遊名人壱實

まさかのものがまさかなものを作る意外性の面白さに溺れ狂っています。今後手遊びの作品を紹介したいと思います。

95.藤棚のドーム

2019年05月06日 | 紀行・詠
 令和元年5日目、朗人なのに子供の日、5月5日。フジの香りに誘われ行って来ました新居浜『ゆらぎの森』へ、天気は最高。別子ライン渓谷を抜け、頂上の大永山から下界の広大な木々の新芽にうっとり。その急坂をチャリで二人の朗人・・・ビックリです。長い隧道を抜けるとやがて休憩所がある。駐車場は満杯、ここから旧別子銅山の繁栄の時を垣間見る銅坑道口や住宅、小学校、劇場跡地の今は廃集落への登り口。一度は行ってみたい魅力の所だが、登山はねえ・・・ちょっと。しばらく走る≪ゆらぎの森≫の看板に誘われ右折、橋を渡ると集落があり、それも真新しい家が何軒も目につく、元気な山村の風景。とうちゃ~く、大きくて立派な藤棚ドーム、花は残念ながら少し早かったのですが、時刻はちょうどお昼、私達はウロウロ、あるではないか森の中に風情ある東屋が、食べ尽くせないほどの弁当を広げる。食後、ドームの藤棚を見上げカシャ、爽やかな風が心地好い周辺の赤石山系を眺めながら歩く新緑の森をカシャ。

           
   ゆらぎの森      藤棚ドーム         森で食し、森を歩く
 このコースは四季走っている。新緑に始まりフジ、紫陽花ロード、秋には一面紅色に覆い尽される山々、やがていくつものダム湖が・・・、そんなに素晴らしい走り屋コースなのです。走り屋も疲れます、金砂湖を見下ろす高台の茶店で湖に架かる赤い橋を眺め?るつもりが残念工事中、見る事が出来なかった。最後は法皇隧道入り口の≪水ヶ瀧≫をカシャ。

           
    富郷ダム    金砂湖高台の茶店    本来なら赤い橋      水ヶ瀧   
  

94.御衣黄桜

2019年04月30日 | 石庭結
 二年二ヶ月、久方振りの投稿です。もう一度挑戦してみようと一大決心をしました。先ず、我が庭≪石庭結≫のさくらを、花は緑色に咲く≪御衣黄桜≫と≪鬱金桜≫、昨年九月中半から可憐に咲き続け四月中旬まで、石庭結を八か月に渡り彩る《十月桜》
4月9日、御衣黄桜が咲きました。 既に花は白く、芯はピンクになり、潔く落散る姿に胸打つ。≪十月桜≫

                       

本日は平成最後記念の日。令和に繋ぐブログにしたいものです。がんばりまッす。

No93. 豪雪ツアー1

2017年02月12日 | 紀行・詠
 先週GF3人で≪白川郷、新穂高、高山≫のツアー旅に参加、行ってきました。朝は6時発なので4時半起床、長い一日の始まり。ツアー参加者は16人、中型バス、添乗員とドライバーは2人、車内はゆったり掛けで楽。新居浜から高速に乗り、瀬戸大橋、瀬戸SAでバスガイドさんが乗り全員集合。
 神戸、大阪、京都と、やがて琵琶湖、国宝彦根城の雄姿が遠目にちらっと。すでに遠景の山並みはうっすらと冠雪。バスは≪東海北陸道≫に入ると本格的に雪山。車窓から郡上おどりの町が見える、小高い山の雄姿は≪郡上八幡城≫、カシャ。雪に覆われた≪ひるがの高原SA≫で休憩、カシャ、カシャ。これから旅の目的の一つ世界遺産の白川郷へ、辺りはおびただしい雪、雪、雪、まさに豪々雪々?そのもの。こんな光景は古希の人生にして初。駐車場から続く小さな吊り橋≪であい橋≫を渡る人、人、人。河原も勿論、真っ白これがほんとうの≪白銀の世界≫。撮りながら歩く。ここは二度目、私は納経帳を≪旅の友≫として持ち歩く、旅先の寺院でいただく御朱印に拙い短か歌を添えています。、平成21年2月17日、いただいた明善寺の御朱印を再び、これも旅の目的だったが、今は無住寺という時の流れを歯痒く嚙み締める残念な結果になってしまった。
 豪雪の白川郷合掌造りの町を歩く、ふと周囲に目をやると(どうも言葉が違う)ことに気が付いた、なんと外人だらけ、それも中華人民共和国の人達ばっかり。独特の早口で喋りまくり、そんな目で見るとマナーが少々、疲れた~ァのでお茶をと思えば休み。ここは観光地なんだから、ザンネ~ぇン。

