山の奥の細道から

今日からブログを始めました。 山野草が好きでこんなタイトルをつけました。

秋・あるがままに

2016-09-29 10:27:30 | 日記
台風一過 にわかに涼しくなって秋めいて
バケツ一杯に採れた夏野菜もぐんと少なくなって
代わりにりんご・梨・ブドウなど
季節のフフルーツが食卓に並ぶようになって
?を気にしながら まさに秋は食欲の秋でももあります



もうおなじみの秋の花 「つるにんじん」



濃い紫に咲く「りんどう」 です



山野奥深く白くこぼれんばかりの「いたどり」 です



秋を代表するような花「あきのきりんそう」です
この花ガ咲くころになりますと
おおむね 山野に咲く草花は終わりになってきます


これもおなじみの 「黄花のホトトギス」です
どの花も厳しい自然環境に耐えてこの秋を迎えました
でもどこか花にも無理があるのでしょう
私にはとても疲れた様子に思えます



今年も香り一杯に咲いています 「さらしなしょううま」 です
近寄れば花の美しさもさながらその香りにうっとりします
昆虫たちもしきりに蜜を求めて集まってきます
野山から目を転じて
我が家の庭にも
今年最後の花とばかりに・・



「まつもとせんのう」のおくればなガ一輪
小さく遠慮がちにでも精一杯華やかに 咲いています
秋は命のバトンタッチでもあります



晩夏から秋の今に至るまで
長く咲いて切り花にしても長持ちのする 「かくとらのお」 です

植物たちも厳しい自然環境と戦いながら
だからこそ痛んだ葉やちぎれたはなびらのその奥に見え隠れする
長かった厳しかった猛暑をおもい
けれどもこれが生きるということなのです
生きていという 証なのでもあります
弱くても そこに美を見出して
有るがままに受け止めていきたいです
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特攻隊の遺品

2016-09-24 15:22:22 | 日記




あさぎまだらの飛来が九月十五日に
小さいのが一羽来ましたが
なかなかその後は現れませんでした
九月二十一日の午後
にわかに沢山集まってきました
その後この雨模様の空で
さすがに昆虫の独特の勘?
とでもいいますか・・・




これは七十有余年前
台湾の高尾から特攻隊員として
若い命を散らした 
伯父が最期に家族あて送った手紙の中にありました
嫁いだころに一度見せていただきましたが
その頃はあさぎまだらがそれほど有名ではなくて
その存在すら知りませんでした
今年?十年ぶりに 御蔵の整理をしていて
再び私達の目の前に現れました

「大勢の兄弟の中でも
一番器量も良くてあたまもよくて体格もよくて・・」と
何時も義母は若くして亡くなった弟の事を話してくれていました
残された者が何時まで経っても忘れられない
深い悲しみ このような戦争やテロがどうしてなくならないのでしょうか・
折から秋の彼岸 早く逝った人も
遅く逝った人も皆揃って語り合っていると信じたいです

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上高地から

2016-09-15 17:35:20 | 日記




今年は不思議な年で
七月は白馬でしたが
今度は上高地に友達と行くことになりました
上高地と言えばかっぱばしといわれるくらい有名な橋ですが
橋の近くに行ってみればその景色の素晴らしさに
なるほどとうなずけるものがありました
観光客の多さにも驚きました



同じく梓川にかかる橋「穂高橋」です

この橋には人影もまばらで落ち着いた良い雰囲気でした
静かな中にも風情豊かななかなかの佇まいでした





普段から山に住んでいる私ですが
このような場所はみなれているはずでたが
毎日慌ただしく過ごしていて
このようなところをゆったりと友達と語りながら
歩くといった機会はめったに有りません
さながら森林浴といったところでしょうか?
リフレッシュして楽しく歩きました



ホテルの前に際立った山に一筋の川「 霞が澤」というそうです
時間とともに霧が晴れてはっきりとその姿が現れてきました
このような眺めも又上高地ならではなのでしょう



上高地の名所一つ 「大正池」です
ここも池に山の姿が映ってとても綺麗でした



「焼岳」です
荒々しく聳えていました
これも一寸霧が晴れた瞬間に写す事がきました




紅葉が楽しめるかと思っていましたが
僅かにホテルの入口のモミジが色付き始めた位でした





夏の終わの名残りのように 「しもつけ」 のピンクが鮮やかに咲いていました
野菊の「白山菊も」僅かに咲いていました
モミジには早いし野草には一寸おそいし・・と言った時期でした
それでもさすがに上高地ならではの雰囲気が素晴らしく
癒されました 
不自由な体を抱えての遠出は仲間に大変にお世話になりながらの事でして
兎に角皆さんに感謝! 感謝! です
帰りのバスの中で
「今度は紅葉の良い時にまた来よう」と
言うことになって私も「そうね」って言ってみたけれども
ふと我身を振り返って
昔マルクスのことば「あたかも一万年生きるかのように行動するな 生きているうちに 
許される内に善き人たれ」という言葉を思い出して苦笑してしまいました




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野に咲く花の美しさ何時までも

2016-09-05 20:01:35 | 日記


春からの日常的な忙しさから解放されて
ふと我に戻る時 つまぐろ豹紋蝶が短い秋の陽射しの中で静かに羽を休めています
形あるものは全て消えて行く秋 
全ては芽吹く日のため 必ず来る春が有ります




我が家の庭の草花はぐんと少なくなってきましたがふと野原に目を向ければ
レースのパラソルの様な花「シシウド」です
大きくなりますと2mを超えてきます







「おとこえし」と「やましろきく」です
今の季節のこれらの野に咲く花々は
こうろぎの声も聞こえて楽しみです
こんな自然の野原の花が
何時もいつも必ず咲いてくれると
信じていますが
今の時期何時何処で何が起こるやらで
当たり前に思えることが遠く感じるのはなぜ?
今私はこのような香り高い野の花に囲まれていられることは本当に幸せです
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