ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「エズラ記」⇔「ネヘミヤ記」

2015-04-30 14:27:09 | 今日の聖句
今日の聖句は「エズラ記」1章 です。

ペルシアの王キュロスの第一年のことである。主はかつてエレミヤの口によって約束されたことを成就するため、
ペルシアの王キュロスの心を動かされた。キュロスは文書にも記して、国中に次のような布告を行き渡らせた。
「ペルシアの王キュロスはこう言う。
天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることを
わたしに命じられた。あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、エルサレムにいますイスラエルの神、
主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい。神が共にいてくださるように。
すべての残りの者には、どこに寄留している者にも、その所の人々は銀、金、家財、家畜、エルサレムの神殿への
随意の献げ物を持たせるようにせよ。」
そこで、ユダとベニヤミンの家長、祭司、レビ人、つまり神に心を動かされた者は皆、エルサレムの主の神殿を
建てるために上って行こうとした。周囲の人々は皆、あらゆる随意の献げ物のほかに、銀と金の器、家財、家畜、
高価な贈り物をもって彼らを支援した。キュロス王はネブカドネツァルがエルサレムの主の神殿から出させて、
自分の神々の宮に収めた祭具類を取り出させた。ペルシアの王キュロスは財務官ミトレダトによってそれを取り出させ、
ユダの首長シェシュバツァルの前で数えさせたところ、その数は次のとおりであった。
金の容器三十、銀の容器一千、小刀二十九、金杯三十、二級品の銀杯四百十、その他の祭具一千、以上
金銀の祭具の合計五千四百。
シェシュバツァルは、捕囚の民がバビロンからエルサレムに上って来たとき、これらの品々のすべてを携えて上った。


エズラ記を読み始めました。
エズラがペルシア宮廷より「天にいます神の律法の書記官」としてエルサレムに派遣されたのは前398年(アルタクセルクセスⅡ世)
ネヘミヤが「ユダの総督」としてペルシアの宮殿よりエルサレムに派遣されたのは前445年(アルタクセルクセスⅠ世)です。
旧約聖書は「歴代誌」のあと「エズラ記」「ネヘミヤ記」と続いていまて、順番が逆のような気がします。 
エズラ記とネヘミヤ記の記事、一体どんな風に書かれているのでしょう、楽しみです。
エズラ記もネヘミヤ記もこれまで何回も読んでいるのに、順番が変?と今頃気づくとは、我ながら恐ろしくて恥ずかしい。 (^^;)


<アオゲラ> 瞬膜を閉じて一心不乱、餌の虫でも突いているようです。


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讃美歌21 57番「ガリラヤの風かおる丘で」

2015-04-28 21:51:10 | 讃美歌
26日の礼拝で歌いました。私は初めて歌った讃美歌でした。
復活の主が、エマオへ向かう弟子たちに現れたエピソードが何よりも好きな私は
4番を歌っている時に涙がこぼれそうになりました。
歌詞とメロディ、何かが胸を打ちました。

讃美歌21 57番 「ガリラヤの風かおる丘で」 別府信男作詞 蒔田尚昊作曲

 1 ガリラヤの風かおる丘で
   ひとびとに話された
   恵みのみことばを、
   わたしにも聞かせてください。

 2 あらしの日波たける湖で
   弟子たちにさとされた
   ちからのみことばを、
   わたしにも聞かせてくだざい。

 3 ゴルゴタの十字架の上で
   つみびとを招かれた
   すくいのみことばを、
   わたしにも聞かせてください。

 4 夕ぐれのエマオヘの道で
   弟子たちに告げられた
   いのちのみことばを、
   わたしにも聞かせてください。

この讃美歌は、日本人によって作詞・作曲された、比較的新しい讃美歌です。
作詞は別府信男さん、作曲は蒔田尚昊(まいたしょうこう)さんによるものです。
作詞者の別府信男さんは、ヘブライ語に堪能な方で、「聖書の伝説」という本の翻訳もされています。

蒔田 尚昊(まいた しょうこう、1935年3月13日 - )は日本の作曲家。別名、冬木 透(ふゆき とおる)。
満州の新京生まれ。
エリザベト短期大学作曲科卒業後、同短期大学宗教音楽専攻科修了。
TBS(当時ラジオ東京)に入社して効果を担当しつつ、国立音楽大学作曲科に編入。
合唱曲、特に児童合唱のための作・編曲が多い。また、宗教曲(キリスト教)も書いている。
映画・テレビの音楽を担当する際は、冬木透の名前を使っている。
この分野では、『ウルトラセブン』に始まるウルトラシリーズや、NHKの連続テレビ小説『鳩子の海』などが
知られている。
                       (以上、解説はネットからのコピペです。)

