1月8日(日)主日礼拝の説教
テキストは「マタイによる福音書」5章1節~12節
タイトルは「幸いなるかな」でした。
人間として生きている私たちは老病死の重荷に加えて自然災害、人災、戦争、事故等々、
容易でないことがたくさんあります。人はそれを不条理といい、「神も仏も無いものか」
「捨てる神あれば拾う神あり」など色々神様について言及します。
私たちはどうしても神様は良いことを与えてくださるという印象を持ちがちです。
聖書には「良い時も悪い時も」「時を得ても得なくても」「健やかな時も病める時も」という
言葉が出ています。
どんな状況になってもいつも神様に感謝しているような宗派もあるようです。
私の浅はかな考えですが、神に百年足らずの命を与えられて生かされている私たち人間には、
幸も不幸もいつでもなんでも起こり得てしまうのではないでしょうか。
不幸に見舞われたら嘆き悲しみ神に祈る、喜びを恵まれたら感謝し神に祈る、ということは
できますが、私たちが神のご計画を知ることはできません。
全知全能、宇宙のすべてを統べたもう神様が何をお考えになっておられるか、私たちには
わかりません。そしてそうであっても、神様を信仰する人々は平安を与えられている・・・・
“「天の国」の中を、今、歩みゆくものとされていることを知り、「幸せ」を感じる”のでしょう。
うろ覚えなのですが、東北大震災に遭われた教会の牧師さんが「私たちは神様を許します」と
仰ったというのをネットで聞きかじりました。 このような大きな災害で近しい人、日常の生活を
喪われた方々の 喪失感、絶望感は私の想像レベルを超えていると思います。
神様を信じ、信仰の轍を踏み外したくない私、お正月で少々(大分?)ボーっとした頭で考えました
がまとまりません。読み流してくださりませ。
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
ジョウビタキ(♂) 今シーズン初見でした。
テキストは「マタイによる福音書」5章1節~12節
タイトルは「幸いなるかな」でした。
人間として生きている私たちは老病死の重荷に加えて自然災害、人災、戦争、事故等々、
容易でないことがたくさんあります。人はそれを不条理といい、「神も仏も無いものか」
「捨てる神あれば拾う神あり」など色々神様について言及します。
私たちはどうしても神様は良いことを与えてくださるという印象を持ちがちです。
聖書には「良い時も悪い時も」「時を得ても得なくても」「健やかな時も病める時も」という
言葉が出ています。
どんな状況になってもいつも神様に感謝しているような宗派もあるようです。
私の浅はかな考えですが、神に百年足らずの命を与えられて生かされている私たち人間には、
幸も不幸もいつでもなんでも起こり得てしまうのではないでしょうか。
不幸に見舞われたら嘆き悲しみ神に祈る、喜びを恵まれたら感謝し神に祈る、ということは
できますが、私たちが神のご計画を知ることはできません。
全知全能、宇宙のすべてを統べたもう神様が何をお考えになっておられるか、私たちには
わかりません。そしてそうであっても、神様を信仰する人々は平安を与えられている・・・・
“「天の国」の中を、今、歩みゆくものとされていることを知り、「幸せ」を感じる”のでしょう。
うろ覚えなのですが、東北大震災に遭われた教会の牧師さんが「私たちは神様を許します」と
仰ったというのをネットで聞きかじりました。 このような大きな災害で近しい人、日常の生活を
喪われた方々の 喪失感、絶望感は私の想像レベルを超えていると思います。
神様を信じ、信仰の轍を踏み外したくない私、お正月で少々(大分?)ボーっとした頭で考えました
がまとまりません。読み流してくださりませ。
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
ジョウビタキ(♂) 今シーズン初見でした。