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Ciao from Asmara!

ここはエリトリアの首都アスマラ。イタリアとアラブとアフリカが混ざった不思議な街。在アフリカ歴8年のユニセフ職員の日記。

もうすっかり春!

2007-03-03 22:38:05 | エリトリア
何度かこのブログでも、日々暖かくなってきていることについて触れていますが、3月になり、もうすっかり春満開です。

まあ、アスマラの場合、日中だともう暑いので(今も半そで!)、夏陽気といっても差し支えないのですが、やはり、朝夕の冷えはまだありますから。

しかし、この朝夕の冷えが本当にマイルドになってきましたよ。毛布もいらないし、日も大分長くなってきました。

おとといの夜など、久しぶりに曇り空。ほぼ4ヶ月ぶりとなる小雨もぱらついて、まさに春の訪れを感じさせます。そうです、本格的な雨季は7月まで待たねばなりませんが、アスマラに3、4月になるとパラパラと降る雨をとても大切なのです。農作物のためにね!

マッサワ解放記念式典

2007-02-10 22:13:45 | エリトリア
今日は、紅海沿岸の港町マッサワが解放された記念日で、17回目になります。

つまり、1990年の今日、現政権でもあるエリトリア人民解放前線(EPLF)によって、エチオピア軍の支配下にあったマッサワが解放されました。なんでも、Fenkil呼ばれたその時のオペレーションは犠牲も多く大変だったようで、独立後のエリトリアにとって特別な意味があるようです。今日は、まさにFenkil記念日といった感じでしょうか。

まあ、アスマラにいると何も変わらないのですが、マッサワではそれはそれは大きな式典、関連イベントが行われているよう。各国大使、各国連機関のトップ(うちの上司も含む)は、みな今日はマッサワで式典に参加していますから!

関連イベントでは、ハーフマラソンやら、サイクリングレースが行われているようで、この写真は、とあるホームページから借用しました。

そうなのです、イタリアの影響を強く受けているいるエリトリアでは、自転車のロードレースがかなり盛んで、アスマラでも頻繁に練習中のサイクリストに出会いますよ。

コーヒーセレモニー(3)

2007-02-06 04:32:01 | エリトリア
コーヒーセレモニーネタで前回ポップコーンについて書きましたが、実は、本当に伝統的なスタイルは、ポップーコーンでなく、ポップソルガムです!!

はあ、という感じですよね。ソルガムというのは、アフリカではごく一般的な穀物で、日本名もろこし。とうもろこし(コーン)より育てやすく、気候条件の厳しいところでは、主食として使われます。

かなり以前にこのブログでも書いた、エリトリアの伝統的な主食のインジェラ(すっぱいパンケーキ)も、本来はテフというこの辺独特の穀物で作りますが、テフは希少で値段が高いため、多くの人はこのソルガムで作ります。まあ、ソルガムで作ったインジェラは、かなりすっぱく、硬いのですが…。

それで、このポップソルガム、ポップコーンに比べると小粒なのですが、なかなかいけます。今日聞いた話だと、なんでも、ポップコーンのことを、俗語でポップアメリカンとも言うらしい!

コーヒーセレモニー(2)

2007-02-04 22:40:10 | エリトリア
さて、昨日コーヒーセレモニーとはどういうものか、また全体の流れについては説明しましたが、このセレモニーと言えば、欠かせない食べ物があります。

じゃーん、なんと、それはポップコーン!!そうです、普通、映画館であるようなポップコーンを、お茶菓子のようにして食べるのです。ちなみに、この写真で、炒り立てのコーヒー豆が入ったフライパンを抱えるおばさんの手前にあるのがそうです。

なんで、ポップーコーンとあらゆるエリトリア人に聞いたのですが、答えは決まって、昔からそうだから…。まあ、敢えて説明してくれた人によれば、ポップコーンには人を歓迎する意味があるとのこと?!