ここをクリックすると讃美歌21 57番を聴くことができます。


年一回、3月から5月の間だけ見られる<ツマキチョウ>です。
褄の黄色い(♂)です。 (♀)は黄色が無くてかなり地味です。

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「聖書の学び」 Ⅳ

2015-04-27 13:41:57 | 「聖書を学ぶ会」
昨日の礼拝前(10:00-10:20)は「聖書の学びの会」でした。

  聖書の描くイエス像。
  先週に続いて「ヨハネによる福音書」の描くイエス像について。

  エゴー・エイミーは英語の I am 何とか・・・と同じで普通の言葉のようだが、
  聖書の中では神がご自身を表す時の定式(神顕現定式)である。
  燃える柴の中からのモーセへの呼びかけもこの定式で、モーセは
  聞いた時にすぐ神だ、と分かった。

  「しるし(奇跡)」は神がご自身を表すことだが、それは驚きだけに
  終わることなく、素晴らしい喜びに至り→神を賛美することに変わり
  →福音を証しする者へと変えられてゆく。
  
  また、他の福音書はイエスの「受難」に力点をおいているが、ヨハネ伝は
  栄光の主として十字架につく、と描かれている。

  イエスへの問いを通して、丁寧に真理に導かれ、訊ねた者は答を見出してゆく。
  サマリヤの女(4章)は最後には伝道を始め、イエスの下に人を招く者へと変わった。



  
  公園の花壇に咲いていた蘭。 名前は不明です。

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「再会の朝食」

2015-04-26 21:51:30 | 説教
今日、4月26日の礼拝説教 テキストは「ヨハネによる福音書」21章1節~14節
タイトルは「再会の朝食」でした。





これまで何度も読んできたこの物語が左近牧師によって語られる時、
ワクワクと心躍るものとして私を捉えました。 
何度も思い出しては語り合い、他の人々に伝えずにはいられない。
弟子たちはどんなに嬉しかったことでしょう。 
傲慢で愚かで信仰薄い己を自覚していても、キリストが私を引き寄せ
引き上げ背中を押してくださる喜びと平安を心から感謝いたしました。
この世での命果てる日が来ても、復活の約束の朝、キリストに招かれて
囲む再会の朝食を望み見ながら、今日からの一週間を歩みたいと思います。



そろそろ繁殖地へ帰る<ツグミ>
団体でそろって営巣地に向かうのでしょう、
公園の芝生に集合し始めていました。

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ヒゼキヤ王とセンナケリブ

2015-04-24 20:30:25 | 今日の聖句
旧約聖書は今「歴代誌 下」を読んでいます。今日の聖句は「歴代誌 下」からです。

32章13節~15節
お前たちは、わたしとわたしの先祖が全世界の民に行ったことを知らないのか。
諸国の神々がわたしの手からその国を救い出すことができたか。わたしの先祖によって滅ぼされた
これらの諸国の神々のうち、どの神がわたしの手からその民を救い出すことができたか。
お前たちの神は、わたしの手からお前たちを救うことができるというのか。
そのようにしてヒゼキヤに欺かれ、唆されてはならない。彼を信じてはならない。
どの民、どの国のどの神も私の手からまたわたしの先祖の手からその民を救うことができなかった。
お前たちの神もこの私の手からお前たちを救い出すことはできない。」


アッシリアの王センナケリブがエルサレムに家臣たちを遣わして、エルサレムにいる
ユダの王ヒゼキヤとユダのすべての人々に告げさせた言葉です。
当時のイスラエルやユダは周囲の列強の国々に脅かされ続けていました。

16節~19節
センナケリブの家臣たちは、神なる主とその僕ヒゼキヤに向かってなお語り続けた。
またセンナケリブ自らイスラエルの神、主を侮る手紙を書き、主に逆らって言った。
「私の手から自分の民を救うことができなかった諸国の神々と同じように、ヒゼキヤの神も
わたしの手からその民を救い出すことはできない。」彼らは城壁の上にいたエルサレムの民に、
ユダの言葉を使って大声で呼びかけ、恐れと戸惑いを起こさせ、町を占領しようとした。
彼らは、エルサレムの神を、他人の手の業にすぎない諸国の神々を同じように考えて語った。


