旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

仙台藩が建造した『開成丸』は我が国最初の洋式軍艦か

2014-02-12 23:33:53 | 水の道逍遥
幕末に仙台藩が建造した『開成丸』は、我が国最初の洋式軍艦としてしばしば紹介されている。
これが事実かどうか気にかけつつも掘り下げて調べてみることをしないまま貞山運河事典でも同様に扱ってきた。
   ※貞山運河事典は移動しました。新サイト『貞山・北上・東名運河事典』は ⇒ こちら



▲仙台藩が建造した開成丸:安政4年(1857年)に進水。「務」の意を汲み命名。
   ※ 2007.11.05 造艦碑(寒風沢島)の案内板から ⇒ こちら


後に造船に当たった三浦乾也を江戸で知り、仙台藩に推挙した小野寺鳳谷(諱は篤謙。字は君鳴、謙吾。鳳谷は号。)
彼はまた、品井沼干拓に生涯をかけた鎌田三之助の祖父鎌田玄光が師事を仰いだ人でもあった。

小野寺鳳谷の人となりに興味を覚え、資料を探してみたところ、まさにその解説書というべきものに巡り遭えた。
それが、『評伝 小野寺鳳谷(上、中、下)』(黒川典雄著 仙臺郷土研究)。 
この評伝の中で著者は、徳川幕府の戸田(へだ)号や薩摩藩の昇平丸、水戸藩の旭日丸、長州藩の丙辰丸の例を挙げ、くだんの開成丸は我が国最初の洋式軍艦とするのは間違いだと述べている。



▲露西亜軍艦ディアナ号と使節プチャーチンの肖像
(戸田号は、東海道大地震の津波で大破したこの船の帰国代用船として建造された)


また、この評伝とは別に資料を物色していたら、『近代造船の曙-昇平丸・旭日丸・鳳凰丸』(安達裕之著)を知ることができた。



▲鳳凰丸:徳川幕府が嘉永7年(1855年)に完成させた


そしてここでまた、『日本近世造船史』(造船協会編)なるものを知った。





これらを併せると、仙台藩の『開成丸』は我が国最初の洋式軍艦でないことにたどり着く。 
やはり、身びいきはだめということか。

後日、改めてこの内容をまとめようと思っている。



『評伝 小野寺鳳谷(上、中、下)』:黒川典雄著
                  仙臺郷土研究 2001年7月、同12月、2002年6月

『近代造船の曙-昇平丸・旭日丸・鳳凰丸』:安達裕之(東京大学大学院総合文化研究科)著
                     TECHNO MARINE日本造船学会誌864
                     2001/11 特集:「船社の仕事」 

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