これまた気になっていた案件。
塩竈港につながる貞山運河としてしばしば紹介されている方は、本来のものではないと思っていたからだ。
体調は思わしくなく、山には行けない。
そこで、家にいて塩竈築港の歴史を勉強してみることにした。
資料は、昭和34年と昭和61年に発行された塩竈市史。
特に前者の方は、『塩竈築港史-東北における近代的港湾の成立-』(平 重道氏 昭和33年執筆)として、藩政時代からの変遷を詳細に記述しており、大変参考になる。
これらからすぐに整理できることは、次のとおり。
1.本来の開削された運河(御舟入堀)は、牛生地区~蒲生地区。
2.牛生から先は塩釜湾内を水路として活用。
3.港橋側につながる運河は、塩竈港修築に伴い、昭和2年~12年にかけて宮城県によって新たに作られたもの。
延長:2,498m 幅:18~36m 水深:1.8m
これでまた一つスッキリした。

▲塩竈港修築工事竣工平面図(出典:塩竈市史Ⅲ 昭和34年)

▲右側は塩竈湾内(貞山運河はこの水路を活用) ※新運河はこの橋の下を左方向に

▲貞山運河(御舟入堀)が塩竈湾とつながる地点(前方は貞山橋)

▲港橋

▲港橋の前方に広がる塩竈港湾

▲貞山運河橋梁の案内板 ※これが誤解を招きやすい。こちらの運河は、支川として整備されたもの。

▲鉄道用の可動橋(出典:塩竈市史Ⅲ 昭和34年)
(注) 画像は、すべて2009.10.10撮影。
塩竈港につながる貞山運河としてしばしば紹介されている方は、本来のものではないと思っていたからだ。
体調は思わしくなく、山には行けない。
そこで、家にいて塩竈築港の歴史を勉強してみることにした。
資料は、昭和34年と昭和61年に発行された塩竈市史。
特に前者の方は、『塩竈築港史-東北における近代的港湾の成立-』(平 重道氏 昭和33年執筆)として、藩政時代からの変遷を詳細に記述しており、大変参考になる。
これらからすぐに整理できることは、次のとおり。
1.本来の開削された運河(御舟入堀)は、牛生地区~蒲生地区。
2.牛生から先は塩釜湾内を水路として活用。
3.港橋側につながる運河は、塩竈港修築に伴い、昭和2年~12年にかけて宮城県によって新たに作られたもの。
延長:2,498m 幅:18~36m 水深:1.8m
これでまた一つスッキリした。

▲塩竈港修築工事竣工平面図(出典:塩竈市史Ⅲ 昭和34年)

▲右側は塩竈湾内(貞山運河はこの水路を活用) ※新運河はこの橋の下を左方向に

▲貞山運河(御舟入堀)が塩竈湾とつながる地点(前方は貞山橋)

▲港橋

▲港橋の前方に広がる塩竈港湾

▲貞山運河橋梁の案内板 ※これが誤解を招きやすい。こちらの運河は、支川として整備されたもの。

▲鉄道用の可動橋(出典:塩竈市史Ⅲ 昭和34年)
(注) 画像は、すべて2009.10.10撮影。
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