てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

ブラオイラ#143(雨のち晴れホワイトロード五箇山編:後半晴編)

2016年08月15日 23時13分50秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
午前中の雨が嘘のような、晴天の天気になった。


さて桂湖から少し上流部にある吊り橋を目指します。

親父、早い早い・・・

今75歳くらいだと思うが・・・

ここより登山道の入り口でもあるらしい


大畠谷橋とある。


なかなか高い吊り橋である。


渡りきると、一気に登山ルートに入る。

まずは階段が・・・

どんどん登れ!

お袋はギブアップ、ここで待機することに・・・。

まだまだ~


ずいぶん高くまで来たぞ!

渡ってきた吊り橋が見える

急な坂道が続く


まじかいな


相当の高さまで登ってきた。
ちょうど尾根のようなところである。
もう少し上にも行きたかったが・・・、

さすがにこれ以上は危険ということで、

ここでしばしの休憩

ピースする親父と我が娘。

いい眺めだ。


ホワイトロードの三方岩登山ができなかったけど、ここでこういう体験ができたことは良かった。

さて降りましょう。

落石に注意ですよ~!

ようやく、

お袋が、「まだかまだか」と待っていた



桂湖ビジターセンターへ

大学のボート部が合宿にきているようだ。

なかなかの風景です。

ここではボート体験もできます。

この建物で驚いたのが、この軒下のツバメの巣群

ツバメはいませんでしたが、巣は30個くらいありました。

さて、桂湖をあとに、五箇山合掌造りへ向かう。

途中、道の駅がある度に駐車するわが一団

特にお袋の地元野菜売買への関心度は異常である。

これ買っちゃおかな

どこで使うねん!

しばらく行くと

はい、五箇山合掌造りです。

いいね。

世界遺産の合掌造り集落(1995年登録)、岐阜県の白川郷が有名ですが、この富山の五箇山も当然対象となっています。

時間がなかったので寄りませんでした。
いつかゆっくり集落を散策したいものである。

(ウィキより)
五箇山:
平家の落人が住み着いたと伝えられている。1183年、富山県と石川県の県境にある倶利伽羅峠で、木曾義仲(源義仲)と平維盛(平清盛の孫)が戦った倶利伽羅峠の戦い。
この時、義仲は火牛の戦法で平家に大勝した。その残党が五箇山へ落人として逃げ隠れたとされる。
江戸時代には、加賀藩の流刑地とされ、加賀騒動の大槻伝蔵もこの地へ流された。流刑地である五箇山には当地を流れる庄川に橋を掛けることが許されず、
住民はブドウのつるで作った大綱を張り、籠をそれに取り付けて「籠渡し」として行き来した(現在でも残っており、人の代わりに人形が川を越える)。



さて帰路につこう。

おっ散居村だ。


ふむふむ


はい、今日は充実した一日となりました。
午前中の大雨にはどうなることかと思いましたが、
BBQも旨かったし、午後からの晴れでプチ登山もできたし、世界遺産までも見ることができた。
なかなかいいドライブでした。

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