Ciao from Asmara!

ここはエリトリアの首都アスマラ。イタリアとアラブとアフリカが混ざった不思議な街。在アフリカ歴8年のユニセフ職員の日記。

緑美しいエリトリア

2006-08-30 03:55:54 | エリトリア
2泊3日の慌しかった出張から無事帰ってきました。なんと、移動距離は約700kmとたいしたことはないですが、上下の移動が激しかったです。ハイ。

月曜日は、2400m下って、マッサワに宿泊。火曜日は、またアスマラに戻ってから、今度は、1000m下がって、ケレンへ。今日は、また400m下がってChetelという村を訪問、それから、一気に1400m上がって、アスマラへ戻ってきました。

高低差の移動には慣れてきたため、なんともないですが、普通の人なら、頭痛に悩まされるかもしれません。

出張中のいろいろな話はまた書きますが、今回、感動したのは、この写真にあるような、緑美しいエリトリア。これは、アスマラからケレンに向かう途中ですが、6月に来た時は、赤茶けた大地だったのに、2ヶ月の雨季を経たら、この通りの緑の絨毯。

今日の朝行った、Chetelという村も、緑の渓谷と、そり立つ周りの山々にかかる雲のコントラストが本当に幻想的でした。

ある村の給水所にて

2006-08-29 03:55:50 | エリトリア
今回の出張でも、やはり村々の厳しい状況を目のあたりにしました。

火曜日の29日は、午前中に、マッサワから、北紅海県を北部方面に80kmぐらい行ったところにある、Shiebという地域にいったのですが、まさに、半砂漠の真っ只中。

朝9時には、もう40度ぐらいある気温。照りつける太陽。巻き上がる砂埃。そういう中を、この写真のように、10歳になるかならない少女が、驢馬に乗って水汲みをしています。

もともと、このあたりに住んでいる人は半遊牧民なので、水があるところを点々としていたようです。幸い、この訪問した村では、ユニセフの支援によって水資源省が作った電動ポンプ式の立派な給水所があって、約6円を管理人に払えば、40リットルの水をホースで簡単に汲み上げることができますが、その水を家まで運ぶのが過酷な労働には変わりありません。

それに、ここ最近の旱魃の影響で、地下水の水位がかなり下がってきているようで、この給水施設もいつまでもつのか心配されます。

HIV予防のための看板

2006-08-28 04:39:25 | ユニセフ/国連
昨日のブログで書いた、コミュニティー給水施設のHIV予防や、衛生的な生活促進のためのメッセージ看板ですが、正直に言えば、その効果は???といったところでしょうか。

今回の調査は、短期間の限定的なものですが、いろいろと考えさせられることがありました。

例えば、看板のメッセージを肯定的に捉えているのは、概して若者で、特に女性。学校で習った、ラジオドラマで聞いた、HIV感染予防についての情報が、これらの看板で確認できて良い、との意見。

ちなみに、上記の学校でのエイズ教育や、エイズ啓蒙のためのラジオドラマも、ユニセフが支援しているので、包括的な予防対策が出来ているとも言えますが、やはり、看板自体の効果は限定的か。

また、年長者は、看板に男女がそれぞれ描かれていることも気に入らないみたいで、不純異性交流(懐かしい言葉!!)を促進するとまで言う人がいたのには驚きです。

言葉の問題もあり、各地域で話されている言語をメッセージに使用したのですが、そう簡単にはいかないようです。

例えば、ケレンから50kmぐらい離れたChetel村では、ビレン語を使用しました。しかし、そもそもこのビレン語は、表記文字がなく、宣教師を通して伝えられたローマ字が表記のために使われています。また、学校でのこのローマ字表記のビレン語を教えはじめたのは、ここ10年のこと。つまり、多くの大人は、ビレン語を日常使っているけど、ローマ字表記の文字など知らないのです。彼らが学校に通った頃に習った文字は、アラビア文字なり、ギーズ文字(ティグリニア語を表記する独自のアルファベット)ですから。

これじゃ、意味ないですよね。せっかくのビレン語の看板メッセージ。コミュニティーでの看板を作る前の調査は実施したようですが、どうも簡単に済ませてしまったようで、肝心な情報が抜けていたのかもしれません。ヤレヤレ。

久しぶりの出張

2006-08-27 02:07:31 | ユニセフ/国連
明日(28日)から、久しぶりの国内出張です。

今度は、北紅海県のSheibというところと、Anseba県のChetelというかなり田舎に行きます。目的は、ユニセフが支援するコミュニティー給水施設に設置されている、HIVエイズ予防や、衛生的な生活を促進するためのメッセージ看板が、どれぐらい役に立っているのかどうかを調べること。