   合掌の白川郷の町歩き
     世界の遺産は白銀の世界



         


 気を取り直し新穂高温泉の近くにある≪たるまの瀧≫の冬の風物詩≪タルマかねこおりライトアップ≫へ期待を込める。着、バスを降りるといきなりのあかりに吃驚、表現不可能な世界に・・・。真っ青なあかりは川堰の下にある対岸に行くトンネル、びっくりの連続。すばらしい氷面から氷壁をすばらしいあかりに照らし浮かぶ魅了の世界。

   幻想の世界に誘なうかねこおり
     魅せるあかりに場去り難し

     
   
         

あかりの中をゆっくりと歩く、何かを思い起こすように、幻想の世界へゆっくりと・・・これから行く一夜の宿へ。

  

No.92 亡びゆく木造校舎 亀岡文化祭2

2017年01月29日 | 趣味工芸
 平成4年町内の昭和29年建築の歌仙小学校の閉校に伴い父兄より木造校舎模型の制作を頼まれた。明治9年開校以来幾重もの歴史を築いてきた小学校も寂しくも卒業生15名在校生を含む66名を最後に160年の歴史に校庭の満開の大きな桜とともに幕を閉じた。制作も最後に差し掛かったころNHK松山より電話、まさかの取材依頼、断ることは全くなし、即「OK」よ。生まれて初めてテレビカメラを向けられた時、いつもの自分でないことに気づく。滅茶苦茶状態だった。取材は制作の様子から贈呈式まで一週間密着取材の結果、放映されたのは3月20日奇しくも妻の誕生日だった。朝の番組『列島モーニング』で奇跡の《3分14秒》の全国のお茶の間に向けての夢のような放映だった。放送からしばらくして小学校を訪ねた。大きな桜の木は切り倒されていた、児童が集まっていた「なんでさくら切るん、何悪いことをしたん」と涙ながらに訴えた言葉に深く胸を打たれた。
   大事件私の顔が流れてる
      全国の茶の間に流れてる


 平成3年⒑月、秋晴れの石鎚国定公園氷見二千石原~面河渓谷をドライブ、美川村にさしかかった時、目に飛び込んだのは木造校舎ではないか。ここは東川川と面河川の合流地点≪仕七川小学校≫。何年も前から何十回となく通ったこの道なのに今まで目にすることがなかったが木造校舎に興味を持ち始めるとなぜか向うから飛び込んでくる、だから不思議。即取材、校舎は大正15年、現存では県内最古の木造校舎だ。冬の厳しい自然環境に耐えるかのような重厚な二重柱や長い廊下など、楽しみ、屋根には無数の雪止めが、簡単そうで意外と難しかった雪止め、何とか出来たって感。
 寄贈の日、校長室では全校生徒の前での式典を望まれていたが≪上がり性≫の私、快く辞退、代わりにと新聞取材の児童と一緒に校庭でカシャ。翌朝の新聞には白髪の老人が子供たちと一緒に笑顔で載っていた。
   峡谷美面河の川に育まれ
       純真無垢な仕七川っ子


 さて、最後の6校目は何故か島根県松江の朝日小学校、偶然知り合った出雲市の女性に連絡すると「今ある」と、では出掛けようと、遠路松江まで出かけた。さすが遠いと感じながら走った瀬戸大橋から米子道、中海、宍道湖と・・・。
 校舎は松江の町中にあり、でっかい。頑丈な外観、中央と左右、三か所の階段、とにかくすべてがビッグ、雪止め瓦。作り甲斐があるというものだ。入念に取材、写真は百枚以上撮った記憶がある。制作は全てこの頭の中。順調に進む。完成したのは半年が経過していた。
 寄贈のため再び松江へ、校長室には総勢15名もの報道人には吃驚、校長先生曰く「是非、全校生徒の前で」ここでも快く辞退。とにかくすごいの言葉以外見当たらなかった。ビッグ。
   小京都櫓聳える朝日小
       松江の町に威風堂々


