ほろ酔い日記

 佐佐木幸綱のブログです

戦国武将の歌3 木戸孝範 1434年(永享6)~1502(文亀2)以降

2016年09月23日 | エッセイ
 木戸孝範は、関東管領上杉氏の重臣で、三河守源孝範とも呼ばれていました。関東公方・足利成氏が三島明神で元服したときに、加冠の役をつとめたことが知られています。
 応仁の乱以前に京都にいましたが、文明年間以後、関東に定住し、豊島あたりに居をかまえたらしい、とされています。武将としてはさして有名ではありませんが、歌の世界では早くから名を知られ、『孝範集』という歌集があります。心敬、東常縁、宗祇ら、室町期の有名歌人や連歌師と親しく交流しています。

 さて、文明六(一四七四)年六月十七日、江戸城が竣工してまだ十七年目のこと、江戸城で「武州江戸歌合」が、太田道灌主催のもとにはなばなしく開催されました。判者は心敬(しんけい)。木戸孝範(たかのり)はこの歌合に参加しています。

うなばらや水巻く竜の雲の浪はやくもかへす夕立の雨 太田道灌
(大海原よ。竜巻が海水を巻き上げた雲の浪が、たちまち降らせる激しい夕立の雨だ)
潮(しほ)を吹く沖の鯨のわざならで一すぢくもる夕立の空 木戸孝範
(潮を吹き上げる鯨のしわざかと思わせるような、一筋の夕立雲を浮かべる沖の空よ)

 歌合では、「海上の夕立」という題で、この二首が番(つが)わされました。題詠歌では、こういうアニメのような歌が面白い。
 海面を立ち走る巨大な竜巻のイメージをうたう前者。「水巻く竜」「竜の雲」「雲の浪」、三者が三様の独立したイメージを持ち、それらがごちゃごちゃにぶつかりあっているような感じが持ち味でしょう。
 潮を吹き上げる鯨のイメージの後者。これから夕立が来る予兆のような空の動き。比喩として採用されている鯨の潮吹きは、ややユーモラスですが、どーんと海面に浮き上がった鯨の巨体をおもえば、日常のスケールをはるかにこえた光景が眼前します。難をいえば、「一すぢ」でしょう。巨大な「一すぢ」があったっていいわけですが、なんとなく小さい感じに誘います。
 そうは言っても、両者とも、武人の歌にふさわしい、豪快なイメージで海の夕立をうたっています。

 どちらが勝ったのでしょうか。判者・心敬は、道灌の作を「勝」としました。主催者である道灌に花を持たせたのだと思います。道灌の作もドラマチックに水の動きをとらえてみごとな出来です。一方、孝範の作も負けたとはいえ、なかなかの作と言っていいでしょう。ユーモラスな感じがするのも悪くありませんね。

 木戸孝範は太田道灌とは特に親しかったようです。この「武州江戸歌合」には、太田資常・太田資忠ら太田一族の者が多く参加しており、その席で道灌の歌と番わされたのは、ことさらの親しさだったからと推測されます。
 また、「太田道灌状」に「兵儀以下の事、もっぱら彼(か)の意見を加へられ候」とあって、歌のことだけではなく、武人としても太田道灌に重んじられていたことが分かります。

 孝範には歌の才があったらしい。現代の私たちが読んでもそれほど古めかしく感じられない作が少なからずあります。たとえばこんな歌はどうでしょう。
 
異色(こといろ)はふりくる雨にくれはてて入江をわたる鷺のひと列(つら) 
(きわだつ色は、上空を飛んでゆく一列の鷺の白さだけ。雨の降る夕暮れの入江はすべて一様の暮色)
 
 文脈は「異色は……鷺のひと列」と続きます。雨の日の夕暮れの、墨絵のような入江の風景の中に、飛翔する一列の鷺の白さだけが浮き立って見えるというのです。モノクロームのデリケートな色彩です。
 上質な日本画を見るような、シンプルでしかも奥深い世界を感じさせます。

このごろの月こそあらめ見し友を霞へだててすむ世なりけり
(春の月が霞で見えないのは仕方がない。しかし、かつて親しく交遊した友人たちが、霞をへだてるように、あの世や遠国に住む,嘆かわしい世になってしまった)

 『孝範集』の長い詞書によれば、かつて宮中の行事等で親しく交際した友人たちが、「応仁の乱」に巻き込まれて、死んだり、都を逃れて各地に移り住んだりして、ちりじりになってしまった。そうした友を思いやっての作だ、とあります。

 応仁の乱後間もなく、まだ数年しか経っていない時代です。十年間つづいた戦乱は、京都の町を荒廃させただけではなく、貴族、武士ともどもを、経済的に疲弊させました。
 この一首は、そんな時代の武士階級の個人の力ではどうしようもない、時代の流れに流される者の詠嘆と読んでいいでしょう。
 この時代の空気をも伝える、なかなかの佳作だと思います。


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