NHK受信料制度について

法律家が、NHKの受信料制度、特にその合憲性について考え、議論します。

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか(書評)

2017年04月29日 | 日記
「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」(内山 節 著)を読みました。

本書の紹介文として書かれていますが、本の内容としては、日本では1965年くらいまではキツネに騙された、という話があったのに、1965年を境にしてそういった話はなくなってしまった、というとこに著者が気づくところから始まり、そうなった理由などについて考察されます。

もちろん、書いてあることすべてに納得できたわけではありませんが、多くの示唆に富んだ本でした。

私も、昔はもっと科学万能主義的な人間でしたが、最近はそうでもなくなってきたように感じています。

科学がある種の、それも巨大な恩恵を人間にもたらしたのは否定しませんが、科学の進歩によって人が必然的に幸福になるわけではないということがますます明らかになってきたと感じています。本書を読んで感じたのは、人は科学では認識できないものを見て、感じる豊かな能力を持っていたのに、科学に頼ることによって、それが失われてしまったということです。
ある進歩がほかの退化をもたらすというのは、昔の人は空を見て天気の変化を読むことができたのに、テレビの天気予報に慣れてしまった現代の我々にはその能力が失われてしまったのに似ていると思います。ただし、テレビの天気予報が、空を見て天気を予想するのよりもはるかに強力で正確なのも否定はできないでしょう。

「科学によって認識できないものは、すなわち存在しないということである」という意見の方もいらっしゃるでしょうが、それでは「国家」はどうでしょうか。
国土は実在し、国民も実在しますが、国家そのものを見ることはできません。国家というのは人間の精神によって創り出された存在であり、所詮、多くの人がその存在を信じることによってはじめて存在するものだからです。それは、科学的に言えば共同の幻想に過ぎないということになるのかもしれません。

何が存在して何が存在しないというのは、最終的には人間の精神が決めるべきものだと思います。科学は、本来、その決定の一つの指標に過ぎないはずですが、現代の多くの人間(日本人)は、科学に頼りすぎ、依存し過ぎているのではないか、という思いを本書を読んで抱きました。

弁護士は六法全書を覚えている??

2017年04月27日 | 法曹界
「弁護士って、分厚い六法全書を全部覚えているんでしょ??」

って時々聞かれます。弁護士の友達とかに聞いたことがある人もいるんじゃないでしょうか。

そんな弁護士いないです!

あれを全部覚えるなんて普通の人間業じゃ不可能ですが、そもそも、六法全書を全部覚えたからといって司法試験に合格できるわけでも、弁護士として仕事ができるわけでもありません

弁護士の仕事の基本として、「依頼者から受けた事件を見て、それが法律に照らすとどういう結論になりそうか」ということがある程度分かる、ということがあります。

で、この「法律」ってやつなんですが、法律にもよりますが、法律家にとって一番重要な法律である民法などは、書いてあることが結構抽象的です。

例えば、、、こんな条文があります。

(任意規定と異なる意思表示)
第九十一条  法律行為の当事者が法令中の公の秩序に関しない規定と異なる意思を表示したときは、その意思に従う。

まず、この条文を見た時に、これが何を意味しているのかある程度分かって、どういう場面で使われる条文なのかが分からなくてはなりません。で、これに出てくる用語(例えば「公の秩序に関しない規定」)の意味を理解して、どんな場合がその用語に当てはまるのか、議論できる必要があります。

単に六法全書に載っている法律を覚えていたとしても、こういう検討や議論はできないのです。
というか、仕事をするときには法律の条文は六法を見れば出てきますし、司法試験の論文の試験でも六法は貸してもらえますので、全部丸暗記する必要なんてないのです。

あんな法律や裁判例があった気がするから調べてみよう、というように、ある程度は覚えていないとそれを調べるということもできませんので、法律家にも一定の記憶力が必要だとは思いますが、法律は本質的には暗記科目ではありません。暗記で受かる試験や記憶力だけでできる仕事ではないのです
どちらかというと、論理を積み重ねるという点において、法律を学ぶことは数学に近いところがあると思います。

頭が良すぎて言っていることが分からない

2017年04月26日 | 日記
時々、「頭が良すぎて言っていることが分からない」って言われる人いますよね。

言っていることが分からないのに、なぜ頭がいいのか分かるのかもちょっと謎ですが、ただのイメージという場合もあるし、言っていることが分かる場合もあって、その時にすごいことを言っているという場合などもあるでしょう。

ただ、点数や偏差値で比較できる学校とは違い、社会人の「優秀」「頭がいい」というのは、基準がもっと複雑です。

その人の頭の中で考えていることがすごいだけでなく、それを周りに理解できるような表現で共有できる、というのも「頭の良さ」の条件でしょう。

だから、「頭が良すぎて言っていることが分からない」という人は、たいてい以下のどれかに該当すると思います。

① 考えていることが凄くて、それを伝えようと思えば分かりやすく表現できるんだけど、そうする気がない
  ⇒ 非協力的、独善的と言わざるを得ないでしょう

② 考えていることは凄い(?)けど、それを周りと共有できるように表現する能力がない
  ⇒ 本当の意味で「優秀」「頭がいい」とは言い難い

③ 普段は周りが分かるように説明しているんだけど、その時だけそうしていない
  ⇒ 意図があってあなたを煙に巻こうとしているのかもしれません。あるいは、がんばってあなたに理解してもらう必要はないと判断しているのかもしれません

④ 頑張って説明しようとしているんだけど、言っていることが本当に周りのレベルを超えていて、あるいは先進的すぎて、ついていけない。
  ⇒ あいつがあの時言っていたのはこういうことだったのか、と後で分かって感心するかもしれません。これは本当の意味で「頭がいい」ですね。