村々では、テレビはおろか、ラジオすら多くの人は持っていません。そこで、多くの人が集まる井戸等の給水施設に、こういった伝えたいメッセージを載せた看板(ビルボード)を作ろうというアイデアが出てきました。その地域で話されている言語のメッセージを、多くの人の興味を引くであるイラストと共に大きく描くのですが、なかなか良くできています。

しかし、健康教育の関係者にいろいろと聞いてみても、良いアイデアだと言うばかりで、具体的に、それらの看板メッセージによって、当該地域におけるHIVエイズ予防なり、衛生促進に繋がっているのかどうかは、よく分かってないのです。

今回の調査は、3日ばかりのもので、どれだけ詳細がわかるかは疑問ですが、まあ、モニタリング評価としては重要だと思います。

水曜に戻ってきたら、また報告しまーす。

ユニセフの機動力

2006-08-26 04:17:48 | ユニセフ/国連
23日のブログで、エリトリアのスーダン国境に近いところでの洪水による被害の話を書きましたが、225世帯が家財を失うという悲惨な状況になっています。

ユニセフとしては、早速、現場近くに出張に行っていたスタッフに、現場に直行してもらい、簡単な状況分析をしました。そして、現地の地方政府担当者とともに、すぐに対応策を練り、緊急的に必要な物資を、アスマラにあるユニセフの倉庫から現場へ届けることにしました。

10000リットルの水を蓄える大型タンク、浄水用薬剤を3ヶ月分、各家庭に対して、2枚の毛布、2つの蚊帳、そして、2つの20リットル水ボトルを、早急に手配し、災害発生から1週間以内に現地に届けることができました。

しかし、笑えないのは、他の国連機関。上記のユニセフからの物資が現場へ届けられたかという時に、やっと各国連機関のトップ同士の対策会議を開催。来週にでも、状況把握のための共同ミッションを派遣しようという段階。

うちの所長は、「共同ミッション、よろしいですが、ユニセフはもうアクションを完了しました」、と強烈な嫌味を会議で残してきたよう…。

確かに、国連システムの緊急援助に関わる、2大組織(WFP、UNHCR)が、今年の5月にエリトリアにおける規模を大幅に縮小したため、ユニセフしか緊急援助に直ぐに対応できる組織はないという事実はありますが酷い話です。

いろいろ問題はありますが、やはり国連システムの中でユニセフはまだ機能していると思います。

エリトリア式スパゲッティーボロネーゼ

2006-08-25 04:24:47 | エリトリア
大分前に、エリトリアではイタリア料理がとてもポピュラーだと書きましたが、ものによっては、独特の味付けがされています。

この写真にある、スパゲッティーミートソース(ボロネーゼ)ですが、見た目は普通ですが、実はかなり辛い!!

しかも、辛さが、単なる唐辛子ではなく、エリトリアとエチオピアでしか使われない、独特のスパイスが混ざっていて、なんともユニークな味。家に来てくれているお手伝いさんの得意料理ですが、これは、はまると本当に病みつきなってしまいます。

普通のミートソースだと、なんとも物足りなく感じてしまうのですよ。

旱魃後の洪水

2006-08-23 05:27:33 | エリトリア
お隣のエチオピアで、河川が増水した洪水によって1000人近くの犠牲者が出ており、心が痛みます。1000人近い死者って、日本だととんでもない大惨事ですよね。

なんとも、皮肉なのは、ここエリトリアも含め、アフリカの角地域は、ここ最近酷い旱魃状態だったわけで、念願の恵みの雨が洪水を引き起こしていること。

エチオピアの惨劇ほどではないですが、エリトリアのスーダン国境に近い、Tessenyという街の近くでも、河川が氾濫して、何百という単位で家が流されてしまいました。ユニセフとしても旱魃の次は、洪水の緊急援助モードです…。

しかし、普段乾燥している、この地域では、突然の雨による洪水ということはよく起こるようです。年間通して、ほとんど乾いている砂漠の川に、突然、鉄砲水が流れてきて、犠牲になる人はエリトリアでもかなりの数になるそうですから。

ピースボートのコンサート

2006-08-21 05:47:36 | 日々の生活
今晩はコンサートが、ここシネマローマでありました。そうです、コンサートです。娯楽の乏しいアスマラでは久しぶりのことです。

主催は、なんと日本のNGOのピースボートで、彼らが実施している、エリトリアの子ども達を始め、世界中の子ども達にサッカーボールを送ろうというキャンペーンの一環です。

日本に住んでいないから、よく分かっていなかったのですが、このキャンペーン、34組、53名の著名アーティストが参加する大規模なもののようで、「友情のエール」というチャリティーCDまで出ています。