20節~23節
ヒゼキヤ王と預言者、アモツの子イザヤはこの事のために祈り、天に助けを求めて叫んだ。
主は御使いを遣わして、アッシリアの王の陣営にいる勇士、指揮官、将軍を全滅させられた。
(センナケリブ)王は面目を失って帰国し、その神の神殿に来たところ、自分の血を引く王子らによって
剣にかけられ倒された。こうして主はヒゼキヤとエルサレムの住民をアッシリアの王センナケリブ
およびあらゆる敵の手から救い、周囲の者たちから彼らを守って安らぎを与えられた。
多くの人々が主にささげる供え物と、ユダの王ヒゼキヤにささげる貴重な品々を携えてエルサレムに来た。
それ以来、王はあらゆる国の民から仰ぎ見られるようになった。


『ヒゼキヤは治世の第1年から神殿修復を開始し、国内の偶像を破壊して宗教改革を断行した。
物質的に繁栄した時代だったが、政治的には困難な時代だった。
父親のアハズ王は親アッシリアだったが、ヒゼキヤは反アッシリア同盟を結んでエジプトと同盟を結ぼうと
したが預言者イザヤは反対した。アッシリアのサルゴン二世はユダの地中海沿岸諸国を席巻し、
その子センナケリブもペリシテの町を降伏させユダの町も掠奪した。
ヒゼキヤはエルサレムが占領されるのを恐れて貢物を与えたが、アッシリアは更にエルサレムに迫った。
ヒゼキヤのこの危機の中にあってイザヤの預言によって励ましを得た。
そして、その預言は実現してアッシリアの軍隊は突然の災害によって滅んだ』のだそうです。(「聖書事典」より)

ヒゼキヤ王の時代、バビロニアの独立などによりアッシリアのセンナケリブは東方の支配を
固めなければならなかった。このためヒゼキヤ王はアッシリアへの朝貢を中止し、隷属関係を破棄することも
できたし、父のアハズがエルサレムに導入することを強いられたアッシリアの偶像も排除することができた。
アッシリアはしばらくの混乱の後、センナケリブは支配を安定させ再び南の国々を攻撃を開始し
エジプト軍をも撃破した。その後ユダの国に侵入し46の町を征服、エルサレムを包囲した。
絶体絶命の危機に落ちったエルサレムがかろうじてこの危機を免れたことについては二つの説がある。
一つは神殿と宮殿の莫大な財宝をアッシリアに収めたというもの。
もう一つはエルサレムを包囲していたアッシリア軍に突然(疫病などの)災害が起こったか、
本国に政治的異変が起こってセンナケリブが急遽退却せざるを得なくなったというものである。
いずれにせよエルサレムはとにかく滅びを免れ、これによってエルサレムは不滅であるという
迷信的な信仰が広がったようである。(「よくわかる旧約聖書の歴史」より)

しかし、このあとユダは再びアッシリアの属国となり、ヒゼキヤの後継者マナセとアモンは
ヒゼキヤが排除したアッシリアの偶像を再びエルサレムに導入しなくてはなりませんでした。
周囲の列強にもまれ続ける小国ユダは細々と生きながらえていたようですね~
分かり難いこの時代を理解するのには「マンガ聖書時代の古代帝国」も参考になりました。


桜の花は殆ど終わりました。

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聖なる務めを果たす者

2015-04-23 17:50:31 | 今日の聖句
新約聖書は今、「テトスへの手紙」を読んでいます。
今日の聖句は2章1節~10節です。

しかし、あなたは、健全な教えに適うことを語りなさい。年老いた男には、節制し、品位を保ち、
分別があり、信仰と愛と忍耐の天で健全であるように勧めなさい。
同じように、年老いた女には、聖なる務めを果たす者にふさわしくふるまい、中傷せず、
大酒のとりこにならず、善いことを教える者となるように勧めなさい。
そうすれば、彼女たちは若い女を諭して、夫を愛し、子どもを愛し、分別があり、貞潔で、
家事にいそしみ、善良で夫に従うようにさせることができます。
これは、神の言葉が汚されないためです。
同じように、万事につけ若い男には、思慮深くふるまうように勧めなさい。
あなた自身、良い行いの模範となりなさい。教えるときには、清廉で品位を保ち、
非難の余地のない健全な言葉を語りなさい。そうすれば、敵対者は、わたしたちについて
何の悪口も言うことができず、恥じ入るでしょう。
奴隷には、あらゆる点で自分の主人に服従して、喜ばれるようにし、反抗したり、盗んだりせず、
常に忠実で善良であることを示すように勧めなさい。
そうすれば、わたしたちの救い主である神の教えをあらゆる点で輝かすことになります。