確かに、コーンの元のとうもろこしはその辺で普通に栽培されているし、かなり以前から食べる習慣はあったのでしょうが、面白いと思います。

コーヒーセレモニー(1)

2007-02-03 04:17:18 | エリトリア
さて、ラジオ生出演で話した、エリトリアのコーヒーセレモニーについて書きますね。

日本の茶道のことを英語で、ティーセレモニーに言いますが、まさに、それぐらい形式ばったちゃんとした儀式。基本的には、お客様を家に招いた時にするのですが、皆大好き。別に、特別なお客様でなくても、人によっては、友達同士で、頻繁にコーヒーセレモニーをしている感じです。文化的に同じの隣のエチオピアでも同じものがあります。

それで、どのようにするのかですが、まさに、この写真にある通り、生のコーヒー豆を炭火で煎るところから始まります。そうです、コーヒーセレモニー専用のコンロで炭火を起こして、そこに、これまた専用のフライパンを使って、豆を煎るのです。

それで、20-30分して、ようやく豆から香ばしい匂いがしてきたら、これを、セレモニーの参加者全員に嗅いでもらうのです。フライパンのまま、お客様の前にもっていって、手で扇ぎながら、皆、香りを楽しみます。

セレモニーを通して香りの要素は重要で、別にお香がたかれているのも普通です。このお香とコーヒー豆の香りが醸し出す雰囲気が大事なのです。

そうして煎られた豆をフライパンからあけて、今度は木臼で豆を轢く作業です。木の棒で叩きつけるようにして、豆が粉状になったら、これを、同じ炭火の上にかけた水が入った専用ポット入れます。まさに、水から直接コーヒーを出していきます。

よって、セレモニーが始まってから最初のコーヒーが飲めるまで、優に1時間はかかります。飲むときは、小さなデミタスカップに砂糖をたっぷりいれてサーブされます。

凄いのは、これ1杯では終わりません。基本的に、またポットに水を足して、3回は繰り返します。だんだんと薄くなっていくのですが、3回分ぐらいはちゃんとコーヒーが出ますから。

従って、まともにコーヒーセレモニーに招待されると3時間ぐらいかかります。忙しい時は、1回で終わる時もありますが、まあ普通はありません。

なんでも、親族会議が長引く時など5回ぐらい続けて飲むこともあるそうです。恐るべし。

ラジオ生出演

2007-01-30 04:31:38 | エリトリア
1月21日付けのコメントを書き込んでくださった、放送作家、中野さんのアレンジで、今日(30日)付けの、吉田照美のやる気MANMANという文化放送のラジオに生出演することになりました。

番組は12時57分からで、私のインタビューがあるコーナーは13時10分ごろから約10分ぐらいだそうです。この番組、かなり有名ですよね。私は番組を聞いたことはないですけど、名前は知ってました。

なんでも、エリトリアで体験した面白いことを話すという設定なので、時間があれば是非とも皆さん聞いてくださいな?!

しかし、日本時間で13時過ぎということは、こちらは朝7時過ぎ…。ちゃんと起きなければ!

エピファニー

2007-01-19 00:39:12 | エリトリア
今日(19日)は、コプト教のEpiphany(神現祭)で休日!のはずが、国連は公休にあらず…。町中のお祭りモードの中仕事をしていました。

そうなのです、コプト教の人にとってこの公現祭なるもの、かなり重要なようで、この写真にあるように、大勢の人が集まる野外イベントが今日ありました。ちなみに、僕は仕事でイベントに参加できなかったため、これは広報官の同僚が撮ってくれた写真です。

なんでも、上にリンクをはってあるウィキペディアによると、東方正教会系(コプト教を含む)にとっては、この日は、イエスが救世主の姿を現した、つまりヨルダン川でのイエス洗礼の日らしく、とても盛大な儀式が行われるのです。

カソリック、プロテスタント教徒にとっては、エピファニーは東方の三博士の訪問、礼拝の日らしいので、宗派によって結構違うものですね。

1月のクリスマス?!