ちょうど、今日と明日、ピースボートの船がエリトリアに寄港しており、総勢500人近い日本人が、ここアスマラに滞在しています(これはこれで凄い!!)。そこで、このキャンペーンでのリーダ格、浜崎貴司さんがわざわざアスマラまでやってきて、エリトリアの有名ミュージシャンと競演する、というイベントコンサートが今日開催されたのです。

多くのピースボートのスタッフは早くからアスマラ入りし、準備に余念がなかったようで、それは盛大なものでした。サッカーボールの贈呈式もちゃんとありましたし。

し、しかし、日本に8年も居ないせいか、この浜崎貴司さんという人知らなかったです…。有名な人なのですよね。いやー、ファンの人、本当にすみません。コンサートもユニセフに届いたチケットだったので、タダで見ちゃったし…。

在外エリトリア人(その2)

2006-08-20 05:18:32 | エリトリア
在外エリトリア人ですが、彼らは見た目エリトリア人ですが、やはり全然違います。

特に、若者。着ている服、仕草、アメリカ訛りの英語、見てすぐBelesと分かります。無理も無いですよね、彼らの多くは、海外で生まれ育って、エリトリアには年1回の夏休みに帰ってくるだけなのですから。

アスマラで一番良いホテル、インターコンチネンタルでも、この時期はこのBelesの若者だらけ。インターコンで遊べるのは、もちろん彼らぐらいしかいないわけですからね。

でも、なんだか複雑な気分にさせられます。結構、彼らは、これ見よがしにお金を使っている感じがするので。

海外に行ったことのないエリトリア人にしてみれば、やはりあまりいい気持ちはしないと思います。Belesという表現に、その辺の気持ちも含まれているのかもしれません。

在外エリトリア人(その1)

2006-08-19 22:47:38 | エリトリア
昨日の話で、現在帰国中の在外エリトリア人達のことに触れましたが、今日は彼らについて少し。

エチオピアからの30年に及ぶ独立解放闘争の間に、多くのエリトリア人が当時のエチオピアから、政治亡命として世界中に散らばりました。主な行き先は、やはり、米国、カナダ、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、オランダ、ドイツ、そして、イギリス。特に、米国、カナダ、スウェーデン、ドイツあたりがマジョリティーの住むところ。

大分前に書きましたが、彼らの多くは、米ソ両国を敵に回していた、当時のエリトリアゲリラ軍(EPLF)を経済的にも政治的にも支援していたようで、その貢献は今でも語り草になっています。本当に、苦しい時で、国際社会は誰も何もしてくれない中、在外エリトリア人だけが頼りだった、と。

実際、その貢献が評価されてか、彼らは現在のエリトリア政府によっても特別待遇です。アスマラに家を建てるための土地を優先的に与えられているようですし。

しかし、エリトリア政府もちゃっかりしていて、彼ら在外エリトリア人が年に1回帰ってくる時のビザを無条件で発給する条件に、在外エリトリア人税なるものを課しているのです。年収の10%ぐらいといいますから、これは外貨不足に苦しむエリトリア政府にとって、かなりの収入のはず。

面白いのは、彼らのことを、普通のエリトリア人達は、Belesと呼んでいます。そうです、8月3日に書いた、サボテンの果物Belesです。Belesの季節にだけ、やってきて、そしていなくなってしまうからだそうです。

電気が復活?!

2006-08-18 04:07:06 | 日々の生活
8月10日のブログで、今月は怒涛の停電スケジュールになっていると書きましたが、なんと、その10日から、電気が完全に復活しています!!

完全というのは、本当に、昼、夜だけでなく、夜12時以降の深夜も電気があるという意味。これは、3月以降のエリトリアでは画期的なこと。

でも、逆に、なんで電気が戻っているのか心配。噂話はいろいろありますが、案の定、はっきりとしたことはわからないのです。

壊れていた発電所の機能が復旧した、というあたりは普通の話で、笑えるのは、現在帰省している在外エリトリア人達(彼らはお金を持っていて影響力あり!)の抗議より、資源省の大臣が、スーダンまで行って、泣きついて石油を安く売ってくださいと懇願した結果、発電所が再開したとか…。

僕としては、エチオピアから亡命してきた准将(11日の話)に、エリトリアは良いところですよ、とアピールしているのが理由と見ているのですが?!?

