのだと考えられます。

 本文では智慧の完成が六種の完成のなかで達成されると説かれています。しかし、智慧の完成ばかりではなく六波羅蜜の一つ一つには他の徳目の完成態がすべて含まれると思うのです。

 私たちが六種の徳目を実践する場合にも、実践徳目の全てが相互に密接に関係しあっているということを念頭に置くべきであると思います。つまり、一つの徳目について実践するためには他の五種の徳目の実践が絶対に必要な手段として要請されているということです。

 例えば、私たちが「精進波羅蜜」に向かって、仏道を学び実践するときには、同時に、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の修行が必要であるということを念頭に置いていなければならないと思います。

 私たちはこのような実践方法で、六種の徳目を繰り返し修行することによって、智慧の完成へ向かって成長することができるのです。


「八千頌般若経」を読む (31) [ものごとの本性]

2007-07-17 04:30:21 | Weblog

第二十一章 「魔の所行」・離脱の功徳による魔の所行

 世尊はスブーティ長老につぎのように仰せられた。

 「・・・・・・(省略)

 ものの本性は認識できないものであるから、あらゆるものについて平等(心)(捨) を保ち、こういう心を発(オコ)さねばならない。

 『あらゆる魔の所行による誤りがすべて、どんなものも、いかなるあり方でも、 いかなるときにも、けっして存在せず、生じないように、私はそうしたい。 もし生じるならば、ただちに除去したい。私はこう学びたい』と。

 これもまた、菩薩大士たちにとって自覚して勇往邁進することである、と知るべきである。

 スブーティよ、これもまた、離脱の功徳による魔の所行である、と菩薩大士は知るべきである。

 以下、・・・・・・(省略)」

(「八千頌般若経Ⅱ」 丹治昭義訳 中公文庫・大乗仏典 3 p202)

 (注:勇往邁進 ユウオウマイシン・ 目的を貫こうとして、わきめもふらずまっしぐらに進むこと。『広辞苑』より)

 私の解釈

 「ものの本性は認識できないものである」とは、仏教による重要な教えであり、

「ものは本体がないから空である」という教えとともに、日常生活における公理として活用できるのではないでしょうか。

 「ものの本性は認識できないものである」ということについて、私は次のように解釈します。

 私たちはものごとに対するとき、通常はその本性を認識するというような面倒なことを考えません。

 特別な場合として、問題の本性を明らかにした上で行動を起すということはあります。しかし、このとき考え出される「問題の本性」というものは、絶対不変の本性ではないと思います。何故なら、ものごとの本質とか本性とかいわれるものはそれに関わる人、時、状況などの影響を受けて考え出されるものであり、いわば、どのようにでも変わる性格を持っています。ですから「ものの本性は認識できないものである」といわれるのだ、と思います。

 本文では「ものの本性は認識できないものであるから、あらゆるものについて平等心を保って」ものごとに対応しなさい、と説いています。

 ここでいう平等心とは、ものごとをありのままにみることである、と私は解釈しています。更に言えば、私情やものごとを取巻く環境・状況などを完全に無視して、そのものごとになりきることが平等心である、と思います。

 私たちはこのような平等心を持ってものごとに対応することとし、安易に善いとか悪いとかと決め付けない方が良いと思います。

 更に本文では、「ものごと」の善悪を自分勝手に決め付けることを「魔の所行による誤りである」と言い、菩薩大士としては「どんなものも、いかなるあり方でも、いかなるときにも、決して存在せず、生じない」ものであると自覚して、勇往邁進することが正しい生き方である、と説いています。

 私たち凡人がこのような「魔の所行による誤り」を排除するためには、常日頃から、仏教で説かれる四諦(四聖諦)と八正道を繰り返し念誦し、実践することが大切である、と私は考えています。