私は「年老いた女」のカテゴリに入りますので、まず少しでも聖なる務めを果たす者となれますように
頑張ります。あまりお喋りだと他人を中傷し勝ちになるので要注意。大酒は、飲もうと思っても飲めないので
まず、問題無し。お酒はほどほどに楽しむ程度にいたします。 (^^;)
私たちシニア女性は若い女性を諭さなくてはならない立場ではありますが、これは中々難しいことでしょう。
信仰に立って振舞うようにできれば自ずから範となれるのでしょうね。
苦手なことではありますが、心して励みます。
先日、ネットを通して聖句を書くことの効用(?)を教えられました。
ただ読み流すのではなく、書くことによって一層深く読みこなせる気がいたします。
今日の聖句は「・・・? そうなの?」という所もありますが、神様を信じる者として
心を引き締めて日々生きて行きましょう、と改めて思いました。



公園を歩いているとピョ~ピョ~と<アオゲラ>の鳴き声、見上げると葉桜の幹に
アオゲラ(♀)がいました。 (^-^)


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讃美歌148番 「すくいのぬしは」

2015-04-21 13:37:36 | 讃美歌
19日の礼拝で歌いました。初めて歌った私は上手に歌えませんでした。
美竹教会の会堂の音響効果はかなり良い、と以前聞いたことがあります。
練習して次回は気分よく大声で ♪ハ~レ~ル~ヤ~♪ と歌うことにいたします。 (^-^) 

 讃美歌148番 「すくいのぬしは」   
    Surrexit Christus hodie Based on the Latin Hymn, 14th Century
    「EASTER HYMN (WORGAN)」 Composer unknown first appeared in Lyra Davidica, 1708

  1)救いの主は ハレルヤ!
    よみがえり給う ハレルヤ!
    勝ち鬨あげて ハレルヤ!
    御名を称(たた)えよ ハレルヤ!

  2)十字架をしのび ハレルヤ!
    死にて死に勝ち ハレルヤ!
    生きて命を ハレルヤ!
    人にぞ賜う ハレルヤ!

  3)主の死によりて ハレルヤ!
    救いは成りぬ ハレルヤ!
    天つ使いと ハレルヤ!
    ともにぞ歌わん ハレルヤ!

古いラテン語のイースター・カロルである。作者も作家年代も不明であるが、14世紀の写本が残っており、
その頃から現代までの間に、本文上に幾多の改変を経てきたことが立証される。
原形は2行8節の歌で、発生地は大体ボヘミヤであろうという。最初の英訳が現れたのは“Lyra Davidica,London 1708”。
又、この曲の原形もこの中に発見され、今日ではこの本が最初のものであろうということになっている。
それ以来英国民に愛唱され、イースター行事をかざる名歌となった。

Lyra Davidica はラテン語で「ダヴィデの竪琴」といった意味で、それまでの由緒ある聖歌や讃美歌の収集、
新たに作成されたもの,高地ドイツ語やラテン語讃美歌からの翻訳などを集め、英語で
一般の人たちに広く使用されるよう歌い易く楽しい旋律に編纂し直したものである。
Lyra Davidica の筆者は不明で、その原本の1800年以前の所有者は不明であるが、それ以後幾人かの手を経て1860年に大英博物館の手に入った。
“Surrexit Christus hodie” は英語で “Jesus Christ is Risen Today”となっている。
ラテン語の原作は1372年ごろとの説もある。Charles Wesleyも1739年、ロンドンのウエスリー礼拝堂
献堂式のためにこの歌を基に作詞した。但し、
このときは、“Hallelujah”或は“alleluia”はついてなかったといわれる。

“Hallelujah”或は“alleluia”ハレルヤは、元来ヘブライ語で「神を誉め讃えよ」の意であるが、
初代教会時代、ハレルヤと賛美する時、会堂全体がこだまするようだったといわれる。
新約聖書ではヨハネの黙示録19章1-6節に4回出てくるのみであるが、その6節「ハレルヤ、全能者であり、
わたしたちの神である主が王となられた。」は有名なヘンデルの「メサイア」の『ハレルヤ・コーラス』の基になった。
                             (以上、解説はネットからの引用です。)
ここをクリックすると讃美歌148番を聴くことができます。
歌詞は英語で " Jesus Christ is Risen Today " と歌っています。(多分・・・・)



天候不順な日が続きますが、公園は春めいて来ました。

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聖書語学講座、始まります。

2015-04-20 23:20:49 | 美竹教会
美竹教会では昨年度、左近牧師が「ヘブライ語入門講座」を開いていました。
今年度は「聖書語学入門講座」として、ヘブライ語とギリシャ語を学ぶそうです。
二か国語をどんな風に勉強するのでしょう。
どちらか希望する言語を決めてとか、一人で両方とか・・・・・
英語も満足に読み書きできない私ですが、外国の言葉にはとても興味があります。
時間があったら出席してみたいなぁ~。

ヘブライ語、ギリシャ語、興味のある方、ぜひご参加ください!

