自分にとって物珍しいのもあって、今のところブログ更新順調です!
今日の写真は何人かの方からのコメントにもあったアスマラの紺碧の青空です。本当にいつも吸い込まれるように蒼いです。
さて、今日のお題はこの写真にあるようなアスマラの近代建築です。ちなみのこの集合住宅、1930~40年代に作られたもので、窓のブラインドが渋いと思いませんか。
ムッソリーニがアフリカにおける第2ローマ帝国の首都にすると、ある意味でとっても迷惑な野望に燃えてイタリア中の新進気鋭の建築家を集めて作った街、これがアスマラです。人口は約50万人。日本ではほとんど知られていないですが、本当に、1920年代から50年代建てられたアールデコ、未来派建築の宝庫です。地震がほとんどないこと、エチオピアからの独立闘争時代(1960~91年)も、アスマラは最後までエチオピア政府側に抑えられており開発らしい開発がされなかったこともあって、それらの建物が21世紀の今もそのまま残っているのです。
よって、以前アスマラはイタリアの雰囲気と言いましたが、厳密には戦前のイタリアですね。あるイタリア人の友人は、いつもエリトリア人にアスマラはイタリアの街のようだろ、と聞かれて困るようです。彼曰く、自分の祖父母の頃のイタリアの地方都市なのかも、と言ってました。
法律面での整備がされていないので、ユネスコ世界遺産にはまだ登録されていないですが、世界銀行の文化遺産保護事業で建物の整備はされているよう。何と言っても、街の本屋で買える唯一の市内地図がアスマラ建築マップというのがなんともクールです。
今日の写真は何人かの方からのコメントにもあったアスマラの紺碧の青空です。本当にいつも吸い込まれるように蒼いです。
さて、今日のお題はこの写真にあるようなアスマラの近代建築です。ちなみのこの集合住宅、1930~40年代に作られたもので、窓のブラインドが渋いと思いませんか。
ムッソリーニがアフリカにおける第2ローマ帝国の首都にすると、ある意味でとっても迷惑な野望に燃えてイタリア中の新進気鋭の建築家を集めて作った街、これがアスマラです。人口は約50万人。日本ではほとんど知られていないですが、本当に、1920年代から50年代建てられたアールデコ、未来派建築の宝庫です。地震がほとんどないこと、エチオピアからの独立闘争時代(1960~91年)も、アスマラは最後までエチオピア政府側に抑えられており開発らしい開発がされなかったこともあって、それらの建物が21世紀の今もそのまま残っているのです。
よって、以前アスマラはイタリアの雰囲気と言いましたが、厳密には戦前のイタリアですね。あるイタリア人の友人は、いつもエリトリア人にアスマラはイタリアの街のようだろ、と聞かれて困るようです。彼曰く、自分の祖父母の頃のイタリアの地方都市なのかも、と言ってました。
法律面での整備がされていないので、ユネスコ世界遺産にはまだ登録されていないですが、世界銀行の文化遺産保護事業で建物の整備はされているよう。何と言っても、街の本屋で買える唯一の市内地図がアスマラ建築マップというのがなんともクールです。