結局、社会人として仕事をする分には、通常、周りに分かってもらって初めて価値がある、ということが多いですよね。
もちろん、危険やチャンスを察知しても周りに取り合ってもらえず、一人で準備しておいて価値のある仕事をする、という映画や小説になりそうなパターンだって皆無じゃないですが

NHK受信料裁判 最高裁への国の意見書

2017年04月25日 | NHK
NHK受信料の違憲性の問題については、こちらの4月15日の記事を未読の方は是非一度お読み下さい。

受信料裁判で、最高裁の求めに応じて法務大臣が意見書を提出したそうです。

この国による意見提出の制度、私も今回初めて存在を知ったのですが、戦後2例目だそうで、1件目では違憲判決が出た事件で行われたとのことです(その時も国の意見は合憲でした。国会が決めた法律について聞かれたら、国が合憲というのは当たり前でしょうけど)。

最高裁がこんな異例なことをしたのが何を意味しているのかについてもいずれ考えてみたいのですが、今日はその意見書の内容についてです。

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まあ予想通り、受信料は合憲っていうのが意見書の結論みたいですが、その理由は、報道で見た限り、

・災害時、緊急時などの有事に国民に正確な情報を提供して、国民が生命や財産を守れるようにするために受信料の支払を義務付けてNHKを運営する必要がある
・諸外国でも受信料制度によって公共放送が運営されている、


という2点のようです。

諸外国のことは、子どもじゃあるまいし「よそはよそ、うちはうち」っていう気もしますが・・・。

で、本丸の有事の際の情報提供ですが、これ自体は必要という気もしないではない。何らかの形で、放送を通じて国民に情報提供する機能は、国として整えておく必要があると思います。

ただ、4月15日の記事でも書いたとおり、「有事の際の情報提供」とは全く関係ない娯楽やスポーツ番組が大部分で、受信料の大半もそこに使われていると思われることが問題なんです。

オールオアナッシングではない

違憲か合憲か、という議論は受信料制度が一から十まで全部違憲、という議論もあり得ますが、一から三までは合憲だけど四から十までは違憲、という結論だってあり得るんです。

つまり、有事の際の情報提供事態は必要だから、受信料を義務付けてNHKを運営すること自体は合理性があって、そのために財産権を制約するのも許される。
だ・け・ど、憲法で保障された財産権を侵害するわけだから、その侵害の程度はなるべく少なくすべきで、必要となる理由との関係を離れてむやみやたらと大きくなってしまったら、その大きくなり過ぎた部分は違憲だよ、という理屈です。

実は、私も偉そうに書いていますが、4月15日の記事や今回の記事で書いたようなことは、法律家だったら多くの人が考え付く理屈です。
最高裁っていうのは司法界の頂点ですから、実際に違憲判決が出るかはともかくとして、中の人は「受信料制度が過大になっていないか」という視点でも必ずモノを考えるはずです。

最高裁が国に意見書まで出させて、受信料裁判も盛り上がってきましたね。
違憲判決が出るかはなんとも言えませんが、判決で最高裁がどんなことを言うのか楽しみです。

他に移りやすい仕事とは(ちょっと変わった就活アドバイス―その4(終))

2017年04月24日 | 日記
先日の記事の続きになります。

実は、こういった仕事は転職しやすい、こういった仕事は転職しにくいということを最後に書こうかと思っていたのですが、自分が「こうだ」と言えることはあまり多くないですし、先入観でいい加減なことを書いて迷惑をかけてはいけないと思い、転職のし易さについて序列をつけるようなことは避け、雑感的なものにすることにしました。

営業は総合力が求められる

私も会社に勤めていた経験があるのですが、その時のことを今考えて思ったのは、営業っていう仕事は総合力が求められる仕事だな、ってことです。
営業をするためには、顧客とのコミュニケーション力、提案・説明能力、人間関係を構築する力、問題発生時の解決能力も必要ですし、社内での調整力も必要となります。

営業で優秀な人は、頭の回転、タフさ、柔軟さ、対人関係能力を兼ね備えている人が多いという印象があります。

だから、営業で活躍できた人は、他の仕事に就いても、結構な力を発揮することが多い、という評価を受ける気がします

営業という仕事は、何しろ多くの会社に存在するということもありますし、営業を経験したということは仕事を移る、ということを考えた時にプラスの要素として働いてくるんじゃないかなあ、と思います。

もちろん、営業部門がある会社に入っても、他の部署に配属されることもありますが・・・。

別世界?

実は、特殊な団体等で、何かやろうと思えばそこに必然的に仕事が行く、というような会社が世の中にはあります。
こういうところは、要するに営業活動が必要ではなく、座っていれば仕事が来るというところがありますので、仕事が楽で給料が高め、というケースが結構あります。

しかし、営業活動とか、製品開発によって頑張って売り上げを伸ばして、という世の中の大多数の会社から見ると、良くも悪くも「別世界」という見方がされがちであるような気はします。

そういう意味では公務員についても、役所は基本的に申請を処理するというのがメインの業務ですから(もちろん、観光を盛り上げるとか、企業誘致とか、営業的な要素がある仕事もあるんだろうとは思いますが)、やはり「別世界」という見方をされる傾向があるのは事実だと思います。

ただ、会社というのは人材の多様性を重視しているところも多いですから、「別世界」から来ようとする人だからといって、直ちに採用しない、ということではないのかもしれません。

あと、中央のキャリア官僚は、国の中枢の動き方を見てきているということと、もともと優秀な人であるという推定が働くのか、民間への転職は結構し易いという印象を受けます。

(当たり前ですが、上記は、私の限られた経験から述べていることですので、その点ご承知おきください。)