2007-01-14 04:38:46 | エリトリア
エリトリアの正月は太陽暦の9月になるという話を以前このブログでも書きましたが、なんとクリスマスも2回あるのです。そうです、コプト暦に基づくと、今年のクリスマスは1月8日。1週間前の日曜日です。もちろん、カソリックやプロテスタントの人にとっては、12月25日がクリスマス。

コプト教徒が多数をしめるアスマラでは、この1月のクリスマスは盛大なイベントです。よって、12月上旬からあるお店のクリスマス飾りつけも、現在でもそのまま。

クリスマスの1週間後に大晦日、正月を迎える日本の季節感とは程遠い感覚です。今回の一時帰国でも、クリスマスモードのデパート展示が、あっという間に、年末モードへ、そして、大晦日の午後には、新年モードへと目まぐるしく変化するのに日本を実感しましたからね。

ややこしいのは挨拶で、コプト教の人には、happy new year、そして、Merry Christmasと順番が入れ替わります。まあ、実際のところ、コプト教の人にとっての新年は9月だから、happy new yearは余計かも…。

国際子どもの日?

2006-12-08 22:22:56 | エリトリア
Wikipediaよると、International Children's Day(国際子どもの日)は多くの国で祝われていて、基本的には6月1日のよう。なんでも、なぜ6月1日かというのは諸説あるようですが…。

エリトリアでは、なんと今日12月8日が国際子どもの日!大臣もスピーチをする盛大なイベントが、多くの子どもの参加のもと行われる、それは立派なもの。8月にある年に一度のお祭りで使われるエキスポ広場が公開され、遊具施設(と言っても、非常に限られていますが…)が子ども達にただで開放されます。

もちろん、ユニセフも労働福祉省を通して支援しています。

しかし、面白いのは、皆なぜ12月8日なのか知らないこと。労働福祉省の人から、僕に対して由来を知らないか?という質問があるぐらいですから。「そんなもん、あんたが知らんかったら誰が知っとるねん!」と突っ込みを入れてしまいましたよ。おもわず!

多分、独立解放戦争の時に絡んでいる話だと思うのですがね。ところで、上記の僕に質問した労働福祉省の人、独立闘争のリーダー、イサイアス大統領の妹さんです…。


外国人に対する移動制限

2006-12-03 21:27:56 | エリトリア
それで、Dekamhareで行われた世界エイズデーのイベントに参加できなかった理由ですが、移動許可書が間に合わなかったのです!

遡って2004年3月頃に、エリトリア政府は、外国人に対して、基本的に幹線道路とその行き先(Massawa、Keren、Dekamhare、Mendefera)以外へ移動を制限する方針を出し、前もって政府(外務省儀典局)から移動許可書なしでは簡単に出張にいけなくなりました。

エリトリア政府の国連や国際社会に対する不満が高まるなか、さらに、今年の6月から、首都アスマラから出ることに関しても移動許可書が必要になり、また、申し込み期限が10日前と厳しくなりました。

今回のイベントの招待状が保健省から届いたのは1週間前。しかし、招待状自体のコピーを移動許可申請に添付することによってなんとかなるとは言われていました。

儀典局は朝7時から開いているので、朝一番で事務所のドライバーを送ったら、許可書は9時過ぎまで出せないとのこと。とほほ、イベントは朝8時からなので、この時点でもうどうしようもありません。

しかし、他国連機関の人は7時半ごろにもらえていたよう。なんでも、保健省ルートから特別に申請し、間に合ったようです。うーむ、ユニセフもそうするようにうちの総務担当に頼んでいたのに…。

冬を迎えるアスマラ

2006-11-26 03:26:57 | エリトリア
NYも寒かったですが、アスマラも朝夕はかなり冷え込むようになってきました。そうです、ここはアフリカ大陸で北緯15度とは言え標高2400mですから冬は寒いのです。

確かに、冬は乾季のため日中はいつも快晴で、20℃は越える陽気なのですが、ここ最近、季節はずれの雨が降ったり、曇り気味の日々が多いのです。よって、日中にも大地が温まらず、夜にぐっと冷え込みます。明け方は、多分5℃ぐらいしかないかも。

一番寒いピークは、12月、1月頃。場合によっては氷点下になり霜が降ります。家の庭のトマトは一昨年、この霜にやられましたからね…。

布団の上に掛ける毛布を、収納庫から出さなければ!

濃紺の青空

2006-11-07 01:15:05 | エリトリア
ノルウェーからのミッションは明日まで。まだまだ大変な日々が続きます!