ここをクリックするとギリシャ語での新約聖書の朗読を聴くことができます。
ギリシャ語も美しいですね~



<紫花菜>です。


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「書ききれない喜び」

2015-04-19 22:07:05 | 説教
今日(4月19日)復活節第3主日礼拝の説教
テキストは「ヨハネによる福音書」20章30節~31節 タイトルは「書ききれない喜び」でした。






今日も左近先生の説教はダイナミックでワクワクするものでした。
紀元前13世紀の出エジプトが、忘れられることなく語り継がれ、
紀元前6世紀のバビロン捕囚からの解放、また紀元30年頃のイエスの
十字架と復活、夫々の時代の縄目からの解放を語る新しい救いの
物語として語り直されます。
それらは長い歴史の中で繰り返し証言され伝えられ、直接見たり
聞いたりすることのできない人々に語り継がれていく。
伝え聞いて信じた人々が新たな証人となって次の世代にまた伝えてゆく。
この人々の最先端に今、私たちがいる。 
私たちも信仰の、福音の証人として神の壮大な歴史に参加している。
毎日の一コマ一コマが神さまのかけがえのないページである。
説教を聴きながら、思いは三千年の昔に飛んだり、バビロン捕囚の
イメージが膨らんだり、イエスに縋り付くトマスに泣きそうになったり、
自分が何処にいるのか一瞬、忘れそうになるほど集中しました。
ブログに要約を載せますが、左近先生の説教はやっぱりライブで聴かなくては!

美竹教会の礼拝にいらして、左近先生の説教をぜひお聴きください!


公園の<カワセミ>です。
そろそろカップルになって卵を温め始めます。

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子供の時に神を知る幸せ

2015-04-18 15:56:52 | 今日の聖句
新約聖書は「テモテへの手紙 二」を読み始めました。 
今日の聖句は1章1節~10節

キリスト・イエスによって与えられる命の約束を宣べ伝えるために、神の御心によって
キリスト・イエスの使徒とされたパウロから、愛する子テモテへ。
父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。

わたしは、昼も夜も祈りの中で絶えずあなたを思い起こし、先祖に倣い清い良心をもって仕えて
いる神に、感謝しています。わたしは、あなたの涙を忘れることができず、ぜひあなたに会って、
喜びで満たされたいと願っています。
そして、あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています。
その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿って
いると、わたしは確信しています。そういうわけで、わたしが手を置いたことによって
あなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。
神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。
だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。
むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。
神が、わたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの
行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。
この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられ、今や、
わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。
キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現わして下さいました。


テモテは祖母、母の信仰に導かれてイエスの許に招かれました。 私の場合は母や姉によって
信仰への道が示されたと思います。
小学生の頃、学校に行く朝の玄関で母が私と共に手を合わせて神様に祈ってくれたことを思い出します。
いつも、ではなかったし、そんなに何回も、でもなかった気がしますが、私にとっては大切な心から嬉しい思い出です。
二十代の後半から何十年にもわたって教会を離れ「放蕩息子」状態の間も母は常に私のために祈ってくれていました。
姉も又、私のために祈ってくれ、私が教会に戻るきっかけも姉の祈りによって作られたと思っています。
二人とも今は天国に召されてしまいました。
何故、もっと早く神様の御許、教会に戻らなかったのか。
神様の事、教会の事、母や姉と語り合いたいことがたくさんあります。
私の場合、幼い時に神様を知ったことが信仰への大きな力となっています。
教会に、礼拝に子供の姿が見えるということはなんと素晴らしいことでしょう。



ピンボケの<コゲラ>しか撮れませんでした。(T__T)

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日曜日だけでなく週日も子供たちの自転車が止められているような、そんな子供たちに
開かれた、子供たちの集う教会。
東京の交通事情や、周辺に住民が少ない東京渋谷では難しく、なかなか見られない光景ですね~
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