 次に、念のため四諦(四聖諦)と八正道について「岩波 仏教辞典」から引用します。

  四諦について

 四つの真理で、苦諦(くたい)・集諦(じったい)・滅諦(めったい)・道諦(どうたい)の総称。

 苦諦は迷いの生存は苦であるという真理。

  集諦は欲望の尽きないことが苦を生起させているという真理。

  滅諦は欲望のなくなった状態が苦滅の理想の境地であるという真理。

  道諦は苦滅にいたるためには八つの正しい修行方法(八正道)によらなければならないという真理。

 八正道について

  八つの支分からなる聖なる道の意。苦の滅に導く八つの正しい実践徳目。

  1.正見 (しょうけん・正しい見解)

 2.正思 (しょうし・正しい思惟)

 3.正語 (しょうご・正しい言葉)

 4.正業 (しょうごう・正しい行い)

 5.正命 (しょうみょう・正しい生活)

 6.正精進 (しょうしょうじん・正しい努力)

 7.正念 (しょうねん・正しい心の落着き)

 8.正定 (しょうじょう・正しい精神統一)

 の八つをいう。 

   


私の健康法 その3  (言葉と深呼吸)

2007-07-08 04:24:46 | Weblog

1.健康な体をつくる

 健康な体をつくるためには、毎日の食事と運動に気を配り、規則正しい生活をしなければなりません。心の中も明るく健康でなければなりません。

 健康な心を作るためには「言葉の力」を活用するのが良いと思います。

2.言葉の力

 言葉には力があります。例えば、あるプラス言葉を言い続けていると、やがて、言葉通りの事象がもたらされるといわれます。いわゆる、言葉には言霊という「言葉の力」が宿っているというわけです。

 特に、プラス言葉の力は、いざというときに大きな力づけとなり、あわてず、おののかずに、その時自分が為すべきことのみに、淡々と、黙々と、粛々として専念できる力を私たちに与えてくれるのです。

 逆に、マイナス言葉は言わないように気をつけること、言ってしまったときには直ぐにその場で打ち消しておくことが肝要であるといわれます。

 言い続けるプラス言葉としては、「ついてる」、「ありがとう」、「大丈夫」などが良いといわれています。

3.「ついてる」と「ありがとう」という言葉の力とその効果

 億万長者で有名な斉藤一人さんは、「ついてる」と「ありがとう」という言葉を声に出して、毎日、言い続けなさい、と勧めています。

 ただ声に出して言うだけでよい、続けることが重要なのであって、特別に頑張る必要はない、と言っておられます。 「ついてる」を一日に1000回、「ありがとう」を一日に100~200回繰り返し、声に出して言い続けれれば、本当に「ついてる人間」になり、心の中には感謝の気持ちが湧いてくるとのことです。

 私はこれらの言葉を毎日500回(通常時)、又は1000回(問題ある時)、小声で言い続けることにしています。1000回唱える所要時間は、約12分です。

 また、小声で言い続けていると唾液が出てきますが、これも健康に良いそうです。 (1000回までの数え方については、参考事項として最後に示しました。)

 私は、次のように気を巡らせながら、言い続けています。

 「ついてる、ついてる、ついてる・・・・・・」については、自分の霊魂(心)に注ぎ込むような気持ちになって言い続けます。たとえ、ついてない状況の中にあっても、「ついてる」を言い続ければ、心の中には、それまで考えも及ばなかったような別のついてることが思い浮かんできて、それがついてないと思う気持ちを追い出してしまうのです。

  「ありがとう、ありがとう、ありりがとう・・・・・・」については、眼・耳・鼻・舌・腹・両足・頭・天と太陽・空中・大地へと、その一つ一つに対して、「ありがとう」と言うのです。つまり、眼に対して「ありがとう」、耳に対して「ありがとう」、鼻に対して「ありがとう」というふうに続けて、最後に大地に対して「ありがとう」で一巡とします。(これで「ありがとう」を10回言い続けたことになります)ここで、また元に戻って眼から大地まで気を巡られながら、「ありがとう」を言い続けます。これらの10回を100回繰り返すことによって、「ありがとう」を1000回言い続けたことになるわけです。

 何故このようにするのかといいますと、私たちは、普段、当たり前のこととして何の関心も示しませんが、私たちが生活できるのは、これら眼・耳・鼻・舌・腹・両足・頭などの諸器官や天と太陽・空中・大地などの自然界のお陰である、と思うからです。だからこれらに対して感謝の気持ちを込めて「ありがとう」と言うのです。