まあ、理由はどうであれ良いことです。電気がある生活。

寒いアフリカ…

2006-08-16 03:22:20 | エリトリア
日本、特に関西は猛暑のようですね。BBCでも、大阪は37℃とか表示されていましたから。

し、しかし、ここアスマラ、毎日寒いです。南半球の、南アやレソトにいた時は、まさに、季節が反対ですから、この時期は寒いのですが、エリトリア、一応、北半球なのに。

8月5日のブログでも書きましたが、雨季のため、一日の日照時間が限られているというのが原因ですが、それにしても寒い。さすがに、標高2400m。多分、夜は10℃以下。そうです、アフリカにも寒いところはあるのですよ。

今も、セーターを着てこれを書いています…。

Refugee Boy

2006-08-14 03:59:31 | エリトリア
ある書評を読んでどうしても読みたかった本を最近読み終えました。「Refugee Boy」というタイトルで、Benjamin Zephaniahが著者。邦訳は出ていませんが、日本のアマゾンでも買えるため、前回の帰国時に買ってきました。

いやー、ノンフィクション小説なのですが、正直言って、かなり泣けました。本当に、読みながら泣いてしまいましたから。

内容は、エチオピア人の父親、エリトリア人の母親を持つある男の子が、98-2000年のエチオピア-エリトリア国境紛争の最中、イギリスに逃れてきて難民として暮らしていこうとする話。

戦争状態になった、エチオピア、エリトリア両国から歓迎されない、まだ14歳の彼は、数々の悲劇に直面しながら、懸命に生きていこうとします。また、その彼を、必死で支えようとする、幾多の普通の人々。最終的に、彼にイギリス政府(裁判所)から正式な政治難民認定がおりるとこでストーリーは終わるのですが、恐らく、著者自身がこの少年のモデルだと思います。現在は、アーティストとしてイギリスで活躍しているよう。

実際、エチオピア人、エリトリア人の夫婦は沢山いて、前回の戦争の時の悲劇は、いろいろと聞いてきました。ユニセフエリトリア事務所にも、妻も子どももエチオピアに残したまま、エリトリアに強制送還されたスタッフが何人かいます。

ある日、突然、警察がやってきて、家族も家も財産も全てから切り裂かれエリトリアに送られたようです。本人がエリトリア人というだけで…。この反対、つまり、エリトリアからエチオピアへの強制送還も当然起きていたでしょう。

彼らは、今となっても、自分の家族と電話で話すこともできません。最近は、Eメール等があるでしょうが、自分の配偶者や子どもと会うことは、両国の国境問題が解決するまでないでしょう。

この小説の主人公はまだイギリスという新しい場所を見つけられただけ幸いなのかもしれません。外国人排斥運動が起こることはあれど、やはり、多くのイギリス人にとって難民を受け入れるということは生活の一部のようですから。

第16回国際エイズ会議

2006-08-13 03:54:01 | ユニセフ/国連
今日13日から、18日まで、カナダはトロントで国際エイズ会議が開催されます。

世界中から、HIVエイズに関わる学者に限らず、エイズと共に生きる人達、政治家や活動家等、様々なバックグラウンドの人が一同に会するこの会議も、今年で16回目。

昔は、もっと学術的な色合いが強かったようですが、ここ最近は、国際的なアドボカシーの場として注目されています。今年も、ビルゲイツ、クリントン元米国大統領、そして、最近、HIVエイズ活動に積極的に関わっているリチャードギアー等も参加するよう。

エリトリアからは、保健省エイズ局長が参加して、エリトリアにおける抗レトロウイルス剤治療拡大について、ポスター発表します。

なんでも、ユニセフも積極的に関わっている保健省の母子感染予防に関する発表が出来れば良いなーと、思っていました。それで、いろいろと保健省にも話を持ちかけていたのですが、オーナーシップの塊のエリトリア政府は、うちはうちで勝手にやりますから、ご心配なく…、といった感じ。

ユニセフ関係のイベントを手伝うか、本人が発表者でない限りは、ユニセフの場合、スタッフの国際会議への出席は基本的に認められていないので、僕は行けません。なんだかんだと行く機会がないのですよねー、こういうイベント。

狭い世の中

2006-08-12 19:34:16 | 日々の生活
今週は、日本から共同通信社の方が取材のためエリトリアに滞在されていました。

記者とカメラの2人でしたが、記者のTさんには、4月に僕が一時帰国した時に、ユニセフ東京事務所を通して会う機会もありました。いろいろと、昨今のエリトリア事情について話をしたことを覚えています。

滞在期間が1週間しかないのと、エリトリアは今、外国人の移動制限等が面倒なので、かなり的を絞った取材をされていたよう。

し、しかし、今回驚いたのは、この共同通信のTさん、僕が、ユネスコで勤務を始めた時のJPOの同期(Aさん)と、なんと大学のゼミが一緒の友人だったこと。

このAさんは、まさに同じ週に、パリ本部で一緒に研修を受けて、その後、彼はナミビア、僕は南アフリカと、赴任先も南部アフリカ隣どうしで特別な連帯感を持っていた友人。その後、彼は方向転換されて医学の道を志、現在は研修医をされていますが、まさか、彼も、アスマラでTさんと僕が彼の話をしているなどというのは驚愕のはず。

うーむ、世の中は狭い。どこで誰が繋がっているかは、本当に分からないものです。