ところで、今回の出張に行っても再認識したのですが、エリトリアでは本当にハッと息をのむような濃紺の青空を、いたるところで見ることができます。

大地が乾いていて、標高が高いせいでしょうか、インディゴブルーというのか藍色の空が、とにかく美しいです。高校の時に習った、啄木の詩ではないですが、15歳でなくても吸い込まれそう…。

黄金色の大地

2006-11-03 19:32:37 | エリトリア
無事出張から帰っています。水曜の朝7時半にアスマラを発って、その日は、ガシュバルカ県のMogolo、Arada村における、軍のHIV予防プロジェクトと、最近はじまった村の診療所での母子感染予防プログラムの見学。宿泊先のBarentuに到着したのは夕方5時。なんと、お昼抜きでした。

翌日も、朝から、今度はBarentu市内で、労働福祉省が実施している孤児支援プロジェクト見学。午後は、移動でKerenに向かって、夕方はユースセンター訪問。夜も、いろいろとノルウェー人アドバイザー達と議論。

最終日の金曜は、Kerenから30分ぐらいのGlassという村で、また軍のプロジェクトを見学。その後、Hagazという町に移動して、今度は、町のセックスワーカー達へのインタビュー、お昼は近くにある軍の病院でご馳走になりました。午後にはアスマラには戻りました。

詳細な内容は、また別途書きますが、この写真にあるように、秋深まるエリトリアの田園風景は、それはそれは美しかったです。まさに、大地が黄金色に染まっている感じ。

Barentuの町

2006-11-01 21:32:53 | エリトリア
出張最初の晩に泊まった、ガシュバルカ県の県庁所在地Barentu。この写真にあるように、美しい田園風景とは反対に、98-2000年のエチオピアとの国境紛争の爪痕が生々しくのこる町です。

手前にあるのは、錆付いた装甲車の残骸、奥にある廃墟はホテルで空爆を受けたままの状態で放置されています。

確かに、最近、世銀の援助で作られた巨大な病院がオープンしたり、街中の道路も次々と舗装されたりと表向き町は普通になっています。関係が改善されたスーダン国境までもここからは約200km。物資もこれからは、スーダンからいろいろ入ってくるでしょう。

しかし、縮小されたとは言え国連平和維持軍(UNMEE)の基地もあります。そうです、エチオピアの国境(バッファーゾーン)まで、ここから約30kmですから。

先日あった事件というのも、どうやらUNMEEの基地に侵入した若者を、レバノン兵が威嚇した後、射殺したというもの。UNMEEの関係者に言わせると、食糧不足で切羽詰った若者が基地に侵入したとのことですが、2001年に平和維持軍が来て以来、エリトリア人が死亡するという事件は初めて。政府の報道では、また反UNMEE的な論調なので、皆少しピリピリしています。

よって、今回の出張もキャンセルされるかという話もありましたが、なんとかやって来ました。町自体は、別に現在何があるわけでもなく、至ってのんびりしていました。Brentuに駐屯しているエリトリア国軍の偉いさんが、ちゃんとコーヒーセレモニーで歓迎してくれましたし。

ラマダン明けのお祭り

2006-10-23 23:43:59 | エリトリア
1ヶ月続いた、ラマダンの断食が昨日終わって、今日は、Id-ul-Fitrという、ラマダン月明けのお祭りの日です。よって、事務所もお休み。

おそらく、人口の大多数をイスラム教徒が占めるような国とは違い、エリトリア、特に、ムスリムの人口比が3割ぐらいのアスマラでは、特に、盛大な感じはしません。

でも、イスラム教徒の人の家に行くと、凄いのですよ。これが。皆、この日のために、家の大掃除をし、何日もかけて料理を準備するので、まるで、日本のお正月のようです。

面白いのは、このラマダン(ちなみにこれはもともと断食を意味するものでなく、単に、イスラム太陰暦での9月を意味します)の次の月は、シャウワールですが、この月にも、さらに6日間断食すると、1年間断食をしたのと同じ効用があるということ。

よって、敬虔なイスラム教徒は、今日のお祭りが終わるとまた6日間断食という人もいるようです。

ちなみに、今日の写真は、アスマラで一番大きいAl Khulafa Al Rashiudinモスクです。