 更に言えば、私たちが悩んだり苦しんだりするとき、私たちは自分の心と頭の力だけで解決するものであると思い込んでいます。しかし私たちは通常、意識していませんが、実際には、これら眼や耳や鼻などの諸器官や宇宙、つまり自然界の力が正常に働いているからこそ、悩みや苦しみも解決できる、と思うのです。私たちが、いざというときには、このような総合力が結集された自己回復力ともいえるような力が自然に出現してくると考えられます。 

 人間も含めて動物はすべて病気に対しては自己治癒力が働くといわれますが、悩みや苦しみが解決される過程にも同じように、このような自己治癒力に相当する力(自己回復力)が働くと思うのです。

 また、「ありがとう、ありがとう、ありりがとう・・・・・・」と言い続けていますと、自分にとって、ありがたいと思うことが次から次へと思い浮かんでくることもあります。私たちは決して一人で生活しているのではありません。広く周りを見れば、私たちには多くの仲間やありがたい事柄などが一杯あるのです。それらが「ありがとう」と言い続けているうちに、時々ではありますが、思い浮かんでくるのです。

4.深呼吸(腹式呼吸)

 私は健康な体をつくるために、深呼吸(腹式呼吸)を毎日30回以上行っています。

 ここでは、新谷弘実医師がその著「病気にならない生き方」の中で述べられている記事を紹介します。

 ・深呼吸には、副交感神経を刺激し、精神状態を安定させ、免疫機能を高めるという効果がある。

 ・深呼吸は目をつぶって一日に数十回すれば良い。(以上 p186)

 ・人間の身体内には約六十兆個の細胞があり、それぞれの個別の活動が、血液・リンパの流れ、胃腸の流れ、尿の流れ、空気の流れ、そして気の流れという五つの流れを媒介に、密接に関係しあいながら生命活動が行われている。(p200)

  深呼吸(腹式呼吸)は、これら五つの流れの全てに関係している、と私は思います。

 また、副交感神経を刺激するとNK細胞が活性化するといわれます。

 人間の体内では、毎日、100万個ほどのガン細胞が発生・消滅を繰り返しているとのことですが、 ガン細胞は、NK細胞の働きによって消滅するといわれています。

5.参考事項:繰り返し回数の数え方

 言葉の繰り返し回数は次のようにして数えています。

 「ついてる」の場合。4,3,3のリズムとします。

つまり、「ついてる、ついてる、ついてる、ついてる」(4回)・「ついてる、ついてる、ついてる」(3回)・「ついてる、ついてる、ついてる」(3回)というリズムで唱えます。 私はこの4,3,3,=10というリズムが気に入っています。

 この4,3,3のリズムで、「ついてる」を10回数える毎に、左手の指を一本ずつ折り、5本折ったら、つぎは一本ずつ広げ、5本とも広げたあと、右手の指を1本折ります。これで100回唱えたことになります。つぎに、左手指をクリアーし、また同じ要領で、次の100回を唱えた後、右手の指、二本目を折ります。このような繰り返しで、右手の指全てを広げ終われば1000回唱えたことになるわけです。

 「ありがとう」の場合は、4,3,3のリズムでも良いのですが、身体の各部に感謝するという意味を込めて、各器官に気を移しながら、その一つ一つに対して「ありがとう」と小声で言います。

 つまり、気を移しながら、(眼)「ありがとう」、(耳)「ありがとう」、(鼻)「ありがとう」、(口)「ありがとう」、(腹)「ありがとう」、(足裏)「ありがとう」、(天と太陽)「ありがとう」、(空気)「ありがとう」、(大地)「ありがとう」というふうに、( )内の器官などに気を移しながら「ありがとう」を唱えます。これが一巡する(10回数える)毎に左手の指を折り、前述と同じ要領で両手の指を使って、「ありがとう」を回数が1000回になるまで言い続けています。

 長文になってしまいましたが、最後まで読んでいただいて心から感謝します。何かご意見を聞かせていただければ、なお嬉しく思います。

 ありがとうございました。