            

 文化祭当日、私は会場にいることはできなかったが、多くの人に懐かしく見てもらったようだった。特に関心を持ったのが《亀岡小学校設計図》のようだったらしい、図面を手に取りじっくりと見る人、図面を見ながらうなずいたり
「そうじゃ、ここがわし等の教室じゃったのう」などと、当時を思い出していたとの話に大々満足の亀岡文化祭だった。

         






No91 亡びゆく木造校舎 亀岡文化祭1

2017年01月29日 | 趣味工芸
 市内隣町公民館で亀岡文化祭が29日行われた。私は参加して3回目だから若輩者。今回は私の趣味の原点《亡びゆく木造校舎》と題した、木造校舎模型や思い出の品々を出展することにしました。
 私の母校、菊間小学校と、歌仙小学校今は廃校となり、菊間小学校と統合合併。廃校の年、制作風景から贈呈式までNHKが取材、全国に放映されました。その二校の模型を展示し、制作を試みたが挫折した同地区内の既存の亀岡小学校の私が書いた模型仕様の設計図、制作した六校の短か歌(みじかうた)を自筆、写真にパソコンを駆使し挿入。亡びゆく木造校舎≪写真を詠む≫展にしました。

         

 第一作は母校の菊間小学校、大正12年の建築で近郊地域には珍しく西洋風の上下移動の《ギロチン窓》を取り入れていました。制作には7年2ヶ月を要した。誰にも教わることもできず、材料の選びから、図面完成までに既に2年が経過。制作も作っては壊しを何度繰り返したことか、一時は断念をしたが奮起、今思い起こしてもおぞましいくらい。だから諦めず作り上げた自分を褒めたい、どこかで聞いたフレーズ?。
 模型寄贈で完成披露の日、同級生女子が一言「うソ~、まさか、あの人が」このフレーズ、まさかな者がまさかな物を作る、だから面白いんだ。これだ!、このフレーズいただき。以後、己に言い聞かせる言葉として大事にしています。
   大正のロマン漂う我が母校
       誇り輝く学び舎永遠に


 渥美清の人気作【寅さんシリーズ・岡山】で偶然見つけた素晴らしい校舎、即電話で取材の申し込み、快諾を得、岡山県成羽町吹屋という標高500メートルの小さな村、ところがここは《吹屋ふるさと村》という、とてつもないところだった。銅山とベンガラで、財を成し町並みは繁栄のときを彷彿させる赤瓦と弁柄格子の建ち並ぶ国指定の重要的伝統建築群保存地区のすごい村だった。校舎は明治42年建築≪明治建築の粋≫を結集した素晴らしい建物、一目で惚れ込んだ。素晴らしい一言、以上の言葉はいらなかった。制作はノリノリなので僅か4ヵ月。寄贈の日多くの報道陣が待っていてくれたり、マスコミという私の知らない世界を体験させていただいた。以後、何度も訪れた。百有余年の小さな村の小学校も時の流れに逆らえず閉校を余儀なくされた閉校の日、身に余る光栄の知らせが飛び込んだ≪閉校式招待状≫には大感激。閉校時、卒業生2名在校生5名の全校生徒はわずか7名だった。
   百余年歴史を終える学び舎に
          十四の瞳光り燦々


 県内では≪つばめの学校≫として,ちょいと有名なこの成妙小学校、、木造校舎が消えるという記事を新聞で見た。三間町、四国八十八ケ所42番札所仏木寺が近く、田園地帯にある。校長室に案内され、古く開校当時からあるという国旗掲揚台を教頭先生の熱心な説明を受け、念を入れて作った事が印象的だった。贈呈式には地元新聞とテレビ局、夕方のニュースで流れ、翌朝の新聞にはばっちり、と、ちょっと遊名人?かな。
   校庭で親子ツバメが遊んでる
         成妙小はつばめの学校